小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
【49】ライズと隠れ家
その日私は学校に短期間の休学届けを出すと、その足でレッドゲートをくぐり抜けてドルファン城塞都市の城壁外へと歩いた。
肩には小旅行に見える程度の必要最低限の荷物を担ぎ、極めて留学生の一時帰国を装い、国境都市ダナンを目指していた。
ソフィアやハンナには、実家のスィーズランドの家族の容態が急変したので、しばらく看護をする為に帰国するという話をしておいた。
恐らくは一ヶ月以上は帰ってこられないだろうという話をすると、二人は一緒に修学旅行に行けない事を非常に残念がっていた。
そんな二人の悲痛な顔を見ていると、嘘を吐くのが何とも心苦しい気持ちにならないわけではないが、これは私の騎士としての人生、いやヴァルファバラハリアンの八騎将の一人としてきっと非常に重要な出来事になるはずなので、天秤にかけるまでもない話だ。
そう、事が上手く進めば次に私がドルファンの地を訪れるのは、首都城塞を突破してドルファン王家の瓦解が起こる時になるかもしれないのだ。
ダナンまでは普通の人の足で歩いて三日程度だ。だが私は歩くのが非常に速いので、おそらく一昼夜もあれば到着できるだろう。ダナンには私の装備の予備があるので、そこでヴァルファバラハリアンの一員としての装備を整えて行けばよい。
私がこうして学校を休み、首都城塞を飛び出した理由は、あの手紙にあった。
先日キャロルの話を聞くために行ったサウスドルファンのクレアの働くバーで、ヴァルファの諜報部員が秘密裏に渡してきた例の手紙だ。
それは、時間と場所だけを暗号で書かれた非常に簡素な内容であったが、その指定場所がヴァルファのドルファンにおける隠れ家の一つで、そこは滅多なことでは使用しない事から重要な事態である事がすぐに分かった。
指定された時間は所謂夜中で、まともな人間が活動する時間ではない。
私は隠密の本領を発揮して闇夜に紛れて指定の時間にその隠れ家に赴いた。
高級住宅街であるマリーゴールド地区の外れに、その隠れ家はあった。
一目見た感じは、どこかの金持ちの家の倉庫のような造りのその家は、実は入り口が見当たらない造りになっており。倉庫としてそこにあるものの、誰の物か、どこから入るのかもわからない。
だが、そこに倉庫があると認識する人がいないほど、自然にそこにあるのが当たり前のように景色に溶け込んだ造りは、ヴァルファバラハリアンお抱えの建築士の技と言える。
私はその倉庫をぐるりと囲う背の高いブロック塀を人目につかない場所から駆け上り、裏手に回るとレンガでできた壁の端をなぞり、一つのブロックにたどり着くとそれを力任せに引き抜いた。そうして出来た窪みに手を差し込み、中に隠されていたノブを引くと、今までレンガ造りの壁にしか見えなかった部分にわずかな切れ込みが現れ、それは次第にドアとして機能して外側へと開いた。
素早く中に入ると、ドアの内側に垂れている二本の糸を手繰る。わずかな重みと手ごたえを感じ、外の外したレンガが元の位置に戻ったのを感じる。
そうしてようやく中を見た。窓一つ無い真っ暗な空間の奥に、貧相な蝋燭の光がわずかに揺れていた。
その弱弱しい蝋燭の光に照らされて、私に手紙を渡した例の男が長いソファに座っている姿が見えた。
「ご足労を」
私が来るのを待ち構えていたかのような男の声はいつもの通りまったく感情が伴っておらず、この空間と同じように真っ暗で何も見えない。
「構わないわ」
私は答え、男の近くまで歩くと闇に潜んでいる向かい側のソファに腰かける。
蝋燭が私の起こした風でわずかに揺れた。
「それで」
私は男を覗き込む。
「この場所に呼んだという事は、それなりの理由があるという事ね」
男は頷くと、低い声で言った。
「近々ヴァルファ本隊がドルファンに総攻撃をかけるかもしれない、との事です」
私はその言葉に体が痺れるような衝撃を感じた。
ついに、お父様がその決断をされたという事だ。
だが、それは今のヴァルファバラハリアンで出来る事なのか、という疑問もある。
「現状、ドルファンは先の戦いで七大隊の内三つを失っているが、その立て直しも今のところ十分にできていないのはサリシュアン殿もご存じの通りだ」
「それはもちろんそうだけれど、ヴァルファだってそれは同じでしょう。ボランキオを失い、ライナノールもいない今、総攻撃に転じるだけの戦力があるの?」
「普通に考えれば、難しい状況でしょうな」
男は目を閉じて、何かを考えているようだった。
そもそもヴァルファは先のドルファンとの戦い以降、拠点としていたダナンを追われ行方をくらませていたが、プロキアの手の平返しでプロキア首都まで撤退して体制の立て直しを図っていたはずだ。
本隊はプロキア首都にいるはずだし、そこからドルファンに総攻撃をかけるような事が起これば、ドルファン対プロキアの全面戦争に発展しかねない。それを容認するような事はプロキアが許さないだろうし、そもそもプロキアがヴァルファを再雇用したのは国内で勃発しているクーデターの鎮圧が目的で、現首相のヘルシオ公が鎮圧以外の目的でのヴァルファの軍事行動を許可するはずがない。
そんな私の考えを見透かすように、男はわずかに目を開けて続けた。
「まあ、正攻法でドルファンを攻める事が出来ないのは当然ですが、そこは幽鬼のミーヒルビス参謀の知略ですよ」
「ミーヒルビスは何を考えているの」
「プロキアのヘルシオ首相が今一番手を焼いているのは、自国内の南東地域での反乱です」
「ええ、南東地域一帯の領主であるイエルグ伯とその支持派達ね。もともとはこの戦争を仕掛けたフィンセン前首相と近しい関係だったとか」
「ヴァルファはそのイエルグ伯の鎮圧に向けて進軍します」
「補給は終わっているの」
「プロキアの首都にいましたからね。ヘルシオ公も南東地域平定はどうしてもやっておきたいでしょうし、そこは抜かりなく」
「そう」
「まず、プロキア首都を出たらグローニュという地域に向かいます。ここはイエルグ伯の領地ですから、それ相応の反抗があるでしょうが、まあ取るに足らないものでしょう。グローニュを占拠し、そのままイエルグ伯のいるハーベンを目指します」
「ここまでは特に普通の進軍ね。逆に王道すぎると言ってもいい」
「そうです。ここからがミーヒルビス参謀の案ですが、ヴァルファはハーベンを目指して進行しますが、ハーベン近くで行先を南西に切り替えます」
「南西……ドルファンとの国境方面へ?」
「そうです。国境を流れるテラ河へ」
テラ河はドルファンとプロキアの国境を流れる大きな川で、昔から戦略的な要所であるのだが、川幅が広く水量も多い事からここを渡河するのは容易ではない。だからこそ国境線として機能しているとも言えるのだが。
「テラ河を渡ろうというの」
「仰りたい事はわかりますよ。だが、ハーベン近くの中流地域にはわずかに川幅が狭まっている地域があります。今は冬に向けて上流の降雨量が減っているので、川幅は最小と言っていい。この時機を逃す手はない」
「イエルグ伯鎮圧を囮にして、ドルファンとプロキアを欺き侵攻しようという事?」
「そうです。さすがミーヒルビス参謀ですよ」
珍しく男の声が興奮しているのがわかった。
だが、私も心なしか気持ちが高揚しているのを感じる。
確かにこのタイミングでしか出来ない作戦だし、なんの準備もしていないドルファンに対してこれ以上ない奇襲になるだろう。
テラ河を一気に渡ってしまい、ヴァルファ得意のスピード侵攻を仕掛けられれば、ドルファン首都城塞まで駆け抜ける事も可能だろう。
首都城塞まで駆け抜けてしまえば、後は鉄壁のレッドゲートさえ突破すれば良い。だが、そのレッドゲートこそ最大の障壁である事に変わりはない。
「もちろん、レッドゲートの攻略方法もあるのよね?」
「それこそ、我々諜報部隊の出番ですよ。要は門扉が開けばいいわけですから」
「自信があるようね」
「まあ、本来は血煙のゼールビス殿の部隊の得意分野ですがね。一応、ゼールビス殿が失踪して以来、あの部隊の一部は私が見ていますので」
後方かく乱と特殊工作はゼールビスの得意とするところだ。そういう場面ではあのテロリスト上がりの男の経験は役に立つと言っていい。そして、ゼールビスが仕込んだ部隊の面々であれば、悔しい話だがきっちりと裏工作をやってくれるだろう事は間違いない。
では、そろそろ話を本題に戻さなくてはいけない。
「わかったわ。それで、私をここに呼びつけてまで、何をして欲しいと言うの」
「へえ、随分冷静になりましたね。私が潜入捜査の基礎を叩き込んだ頃からこんなに成長したとは」
「私も伊達に隠密のサリシュアンという二つ名を名乗っているわけではないわ」
男は満足そうに唇の端を上げて笑ったが、すぐに真顔になって話を続けた。
「サリシュアン殿には、本隊と我々の繋ぎをして欲しいのです」
「特殊工作のタイミング指示をしろという事ね」
「はい。この作戦はスピードとタイミングが命です。いくらヴァルファが電光石火の部隊とは言え、本隊が動けばドルファンだってすぐに気づく。一気に駆け抜ける事だけが成功の鍵になるは間違いない。あなたにはその連携の礎を担ってほしいのです」
本隊の動きを逐一、ドルファン側で待つヴァルファの特殊部隊に伝える役割という事だ。
ヴァルファバラハリアンの一員として、これほど隊の役に立つ仕事もない。
私の心はすでに決まっていた。
お父様の悲願を達成するのに、なんのためらいもあるはずがない。
「わかったわ。では、すぐに本隊に合流して作戦に参加する」
男は深く頷いた。そして拳を突き出してみせた。
私も拳を突き出し、彼の拳に軽く当てて見せた。
男が熱のこもった声で言う。
「ヴァルファバラハリアンに勝利を」
「ヴァルファバラハリアンに勝利を」
私もそれに答え、自分の胸が興奮で熱くなっているのを感じていた。
「さて」
街道を行き来する馬車や商人達を横目に、私はダナンの方向へと足早に歩き出す。
ダナンに着いたら早々に装備を整えハーベンへ向けて移動しているであろう本隊との合流を目指す。
早ければ一週間もせずに本隊に合流出来るはずだ。
そうすれば、お父様に会えるかもしれない。もう一年以上、お父様の顔を拝見していないのだ。
そう思うと無意識に足取りも軽くなるというものだ。
その時、頬に冷たい何かが当たる感触があった。
ふと空を見上げると先ほどまでは快晴とはいかないものの、薄い曇り空だった空が今にも泣きだしそうな真っ黒な雲に覆われているのが見えた。
ポツリ、ポツリと雨粒が落ち始め、土が湿った匂いが瞬く間に充満し始めた。
私は荷袋からマントを取り出し頭から被って全身を覆った。
雨はそれほど強い勢いではないが、しとしとと周りの景色を燻ぶらせ始めていた。
秋は晴れる日が多いので雨は珍しいな、と思いながらも私は歩速を緩めずに歩き続ける。
この時はこの降り出した雨が今後の戦況を大きく左右する事になるなど、想像だにしなかった。