小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
それは唐突にやって来た。
ドルファン王室会議で兼ねてから施行が議論されていた外国人排斥法がついに可決されたのだ。
施行された法律はかなり強引かつ強硬な内容で、ドルファン国籍を持たないすべての外国人を強制的に国外退去させるというものだった。
スィーズランド国籍の私はもちろん、帰化でもしてドルファン国籍を取得していない者は、否応なく国外退去を命ぜられるという事だし、命令に従わない場合は強制排除も辞さないというものだった。
その通知は私にも例外なく送られてきており、その内容は今月中に退去せよというシンプルで冷たい通知だけだ。
以前からこの法案が施行される雰囲気はあったが、先日のプリシラ誘拐事件が引き金となった事と、プロキアとの戦争終結により外国人傭兵部隊の必要性が無くなった事により、かなりのスピード感を持って施行されたと言える。
元々故郷へ帰るつもりだったしドルファン王室議会の思惑も重なった今、私がこの国にいる理由は完全に無くなってしまった。
そしてそれは、あの東洋人傭兵をはじめとした傭兵達にも言える。
もっとも外国人傭兵部隊の多くはすでに契約を打ち切られて半ば強制的にドルファンから追い出されている。
戦争の終結とともに、多くの傭兵達が命を懸けて戦った事実が、歴史上の一つの出来事として片付けられてしまう。
実際に歴史とはそのような事の繰り返しなのだろうが、まさか自分がその生き証人になるとは思ってもいなかった。
帰国する為の荷物を詰め始めていた朝に、その手紙は部屋のポストに小さな音を立てて投函された。
こんな朝から手紙とは珍しいと思いながら、荷造りの手を止めてその手紙をポストから取り出す。
飾り気のないシンプルな封書で、宛名には少し癖があるが力強い文字で私の名前が書かれている。
私に手紙を送るなど、今更誰だというのだろう。
封筒を裏返して差出人を確認する。
ヒューイ・キサラギ。
一瞬手紙を持つ手が止まった。
あの東洋人傭兵が私宛に手紙を送ったのだろうか。
そんな事はドルファンにいた二年半で一度もなかった。
何故だかわからないがあまり良い予感がしないその手紙に、私は純銀のペーパーナイフを差し込んで封を切った。
冷たい感触のナイフによって封を切られた封筒から一枚のみの便箋がはらりと落ちた。
私はそれを拾い上げ、たかだが数行程度の短い文章を確認した。
手紙の内容はシンプルであった。
外国人排斥法によってこの国を出る事になった事。
簡潔に書かれた今までの感謝の言葉と共に書かれていたのは、十五日に出立するので最後に波止場で会いたいという事だけだった。
十五日。すっかり片づけてしまったカレンダーを見る事は出来ないので、最近は開く事のなかった手帳を取り出す。
──三月十五日は、今日だ。
突然突き付けられた事実に、自分が必要以上に動揺している事を自覚する。
あの男がドルファンを旅立ってしまう。
昨日までは会おうと思えばいつでも会えたし、私が出国するまでにまだ時間的猶予があった事からすっかり油断していた。
彼とはもう一度話をしなくてはならないと思ってはいたが、事実、これからどうやって生きていくのかという答えが出ていない状況で話す事はないと思っていた。
もう少し気持ちの整理がついたら、自分の行く末を見極められたら彼に会いに行こうと思っていただけに、この事実はかなりの衝撃を持って私の心を揺さぶっていた。
どうすればいい?
こんな時に冷静な判断一つ出来ない自分が嫌になるが、今はそんな事を自戒する事も出来ない程心がざわついている。
まずは一旦落ち着かなくてはいけない。
私は深呼吸を一つすると、部屋のドアを開けて外へと歩き出した。
本当は銀月の塔まで行きたかったのだが馬車に乗る気にならず、私は落ち着かない足取りで国立公園へとたどり着いていた。
人気のないところを探してうろうろと彷徨っていると、いつかアンと話をしたトレンツの泉に迷い込んでいた。
流石に歩き通しで若干の疲れを感じていたのと、ようやく心が落ち着いてきた事もあり、私は人魚を模した噴水の傍らに腰を下ろして、状況を整理する事にした。
まず、外国人排斥法によってヒューイ・キサラギがこの国を追い出されてしまうという事。
彼がこの国を旅立つのは今日だという事。
そして、この国を出国する前に会いたいと言われている事。
時間の指定はないが、今日中に出国するという事は少なくとも今日の最終便の船に乗らなければいけないという事だ。
波止場の国外行きの最終便は、夕方に出港する便がある。
それまでに会いに行かなければ彼と会う事は出来ない。
ここで会わなければ、おそらく二度と彼に会う事はないだろう。
彼がこの先どうやって生きていくのかはわからないが、きっと新しい戦場へ赴くのだろう。
もちろん急な国外退去だったはずなので、行き先はまだ決まっていないかもしれない。
それでも彼はきっと戦場へ行くだろう。
なぜならば、彼は傭兵なのだから。
そんな事を考えていると、自分が何をしたいのかがわからなくなっていった。
新しい戦場へ赴く彼に会ったところで何を話せばいい。
自分の生き方も決まっていない私が彼に会った所でどんな言葉をかければいい。
おざなりな言葉を並べたところで一体なんになるのだろうか。
そもそも彼は私に会って何を言おうとしているのか。
私に何を伝えようと言うのか。
少しは落ち着いたはずの心が再びざわめきだし、思考が全くまとまらない。
私はトレンツの泉の静かにたゆたう水面を眺めながらしばらく自問自答を繰り返した。
なぜ私の心はこれほどまでに動揺し、ざわめいているのか。
わからない。
隠密のサリシュアンとしてこの国に潜入している時は冷静でいることこそ任務達成の為に重要な事だと思っていたのに、今の私は冷静とはほど遠い。
あまりにも情けない自分の姿に思わず自嘲のため息が漏れる。
「……無様ね」
口から言葉が零れた時、不意に目の前に影が差した。
誰かが近づいてきたのに気づきもしなかった自分の迂闊さに嫌気が差しながら顔を上げる。
そこにいたのは、胸の前で指を組んでこちらをみつめているアンだった。
アンはしばらく私を見ていたが、やがて消え入りそうな細い声で言った。
「……こんなところで、何をしているんですか」
今にも泣き出しそうなアンの声に驚きつつ、私は答える。
「少し、考え事よ。あなたは……散歩かしら」
アンは黙って首を振ってそれを否定すると、続けて言った。
「ライズさん、あなたを探していました」
「私を?」
思わぬ回答に驚いて言うと、アンは声を震わせながら言った。
「なんでこんな所にいるんですか。こんな所にいる場合では、ないですよね」
「待って。何を言っているの? あなた、何を知っているの?」
アンの一方的な言い方に若干戸惑いつつも、その弱弱しい声にも関わらず圧力のようなものを感じる。
アンは胸の前で組んだ手にぎゅっと力を入れながら、言葉を吐き出した。
「私、知っています。ヒューイさんが今日ドルファンを旅立つ事を。そして、旅立つ前にライズさんに会いたいと手紙を出した事も」
私はその言葉に息を飲んだ。
だが同時に疑問もわいてくる。
「どうしてあなたがそれを知っているの」
あの手紙は今朝私に届いた物だし、この事を誰にも話していない以上、アンが知っているはずがない。
だがアンはいつもの無抵抗主義の態度とは違って、目に涙を貯めながらも必死に言葉を紡いでいった。
「なぜ、私が知っていると思いますか。……ヒューイさんから直接聞いたからです」
「ヒューイに?」
「そうです」
ついにこらえきれずにアンの頬を涙が一筋流れた。
だが、突然目の前にあらわれて突然泣かれても、私だって対処に困る。
アンはそれでもわずかに震える声で続けた。
「私、今日は波止場にいました。そこでヒューイさんにお会いしたんです。偶然お会いできた事に、すごく幸せな気持ちでいつものように話しかけました。でも、そこで言われたのは……今日でドルファンを発つという思ってもいなかった言葉でした」
アンはもともとヒューイに熱烈な好意を持っていた。
だからこそ、その事実は彼女にとって何よりも残酷な内容だっただろう。
そして、アンの話が正しければ、ヒューイは事前にアンには国を出る事は伝えていなかったという事だ。
アンは小さく鼻をすすりながら必死に言葉を続けた。
「私、居ても立っても居られなくなって、ヒューイさんに想いの丈を打ち明けました。ヒューイさんの事が好きだと。過去に好きだった人に重ねて見てしまった事が始まりだったけれど、今は、一人の男性としてあなたが好きだと伝えました」
その言葉に、私はハンマーで頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。
アンがヒューイに好意を抱いていたのはもちろん知っていたし、いつかそういう日が来てもそれはおかしな話ではないと理解していた。
だが、いざそれが起こったというだけで私は想像すらしていなかった程の衝撃を感じている。
そして、アンは今泣いている。
それが意味するところは、如何に私が男女のそういう気持ちに疎くてもわかるつもりだ。
私の考えを裏付けるようにアンは震える声で言った。
「私の想いは、ヒューイさんに受け入れてもらう事は出来ませんでした。でも、私はそうなる事もわかっていました。それでもこの想いを伝えなければ、きっと後悔する……。だから勇気を振り絞って、無理だとわかっていても、伝えたかったんです」
そこまで言って小さく息を吸うと、消え入りそうな声で続けた。
「……私はもう、二度と後悔をしたくなかったから」
言いながら大粒の涙を流すアンに、かける言葉も見つからない。
「ライズさん」
その涙で濡れた瞳の奥に、強い光を宿した目で私をみつめながらアンが言う。
「ヒューイさんはあなたが来るのを待っています。それなのにあなたは、こんな所で何をしているんですか」
それは言葉遣いこそ柔らかい物だったが、はっきりと私を弾劾する言葉だった。
「わ、私は……」
思わず答えに詰まってしまったが、私にも言い分はある。
ヒューイが待っているのかもしれないが、私に何を伝えたいのかはわからない。
逆に私も彼に何を伝えたいのかわからない。
自分の気持ちがわからないのに、彼に会いに行く事は不誠実なのではないだろうか。
そして、もしも彼に会いに行ったとして、仮にアンのようにこのもやもやとした気持ちをぶつけて受け入れてもらえなかったとしたら。
情けない話しだが、そうなった事を考えると怖い。
ただ別れを告げられるだけになるのが怖い。
私が逡巡しているとアンは静かに歩み寄り、私の手を取った。
そして先ほどまでの悲しみに暮れつつ深い怒りを伴った声ではなく、静かな優しい声
で言った。
「ライズさん。私はあなたに憧れていました」
「憧れ……私に?」
「そうです。あの船上パーティーの日に、海に落ちたヒューイさんを助ける為、あなたは何の躊躇いもなく夜の海に飛び込んでいきました」
私の手を握るアンの手に、少しだけ力がこもる。
「驚きました。なんて勇気のある人なんだろうと。そして、彼の事を本当に大切に想っているんだとも思いました」
あの時は無我夢中だった。ただ、ヒューイを助けなければいけない、それだけの気持ちだった。
「真っ暗な海の中、自分の息が続かないにも関わらず闇の中へ潜っていくあなたの姿に、私は感動したんです。こんな風に強くなりたい、私もこんな人になりたいって。その想いが私に力をくれました」
アンはそう言って私の手を離した。
そして涙を拭うと、長く美しい髪を翻して後ろに振り返った。
「ライズさん、あの時の勇気を思い出して下さい。今行かなければ、きっと後悔します。行った先で何が待ち受けているかはわかりません。でも、行かなければどんな答えも見つからない」
アンはゆっくりともう一度振り返り、こちらを見た。
「私には出来なかったから。あの時の後悔だけが今も私を縛り付けている」
そして寂しそうに微笑んで続けた。
「ライズさんは私の憧れの人だから、後悔してほしくないんです。どんな結末が待っていたとしても、あなたなら乗り越えられるはずです」
アンはそこまで言うと少しだけ間を置いて、大きく息を吸って凛とした声で言った。
「あなたは、生きているのだから」
私は港に向けて走っていた。
今まで騎士として、八騎将として生きて来た。
それこそが私の人生だったし、父の為に復讐に生きる事こそが私の生きる意味だった。
しかし、そのすべてを失ってしまった。
絶望の淵に突き落とされて、立つことも出来ない闇の底まで転げ落ちてしまった。
これから自分がどうやって生きていくのか。
父の遺言に従って普通の女として生きていけるのか。
何を目指して、どんな人生を歩んでいきたいのか。
何一つ答えは出ていない。
だが、そんな私にも手を差し伸べてくれる人たちがいた。
立ち上がれない私の手を取って助け起こしてくれる人がいた。
目の前の闇に立ちすくんで、歩けない私の背中を押してくれた人がいた。
何者でもない私に会いに来てくれると言ってくれた人がいた。
ドルファンで過ごした時間が、私を導いてくれた。
ドルファンに来て出会った様々な人たちが、私の凍り付いた心を溶かしてくれた。
今も答えは出ていない。
なぜ息を切らしながら港へ向かっているのかもわからない。
でも、きっとわかる。
いつでも私に新しい世界を見せてくれて、安らぎを与えてくれて、自信を与えてくれた、あの人に会えば。
強い西日が差し込み、すべてのものが赤く染まる夕暮れ時に、私は波止場にたどり着いた。
荒い呼吸を整えるべく、立ち止まってしばらく休む。
頭上を海猫達が飛び交って鳴いている。
乱れた前髪を手櫛で整え、顔を上げる。
少し先の桟橋に繋がれた大きなガレオン船の前に、彼の姿があった。
その瞬間に私はすべてを悟った。
何も答えは出ていない。
私一人で出せる答えなどたかが知れている。
だが、二人ならば。あの人と一緒ならばわかる事が出来ると思う。
私は子鹿のように跳ね上がる胸の鼓動を抑えるように、深く息を吸った。
そして、
一歩ずつ彼の待つ方へと歩き始めていた。
まだ見ぬ明日へと。
――――
「手紙は読んだわ」
「この国を出るんですってね」
「歴戦の雄も、この国じゃ持て余したみたいね。バカな話しだわ……」
「でも、もっとバカなのは仲間の仇を目の前にしながら、何も出来ない、この私ね」
「貴方には完全に負けたわ……父の遺言を持ちだされては、自害すら出来ないもの……」
「あの日から、ずっと考え続けたわ」
「八騎将としての名誉も誇りも失った自分は何なのか……」
「これからどう生きればいいのか、何の為に生き長らえるのか……」
「でも、結局答えは出てこなかったわ。延々と自問が続くだけ」
「……そんな時、貴方がこの国を出ると知って思わず駆けつけたの」
「妙な話しよね。貴方がこの国を出ようが、私には関係ないのに……」
「ここに来るまでの間、一生懸命自分の心の内を知ろうとしたわ」
「なぜ、自分が港へむかっているのか。貴方に会おうとしているのか」
「貴方の顔を見た時、一つの結論にたどりついたの」
「きっと貴方がすべての答えを知っている、教えてくれる……って」
「何の為に生きるのか、騎士を捨てた自分は何なのか」
「貴方と一緒にいればそれが分かると思う……いえ、分かる事が出来ると思う」
「だから、お願いがあるの」
「――私を一緒に連れて行って」
「貴方と共に、新しい自分を見つけたい」
「二人の手で、明日を見つけたいの」
【 YES 】
【 N O 】
本当は最後のセリフのみは後編として独立した話にしたかったのですが、ハーメルンの規定で1,000文字以下だと一話として投稿できないので、このような形となりました。
雰囲気が出なくてすみません。。。
最後にもう一話、エピローグにてこの物語は完結となります。