小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
私達が合流したヴァルファバラハリアン本隊は、なんの問題もなくカラードの町を通過してテラ河中流へ向けて進軍を続けていた。
ここまで来てしまえば我々がドルファンに向けて進軍している事は、すでにプロキアにもドルファンにも伝わっているだろう。だが、それでいい。まったく問題はない。ここでテラ河を渡ってさえしまえば、ドルファンがどれだけ急いで部隊を整えようとも所詮急づくりの烏合の衆。それを蹴散らして圧倒的な速さでの首都攻略を仕掛ければ、ドルファン王家が倒れるのは必至。
まったく隙の無い計画だし、私がその部隊の中にいる事が非常に誇らしい気持ちで胸が熱くなる。
つい先日までドルファン国内に潜んでいた事が嘘のように、今、私は充実した気持ちでいた。
ただ、唯一胸にわずかなしこりがあるとすれば、それはドルファン首都城塞にいるであろうソフィアや、ハンナ、レズリー達を巻き込まないで済むだろうか、という事と、プリシラはどうなるのだろうか、という事だった。
私の目的は、いや、父であり軍団長でもあるデュノス・ヴォルフガリオの目的は、ドルファン王家への復讐だ。
双子の弟であり、現ドルファン国王のデュラン・ドルファンの首を取ることは必須とはいえ、その娘であるプリシラはどうなるのであろうか。
普通に考えれば王家の滅亡の為にも、王家の血筋はすべて絶つ必要があるし、そうなればプリシラは殺してしまわなければならない。これは当たり前の事だ。
つい先日までの私ならそこに何の疑問も持っていなかったし、何ならこの私自らの手でプリシラを殺してやりたいと思っていた。
お父様の復讐の手助けになるのであれば、というその気持ちは今も変わらない。
変わらないのだが、実際プリシラはドルファン王家の血を引いていない、ただの町娘だ。
そして、憎むべき血筋は、私のこの体に流れているのだ。
お父様の復讐はデュラン国王を討つことで果たされる。
では、私の復讐とは。
私のヴァルファバラハリアン八騎将としての目的とはなんだ。
私はなんの為に戦っているのだろうか。
私は軍団長専用の馬車の座席に揺られながら、そんな事を考えながら窓の外を眺めていた。
連日降り続けた雨はすっかり止んでおり、晴れ間がさすことはないが、薄曇りの空は泣きださずになんとか堪え続けていた。
私の隣で同じように馬車に揺られていたキリング・ミーヒルビスはずっと押し黙っていたが、不意に切り出してきた。
「お嬢様」
その呼び方をされるのは、もう何度目だろうか。
父の忠実なる部下で、側近中の側近であるミーヒルビスは、父がまだドルファンの王子だった時から仕えている人物でもあるので、その娘の私の事を、二人の時はいつまでたってもお嬢様と呼ぶ。
「任務中よ。その呼び方はやめてと言っているでしょう」
不満げな声で返答すると、ミーヒルビスは唇の端を少し緩めた。
「失礼した、サリシュアン。ですが、昔からの癖というのはなかなか直すことは難しいもので」
私はため息を吐いた。
「あなたともあろう人が、何を言っているのよ」
「ドルファンへの潜入は順調ですか」
「報告通りよ。ドルファン潜入を指示された当初は結果を出せていなかったけれど、最近はある程度隊の役に立てていると思うわ」
ミーヒルビスは長い顎鬚を手で撫でながら、何度か頷いてみせた。
「サリシュアンの情報は、いつも非常に有益ですよ。特にダナンのベルシス卿の暗殺情報は本当に助かりました。あの情報が無ければ我々は窮地に立っていたでしょう」
「ベルシス卿を救えたのは、私にとっても大きかったわ。お父様の、いえ、軍団長の理解者を失うわけにはいかないもの」
「軍団長も大変お喜びでしたよ」
その言葉に私は胸が熱くなるのを感じた。
私の仕事が、お父様の役に立ったという実感が今更ながらに沸いてきた。
「それに」
ミーヒルビスが柔らかな声で続けた。
「最近は色々な経験をされているようですね。先日は級友の御友人の誘拐事件を解決に導いたとか」
確かに私は最近の出来事は報告するようにしている。
ロリィの誘拐事件も報告はしていた。
ただ、あれは犯人がヴァネッサ派だった事もあり、この先のドルファン国内情勢に何か影響を与えるかもと思って報告しただけだ。
「あれは私が解決したわけではないわ。私の学園生活でのクラスメート達がそれぞれ行動したからだし、結果的に事件を解決したのは例の東洋人傭兵よ」
「サリシュアンの指示が良かったから、ではないですか」
「買い被りよ」
言われて悪い気はしないが、事実、私一人の力では穏便な解決にはならなかったはずだ。
ソフィアやハンナがそれぞれ頑張ってくれたから、そしてヒューイの状況判断が早かったから解決できた事だ。
「しかし、その東洋人傭兵は侮れなくなってきましたね。ネクセラリアを討ち取った時はそこまでの脅威になるとは思っていませんでしたが、まさかその後、ボランキオとライナノールまで負けるとは」
私は頷いた。
ミーヒルビスは目が見えないが、私の行動はその驚くべき能力ですべて把握している。
まわりの空気のわずかな揺らぎと音だけで、常人よりもよほど多くの情報を得ている。
幼い頃はこの人は本当は目が見えていて、わざと見えないふりをしているのではないかと思ったものだ。
「ヒューイは本当に驚くべき剣士だけれど、それだけではないと思うわ」
「そう仰るのは?」
「彼は、なんというか……その、傭兵らしくないのよ。私の知る傭兵達は二通り。戦いに疲れてうんざりしているものの、それしか生き方を知らないから戦い続けている者と、戦う事が心底好きで、戦場での命のやり取りしか自分の生きている事を実感できない者。その二通りのどちらか」
「その考察は概ね正しいと思いますが」
「でも、ヒューイはそのどちらにも当てはまらない」
私はヒューイと過ごした時間を思い出しながら、言葉を探した。
「彼は、優れた剣士ではあるけれど、あまり傭兵向きな性格はしていないわ。どちらかと言うと生死を賭ける傭兵にしては甘い価値観だと思う。けれど」
「……」
「けれど、彼は自分の傭兵としての生き方というか、剣士としての生き方に、絶対的な自信、一本筋の通った考えを持っていて、それを曲げる事は絶対に許さない。それに背くことは彼にとって死と同義と思っているふしがあって、それを貫き通す為に戦場に立っているように見えるわ」
ミーヒルビスはしばらくその言葉を黙って反芻しているようだった。
そして静かな声で言った。
「確かに、珍しいタイプの剣士のようですね。ただ、その話を聞く限り、デュノス様に少し似ているようにも聞こえます」
「お父様に?」
「ええ。剣士として自分の信念に従い、何にも負けない強さを持って押し通る姿は、デュノス様のようではないですか」
流石にそれは言い過ぎではないだろうか。
確かにヒューイはなかなかの実力者だし、悪い人間ではないように見えるが、お父様と比べるのはいささか過大評価のような気がする。
そもそもお父様はあんなに四方八方の女性にいい顔をするような男性ではない。
「ミーヒルビスともあろう者が、随分買っているのね。あの八方美人っぷりを見たら評価が変わるかもしれないわ」
私の言葉に、ミーヒルビスは一瞬きょとんとした顔をしたが、そのすぐ後に突然見たこともないくらいの勢いで笑い出した。
今度は私が驚く番だった。
こんなに笑うミーヒルビスを見たのは初めてだった。
「ふふ、どうやらその東洋人傭兵は、私が思った以上に大物のようですね」
「何を言っているのかわからないわ」
「いえ、サリシュアンの潜入が有意義なようで、安心しているのです」
おかしそうに言うミーヒルビスの顔を見ながら、何が言いたいのか真意を掴みかねていると、馬車のドアを乱暴にたたく音がした。
ミーヒルビスは一瞬で真顔に戻ると、声を返した。
「どうした」
馬車のドア越しに聞こえたのは、コーキルネィファの声だった。
「参謀、悪い知らせだ」
「入れ」
遠慮なくドアが開き、コーキルネィファが馬車の中に入ってきた。
その顔はいつになく緊張しており、悪いニュースというものの緊張感を伝えてきた。
「どうした、コーキルネィファ」
「うちの部隊の斥候の早馬からの情報だ」
コーキルネィファは息を一つ吸って続けた。
「テラ河は、渡れない」
ミーヒルビスの片方の眉がピクリと吊り上がった。
「どういう事です」
「そのままの意味だ。テラ河は渡れない」
「詳細を報告しなさい」
ミーヒルビスの声が厳しくなる。
それはそうだ。
テラ河を渡ってドルファンの国境線を越える事が、この作戦の肝の部分だ。
そのテラ河が渡れないというのでは、それはすなわちこの作戦の失敗につながる。
コーキルネィファは大きなため息を吐きながら言った。
「この時期のテラ河なら、川幅は一番狭くなっているはずだよな」
「もちろんです。だからこその渡河の計画です」
「斥候の報告によると、テラ河の川幅は通常の三倍以上。完全に氾濫状態だ」
「なんだと!?」
「どうやらここ最近の雨はテラ河上流ではもっと豪雨だったらしい。テラ河は数年に一度の氾濫状態だとよ」
「馬鹿な!この時期は完全に乾季だぞ。冬に向けて一年で一番雨が少なくなる時期だと言うのに」
「知らねえよ。うちの斥候がそう言っているんだからそうなんだろう。自分の目で見りゃ納得できるだろう。あ、参謀は見えねえか」
コーキルネィファはそう言って声を上げて笑った。
「な……!」
さすがのミーヒルビスも声を失い、わなわなと震えている。
私はそのミーヒルビスの右手にそっと手を重ねた。
「今はとりあえずテラ河へ行きましょう。現場を見ない事には何もわからないわ。私があなたの目になる」
「う、うむ……」
ミーヒルビスは力なく頷いた。
そこからほぼ丸一日の行程でテラ河沿岸までたどり着くことができた。
だが、私達を待っていたのは、コーキルネィファの部下の報告が正確だったという現実と絶望だった。
テラ河はもともと水量の多い川ではあるが、いつもは深緑の水をたたえ、静かに流れる大らかな河だ。
だが今目の前にあるテラ河は、ごうごうと音を立てる激しく黒い濁流が狂ったような速さで流れていき、激しい水しぶきを立たせ、近づく者を一切歓迎していない勢いで流れていた。
少し先の下流側ではすでに川の水が決壊して、一面水浸しの状態となっており、どこまでが陸でどこからが川なのか、わからなくなっていた。
私がミーヒルビスの目の代わりをするまでもなく、激しい濁流が奏でる水音に、ミーヒルビスは即座に状況を把握していた。
少し高い位置から川を眺めていた私達だったが、ミーヒルビスは早々に馬車に引き上げていった。
「ミーヒルビス!」
彼は足元の悪い中それを意にも介さずにすいすいと歩き、馬車の中に戻った。
私はその背中を追いかけ小走りについていった。
向かいの席に改めて座り、絞り出した声は不覚にも少し震えているのが自分でもわかった。
「渡河は……無理だわ」
ミーヒルビスはそれが当然、と言わんばかりに頷き、極めて冷静にいつも通りの声で言った。
「こうなったものは仕方ありません。ある程度確証に近い経験と知識から立てた作戦ですが、自然現象は時に我々の予想を大きく上回るものです」
「でも、これでは作戦は……」
「サリシュアン」
突然、ミーヒルビスの声が低くなり、心の奥底を覗き込むような冷たさを伴った。
「どんな事態が起こっても、常に打開する方法はあります。冷静さを欠いた瞬間、死神の鎌は容赦なく襲い掛かると教えたはずです」
私は唾をのみ込み、唇の端を噛んだ。
戦場に赴く前に何度となくミーヒルビスに教え込まれた事ではあるが、今、この絶望的な状況で冷静になれと言うのは無理な話だ。
だが、ミーヒルビスは全く動じた様子もなく、言葉を続けた。
「水の勢いが減らなければ渡河は出来ませんので数日は時間が必要でしょう。その間にドルファンもある程度の戦力を集めてくるのは間違いありません」
「そうなったら仮に渡河できたとしても、突破出来ない可能性があるわ」
「そうですか?」
「どういう事」
「これは我々にとっても僥倖という事です。ドルファンが戦力を集められても、それは我々も同じ事です。殿を務めている軍団長の部隊が合流して、ヴァルファの全勢力が終結してしまえば、ドルファンの急づくりな部隊など取るに足らないものです。一点突破の強みは、まだこちらにあるという事です」
私はミーヒルビスの冷静な状況判断と冷静な知略に、思わず舌を巻いた。
だが、これこそが幽鬼のミーヒルビス。
消えたと思った勝ち筋でも、すぐに新しい筋道を見つけ勝利に導く。
まだ残された道はあるという事だ。