私はマルタの最後の台詞を書き終えた。何度か私は最終章を読み直して、気になる部分に手直しをした。手直しするのに煙草は要らなかった。酒も薬も要らなかった。
ついに黒猫のコテクとマルタの物語は終わった。マルタの力によって、黒猫のコテクは不安を解消した。それはつまり、作者である私の不安も解消されたということを意味している。
本当に? 私はじっと、自分の心の動きを覗いてみた。本当に今の私は、不安ではないのか? 私自身の不安も、マルタによって癒されたのだろうか?
今は、何も私の中で動いていない。何かが私の中から生まれようとしている気配はない。この物語を書き始める前の私は、風船のように空っぽだった。予感と、それ以上に不安だけが詰まった風船だった。不安の黒い風船は私自身でもあった。今にも泣き出しそうな顔を薄皮一枚の下に隠した風船だった。
今は違う。風船は破裂してしまった。その後に残ったのは、ただ満足感だけだ。
あの時マルタはコテクに対して、「面白かったわ」と一言だけ言った。
それだけだ。すべての作者が望んでいるのは、ただその一言だけなのだ。
「面白かった」 その一言を聞きたいがために、作者たちは身を焦がすような不安に苛まれ、不眠に苦しみ、才能に絶望しながらも、ひたすらに物語を書き続けるのだろう。
私は物語を書き終えるまで、私の不安が私だけのものだと思い込んでいた。今では違う。私の不安は、おそらくすべての人間が同じように覚える不安なのだろう。誰もが不安を抱えて生きている。不安ながらも物語を紡いでいる。拙い物語もあれば優れた物語もある。そして、「面白かった」と言われて安堵する。そしてまた、生きていく。「面白かった」という、ただその一言だけを求めて。時にはルールなどというものもこしらえて、自縄自縛に陥って、最後にはまたルールを捨てていく。すべてはただの一言を得るために。
私は癒された。私はもう不安ではない。おそらく今後も不安になることはあるだろう。生きている限り、あの黒い風船はまた復活するに違いない。それでも私は、もう死について考えることはないだろう。
では、もし「面白くなかった」と言われたら? その時こそ作者は沈黙しなければならないのか? その時こそ人は死ぬしかないのか?
そのような心配も、今の私はまったくしていない。人は誰もが心の中に、いついかなる時も必ず「面白かった」と言ってくれる謎の存在を抱えているからだ。私はそのことを知っている。私は、この物語を語ることを通じて、私の中にいるマルタを見つけることができた。だから私は、この後も生きていくことができるだろう。元気一杯ではないかもしれないが、微笑みならば浮かべて生きていける。
ふと、私はこの物語が本当の意味で、今まさに最後の場面を迎えていることに気づいた。
そう、こうして語っている私自身も、この物語の一部だったのだ。
(『聖魔法少女マルタの一日』おわり)
これにて『聖魔法少女マルタの一日』の物語は完結です。お付き合いいただきありがとうございました。また機会があればマルタを主人公にした新しい物語を書こうと思います。個人的にはこういう実験的な作品を最後まで無事に書き通すことができて満足しております。では、またどこかで。