小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
ダナンへの第二次派兵があと数日まで迫っていてもドルファンの街は普段と変化が無かった。
人々はいつもと変わらずに生活を営み、何一つ変わらない日常が過ぎていく。
私は自分自身が何をしているのか判らなくなっていて、ただ毎日を無為に過ごしていた。
あれ以来ソフィアとは会っていないし、会いたいとも思わなかった。
行くことに意味が見出せなかったし、学校という平穏な場所に耐えられなくて授業も休みがちだった。
だからその日も学校を無断欠席してただ街の中をさまよっていたのだ。
「ライズ!」
城東大通りで声をかけられても無気力さに溢れていた私は、それが誰だか最初はわからなかった。
振り向いて初めて久しぶりに見るヒューイ・キサラギだと言う事がわかった。
「ああ、久しぶりね」
「なんだ、つれないな」
彼は少しふてくされて見せると意地悪な笑みを浮かべた。
「こんな所で何をやっているんだ? 今日は学校じゃないのか」
「別に……あなたには関係ないわ」
「そりゃそうだ。だけど、そんな浮かない顔していたんじゃせっかく学校をサボっても楽しくないだろ」
私は大げさにため息をついた。
戦争が目前だと言うのに何故彼はこんなに能天気なのだろうか。
勝利を確信した者の見せる余裕というものなのだろうか。
「あなたは気楽でいいわね。見習いたいわ」
「そうか? まあそんな事はどうでもいいさ。オレも丁度暇していたんだ。一緒にどこか行かないか」
「悪いけどそんな気分じゃないわ」
「まあまあ、いいからいいから。楽しい所へ行って嫌なことなんか忘れちまえ」
半ば強引に私を誘い出した彼はセリナリバーの方へと歩きだした。
並んで歩きながら、今この場で彼を殺してしまえばヴァルファに少しは有利になるかどうか考えた。
だが彼一人いなくなったところでドルファンの万の軍勢が変わるわけでもない。
ここ、セリナリバーは鉱石運搬用に作られた人工の水路で、その流れに沿って整備された遊歩道がある。
静かな水の流れと等間隔に植えられた針葉樹、落ち着いた雰囲気とロマンチックな雰囲気で若いカップルに人気の高い道だ。
私とヒューイが歩いている事自体大きな違和感があるのだが、傍から見ればただの男女なのだろう。
「平日のこの道は静かでいいな。日々の忙しさが嘘みたいだ」
それは同感だった。
カップルさえいなければ鳥のさえずりさえ聞こえ、心休まる静かな通りなのだ。
「そうね……。もしかしたら、こんなのに憧れていたのかもしれないわ……」
こんな日常、戦争も傭兵も関係ない穏やかな日々が。
「うん? 何か言ったか」
「いいえ、なんでもないわ。ところで、どこに向かっているのかしら」
「ああ、あそこさ」
そう言って彼が指差したのは観光用のゴンドラ乗り場だった。
「名物だというのに、まだ一度も乗った事がないんだ」
「そう」
「ライズはどうだ」
「ないわ。特に乗る必要がないもの」
「そうか。じゃあ丁度良かったな!」
彼は船頭に料金を払うと、紳士ぶって私の手を取ってエスコートをした後に、まるで子供のように嬉々としてゴンドラに乗り込んだ。
「楽しみだな!」
ゴンドラはゆっくりと桟橋を離れ、ゆるやかな速度で水路を滑っていった。
心地よいゴンドラの揺れに身を任せていると、なんだか現実から切り離されていく感じがする。
ゆったりと流れる景色。
耳に優しい水をかき分ける音と規則正しい櫓の音。
水面に太陽の光が乱反射して時折私の頬を照らす。
水の上は、心が乱れている時ほど落ち着きと癒しを感じるものかもしれない。
「いいもんだな、ゴンドラって」
「そうね、思っていたよりも快適だわ」
ヒューイの言葉に私は素直に頷いたが、心持はいまだ晴れなかった。
彼はゴンドラのへりに腕をもたせかけながら口笛を吹いたりしている。
あと数日後には血しぶきの舞う戦場に赴く戦士にはとても見えない。
彼はいつ会っても、ごく自然な振る舞いをする
私の知っている傭兵達とは少し違っている感じがする。
私の知っている傭兵達は戦いのために生き、いつ死ぬかも判らない人生を生きている。
それを楽しんでいるものもいれば、仕方なくやっているものもいる。
彼らの目は一様に皆疲れて寂しげで、何かを知りすぎてしまった者特有の目をしている。
だが目の前にいるこの傭兵は普段あまり生死をかけた生き方をしている事を感じさせない。
もしも露出している腕や顔にいくつかの傷跡がなければ、王室の執政官と言っても通りそうだ。
彼は気さくに笑い、人生を楽しんでいるかのような印象を受ける。
私は傍から見れば何にでも淡白に接するおかしな女として見られているのかもしれない。
私の任務には感情は不要だし、潜入捜査をしている以上、目立った行動は禁忌だ。
常に冷静に、そして客観的に物事を観察し、小さな異変を見逃さない事こそ重要なのだ。
だが今の私は毎日無力な自分を呪いながら生きている。
なにもかもドルファンに来てから狂い始めてしまった。
それまでの私は八騎将の一人として自信に溢れ、どんな任務でもこなす為に自分自身を高めるのが好きだった。
この国に来てからというもの腐っていく自分に嫌悪をつのらせているだけだ。
「よう、どうした」
ヒューイが微笑を浮かべたまま声を投げた。
私は彼の顔をまじまじと見つめてから答えた。
「ねえ、あなたはどうしてそんなに余裕を持っているのかしら」
「余裕?」
「そう。近いうちに戦場で生死を賭けて戦うというのに、随分余裕があるように見えるわ」
「余裕か……。まあ確かに毎日せかせか生きているわけじゃないけどな」
そう言って彼は笑って見せた。
その笑顔を見て私は複雑な感情を持った。
私の仲間と命のやり取りをする男が笑っているという怒り。それと、この笑顔の男を私の仲間が殺すのかもしれないという言いようのない気持ち。
そして、私自身はこんな風に笑えないという気持ち。
任務として敵地に潜入している以上、私には笑顔なんていうものは不要だ。
私が何かを楽しんだりしている間に常に命を賭けて戦っている仲間たちがいる。
そんな事が許されるわけがない。
私はこの場所に任務で来ているのだ。
私がそんな事を考えていると不意にヒューイが言った。
「ライズはさ、なんで笑わないんだ」
「え?」
思わぬ言葉に間抜けな声を上げてしまった。
「ライズと知り合ってからもう半年以上になるが、笑顔をみたのは一度きりだ」
ロムロ坂の並木道を一緒に歩いたときの話だ。
そうだ。あの時、私は確かにこの男を相手に微笑んでしまった。
彼に一瞬でも心を許してしまった自分の迂闊さを思い出した私は、おもわず顔をそらした。
「別に……。笑うようなことがないから、笑わないのよ」
ヒューイはその答えが気に入らなかったようで、しばらくそのことを考えていた。
「うーん。日常で笑う事なんて、結構いろいろあると思うが」
「そうかしら? だとしたらあなた、相当おめでたい人ね」
「そう?」
「ええ。傭兵として生死をかけた生き方をしながら、そんなに腑抜けた気持ちでいられるなんて」
私は、この意見に彼は怒るだろうと思っていた。
私は彼を、彼の生き方を馬鹿にしたのだ。
年下の女に小馬鹿にされて怒らないはずがないと。
だが彼は吹き出して笑った。
「確かにそうだな! オレはおめでたいし、お気楽かもしれんな」
腕を水の中に入れながら、彼は続けた。
「だけどな、オレは自分の生き方に自信を持っているんだ。確かに傭兵としていつ死ぬかもわからない。こんなにのんびり生きているべきではないのかもしれん。仲間が死に、敵が死に、この国の戦争は終わらない」
彼は流れる水面を眺めながらいう。
「それでもオレはこの生き方しかできないし、このままいつ死んだって、後悔はしない。なぜならオレ自身がそうやって生きていくって、決めているからさ。これがオレの生き方で、オレの人生なんだ」
腕を水から引き抜き、風にあてながらまた微笑んだ。
「オレはオレの生き方に自信があるから、笑っていられるのかもしれないな」
彼は私の目をじっとみつめた。
「ライズ。自信の無い奴は笑えないんだ。お前は何に怯えている」
私は押し黙ってその言葉を反芻していた。
何に怯えている。私は何かに怯えているのかだろうか。
このまま八騎将としての成果も誇りもないまま、父の目的の手助けとなる事も出来ないまま、帰るところもなくなってしまう事だろうか。
私はなにもかもを見透かされた気持ちで目をそらしたかったが、そうしたら言い知れない何かに負けてしまう気がして必死に彼を見ていた。
「強いて言うなら……自分自身の生き方に怯えているのかもしれない」
私が絞り出した答えに、彼はニヤッと笑った。
「なんだ、わかっているんじゃないか。だったら大丈夫。すぐに笑えるようになるさ」
その言葉に私は一瞬呆気にとられてしまった。
「わからないって顔すんなよ。だったら、自分の生き方をみつければいいだろ。後悔しないような生き方を」
後悔しない生き方。
私はドルファンに送られた事を、この任務自体を呪っていた。
父や仲間達とともに戦場で戦いたいと思っていた。
だが命令でここに来ている以上、『隠密のサリシュアン』として八騎将の誇りを捨てるような事も出来ずに、いわばどっちつかずの状態でここにいたのだ。
いまや戦場に戻る事は不可能だし、仮にそうしたとしてもその行為は命令違反に他ならない。
そしてそれは軍団長である父の期待を裏切ることになる。
私自身はまだやり遂げていない事、やらなければいけない事が沢山あるはずなのだ。
父やヴァルファバラハリアンの為に何が役に立つかはまだわかっていないが、こんな風に自分を呪いながら毎日を無駄に生きる事を望まれているわけではない。
役に立つことを考えて、それを一つずつ消化していこう。
私自身がヴァルファバラハリアンの一人として、そして八騎将が一人『隠密のサリシュアン』として後悔しないように。
戦場に立ち、命を賭けるだけが戦士の在り方ではない。後方支援が彼らを生かす事もあるはずだ。
それこそが私に与えられた任務であり、新しい私の生き方なのだ。
彼がまた腕を水の中に入れた音を聞き、私はハッと我に帰った。
彼はなんだか満足したように笑いながら水の中に入れた手を楽しんでいる。
「いいもんだな、ゴンドラって」
先程と同じ質問だが、彼の目は私をまっすぐに見ていた。
もう目を逸らす必要はない。
自信のない者は笑えない。
ヒューイの言葉に私は素直に頷いた。
「そうね、思っていたよりも快適だわ」
ただし今度は、心の底からにじみ出た自然な微笑みと一緒に。