小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
悪いとは思ったが、ルシアの手紙の中身はあらためさせてもらった。
約束の日時と場所、そして氷炎のライナノールの名だけが書かれた、シンプルなものだった。
約束の日はちょうど一週間後の日曜日だ。
正直な話、私は迷っていた。
この手紙をヒューイのところに届けるのは簡単だ。
だが、届けてしまえばヒューイは果し合いに応じるだろうし、そうなればルシアは負けるだろう。
ルシアは確かにヴァルファきっての天才剣士と名高いが、それでもネクセラリアとボランキオを討ち取ったヒューイが相手では、いささか分が悪いだろう。
正直に言って、私はルシアを失いたくなかった。
同じ八騎将として、いや、私の姉として、友人として。
この手紙は、届けたくない。
その時、ドアをノックする音と共にハンナの声がドア越しに響いてきた。
「ライズ、用意できた? そろそろ行こうよ」
そうだった。今日はソフィアのオーディションの日で、ハンナと観に行く事になっていたのだった。
すぐに出かけられる支度は済んでいたので、私は手紙をポケットに入れ部屋を出た。
常に何が起こるかわからない。
用意周到なことに越した事はない。
「ボクさあ、オーディション見るのも初めてだけど、シアターに入るのも初めてでさ、楽しみなんだよね!」
ハンナはご機嫌のようで、いつもよりも明るい調子だ。
もっとも彼女が暗く沈んでいるところなど見た事もない。
彼女ぐらい明るく生きられれば、きっと楽しくてしかたないのだろう。
「あなたが楽しみにしてどうするの? あなたはソフィアの応援に行くのでしょう」
「まあそうだけどさ。ライズだって応援に行くんでしょ」
「私はただの観客。見させてもらうだけだし、オーディションなんて実力がすべてでしょう」
「そうだけれどさ」
そんな事を話していると、あっという間にシアターについてしまった。
入り口の所でソフィアが背の高い男と立っていた。
長い金髪に高価そうな服をきたその男は、神経質そうな顔でソフィアになにかを迫っている。
その男の顔には見覚えがあった。
ジョアン・エリータスだ。
去年の剣術大会で、ヒューイと戦うはずだったが不戦勝を勝ち取った、聖騎士の息子だ。
ソフィアは私たちに気付くと、ホッとした表情で手を振った。
「ライズさん、ハンナ! 来てくれてありがとう」
ジョアン・エリータスは私たちが来た事などお構いなしにソフィアに迫った。
「何故なんだソフィア! この僕が一言劇団長に掛け合えば、こんなオーディションなどどうにでもなるんだぞ!?」
その剣幕は相当に激しく、今にもソフィアを押し倒しかねない勢いだ。
ソフィアはそれに対して、心底悲しそうな顔をして答えた。
「私、自分の力を試したいのよ、ジョアン。わかって……」
「だから僕が話をつければ舞台ですぐにでも歌えると……!」
事情はわからないが、ソフィアが喜んでいない事だけは明確だ。
私は言いかけたジョアン・エリータスの顔に人差し指を突きつけた。
「いい加減になさい。相手の気持ちもわからないで何かを強要するなど、騎士の風上にも置けない振る舞いよ」
突然の部外者の乱入に、ジョアン・エリータスは見て取れるほど狼狽した。
「な、なんだ君は!?」
なんだ、と聞かれてふと考えてしまった。
私はソフィアの何なのだろうか。
オーディションの観客ではあるが、何故オーディションを観に来ているのか。
私はソフィアに興味を持っているが、観察対象という言葉ではあまりしっくりこない。
あれこれと難しい事を考えるよりは、この場を早く収める方が建設的だと思ったので、誰にでもわかりやすい言葉を使うことにした。
「そうね、ソフィアの友人……かしら」
「本当なのか、ソフィア!?」
ジョアン・エリータスは真っ赤な顔でソフィアを見た。
ソフィアは神妙な面持ちで深く頷いた。
「ええ、彼女達は私の大切な友人よ」
「うううう、うううううう!」
ジョアンは意味不明な叫び声をあげると、通りに停めてあった馬車に飛び乗りると法定速度も無視してどこかへと走り去った。
ソフィアがそれを見つめながら呟いた。
「すみませんでした」
私は首を振ってみせた。
「彼はジョアン・エリータスね。知り合いなの?」
「……私の婚約者なんです。親が勝手に決めた婚約ですけれど」
そう言ったソフィアの口調には、悲しみと諦めが感じられる。
ソフィアのような平民の娘が旧家の両翼の三男坊と婚約というのはいささか違和感を覚えるが、思いつめたようなソフィアの瞳はそれが嘘でない事を物語っていた。
しかしソフィアはすっと顔を上げると、努めて明るく言った。
「それよりも、今日は来てくれてありがとうございます! ハンナも!」
ハンナは照れて笑うとソフィアの手を握った。
「頑張ってね、ソフィア! ボクもライズも応援しているから、あんな奴のことなんか気にしちゃ駄目だよ」
私は応援するつもりがないとさっき言ったばかりなのに、まったく人の話を聞かない子だ。
「私たちは客席で見させてもらうわ」
「はい! それじゃ、またあとで!」
ソフィアは笑顔を一つ浮かべると、関係者用の出入り口から中へと入っていった。
ここが彼女の戦場なのだ。
私は彼女の戦いを見守る義務があるのだ。
「じゃあライズ、ボクたちも中に入ろうよ」
「そうね」
私たちは一般客用の入り口から、ソフィアの戦場へと足を踏み入れた。
オーディションの参加者は、大半が私たちよりも年上だった。
普段歌を聞く事など退屈な学校の授業ぐらいのものだが、こうして聞いてみるとなかなか興味深い。
同じ曲を歌っていても一人一人がまったく違う表現をし、それぞれの個性のような物が感じられる。
十人ほどの歌を聞いた頃にはそれぞれの参加者の表現方法に感心していたが、隣のハンナはあくびをかみ殺しはじめた。
どうやら彼女にとっては同じ歌は退屈に聞こえるらしい。
これ以上待たされたらハンナのいびきの演奏会が始まるという頃、ソフィアの番が回ってきた。
彼女はひどく緊張した面持ちで、ゆっくりと舞台の真ん中に歩いてきた。
「十七番、そ、ソフィア・ロベリンゲです!」
審査員達に向けられたその声は、誰にでもわかるほど震えていた。
「ねえ、なんか緊張していない?」
息を潜めて話し掛けてきたハンナに、私は頷いて答えた。
「無理も無いわね。オーディションに参加するのは初めてと言っていたし」
「あんなに緊張していたら、本来の実力なんてだせないよね」
「そうね。必要以上の緊張は、ただ負担になるだけだわ」
「それじゃ、ちょっとやってみるかな……」
私はその言葉の意味がわからず、眉をひそめた。
ハンナはそんな私の事などお構いなしに、おもむろに席から立ち上がった。
そして、大きく息を吸い込むなり、
「ソフィア! 頑張れ~!! ボクもライズもついているよ!!」
と舞台に向かって大きな声で叫んだ。
一瞬で会場内の空気が固まった。
私も他の多くの人と同様に、唖然としてしまった。
ソフィアは突然の事に目をパチクリとしてこちらを見ていたが、やがてぎこちなく微笑むと、軽く手を振った。
ハンナは満足そうに頷くと席に座りなおした。
「これで大丈夫、かな」
「呆れた……馬鹿なことをするのね」
「そう? だって友達が困っていたら、手を貸してあげたくなるじゃない」
「……わからないわ」
私には理解できなかった。
誰かの手を借りる事など今まで一度も無かった。
どんな出来事にも、自分で対処して生きていかなければいけなかった。
戦場に出れば、敵の懐に忍び込んだら、誰も頼れる者なんていない。
その時、ソフィアがゆったりとした声で歌い始めた。
さっきまでの緊張はどこへやら、とてものびのびと、そして楽しそうに歌っていた。
その歌声はいかにもソフィアらしく、どこかはにかんでいるが、真っ直ぐで素直で、でも確かに芯の通ったものだった。
私は今日初めて彼女の歌を聞いた。
客観的にみれば、彼女よりも歌の上手い女性はさっきまでの参加者に沢山いる。
だが、私は彼女の歌にある種のやすらぎを感じた。
それはきっと知り合いの声だからなのだろうが、お節介で引っ込み思案なソフィアらしさが確かに伝わった。
彼女は歌い終わり、満足した表情で長い一礼をした。
たっぷり十秒は頭を下げて客席と審査員席に精一杯やったことを伝えた。
拍手をすることは会場に入る際に禁止されていたのでやめたが、とても良い歌だった。
その後一時間ほどオーディションは続き、ハンナのいびきのリサイタルも披露された。
オーディション終了後に外で待っていると、ソフィアは関係者出入り口から出てきた。
私とハンナの姿を見つけると、小走りで駆け寄ってくる。
「お待たせしました!」
満面の笑顔を浮かべるソフィアに、ハンナは同じくらいの笑みを返した。
「お疲れ様。すっごく良かったよ! 他の人よりも断然良かった!!」
「半分以上寝ていた人が、よく言うわ」
「ら、ライズ! えへへ、でもね、本当に良かったよ」
そんなハンナの素直な言葉に、ソフィアはうっすらと涙を浮かべた。
「ありがとう、ハンナ。あの声援のおかげで、すごく心が楽になったの。それで、楽しく歌えたわ」
「何言っているのさ、友達じゃない!」
二人は互いに笑いあった。
そして、ソフィアは私のほうを見た。
「ライズさんも、本当にありがとうございました」
「私は何もしていないわ。ただ見ていただけ」
「いいえ、見守っていてくれました。私、舞台から二人のことを見ていたんです」
彼女は私の手をとった。
その手は信じられないほど力強く、熱かった。
「すごく真剣に見ていてくれたのがわかりました。だから私も全力で歌えたんです」
私はまっすぐこちらを見つめるソフィアの視線がなんだか照れくさくて、おもわず視線をそらした。
「……悪くなかったわ。あなたの歌」
「私、嬉しいです。こんなに素敵な友達が二人もいて、幸せです」
友達。
まるで縁のない言葉だっただけに、私は戸惑ってしまった。
今までの血塗られた人生の中で、友と呼べる人物はいなかった。
だが、ふと思いとどまった。
ソフィアとハンナのように、困難にぶつかった時に支えられるのが友だとすれば、私にとってそれはルシアに他ならない。
食わせ者が多く、年端もいかない女である私をやっかむ者が少なくないヴァルファバラハリアンの中で、唯一寄り添ってくれたのはルシアだった。
ポケットの中の手紙をそっと撫でる。
これを届けてしまえば、きっと私の望む結末にはならない。
届けなければそれは回避できる。
だが、たった一人で敵地ドルファンに潜入してきたルシアの覚悟も相当なものだったはずだ。
彼女の望む結末。
私に出来ることは、彼女を見守り、彼女を見届けてやることではないのか。
ルシアが自分で選んだ道だ。
私は雨の中ルシアを軍団に引き返すよう説得できなかった以上、彼女の戦いを最期まで見届ける義務がある。
それが友として、彼女を支えられる唯一の方法なのだ。
その後、ソフィア達と別れ、帰り道に少し寄り道をして帰った。
ポケットの中の手紙は、外国人傭兵部隊の兵舎の一室に確かに投函されていた。