小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
バリアニコフは戸惑う人達をかき分けて私たちの後を追いかけ始めていた。
何の確信もない事だがあのピエロ、バリアニコフは危険な存在だと本能が叫んでいる。
エレーナ・ロストワやシベリアの不穏なサーカス団が何を企んでいるのかはわからないが、ゼールビスのようなテロリストと繋がりがある輩がまともであるはずもない。
「ちょっと! ライズ!」
プリシラが抗議の声を上げているが今はそれに構っている場合ではない。
今すぐにでも殺したい対象である事は間違いないが、誰にでもいいから殺して欲しいわけでもない。
この一族の息の根を止めるのは私か、父である破滅のヴォルフガリオでなくてはならない。
人混みからの脱出ということもあり、走りながら後ろを振り返ると私たちとバリアニコフの間にはかなりの距離が出来ていた。
私たちを追走しているのは件の仮面ピエロ一人。エレーナはあの場に残って事態の収拾を図っているのであろうか。
そうであってくれるとこちらとしては助かるが。
レリックス駅方面への道は馬車も通る道なので比較的路面は綺麗で走りやすい。
私一人なら余裕でバリアニコフを撒けるだろうが、今はプリシラがいる。
彼女はここまでよくついてきているが、すでに呼吸は荒く、走る速度も落ち始めている。
追いつかれた際にどう対処するか考えていると道は分かれ道へと差し掛かっていた。
記憶を手繰って目的地であるレリックス駅方面への道を選ぶ。
レリックス駅にたどり着ければ馬車がいる。運が良ければジーンの馬車がいるかもしれない。
だが、そこにたどり着くにはあと小一時間は走り続けなければいけない。
「ライズ! ちょっと、待って、いったん、止まりましょう!」
息も絶え絶えにプリシラが声を上げる。
このあたりが限界かもしれない。
とはいえ、バリアニコフが追走をやめる気配はない。
「今止まれば殺されるわよ」
私は務めて冷静な声で言った。
「なんでピエロに殺されなきゃならないわけ!?」
プリシラの声は絶叫にも似ていた。
だが、その叫びが終わるか終わらないかの瞬間に私は嫌な感覚を覚え、咄嗟に振り返った。
本能的にプリシラの手を強く引っ張り、走る方向を斜めに変更した。
間髪入れずに地面にナイフが数本突き立つ。
バリアニコフが遂に痺れを切らして実力行使をしてきたのだ。
判断が一瞬でも遅ければ的確にアキレス腱の位置にナイフが突き立っていたはずだ。
かなり距離が離れている上に走りながらの投擲であるにも関わらず、ここまで正確に動きを止めるためだけで被害が少なくなるだろう場所を狙い通りに投げるのは流石の腕前ではあるが、逆を言えばそれだけ向こうも切羽詰まっている状況とも言えるだろう。
そしてその行動であのピエロは私たちを殺そうしているのではなく、生け捕りにしたいという事がわかる。
私は素早く周りを見渡した。
カミツレ高原駅からはすでにかなり離れていたので、まわりの景色は高原の広々としたものから森林区のそれに変わっており、身を隠す場所を確保する事はできそうだ。
鬱蒼とした、といった表現がピッタリのこの地区は夜中に一人で歩きたい場所ではないが、逆に身を隠すのには適しているといえる。
ただし、プリシラ王女の服はこの木々達の中では異様に目立つであろう真っ赤なワンピース。
私のように常に紺やグレーといった隠密行動に適した色の服を着てくれていれば、こんな苦労をする必要もなかったのに。
愚痴を言ったところで何かが解決するわけでもないので強硬手段に出ることにした。
これを行えば私がいたいけな一般市民でない事がプリシラにもあのピエロにもわかってしまうが、すでにとなりの少女が王女という時点で一般市民の常識が通じる状況ではない。
ピエロがなりふり構わず実力行使をするのなら、こちらもまごまごしている余裕はない。
私はプリシラの手を握っていない方の手で肩から下げていた小さめのカバンをまさぐり、小さな丸薬を二つ取り出した。
備えあれば憂いなし。
私は走りながらもそれを地面にたたきつけた。
その瞬間にその小さな丸薬から信じられないほどの煙が巻き上がった。
「煙幕だと!?」
遠くからバリアニコフの声が聞こえた。
私はプリシラの手を強く引くと、道から外れた森の中へと飛び込んでいった。
煙幕の効果は長くは続かない。一刻の猶予もない中で身を隠せそうな茂みを見繕い、プリシラをしゃがませる。
手近な蔦をむしり取ると可能な限り彼女の服に巻きつけた。
プリシラは露骨に嫌そうな顔をしていたが、状況を心得ているようで声を上げたりはしなかった。
そう思うと、こんな状況で悲鳴の一つも上げないのは普通の少女とは違う生き方をしてきたからかもしれない。
感心している場合ではないので私もプリシラの隣に屈みこみ、落ち葉や蔦などを頭からかぶるとダガーを構えて息を殺しつつ周りの様子を伺った。
煙幕はまだもうもうと煙を上げているが、すでにだいぶ風にあおられ濃度が薄くなり始めていた。
不幸中の幸いと言っていいかもしれないがバリアニコフの服装はピエロの衣装であり、プリシラに負けず劣らず目立つ色であったのでこちらからその様子は良く見えていた。
バリアニコフはしばらくの間煙幕が引くのを木々の影で待っていたようだが、程なくして道の真ん中に出てくると大きく天を仰いでから落胆の溜息をつき、来た道を引き返し始めた。
やれやれ。状況把握能力が高いのか、根気が足りないのか、諦めの良いピエロで助かった。
よく考えてみれば駅で大道芸を行っていて群衆の目にさらされていた大道芸人のピエロが、現場を抜け出しいつまでも追走してくるのには無理がある。
場合によっては軍部に通報されてサーカスの活動自体が困難になる可能性だってあるのだ。
それも踏まえて考えてみると、今日あのピエロがプリシラを見初めなんらかの行動を起こそうとしたのはおそらく計画的なものではなく、まったくの突発的なものだったのではないだろうか。
ピエロにしてみてもまさかあんな場所でプリシラ王女に出くわすなど、夢にも思っていなかった事だろう。
それはピエロにだけ言えた事ではなく、私にとってもこの王女との逃避行はこの上なく突発的なものだったわけだが。
その後ピエロの姿が見えなくなり、しばらく様子を伺ってから私とプリシラはようやく窮屈な体制を解き、通りへと戻った。
「はあ、一体なんだっていうのよ」
プリシラはブツブツと言いながら自分にまきついた蔦や枯葉をはたきはじめた。
上等な絹のワンピースは藪に入った事で、所々小さなほつれやひっかき傷が出来ていた。
それでもプリシラが持つ高貴な雰囲気や、独特の美しさのようなものは一向にくすぶることはなかった。
それと同時に、誰もいない今なら殺せるかもしれないという気持ちが沸き上がった。
急激に殺意が蘇ったその時、細いプリシラの肩越しにレリックス駅からの乗り合い馬車が来るのが見えた。
「あ、馬車だわ! おーい!」
プリシラがはしゃいだ声を上げる。
私は溜息をつき、手にしたダガーをそっとカバンの中にしまった。