悟空TRIP!   作:足洗

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一話 GTinリリカルなのは「なのは」

 

 

 うんと幼い頃の記憶の大半は、いつも独り。

 別に、家族がいないなんて辛い生い立ちを持ってる訳じゃないし、虐待やイジメを受けたことだって一度もない。家族はいつも優しかった。お母さんもお父さんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、皆大好きだった。

 きっと誰も悪くない。皆が家族のことを想って、皆が家族の為に一生懸命なだけで。

 私はそんな家族が大好きで、大好きで――――だから、独りに耐えようと思った。

 その決意が正しかったのかどうかは今でも分からない。少なくともあの時の私は確かにそれが家族の助けになると信じていた。あるいは、ただ信じたかっただけなのかもしれないけれど。

 自分の孤独は意味のあるものなんだ、って。

 もしあの人が知ったら、馬鹿だって笑うかな。それとも怒るかな。優しく頭を撫でながら慰めてくれるかな。

 ……どれも違う気がする。そんな気の利いたことができるとはこれっぽっちも思えないから逆にすごい。デリカシーとか紳士的とかそういう言葉の縁遠い人だから。

 ただ、私の手を引いてどこかに連れ出してくれるんだろう。自分勝手に。こっちの都合なんてお構いなしで。

 困った人。本当に、悟空くんは――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (ひぐらし)が鳴いている。

 それが近くの木立からなのか遠くの林からなのかは分からない。身体の内側を揺すられるような不思議な音が公園の中に響き渡る。それ以外の何も聞こえやしなかった。

 子供の甲高い歓声も騒がしい足音ももう聞こえない。ジャングルジムは歪な陰を地面に伸ばし、滑り台は橙色の日差しをぼんやりと反射している。フェンスの向こう側で夕刊の新聞配達のバイクが横切った。低い羽音のようなエンジン音が過ぎ去ると、蜩の鳴き声さえ遠ざかったように公園にはしんと静寂が降りる。

 その時、とうとう何一つ音は失われたかに思われた。しかし、たった一つだけまだ物音のする場所がある。5メートル四方に区切られた小さな砂場。その真ん中でぽつんと小さな影が動いている。

 

「……」

 

 茜色に染まった砂の上に伸びた影は、そこに蹲っている矮躯に見合わず長く濃い。

 少女と呼ぶには彼女は幾分幼過ぎた。精々五つか六つ、小学校に上がる前の幼児である。

 ざくざくと、砂を掻く音だけが響いた。

 

「今日の晩ご飯どうしよっか?」

「わたしカレーがいい!」

 

 通りの向こうで声が聞こえる。

 女の子とその母親の他愛のない会話。どこにでもありふれた光景。

 

「っ……」

 

 フェンスを挟んだすぐ向こう側の出来事だった。それがひどく遠い。手も届かないくらいに遠く、彼女には感じられた。

 砂を掻く。一心不乱に。何も考えたくはないから。

 けれど、どうしても頭は考える。心は、感じずにはいられない。

 どうして。

 

「っ……っ」

 

 日は刻一刻と傾き、茜色だった世界は暗い紺色に染まっていく。じりじりと、まるで少しずつ世界の明るい部分を呑み込んでいくように薄闇が迫ってくる。

 時刻は午後六時をとうに過ぎ、子供は皆自分の家に帰る頃合だ。先頃まで公園で居残っていた子らも親兄弟に連れられて今はもういない。

 けれど、彼女はここにいる。

 独り、ただ砂を掻き続ける。

 どうして。

 

「ぅ、ぁ……」

 

 誰も迎えには来ないことを彼女は知っている。

 どんなに待っても、どれだけ夜が深まっても、独りきりなのだと分かっている。

 どうして。

 

「っ、ぅあ……」

 

 山を作る。ただひたすら砂を集めて、積んで重ねて、小さな山を作り続ける。何の意味もない。何一つ楽しくはなかった。それでも彼女はその小さな手を片時も休めず、ただ砂を掻き続けた。

 乾いた砂に黒い染みが点々とできる。染みができる度、それを砂で隠した。それでも染みは消えなかった。後から後から染みは砂を汚した。

 

「ひくっ……」

 

 目蓋の裏が熱い。景色が歪む。袖で目を何度も何度も拭った。何度拭っても景色は一向に晴れなかった。

 砂を積み上げ山ができたらそれを崩す。砂を掻き分け、掘り返し、何もなくなった更地にまた砂を積み上げる。終わりのない作業。終わらせないように。もしこれを終わらせたら、帰らなければならない。彼女の家。暖かだった場所。安らぎだった空間に。

 

「だい、じょうぶ……ぅ……」

 

 電灯が点る。遂には影の中に沈むようだった彼女を青白い光が照らし出した。しかし、それはむしろ周囲の暗がりを一層浮き彫りにして、今や彼女の影は底の見えない沼のようだった。

 柔らかな砂は彼女の足を捕らえる汚泥。彼女の小さな足がゆっくりと泥に飲み込まれていく。そんな錯覚さえ起こす。

 

「なのは、は……っ……いいこ、だから……」

 

 それでも彼女はじっとその場を動かず、ただ砂を掻き続けた。延々と。永遠と――――

 引きつった喉から震える声で言い訳する。言い訳して、目を逸らして、彼女は終わりのない遊びをひたすら続ける。誰もいないこの公園で。誰も来ないこの暗い沼のような場所で。

 不意に、濡れた瞳の端に影が映る。

 反射的に視線が影を追う。少年と目が合った。逆さまの少年の顔が目の前にあった。

 次の瞬間、砂場が爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜空と夕空の丁度境目で彼は目覚めた。

 目覚める場所はいつだって一定しない。空の上の上だったこともあれば、地底の底のそのまた底だったこともある。むしろ地に足を着けた状態の方が稀なのではないだろうか。実際はどうあれ、そのように感じられる程に彼の目覚めは唐突で場所を選ばない。

 

「んがっ」

 

 ただ、当の本人はそれを気にも留めていない。

 空の上で目覚めたなら少しばかり遊覧飛行を楽しめばいい。地の底で目を覚ましたなら土竜を気取って穴掘りに精を出してもいい。

 どちらでもないなら、また、見知らぬ誰かに会いに行こう。見たことも聞いたこともない広い世界に歩き出す。

 生きていようと死んでいようと、悟空はいつだってそうしてきた。これからもそれは変わらない。

 

「んー?」

 

 変わりはしない。が、今回の覚醒場所は少々特殊だった。

 高度は精々100メートル前後。肉体年齢が現在十一歳の悟空の体重ならば地表到達まで自由落下でおよそ五秒といったところ。

 そして今、彼は起き抜けで大変寝惚けている。

 人体は頭部に対して比重が大きく、落下する際は大抵頭が下を向く。悟空とてその例に漏れない。

 にわかに夜気を帯び始めた風を全身で感じながら彼の身体は真っ逆さまにひた落ちる。刻々速度を増しながら真っ直ぐ落ちる。昇る(・・)夕日は住宅街の向こうに消え、ずらりと並んだ屋根もさっさと通り過ぎる。

 ものの五秒で地表は彼の旋毛のすぐ真下。寝惚け眼が捉えたのはぽかんと口を空ける幼女の顔。

 それを最後に彼の視界は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 濛々と煙が立ち込める。尻餅を着いたまましばらくの間彼女は呆然としていた。“爆発”の衝撃で彼女の小さな身体は砂場の外に投げ出されたのだ。

 程なく煙が晴れ始め、大きく抉れた砂場の無惨な姿が露になる。砂の大半が周囲に飛び散って、そこはまるで蟻地獄の巣穴のような有様だった。

 

「――――え!?」

 

 その中心に棒が二本立っている。よく見るまでもなくそれは足であった。黄色のズボンを穿き黒い靴を履いた人間の下半身である。それが窪んだ砂地から空に向かって生えているのである。

 異様な光景に二度三度と瞬きを繰り返す。両手で目を擦ってみるが相変わらず下半身はそこにある。現実だった。

 

「……」

 

 恐る恐る少女はその下半身に近付いた。砂地はボール状に1メートルほど刳り抜かれていた為、彼女は滑り台の要領でそれを下った。

 近寄って見るとやはりそれは間違いなく人の脚である。そして上半身の方はどうやら砂の中に埋まっているようだ。

 なるほど、先ほどの“爆発”はこの脚の持ち主(?)が上から降ってきて砂場に頭から激突した為に起こったのだ。

 少女は一人納得する。

 しかし、同時に彼女は考える。体の半分が埋まってしまうほどの勢いで地面に墜落した人間が果たして無事でいられるのかと。

 

「…………」

 

 さっと顔から血の気が失せていく。幼いながら彼女はこの事態が自身のキャパシティを超えているのだと理解した。

 大人を呼ぼう、そう思い踵を返しかけたその時。

 脚が動いた。

 

「ひぃ!?」

 

 最初は僅かに身動ぎする程度だった。それが次第に激しくなっていく。

 じたばたと前へ後ろへ暴れる脚には何やら余裕がない。凍りついたように見守ること数秒、彼女はようやくそれが苦しんでいるのだと気が付いた。

 

「わ、わ、えと、どどどうしよう」

 

 右往左往する間にも脚は苦しみもがく。

 僅かに逡巡した後とうとう彼女は意を決した。暴れる足首を両手で捕まえ、力の限り引っ張った。

 

「ふんっ、にゅー!」

 

 うんとこどっこいと引っ張るが中々に手強い。見た目通りすっぽりと埋まってしまっている。

 最初の物怖じはどこへやら、気分は幼稚園で読み聞かされた「大きなかぶ(・・)」そのままである。

 

「ぜんりょくぅ、ぜんかいぃ!」

 

 ちんまい全体重を掛けて今度こそはと思い切り引っ張り上げる。

 すると、あれほど頑固に嵌っていた脚が持ち上がった。頭の中で「すぽんっ」という快音が鳴り響く。

 しかしあまりにも全力で引っ張っていたものだから、勢い余って少女はその脚諸共すっ転んだ。

 身体が砂に投げ出される。柔らかな砂の上ということもあって痛みはなかった。

 

「ぶへっ、ぺっぺっ、うぇ、はぁはぁはぁ、はー死ぬかと思ったぞ…………あり、オラ死んでんだっけか?」

 

 顔を上げる。声の主は少女の目の前にいた。少女に背を向けて立っていた。

 黒髪は砂を被ってやや白っぽい。地面に埋まっていた所為なのか髪はぐちゃぐちゃだ。上半身は青い胴着姿だった。街灯の青白い光に負けない鮮やかな青、目の覚めるような蒼だった。そして黄色のズボンからは――茶色の尻尾が伸びている。

 水に濡れた犬みたいにぶるぶると身体を揺すって体中の砂を落とす。砂が少女の方にまで飛び散った。

 

「ひゃっ」

「? おお、すまねぇ」

 

 少年は少女に振り返った。

 初めて少年の顔を見る。少女が通う幼稚園の男の子達と同じ腕白さに野生味を足したような。

 少年は少女の手を引いて軽々とその小さな身体を立ち上がらせた。

 

「出してくれてサンキューな。いきなりオラが降ってきてびっくりしたろ?」

「う、うん」

「怪我とかしてねぇか? はは、おめぇ砂まみれだなぁ」

「え、あぅ」

 

 少年は少女の頭やら服やらに付いた砂をぱっぱと払っていく。少女はそれがなんだか気恥ずかしかった。

 

「でも、おにいちゃんは? おケガしてない……?」

「オラか? オラぁこの通りぴんぴんしてっぞ!」

 

 少女のそんな心配を余所に、少年はその場で宙返りして見せた。

 にゃんぱらりと彼が着地した拍子に尻尾もまた揺れる。揺れる。

 少女はその茶色の物体に釘付けになった。

 

「うん? ああ、おめぇ尻尾が珍しいんか」

「う、うん。ヘンなアクセサリーだね」

「アクセサリーなんかじゃねぇぞ、ほれ」

「え?」

 

 言うや少年は後ろを向くと躊躇なく己のズボンを下ろした。必然、少女の眼下に彼の臀部が露になる。きゅっと引き締まった小ぶりな尻が電灯の光で光沢を放っていた。

 

「みゃあー!?!?」

「な、ちゃんと本物だろ?」

「みゃー!? みぃいやー!? あ、ホントだ」

 

 手で顔を隠しつつ、少女は指の隙間からしっかりと少年の臀部を見る。彼の言うとおり尾ていから直に尻尾は生えていた。

 

「び、びっくりしたぁ」

「オラ、悟空。孫悟空。おめぇの名前なんてんだ?」

 

 ズボンを上げて器用に帯を結びながら、まるで何事もなかったかのように少年は言った。

 

「う、うん、えと、なのは。なのはだよ…………ソンゴクウ? おサルさんの?」

「そうだなぁ。昔はまあよく言われてたけどよ」

「あの、あの、ニョイボウとかキントウンとか持ってるの?」

「あるぞ? 見せてやっか?」

 

 少年、悟空は空を見上げた。なんだかんだと日は暮れて、空は厚く塗り込めたかのような群青色。夜に近付くほどに星もちらちらと瞬き始めていた。

 そして悟空は大きく息を吸い込んだ。少年の小さな胸が見るからに膨らんでいくのが分かる。

 

「筋斗雲やーーーい!!」

 

 夕方の住宅街を声は高らかに響き渡る。夜空に届かんばかりの声量は近くに居たなのはの可愛らしい耳を貫いた。

 

「うーんちょっと遠いかんなぁ、時間かかっちまうかも……お、来た来た!」

「ふぇ?」

 

 その夜空の向こうから。

 黄金の軌跡を描きながらそれは来た。

 箒星のように、けれど地平線に消えることなく、凄まじいスピードで近付いてくる。

 あっという間にそれは悟空の元まで辿り着いた。びゅんと一陣強く砂を薙ぎ払って少年の目の前に急停止。なのはや悟空の体躯より二回りほど大きく、見るからに柔らかそうなふわりとした質感。紛れもなくそれは黄金色の雲だった。

 

「え? え? えぇええ!?」

「よっと」

 

 ぴょんと、躊躇なく少年は雲に跳び乗った。

 そしてなのはに向かって手を差し出す。

 

「ほれ、掴まれよ」

「う、うん……うあっ」

 

 いかにも恐る恐る触れた途端、ぐいと掴まれた手を引っ張り上げられる。

 

「行くぞぉ!」

「え?」

 

 その声のニュアンスは果たして『どこへ?』なのか『どうやって?』なのか、なのは自身よく分からない。理解する暇なんてなかったから。

 

「っ!」

 

 一瞬、叩きつけるように吹いた暴風に思わず目を瞑った。一挙に押し寄せる恐怖感。反射的に少年の小さな背中にしがみ付く。

 風は止むことなくなのはの全身を叩いた。その強烈さときたら、父親の運転する車の窓から吹き込むような微風とは比べ物にならない。けれど、徐々にその感触にも慣れてくる。なのははぎゅっと閉じていた目蓋をゆっくりと開いた。

 

「へ」

「おぉ、見ろなのは!」

 

 轟々と耳を揺さぶる音が、下腹を押し上げられる奇妙な感覚が。

 その瞬間だけは、どこかに消えてしまった。

 もうすっかり夜だと思っていた。暗い公園と白んだ街灯の光はなのはにいつも夜の訪れを知らせるものだったから。

 だのに、なのはの瞳は茜色を映していた。

 ビロードのような群青の空と海の境目、その中心で一筋、けれど力強く燃える陽の光。水平線に沈む寸前の太陽がほんの一滴残した宝石のような煌き。それが海を臨む街に幾条も伸びて、海を、空を、雲を、そして最後になのは達を照らし出していた。

 

「キレイ……」

 

 吐息のように言葉は零れ出た。こんな綺麗な景色を見たのは生まれて初めてだった。

 しばらくゆっくりと沈んでいく太陽を見送ると、なのはは自分の居る場所に気が付く。

 

「と、飛んでるの」

 

 おもちゃのように小さな街がなのはの眼下一面に広がっていた。なのはの生まれ育った街、海鳴の街が。

 なのはが知る自分の世界は家と幼稚園と公園のある町、それより先は広すぎて想像もできなかった。

 

「ああ、なのはは空飛ぶの初めてか?」

「う、うん。初めて……初めてだよ! こんなの見たことない! すごい、すごいすごーい!!」

 

 その想像もつかなかった世界の広さを今なのははその目で、全身で体感している。

 きっと行ったことのある場所、見たことのある建物もたくさんある。それら全てがここからはまるで別世界から来た未知の造形物のようだった。

 

「ははははは、そっかそっか。じゃ、もっといろんなとこ飛んでみっか。しっかり掴まってろ!」

 

 少年の言葉と共に雲が加速する。夜空のキャンパスに目にも鮮やかな黄金の軌跡を描いて。

 家々に灯りが点り、道路を走る車が光の川を流す。遠くに見える光の塔は商業区のビル群。きっとそれはこの世で一番豪華なイルミネーション。

 

「そぉれー!」

「わぁあーー!!」

 

 夜空のどこかで無邪気な歓声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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