小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
プリシラ、とこのピエロは言ったのだろうか。
その言葉は、この国では特別な意味を持つ事を知っているのだろうか。
この国でプリシラと言えば、王女プリシラ・ドルファンに他ならない。
そしてこの私が最も憎むべき一族の女である事をこのピエロは知る由もないだろうが、私にとって呪いの言葉と同じと言っても過言ではないその名前を、このピエロは吐いたのだろうか。
思いも寄らない言葉に私はどう反応していいかわからず、テントに身を寄せながら固まっていた。
たっぷり十秒はお互い押し黙っていたが、不意にピエロのバリアニコフは笑い声を上げた。
「は、ははは! いや、失礼。知り合いによく似ていたもので」
道化の仮面の下がどんな表情なのかわからないので、このピエロが嘘を言っているのか真意を探りかねる。
しかし私も引き下がるわけにはいかない。
ここは無知な観客の少女を演じきるしかない。
「あ、あの、すみません。私、動物がすごく大好きで……。近くで見てみたくて、つい」
ソフィアをイメージしながら、か細く弱々しい声を精一杯出してみた。
実際のソフィアは結構押しが強く、実はあまりこんなに弱々しい言い方はしないがイメージの問題だ。
バリアニコフは例の酔っ払ったような動きで大げさに手を振った。
「お嬢さん、動物達は慣れていない人に対しては何をするかわかりません。本当に危険なので、客席にお戻りください。そろそろ休憩時間も終わります」
ピエロの声音はいちいち仰々しく演技がかっており、感情を読み取るのは難しい。
それにいつエレーナ・ロストワが来るかもわからない状況ではあるので、早めに客席に戻る方が良いだろう。
「ごめんなさい……。私、戻ります……」
「それがいいでしょう。戻る道はお分かりですか」
「はい」
私は普段の走り方ではなく、女の子らしい内股で一歩駆け出そうとして立ち止まった。
バリアニコフは私を普通の観客と思ってくれたようだし、ここで別れる前にこの気持ち悪さをぶつけるくらいの事はしてもいい。
「あの、ピエロさん」
「なんでしょう、お嬢さん」
「プリシラ……と仰っていましたが、まさか王女様にお目にかかった事があるのですか」
私は自分の発した言葉が、いかにも普通の女の子の普通の疑問である事を心の中で祈った。
バリアニコフはしばらく黙って私を見ていたが、不意に道化の仮面に手を置いてゆっくりと外した。
仮面の下にあった素顔は、仮面で隠すにはもったいないような美しく均整の取れた顔立ちであった。
鼻筋が通った細面のその顔はパッと見では女性のように線が細く、形の良い二重瞼の瞳が何故か切なげに私をみつめている。
「私のような道化が恐れ多くも王女様のお目にかかる事などあり得ませんよ。さあ、客席にお戻りなさい」
「そ、そうですよね。それにいくらなんでも私と王女様を見間違うはずもありませんものね」
私はそう言って愛想笑いを浮かべた。
しかし、そのピエロは何か懐かしい人でも見るかの様な視線で私を見ていた。
「お嬢さん、私はプリシラ王女に直接お目にかかったことはありませんが、もしも本当の王女様にお会いすることがあれば、きっとあなたのような瞳をお持ちの事だと思います」
「そんな、冗談でもそんな事……!」
歯の浮くようなピエロの言葉に、私は内心虫唾が走る思いだった。
私の最も憎むべきドルファン王家の人間に似ているなどと言われ、はらわたが煮えくり返りそうだった。
「さ、美しいお嬢さん。もう行きなさい」
私の怒りはともかく、ここにこれ以上長居するのは危険だし、引き際かもしれない。
私は彼に一礼すると、先程と同じ様に極めて女の子らしく走り出した。
客席に戻ると、すでに後半の演目が始まっており、何人かのピエロ達が空中ブランコを披露していた。
「よう、遅かったな。やっぱり迷子になっていたか」
ヒューイの言葉を無視して、私は隣の席に座った。
あのバリアニコフというピエロ、彼のあの言葉と態度、あれは間違いなくプリシラ・ドルファンを知っていた。
直接会った事が無いと言ってはいたが、私を見ていたあの視線は間違いなく私以外の誰かを見ていた。
私とプリシラ・ドルファンが似ているかどうかはどうでもいいが、シベリアのピエロ風情が何故一国の王女と面識があるのだろうか。
どう考えても答えが出てこない。
私はため息をつき、隣のヒューイを見た。
彼は空中ブランコを見ながら腕組みをしていたが、私の視線に気付くとこちらを見た。
「どうかしたか」
「ねえ、たわむれで聞くのだけれど」
「なんだ」
「あなた、プリシラ王女に会った事ってあるのかしら」
私は何の意味も無く聞いた。
本当にたわむれで聞いてみただけなのだ。
しかし、彼は事も無げに頷いた。
「ああ、会った事はあるが」
「え!?」
驚きの声をあげると、彼はしれっと言ってのけた。
「王女とは顔見知りなんだ。ちょっとしたゴタゴタがあって」
驚きに言葉が続かなかった。
だが、この男は仮にもヴァルファ八騎将を三人討ち取っている。
何か褒賞でも授かった時に謁見していてもおかしくない。
「何か王女の前で勲章でも授かったのかしら」
私の言葉に珍しくヒューイが狼狽して答えた。
「ああ、そうだな。その、なんと言うか、街中とかに結構いるしな」
「はあ?」
今度は私が素っ頓狂な声を出してしまった。
「あなた、サーカスの妙技を見すぎたせいで頭がおかしくなったのかしら。一国の王女たる者が街中にいるわけがないでしょう」
「まあそうだよな、普通は。オレもそう思う。普通は」
どうにも歯切れの悪い言葉に、私はため息をついた。
何を言いたいのかよくわからないが、この男はさっき王女と顔見知り、と言った。
褒賞を授かるために謁見したくらいでは、顔見知りとは言わない。
いくらヒューイが東洋から来た文化圏の違う国の出身でも謁見したくらいで顔見知りなど、そんな非常識な事は言わないはずだ。
と言う事は、彼は少なからず一国の王女にその存在を認識されており、何かの折に話が出来るような間柄という事になる。ありえない話だ。
すっかり混乱しているとヒューイが面白そうに私の顔を覗き込んだ。
「ライズだって、もしかしたら会っているかもしれないぜ」
「クリスマスに見た事はあるわ」
「いや、そうじゃなくて。通りですれ違ったりレストランで隣のテーブルだったり」
「どうやら本格的に脳を侵されているみたいね。医者にかかるのをおすすめするわ」
そうこうしているうちに空中ブランコが終わり、次の演目が始まった。
これ以上ヒューイの与太話に付き合った所で何の生産性もない。
とりあえずエレーナ・ロストワがこのサーカスに出入りしている事は間違いないし、ここの仮面のピエロがプリシラ王女と何かしらの関係がある事はわかった。
あとは、この情報を元に掘り下げていけばいい。
この東洋人傭兵がプリシラ王女と知り合いかどうかなど、今の時点ではどうでもいいことだ。
知り合いなら知り合いで大いに構わない。
何かの機会があれば彼の交友関係を大いに利用させてもらえばいいだけだ。
それから最後の演目までは、普通にサーカスの技を堪能し、家路につく大勢の人に紛れながら私達はサウス・ドルファン駅まで歩いた。
夏の夜の訪れは遅く、夕方の遅い時間だと言うのにまだ空は明るかった。
「さて、どうするか」
ヒューイは大きく伸びをしながら呟いた。
私は今日得た情報をまとめて部下に指示をだしたかったが、それは夜になってからでも出来る。
折角街に出たのだから、もう少し時間を潰してもいい。
「私がサーカスのチケットを提供したのだから、見返りがあって然るべきではないかしら」
私の申し出にヒューイは意外そうな顔をしたが、困ったように微笑んだ。
「それはつまり、夕飯にでも誘え、と言っているのかな」
「解釈は任せるわ」
「わかったよ。淑女に誘われたままってのも男が廃る。何か食べに行こうぜ」
「あら、悪いわね」
「よく言うよ」
私とヒューイはお互いの顔を見て笑った。
こういう時間も、案外悪くない。