小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
五月六日の早朝に、先発隊を除いたドルファン国軍七大隊が出発するのを私は眺めていた。
出発する彼らの姿を見にわざわざこんなに早くからレッドゲートまで来ているのは私だけではなかった。
家族を戦場に送り出す人々。恋人を送り出す女性。
皆心配そうに手を振っている。
例え勝ち戦であろうとも死人がでないわけではないのだから。
この中のどこかにあの東洋人傭兵もいるのだろう。
彼は生き残って帰ってくるだろうか。
人々はいつまでも神妙な面持ちで兵士たちをみつめている。
私は大隊が地平線のかなたに消えるまで見つづけるほど暇ではない。
出発を見届けて、すぐに馬車に乗り学校へ向かった。
その日もドルファン学園はいたって平和だった。
朝の集会で戦争に赴いた兵士達の無事を祈り、国歌を合唱させられただけで他は戦争についてなんの説明もなかった。
私はクラスメイト達が一生懸命唄う中、一人集会場の窓から明るく晴れた空を眺めていた。
明日にはこの空の下、沢山の命が散っていくのだ。
集会が終わり午前の授業が始まりいつもどおりに時が流れ始めた。
戦争が起きていてもここでは、このドルファン首都城塞では普段となにも変らない。
どこかで戦争があってどこかで戦士が命のやり取りをしていても、それは戦争に参加していない人にとっては普段と何も変わらない日常なのだ。
昼休みに持参したサンドイッチで昼食を済ませ、中庭のベンチで読書をすることにした。
中庭に来たのは随分久しぶりだ。
普段は教室で読書をしているのだが、今日は戦士たちと同じ空の下にいたかった。
五月の風はさわやかに私の頬を撫ですべての者に優しく吹いている。
私は本から顔を上げて空を見上げた。
父や不動のボランキオもこの空を見ているのだろうか。
そのとき、不意に現われた人影が声をかけてきた。
「あの、日向ぼっこですか」
聞き覚えのある声。
そこにはあのソフィア・ロベリンゲがいた。
「本を読んでいたところよ」
「あ……お邪魔しちゃいましたか」
「別に。何か用かしら」
「いいえ、その、ハイマーさんが中庭にいるのは珍しいと思って」
「そう」
私は再び本に視線を落とした。
だがソフィアはまだその場に立ち、なにやら落ちつかない様子だ。
「どうしたの、まだ何か用が」
ソフィアは改まると、突然申し訳なさそうに頭を下げた。
「あ、あの、この間はすみませんでした」
私は本を置いてソフィアの顔を見た。
彼女は今にも泣きそうな顔をして私を見ていた。
彼女に連れられて海に行き、私は彼女の頬を叩いた。
あやまるのはむしろ私の方なのに。
「私もあなたに謝っておこうと思っていたの。申し訳なかったわ」
「そんな、私こそすみませんでした!」
必死に謝りつづけるソフィアを見ていると、おあずけをくらっている犬のように見えてきて、なぜだがおかしさがこみ上げてきた。
「そんなに謝られると困るわ」
私が言うと、彼女はこちらを見て、はにかみながら微笑んだ。
「良かった、やっと笑ってくれましたね」
「私が?」
「ええ、笑っています」
どうやら自然と笑みが出たらしい。
だが、以前のようにそのことに動揺はしなかった。
むしろ笑える事がどこか誇らしかった。
自分に自信の無い者は笑えないのだ。
ソフィアはどこか清々しい様子で言った。
「隣、座ってもいいですか」
私は同意の印に頷いて見せた。
ソフィアは私の隣に腰を下ろすと、嬉しそうに私を見ていた。
その視線がどこかこそばゆい気持ちになりつつ、なぜこの娘はこんなに嬉しそうなのか疑問を覚えた。
「なにか良い事でもあったのかしら」
私の質問に、ソフィアは全く屈託のない笑顔で答えた。
「はい。ハイマーさんが笑ってくれました」
「それで、あなたは楽しく感じるの?」
「楽しいとは少し違いますね。そう、嬉しいんです」
「嬉しい」
「はい!」
ソフィアはこちらを見て笑うと、空を見上げた。
「今日は良い天気ですね」
「そうね」
私は戦場に赴いて行った兵士達の事を思った。
彼らもこんな天気の良い日には戦場ではないどこかに行きたかったのだろうか。
それとも勝ち戦とわかっているので軽いピクニック気分だろうか。
私がそんな事を考えていると、ソフィアがまた微笑んだ。
「ハイマーさんって、よく考え事をしていますよね。何を考えていたんですか」
「……色々とね。あなただって思慮に耽る事くらいあるでしょう」
「考えなきゃいけない事はたくさんあります。でも、考えても答えの出ない事ばかりだから考えません」
そう言ったソフィアの瞳が一瞬翳った。
「そう。考えても答えの出ない事は確かにたくさんあるわね。でも自分から行動しなくては何も変らないわ」
「自分から行動、ですか」
「ええ。もっとも今の状況に満足しているのなら話は別だけれども」
私は自分でもそんな言葉が出てくる事に驚いていた。
他人と関わることは今でも得策ではないと思っているが、考えるよりも言葉が先に出ていた。
「なんだか、ハイマーさんにとっても何か良い事があったんですね。今日のハイマーさんはなんだか自信に溢れていて、ちょっと格好いいです」
意外な言葉に驚きを感じたが、だが確かにそうかもしれない。
曲がりなりにも潜入捜査で小さな満足感を感じていた後だったからかもしれない。
ただ、任務以外で人とこんなに話をするのは初めてだ。
それはソフィアの持つ独特の雰囲気というか、控えめなのに押しが強い性格がさせているのか、ただ、それが今は案外悪くないと思っている自分がいる。
ソフィアは改めて私の方を見ると、ためらいがちに言った。
「ハイマーさんは、今のご自身に満足しているんですか」
「満足……はしていないわ。まだまだやらなければいけない事や、目標が沢山ある。でも、それらを少しずつでも消化していかなければ、最終的な自信のある自分にはなれないとは思うけれど」
「少しずつでも消化する事ですか」
「そう。一歩ずつでももがいて前に進まないと、どこにもたどり着けない。そうしないと、あなたの言う迷子の仔猫になってしまうわ」
私の言葉にソフィアは驚いた顔をしたが、バツの悪そうな笑顔を浮かべた。
「あの時の事は忘れてください。今日のハイマーさんは、迷子でも仔猫でもないです」
私はそんな彼女を見て、自分がまた微笑んでいるのを自覚した。
だが、それは悪い事ではないと思えている。
こうやって思える直接のきっかけをくれたのはあのヒューイではあるが、そこに至るまでの遠因を作ったのは間違いなくこのソフィアであろう。
そうであれば、お礼の一言でもいっておくべきかもしれない。
「私が一歩踏み出すきっかけをくれたのは、あなた。一応お礼を言っておくわ。ありがとう」
ソフィアはきょとんとした顔でこちらを見ていたが、すぐに真っ赤な顔をして地面をみつめた。
「わ、私なんて何も。本当に……」
俯いていて言い淀んでいた彼女は、ふと顔を上げると何か決意のこもった眼差しをこちらに向けた。
「あの、お礼がわりと言ったら図々しいですが、一つお願いしてもいいですか」
思いもよらない言葉に、私は多少驚いたが、それよりも彼女のお願いに興味を引かれた。
「私にできることならば、聞くわ」
ソフィアの顔がぱっと輝いた。
「あ、あの、今日の放課後は、なにか予定がありますか」
私はスカートのポケットからスケジュール帳を取り出した。
今日は特に何の予定も無い。
もっとも今回の派兵が終わり、戦場から報せがない限り何の予定もないのだが。
「特にないわ」
「だったら、あの、一緒に行ってもらいところがあるんですが」
「構わないわ」
「本当ですか!?」
「ええ」
「良かったぁ……」
ソフィアは深くため息をつくと、明るい笑顔で続けた。
「じゃあ授業が終わったら下駄箱で待っていますね!」
「そう」
「それじゃ、私もう行きますね! ありがとうございます!」
彼女は立ち上がると、嬉しそうに一礼して校舎の方へと駆けて行く。
私はその後ろ姿を眺めながら、自分の行動の変化に驚いていた。
少し前の私ならば、こんなことは考えもつかない事だった。
だが、私とおなじ年頃の普通の女の子が、何に悩み、何処に行こうとするのか興味があった。
彼女たちが求める満足のいく人生とはどんなものなのだろうか。
私は立ち上がり、軽く体を伸ばし空を見上げた。
バルドーや仲間達が生死を賭けた戦いに身を投じている。
私はこうして命の心配もなく生きている。
だがそれでいいのだと思う。
私には私にしか出来ないことがある。
彼らがいるのは戦場で、私がいるのは戦場ではない。
それでも私にとっての戦場は、ここ以外の何処でもない。
私なりに私の戦いを生きてみる。
それが八騎将としての私の新しい生き方なのだ。
午後の授業の予鈴が鳴り始めた。
もう教室にもどらなくては。
私はこの戦場をゆっくりと歩き出した。