小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】   作:ケルティック☆タイチ

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【100】それぞれの未来へ

 それからの毎日を私は半ば放心しながら過ごす事になる。

普通の女として生きろ、という父の遺言の意味を噛み締めながら、たったそれだけの言葉なのに、それがどういう事なのか想像もつかない日々が続いた。

ただ一つ言えるのは、私がこの状況に絶望して自害をする事は許されないという事だ。

父の遺言でもあるし、ソフィアとの約束でもある。

私は普通の女としての自分の人生というものを探さなければいけない。

 

いくら考えても答えの出ない私は、思い立って学生寮から飛び出していた。。

スィーズランドに戻るにしても、私が潜入捜査員として二年半を過ごしたドルファンの街並みをもう一度巡って見ておきたいという気持ちもあった。

隠密のサリシュアンとしてではなく、ライズ・ハイマーという一人の女として人々の暮らしを見れば、普通の生き方というものがわかるかもしれない。そんな期待を少しだけ持って。

 

 

 学生寮からドルファン学園への通学路。

二年半前のあの秋の日にドルファン学園の校門前で東洋人傭兵とぶつかってしまった時から、この国への潜入捜査の日々が動き出したような気がする。

この通学路を何度となくソフィアやハンナと歩いた。

プリシラが待ち伏せしていた事もあったし、レズリーからの感謝の言葉を受け取った事もあった。

隠密のサリシュアンという肩書が無くなった今の私の視点で見る通学路は懐かしい気持ちもあるものの、どこか新鮮でもあるしなんとなく郷愁を感じるものでもある。

 

学校はすでに自由登校の期間になっており、私達高等部の三年生は通学している者などほとんどいない。

授業中の時間という事もあって人気のない校門の前を歩いていると、不意に元気な声で「ライズ!」と呼び止められた。

声の方へ振り返ってみると、運動着で汗を拭いながら笑顔を浮かべるハンナ・ショースキーがいた。

 

「珍しいね、ライズが自由登校の学校に来るなんて」

「……少し感傷に浸りたくてね」

「それはまた、もっと珍しいね。雪でも降るかも」

 

そう言って笑うハンナに、私はため息と一緒に苦笑いを浮かべる。

 

「ハンナはまだ学校に通っているの?」

「まあね。ボクは卒業後も大学で陸上をやる予定だからさ。体がなまらないように動かしておかないと」

「そう……陸上競技を続けるのね」

 

私の言葉にハンナは爽やかに笑った。

 

「もちろん! 走るのが好きというのもあるし、リンダに負けっぱなしというわけにもいかないからね!」

 

ハンナのその目標へのまっすぐな姿勢と、努力を続ける姿はいつでも好感が持てる。

 

「……あなたはいつも真っ直ぐね」

 

私が言うと、ハンナは少し照れ臭そうに笑った。

 

「真っ直ぐ、という事にかけては負けないかもね。もっとも、真っ直ぐ以外の道を知らないだけだけれど」

「応援しているわ。いつか、リンダに勝てるよう」

「応援はしない主義じゃなかったっけ? これはますます槍でも降りそうだね」

 

そう言ったハンナは悪戯っぽい笑顔を浮かべると、「もう少し走ってくるね!」と言って走って行ってしまった。

 

 

 次に私が訪れたのはサウスドルファンの駅前だった。

昼前の時間だと言うのに人が溢れて賑やかな、いつもと変わらない雰囲気の駅前。

そもそもレッドゲートに守られたこのドルファン首都城塞の中は、戦時中であってもほとんど戦争の悲壮感や緊張感などなかった。

特にこのサウスドルファンは戦争の匂いを感じない場所だった。

駅前の露店で幾度となくプリシラやハンナ達とアイスを食べた。

あの店のチョコミントのアイスは、私のドルファンでの思い出の味と言えるかもしれない。

五月祭でヒューイからバラの花を投票された日の事も、昨日の事のように思い出せる。

人々の熱気で溢れるあのステージで、バラの花を投票されて目があった瞬間は、私と彼の間で時間が止まったかのような錯覚すら覚えた。

 

あの日の光景を思い出して立ち尽くしていると、駅の方から歩いてくるクレア・マジョラムの姿が見えた。

彼女も私の姿に気が付くと、小さく手を振る。

その彼女の後ろに、なにやら大きな木箱を持った私服姿のメッセニ中佐の姿があった。

 

「あら、久しぶりね。今日はどうしたの?」

 

クレアは私の前までくるといつもと変わらぬ笑顔で言った。

 

「いえ、特に何も。街を歩いていたらあなたの姿が見えたから」

「まあ、そうなの?」

 

答えながらバーへと続く階段の扉の鍵を開けると、メッセニ中佐が扉の前に木箱を置いた。

 

「クレアさん、それではまた運ぶ時に声をかけて下さい」

「ありがとうございます、中佐。でも、こんな事わざわざ申し訳ないわ。帰りは自分で運びますわ」

「いいえ、こんな事くらい朝飯前です。私はクレアさんのお役に立ちたいのです」

 

そう言い残し、メッセニ中佐は私の方をちらりと見てから、来た道を帰って行った。

その鼻の下がだらしなく伸びているところを見ると、クレアにだいぶお熱のようだ。

それにしても大きな木箱だが、メッセニ中佐が軽々と持っていたところから推測するに、中身は空のようだ。

 

「こんな大きな箱、どうするの。納品というわけではなさそうだし」

 

私が言うとクレアは鍵を鞄にしまいながら言った。

 

「実は、バーの仕事を辞めようと思ってね。これは私物を片付ける為の箱なの」

 

意外な回答に驚いた顔をしていると、クレアは少しだけ寂しそうに答えた。

 

「ここは亡くなった主人と付き合っていた頃によく飲みに来ていた思い出の場所だから、なんだか離れがたくていつまでもお世話になっていたのだけれど、いい加減卒業しようと思って」

「……どうして?」

「だって、いつまでも思い出に浸ってばかりじゃ、主人が喜ばないと思ったから。私は彼の分まで人生を生きなきゃいけない、そんな気持ちになったの」

 

そう言ったクレアの表情は、寂しそうでもあるがどこか清々しく、凛としていた。

私はそんな彼女に素朴な疑問をぶつけてみた。

 

「何があなたをそうさせたの? 何かきっかけが?」

 

クレアは口元に細い指を当てながら少しの間考えていたが、やがて穏やかな笑顔で言った。

 

「強いて言えば、時間がそうさせたのかもね。悲しみが癒える事はないけれど、前へと進む勇気は湧いてくるものよ」

 

そう言ったクレアの顔に、彼女と出会った頃のあの悲しみを湛えた影はもう見えなかった。

 

 

 クレアの木箱を店の中へ運ぶのを手伝った後、引き続き街を歩いていると思いがけずスーのパン屋の前へと差し掛かった。

店の中で退屈そうに店番をしていたスー・グラフトンとガラス越しに目が合うと、彼女が手招きをするので私は店の中へ入っていった。

ドアを開けて中に入ると、いつものようにほのかな暖かさと焼き立てのパンの甘い香りが私を包んだ。

この店を知ったのはプリシラの使いで来ていたプリムに連れてこられた事がきっかけだった。

 

「はぁい、お散歩?」

 

スーは接客しているというよりは、知り合いに話すような砕けた口調で話しかけてきた。

 

「ええ。もう少ししたら故郷に帰るから、今のうちにドルファンを見て回ろうと思って」

「あら、そうなの? うちのパンが食べられなくなるなんて、残念ね」

 

その自信たっぷりの態度が今となってはなんとなく微笑ましい。

 

「ここのラスクが食べられなくなるのは、確かに少し残念だわ」

 

そう言った時、カウンター裏のパン窯の方からエプロン姿に顔を粉で汚したキャロル・パレッキーが出て来た。

 

「あれ、ライズじゃん。やほやほー」

「こんにちは。そんなに粉まみれで、また手伝いなの?」

 

私の言葉にキャロルは若干バツの悪そうな顔をした。

 

「あー……手伝い、というか、実は本格的にここで働き始めたんだよねー」

「そうなの? 王宮のメイドは?」

「辞めたんだ。元々大した理由があって働いていたわけじゃないし、ちゃんと手に職をつけたいなーと思って」

 

あの能天気お気楽娘のキャロルとは思えない言葉だが、彼女もなにか心境の変化があったのかもしれない。

意外としっかりとした考えをもっているのだと感心しながらスーを見ると、スーは視線を逸らしながら言った。

 

「わ、私はここで花嫁修業中だから、別にパンが上手く焼けなくても問題ないし、キャロルが焼いてくれるならそれでいいじゃない」

 

特に何も聞いていないのだが、スーがパンを上手く焼けない事はわかった。

変わるものがあれば、変わらないものもある。

 

「またいつか、ラスクを買いにくるわ」

「その時にはパレッキー・パン店になっているかもね、キャハハハ」

「私は早々にお嫁に出ているはずだから、まあそれでもいいわ」

 

スーとキャロルはお互いの顔を見合うと、声を上げて笑った。

 

 

 パン店を出てロムロ坂方面を目指す。

坂を下りていき、プリシラとよく待ち合わせをしたり、あの東洋人傭兵とお茶をした喫茶店の横を歩く。

ポプラの並木道は春らしくはっきりとした緑色の葉を蓄えており、どこかほろ苦く甘い匂いがする。

 

二年前の冬のこの並木道でドルファンに来て初めて微笑んだ事を思い出す。

東洋人傭兵とお茶をした後この並木道を吹き抜ける北風の中で、寒さに強いという彼の言葉に、思わず頼もしさを感じてしまったものだ。

あの時とは違い爽やかで甘い風が木々を揺らす音を聞きながら歩いていると、ベンチに座ったレズリー・ロピカーナがスケッチをしており、その隣でロリィ・コールウェルが退屈そうに欠伸を噛み殺していた。

ロリィが私に気付き、明るい声を上げる。

 

「あ、ライズお姉ちゃん! こんにちは」

「こんにちは」

 

私が答えると、レズリーがスケッチブックから顔を上げてこちらを見た。

 

「ああ、あんたか。散歩かい?」

「そんなところだわ。また、絵を描いているのね」

 

レズリーはコンテで汚れた手で鼻をかいた。

 

「まあね。学校を卒業したら、本格的に絵の勉強をしたいんだ。何年かしたら、絵を描きながら旅をしようかと思ってさ。……叔父さんのように」

 

それを聞いていたロリィがほっぺたを膨らませる。

 

「お姉ちゃん、またそんな事言って。ロリィを置いてけぼりにするなんて許さないんだから!」

「ロリィも高等部になるんだ。ちょっとはあたしから離れてみたらどうだ?」

「高等部になっても、お姉ちゃんはお姉ちゃんだもん!」

 

駄々をこねるロリィに困ったような笑顔を見せるレズリー。

だが、今はこういった関係であっても、きっと数年後にはまた新しい関係が始まるのだろう。

変わるものもあれば、変わらぬものもある。

変わっていく中で、まわりに影響を与えつつも新しくなっていく関係もある。

 

「ライズはどうするんだ? 卒業後はさ」

 

レズリーの言葉に不意に我に返る。

 

「え、ええ。一旦スィーズランドに戻ろうかと思っているわ。元々ここには……留学で来ていただけだから」

「そうか。寂しくなるな」

 

その言葉に、私は疑問を覚えて思わず言葉を返した。

 

「寂しい? どうして?」

 

私の言った言葉がさも不思議な事かのようにレズリーとロリィは顔を見合わせた。

そしておかしそうに笑い合って言った。

 

「友達がいなくなるのにどうして寂しいのか、も何もないだろ?」

「そうだよ。ライズお姉ちゃんも、ロリィの憧れのお姉ちゃんの一人なんだから」

 

あまりにも私の思考回路とかけ離れた言葉に思わず固まってしまっているとレズリーが苦笑しながら言った。

 

「あんたはどうなんだ? 私やロリィはともかく、ソフィアやハンナ達とすぐには会えないようになるのは寂しくないのかい?」

 

戦場での人と人との繋がりは希薄なものだ。

いつ死ぬかもわからない中で、次の戦場でもその人とまた会えるかなど、誰も約束できない。

だが、このクラスメイト達には次があり、同じ時間を生きていくのが当たり前なのだ。

それこそが普通に生きるという事なのだろうか。

わからないが、この好ましく思っている人たちと別れ、もしかしたら一生再会する事もないと考えると、少しだけ胸が苦しくなる。

 

「この胸の苦しみが寂しさと言うのなら……もしかしたら、私も寂しいと感じているのかもしれないわ」

 

私が言うと、レズリーとロリィはまた顔を見合わせて明るく笑った。

 

「そうであれば、また会えるさ。人は寂しいからこそ、また会いたいと努力するものだから」

 

 

 レズリーとロリィと別れ、マリーゴールド方面へと歩く。

あまり縁のある場所ではなかったが、リンダの豪華な馬車に揺られながら貴族の館を眺めたのを思い出す。

リンダと眺めたシルベスターの花火は鮮やかだった。

庶民的な街並みが徐々に大きな館へと変化していくのを横目に、この地区の人間がどれほど今回の戦争を間近に感じていたのかと思うと僅かに胸の奥がちくりと痛む。

何の気なしに歩いていると、後ろから追い抜いて行った馬車が少し先で停まり、客車からリンダ・ザクロイドが降りてきてこちらに手を振った。

 

「ライズさん。奇遇ですわね」

「久しぶりね」

 

頷いて答える私に、リンダは満足そうに微笑みながら歩み寄り、静かな声で言った。

 

「長かった戦争が終わったわね。外国人排斥法が施行されるんじゃないかって噂もあるけれど、ライズさんは卒業後はどうされるの?」

「外国人排斥法はともかく、スィーズランドに帰ろうと思っているわ」

「そう……ですか」

 

珍しく元気のないその横顔に、私はレズリーが言った言葉を思い出した。

 

「私がスィーズランドに帰ったら寂しい?」

「え!?」

 

リンダはあからさまに驚いた表情を浮かべたが、その後に怒ったような顔をした後に赤面し、何かに悶えるような苦悶の表情をしたあと、ため息とともにしょぼくれた声で言った。

 

「……正直に言うと、寂しいわ」

 

リンダの百面相は思いの外面白かったが、これがいつも余裕たっぷりなお嬢様を演じているリンダの素の部分なのかもしれない。

そのしょぼくれた声のままリンダは続けた。

 

「私の事を本当の意味で知っている人なんて皆無だもの。唯一、あなたには私の見せてはいけない所を見られてしまったし、あなたとの会話はいつも楽しかったから……寂しいわ」

「そうなのね……ありがとう」

 

私が言うと、リンダはまた驚いたような顔をした。

私はその驚きの意味がわからず、改めてリンダに聞いた。

 

「なぜそんな驚いた顔をしているの?」

「いえ、ライズさんらしからぬと言うか……」

 

言いかけたリンダだったが、ふと微笑を浮かべると目を閉じながら言った。

 

「いいえ、そう言えばあなたはいつでも正直な意見を言ってくださる方だったわね」

 

私はまわりを取り巻く人々へ自分を偽り続けた人間だ。正直であったつもりはないが、リンダはそう受け取っていたのだろうか。

しかしリンダは私の方を見て続けた。

 

「でも、あなたのその歯に衣着せぬ正直な意見に、少なからず救われましたわ。やっぱり、そんな友人がいなくなるのは寂しいわ」

 

確かに私はリンダに対しては無遠慮に言葉を投げかけたかもしれない。

そんな事が逆に彼女の心を捉えたのならば、人の心とは難しいものだ。

そう思っているとリンダが明るく言った。

 

「まあいいわ。私が貴族になった暁には、あなたがどこにいようともパーティーに招待するので、必ず参集する事!」

「船上パーティーかしら?」

 

私の言葉にリンダは目を細めて笑いながら言った。

 

「また船から落ちて台無しにされては敵いませんので、お屋敷にしておくわ」

 

 

 馬車に戻るリンダを見送り、マリーゴールド地区の街を歩いていると、馴染みの薬局からメネシスとテディー・アデレードが連れだって出てくるところに出くわした。

テディーは私に気が付くといつもの明るく親しみのある笑みを浮かべたが、メネシスは反対に露骨に嫌そうな顔をした。

 

「ハイマーさん、お久しぶりです。薬局に御用ですか?」

 

いつでも慈愛の天使らしく朗らかなテディーの笑顔。

 

「散歩の途中よ。珍しい取り合わせね」

 

私が言うとメネシスがややぶっきら棒に答えた。

 

「私はどうでもいいんだけれど、テディーが薬剤を揃えたいと言うからね。わざわざラボから下りてきてやったんだ」

「薬剤を揃える?」

 

思わず疑問を口にすると、テディーがやや恥ずかしそうに答えた。

 

「私、本格的に薬の調合を勉強し始めたんです。いつまでもメネシスさんに甘えてばかりではいられませんから」

「それは看護師の領分を超えているんじゃない?」

「はい」

 

はっきりと言い切ったテディーは、淀みなくまっすぐな言葉で続けた。

 

「私、医師を目指したいと思うんです。将来、セーラちゃんや私のようにこの病気で苦しむ人を減らしたい……。なにより、セーラちゃんの病気を治してあげたいですから」

 

目を輝かせて言うテディーの横で、メネシスが少しだけ居心地の悪そうな口元をしている。

だが、テディーはそれに気づかずに明るく微笑んだ。

 

「それでは、私は行くところがありますので失礼しますね。メネシスさん、ありがとうございました。ハイマーさんも、また」

 

メネシスと私にそれぞれ会釈をして、軽い足取りでテディーは去って行った。

私はメネシスと取り残される形になってしまった。

元々私もメネシスも自分から喋るタイプでもないのだが、私から話を振ってみる。

 

「さっきはバツが悪そうな顔をしていたわね」

 

メネシスはいつもと変わらない眼鏡で表情が読み取れなかったが、いつもよりは若干重い口調で言った。

 

「相変わらずあんたは性格が悪いね。人の嫌なところばかり良く見ている」

 

私は肩をすくめてみせた。

だがメネシスは私を見ずに続けた。

 

「テディーはああ言うけれど、セーラの病気を治すのに薬での治療は無理だろうね。外科的な処置が必要だけれど、そんな事が出来るわけもない。誰が胸を開いて心臓を縫う事が出来るものか。結局は対処療法しか手段がないんだ」

「症状を軽くする事は出来るのではないの?」

「薬で出来る事は心不全にならないように心臓の動きを補助する程度さ。発作が起きてしまったら、休ませる以外に出来る事はない。いくら化学(リバイテック)と言ったって万能じゃないさね」

 

言葉の端に悔しさをにじませながら言うメネシスは、調子の良い事ばかりを言う医者や祈祷師の類に比べれば余程信頼できる。

 

「とはいえ、あの娘がやる気になっているんだから、わざわざ水を差す事もない。せいぜい付き合ってやるとするさ」

「意外と面倒見が良いのね」

「馬鹿言わないでよ。ただ、諦めたらそれで終わり。私も化学の可能性を信じているだけさ。ミハエルとは違う、正しい化学ってやつの可能性を」

 

そう言った彼女の横顔は、ゼールビスの死を乗り越えて歩いてくだけの強さをたたえていた。

 

 

 メネシスと別れ、しばらく歩くとセーラ・ピクシスの館の前へとたどり着いた。

丁度セーラが庭のテーブルでお茶をしているところで、私の姿を見つけた執事のグスタフ・ベナンダンディが一緒にお茶をしないかと勧めてくれた。

少し歩き疲れて喉が渇いていた事もあり、私はこの昼下がりのお茶会に参加させてもらう事にした。

セーラは今日は具合が良さそうで、その白い肌に血が巡り、わずかに桃色の頬をしていた。

 

「ライズさんがこの辺りにいらっしゃるのは、珍しいですね」

 

ティーカップを上品につまみながら言うセーラに、私は紅茶を一口啜ってから答えた。

 

「少し散歩をね。今日は体調が良さそうね」

「はい。最近は調子が良い事が多いんです。このまま病気が快方に向かってくれるといいんですが」

「そう。さっきテディーに会ったのだけれど、あなたの病気に効果のある薬を調合できるようにしたいと意気込んでいたわ」

 

私の言葉にセーラは眼鏡の奥の瞳に涙を浮かべた。

 

「そうなんですね。テディーさんがそんな事を……とても嬉しいです」

 

そんなセーラをグスタフが優しく見守っている。

穏やかな空気の中、隣に置いている鳥かごの中のカナリアが美しい声で鳴いた。

 

「メビウス……だったかしら?」

 

私が言うと、セーラは少し寂し気な声で答えた。

 

「……実は、この子はメビウスでは無いんです」

 

私が不審そうな顔をしているのを察したのか、グスタフが静かに言った。

 

「メビウスは先日、天に召されまして……何分、カナリアとしては高齢でしたので」

「そう。残念だったわね」

 

私の言葉にセーラはそっと首を振った。

 

「兄が大切にしていた子だったので、すごく残念でした。一時期は私もショックで臥せってしまいましたが、思ったんです」

 

セーラはカナリアをみつめながら続けた。

 

「兄のメビウスは亡くなってしまったけれど、兄が戻ってきたときにカナリアがいないのは、きっと悲しむだろうと。だから、兄のメビウスではないけれど、私のメビウスを兄に見せてあげたいんです」

 

セーラがあのカナリアを溺愛していたのは良く知っている。

それはカルノーが残していった唯一の物だったからと言うのも分かっていた。

だがその愛鳥との別れを乗り越えて、新しいカナリアに愛情を注ぐというのは、セーラなりに苦労があったのだろう。

そして、今も信じているのだ。カルノーが帰ってくると。

あのプリシラの誘拐に失敗したカルノーがどうなったのかはわからない。

シベリアに戻ったのかもしれないし、どこか他の国に行ったのかもしれない。

だが、ここでセーラは待っているのだ。

いつまでも、最愛の兄が帰ってくると信じて。

それも一つの生き方なのかもしれない。

 

「果報者ね、あなたのお兄さんは」

 

私が言うと、セーラは少しはにかみながら微笑んだ。

 

 

 思わぬお茶の時間を楽しんだセーラの館を後にし、遺跡群方面へ歩いていく。

街並みは高級な住宅街から、大昔の神殿の跡などの遺跡へと変わっていく。

この遺跡群の片隅で氷炎のライナノールが散っていった。

彼女は不動のボランキオの為に部隊を抜けてこの国にやってきた。

今ならばルシアの気持ちが少しはわかる気がする。

私が父の仇を討とうと剣を取ったように、ルシアはバルドーの為に剣を取った。

愛した人の仇を討つという為に。

ただ一つ違うのは、私が親子の親愛だったのに対して、ルシアは男女の情愛であったという事だ。

私が父を愛する気持ちとルシアがバルドーに抱いていた愛は、どこが違うのだろうか。

 

そんな事を考えていると、通りの向こうからこちらに向かって馬車がゆったりとしたペースで近づいて来ていた。

見ると馬車を操る御者はジーン・ペトロモーラだった。

ジーンは私に気が付くと、大きく手を上げた。

 

「よう、騎士殿」

 

ジーンのいつもの挨拶。

だがその挨拶は今の私には少しだけ胸の奥に痛い。

 

「もう騎士は廃業よ」

 

私が言うと、ジーンは私の顔をまじまじと見つめた。

 

「ふうん、なんだか知らないが、乗るか? さっき気前の良い客を乗せたから、タダでいいぜ」

「それでそんなにのんびりと走らせていたのね。じゃあシーエアー駅までお願いしようかしら」

「ああ、了解した」

 

私が客車に乗ろうとすると、ジーンは御者台を指さした。

 

「タダ乗りの客はこっちだ」

 

別に客車だろうと御者台だろうと、目的地まで運んでくれると言うなら問題はない。

私はジーンの隣に座り、ゆっくりと進みだした馬車の揺れに身を任せた。

先の客がよほど払いが良かったのか、ジーンはらしくないのんびりとした速度で馬車を走らせていた。

まっすぐに前をみつめながら、ジーンが言う。

 

「浮かない顔をしているじゃないか。何かあったか?」

 

私はゆったりとした馬車の揺れを感じながら、小さくため息を吐いた。

 

「何もなかったわけではないけれど……。ねえ、たわむれで聞いてもいいかしら」

「なんだ」

「普通の女として生きるって、どんな生き方なのかしら」

 

ジーンはちらりとこちらを見たが、また視線を前に戻して言った。

 

「随分難解な質問じゃないか。騎士を廃業したって事と何か関係しているのか」

「……そうね、今まで騎士として生きてきたから、普通の女ってどんなものなのか想像が出来ないのよ」

 

ジーンはしばらくの間黙っていた。

リズミカルに響く蹄の音だけが私達の間に流れていたが、やがてジーンが口を開いた。

 

「普通って、なんだろうな。オレもこんな仕事をしているし、普通の女ってわけじゃないんだろうが……」

 

言いながら苦笑いを浮かべたが、すぐに真顔になって続けた。

 

「ただ、普通の暮らしっていうのは、仕事をして金を稼ぎ、自分のやりたい事をして、たまに美味い物を食い、いつかは家庭を持ったり、自分の夢を叶えたり、そういう事のために毎日を精一杯に生きる。そんな当たり前の事が普通に生きるって事かもしれないな」

 

以前、ジーンは牧場を経営したいと言っていた。それが彼女の夢なのだろうか。

 

「牧場は経営できそうなの?」

 

私が言うと、ジーンはやや驚きながら答えた。

 

「よく覚えていたな、そんな話。まだまだ先になりそうだよ。でも、親戚がやっている牧場があるんだが、もう少し金が溜まったらそこで働いて、行く行くは自分の牧場を持ちたいと思っているんだ」

「……そう、あなたも夢に向かって頑張っている。いわば普通の暮らしをしているのね」

「世間の言う普通かどうかはわからないが、まあ、そうなるのかな」

 

そう言って笑ったジーンが私には眩しく見える。

 

「……私に、出来るのかしら」

 

ポツリと口から出た言葉は、馬車の蹄の音にかき消された。

 

 

 ジーンの馬車でシーエアー駅に到着した私は、そのまま浜辺へと歩いた。

春の夕方の浜辺は人気もなく、穏やかな海原の寄せては返す波の音だけが耳に優しい。

二年前の春にも、こうしてこの浜辺に来た事を思い出す。

もっとも、あの時は窮地に陥ったヴァルファバラハリアンに対し何の力にもなれなかった無力な自分が悔しくて、不覚にも人前で涙を流してしまった所をソフィアに強引に連れ出されて来たのだが。

あの日ソフィアと並んで腰かけた大きな流木が、あの日と寸分変わらずにそこにあった。

 

私はその時の事を思い出して苦笑すると、その流木に腰かけた

お節介なソフィアとここで海を見て、彼女の的をついた指摘に思わず頬を叩いてしまった事を思い出す。

あの時は何も知らない普通の学生であるソフィアに、敵国の中で潜入捜査をしている自分の事を理解できるわけがないし、理解されたくもないという強い拒絶の気持ちがあった。

だから優しさで私を連れ出したソフィアとまったくもって相容れなかったのだ。

だが、それでもソフィアは私に声を掛け続けた。

 

あの娘は一見引っ込み思案でおどおどしているように見えるが、彼女の中で譲れないものがあって、それを守る為ならば勇気を持って踏み込んでいける強さを持っているのだ。

いつの間にかあの娘のペースに巻き込まれて、気が付いたら彼女の歌を聴き、一緒に街を歩き、同じ時間を過ごす内に、彼女は私にとって大切な存在になっていた。

偽りの関係と思っていたし、深入りしてはいけないと自分で自分に制約をかけていたにも関わらず、ソフィアはそれをいとも簡単に乗り越えてしまった。

彼女はこんな私を友人だと言ってくれた。親友だと言ってくれた。

プリシラとは違う友人という繋がりが、まさかこのドルファンで生まれるとは思ってもみなかった。

 

 

 気が付くと空は夕焼け色から濃紺のグラデーションへと変わっていた。

どれくらいの時間ここにいたのだろうか。

そろそろ寮へ帰ろうと腰を上げた時、後ろから「ライズさん!」と名前を呼ばれた。

振り返るとまさにソフィア・ロベリンゲその人がこちらを見て優しく微笑みながら立っていた。

 

「ソフィア」

「えへへ、奇遇……ですね」

 

私服姿のソフィアは私の横に並んで立って海を眺めながら深呼吸をした。

そして潮の香りを胸に取り込むと、こちらを見て言った。

 

「ライズさんも海を見に来たんですか」

 

私は頷きながら、もう一度流木に腰かけた。

ソフィアも私に倣って隣に座った。

出会った頃のように、隣いいですか、とは聞かない。

あの時とは二人の距離が変わっているのだ。

少しの間二人で凪いだ海を眺めていたが、私から切り出した。

 

「私、やっぱりスィーズランドに戻ろうと思っているの。だから、その前にドルファンの想い出の場所をまわっておきたくてね」

「ここは思い出の場所……なんですね」

「そうよ。お節介で強引だけれど、心根の優しい私の友人との」

 

ソフィアはくすりと笑って目を閉じた。

 

「あの時の事、昨日の事のように覚えています。迷子の仔猫のような目をしたライズさんが懐かしいです」

「そう、今思えばまさに迷子の仔猫だったのかもしれないわ。どうやって生きたらいいのか、自分に自信が持てなくて彷徨っていただけだったもの」

 

私の言葉にソフィアは意外そうな顔をした。

 

「ライズさんでも自分に自信が持てない時があるんですね」

「もちろん、あるわ。それを認めるのに、時間がかかったけれど。それに……」

 

私は言いながら波音を聞いていた。

耳に優しい定期的なリズムが、心を落ち着かせてくれる。

 

「今も自信を持てていないわ。騎士である自分を捨てて、この先どうやって生きていけばいいのか……」

 

ソフィアは隣で黙って私の言葉を聞いていた。

そして夜空と海の曖昧な境界線を眺めながら、静かに口を開いた。

 

「この前の初舞台ですが、ライズさんに観てもらわなくて良かったと思っています」

「え?」

「散々でした。セリフは抜けるし、動きは間違えるし、歌も調子外れで」

 

あの初舞台に向けてソフィアが必死に努力をしていたのは知っている。

それでもそんな結果になってしまった原因は、少なからず私にあるのだろう。

やむを得なかったとは言え、舞台の直前でのあの出来事はソフィアに悪影響を与えてしまったのではないか。

 

「ごめんなさい。私の所為ね」

 

私の言葉にソフィアは首を振った。

 

「いいえ、ライズさんの所為ではありません。どんな状況であっても舞台に立った以上、それは私のミスだし、私の弱さです」

 

そう言いながら海をみつめるソフィアの横顔は悔しさがにじみ出ていた。

 

「あんなに練習したのに、その苦労の結晶も一回の失敗で台無しになってしまいました。これから先、本当に歌姫を目指していけるのか、私なんかがそれを目指す資格があるのか、すごく悩みました」

 

寄せる波が砂浜を優しく押し出し、引く波がそれをさらっていく。

静かな波音にかき消されそうなソフィアの声だったが、やがて静かだが力強い声で続けた。

 

「でも、思い出したんです。いつか、ライズさんが言ってくれた事を」

「私が言った事……?」

「一歩ずつでももがいて前に進まないと、どこにもたどり着けない、と」

 

ソフィアの声を聞きながら、私はそんな事を言ったか記憶を手繰っていった。

あれはソフィアに連れられて海に行った後、ヒューイとゴンドラに乗り八騎将としての生き方を再確認した後で、学校の中庭で話をした時だった。

確かに私はそんな言葉をソフィアに言った気がする。

しかしあの時の私は気力が充実しており、気持ちが前を向いていたからこそ言えた言葉だったのだ。

今の私にはその言葉に責任を持つ事すら出来る自信がない。

 

 ソフィアはそんな私の心を見透かしているかのように、私の手に自分の手を重ねて言った。

 

「私はあの時のライズさんの言葉に勇気をもらいました。背中を押してもらいました。そして今回もその言葉を思い出して私は前へ進もうと思えました。だから、今度は私の番ですね」

 

私の手を握る手に力がこもり、ソフィアの優しさが暖かさとなって伝わる。

 

「ライズさんが自分に自信が持てなくても、何者になるかわからなくても、約束してください。私、もっと練習して努力して、いつか歌姫になれたら公演でスィーズランドに行きます。だから、その日まで待っていてもらえますか。必ずスィーズランドまで行ってみせます」

 

ソフィアの瞳はまっすぐで、瞳の奥には熱い光が輝いていた。

ソフィアが私に言いたいのは、自分が頑張る姿を見せる事で、私に自暴自棄な生き方をするなという事なのだろう。

自分が輝いて歌姫という立場でスィーズランドへ行くまでに、私にもそれに見合う生き方を見つけて邁進しろと言うメッセージでありエールなのだろう。

言葉にして言われたわけではないが、彼女の気持ちがわかる。

本当にこの娘は、お節介で優しくて控え目ではにかみ屋に見えるけれど、その芯の部分の強さは誰にも負けない頑固さを持った、素晴らしい友人で親友なのだ。

私は苦笑を浮かべながらも、ソフィアの手にもう一方の手を重ねた。

 

「……わかったわ。まだ、どんな自分になるのかも想像できないけれど、一歩ずつでももがいて前に進んでみる。普通の女として生きる事が何かはわからないけれど、私の出来る事を私なりに探してみる。そして、あなたを待っているわ。スィーズランドで、歌姫ソフィアを」

 

ソフィアは優しく微笑むと、私の手を取って静かに歌い始めた。

明日を夢見る少女の歌。

その歌は力強く優しく、ソフィアの暖かさをそのまま伝えてくれるようだ。

静かな波の浜辺に未来の歌姫の澄んだ歌声と、波音だけがいつまでも響き渡っていた。

 

 




残り3話で完結となります。
本日中に3話更新いたします。昼頃になると思っています。
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