小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
テラ河中流にキャンプを張り、水が引くのを待って三日が過ぎた。
濁流の勢い自体は一日ごとに徐々に弱まってきているのが見て取れるのだが、対岸のドルファン軍も同じように一日ごとにこちらは数を増して行っていた。
ドルファン軍にしてみれば、それは僥倖に他ならない雨だっただろう。
あの雨さえ降らなければもしかしたらすでにレッドゲートを抜かれていたのかもしれないのだから。
軍団長のいる殿の部隊はまだ我々本隊には合流できていない。
思いのほかシンラギククルフォンが善戦しているのと、ここまでの道のりの途中でがけ崩れが発生して遠回りを強いられているという。
何もかもがヴァルファバラハリアンに不利に働いており、普段宗教の類やオカルトの類はまったく信じていないが、誰かが私達を呪っているのではないかとすら思い始めていた。
とはいえ、まだまだ戦力では有利なヴァルファと、日ごとに戦力補強をしているドルファンの微妙な天秤の傾きは、どれだけ早く水が引くかに懸かっている状況だ。
高台から対岸のドルファン軍のキャンプを隣で眺めていたコーキルネィファは、つまらなそうに単眼鏡を下した。
「いつまで待てばいいんだ。もう少数精鋭で河を渡ったちまえばいいだろう」
「その少数精鋭部隊で対岸のドルファン国軍を抜くのは無理でしょう。数で勝るヴァルファ全軍で渡河するからこそ意味があるのよ」
「時間が経てばジリ貧だろうが」
「軍団長が合流するまでの我慢よ」
「下らねぇ。オレは強いヤツと戦いたいだけなんだよ」
コーキルネィファは唾を吐き捨てると、部隊キャンプの方へと歩き出した。
私もそれに並んで高台から下りていく。
「おい、サリシュアン。ドルファンの外国人傭兵部隊に強いヤツがいると言っていたな」
「ええ。八騎将の内、三人がその男に負けているわ」
「へえ」
コーキルネィファの顔に不敵な笑みが浮かんだ。
「今、対岸にいる部隊にいると思うか?」
「それはわからないわ。ただ、外国人傭兵部隊はいつも使い捨てだから、先陣を切らされる役割のはずよ」
「じゃあいる可能性が高いという事だ」
彼はその言葉を吐くなり、自分の愛馬にまたがり声も高らかに叫んだ。
「第二部隊のうち一・三・五は現状を維持……二・四はオレに続けーっ!」
「え!?」
まさかの言葉に驚いていると、メインキャンプからミーヒルビスが飛び出してきた。
「バカな……今動いたら敵の思うつぼだぞ! 戻れ、コーキルネィファ!!」
慌てるミーヒルビスを尻目に、コーキルネィファは愉快そうに笑っていた。
「へへへ、オレは参謀みたいに気の長ぇ老人じゃないんでね」
コーキルネィファは馬を進め、その後から彼の部隊が続いていく。
川の水量は馬であれば渡れるくらいの量にまで減っており、コーキルネィファはその水にざぶざぶと進んでいった。
対岸でこちらを警戒していた兵士達が慌てふためく様子が見て取れ、緊急事態を告げるラッパが吹かれているのが聞こえた。
川の中腹あたりに辛うじて人が三十人程は乗れるであろう中州が出来ており、その場所までコーキルネィファは進んでいった。
ドルファン国軍も先発部隊が勇敢に河に飛び込んでいき、両軍の部隊は中州の周辺で最初の激突が始まった。
最初にぶつかったのは槍を主とした騎馬兵同士だ。その後ろから弓兵達が援護の為に矢の雨を降らす。
数で劣る我がヴァルファバラハリアンの部隊だが、練度と武力で勝っているように見える。しかしドルファン軍も河という限られた戦場を数の暴力による波状攻撃で攻め立てる。
状況は互角といったところで、両軍とも決め手に欠けているのがわかった。
その情勢を後ろから眺めていたコーキルネィファが痺れを切らして馬を進め始めた。
「雑魚どもは下がれ!」
コーキルネィファは馬を中州まで進めると、戦場中に響く声で叫んだ。
「やい、ドルファンのクズども! オレと水遊びしようなんていう豪気なヤツはいねえのか?」
挑発。これはコーキルネィファの作戦だ。
一騎打ちで強い男と戦いたいという、それだけの目的に間違いないだろう。
その時、ドルファン国軍の中から、一人の兵士が進み出てきた。
他の傭兵と同じような量産品の安い鎧に身を包みヘルメットすら被っていないが、逆にこの戦場でも黒い髪の色が目立つ男だ。
そう、あの東洋人傭兵ヒューイ・キサラギがこの戦場に来ていたのだ。
もはや八騎将と戦うのが宿命づけられたかのように、この戦場に彼は導かれていた。
彼は中州の中央に進み出ると、刀を抜いて立ち尽くした。
コーキルネィファはそれを見るとニヤリと笑い、馬から飛び降りてヒューイの向かい側に進んだ。
両者はそれぞれ両軍の兵士たちを背中に背負い、対峙した。
コーキルネィファが何かを言ったが私のいるヴァルファ側のキャンプまでは距離があり、何と言ったのかまでは聞き取れない。
その幼い顔に残酷な笑顔を浮かべたままコーキルネィファはニードルを構えた。
対するヒューイは刀を垂直に立てて顔の真横の高さに構え、左足を前にして構えていた。
二人の間に張り詰めた空気が流れ、お互いににらみ合いながら数秒の時間が流れた。
「行くぞ!」
激しい気合の声と同時に、ニードルを擦り合わせ何かが弾けるように光り、コーキルネィファが一気に加速し突進を始めた。
まさに刹那の一瞬でヒューイの間合いに飛び込んだ瞬間に、コーキルネィファは垂直に飛び上がった。
対峙しているヒューイはもちろん、まわりで見ていた兵士達ですらコーキルネィファの姿を捉える事は出来なかっただろう。
それくらいに速い、過去のコーキルネィファの動きの中でも間違いなく一番の速さだった。
まさに迅雷の名に相応しい雷神の如き動き。
コーキルネィファは飛翔の頂点から片手のニードルをヒューイ目掛けて投げつけた。
ヒューイは恐らく目の前のコーキルネィファの姿を見失った瞬間に本能的にだろうか、後ろに飛び退いていた為そのニードルの一撃は運よく回避できていた。
だがそこからのコーキルネィファの本命の一撃、手に持ったニードルによる着地と同時の再加速をしての突きの一撃は、さすがのヒューイも咄嗟に刀で防御するのに精いっぱいのようであった。
ニードルを刀で受けた瞬間、明らかにヒューイの右手が不自然に刀から離れ、その右手に向けて切り払ったコーキルネィファのニードルが肉を裂き鮮血が宙を舞った。
これがコーキルネィファの必勝のパターン、『スパークリング・ニードル』の一撃!
常勝を誇るヒューイであっても、あの負傷では恐らく満足に刀を振るえないだろう。
利き手である右腕の負傷では、次のコーキルネィファの加速についていく事すら難しいはずだ。
だがヒューイは我々の予想だにしない動きを見せた。
なんと、力の入らない右手はだらりと下げたまま柄頭を左手一本で持つと、左手を大きく後ろに引き、ちょうど弓を引くような要領で突きの構えを取った。
片手突きの構えにしては不自然に引いた構え。
さらに彼は後ろに後ろにとバックステップで後退を始めたのだ。
「なめるな!」
コーキルネィファの怒号が響くが、ヒューイはそれを無視してそのまま後退を続け、ついに川へと入っていった。
「臆病者が、とどめをくれてやる!!」
コーキルネィファは地面に突き立っていたもう一本のニードルを走りながら拾い、再度根本から擦り合わせた。
バチンと何かが弾ける音がして、稲光のようなものが光ったと同時にコーキルネィファの体が光の矢の如く加速した。
そのまま一歩、川に足を踏み入れた時、不自然にコーキルネィファの速度が落ちるのが見て取れた。
当人であるコーキルネィファを含んだ誰もがその光景に一瞬虚を突かれていたが、東洋人傭兵だけは違った。
そうなるのがわかっていたかのように突如バックステップから前方への突進に方向を切り替えて、コーキルネィファへの距離を詰める。
しかし、まだ間合いの外だ!
コーキルネィファもさすがのもので、鈍った加速では威力の無いニードルでの攻撃を捨て、もう一度間合いを取るべく急停止する。
だが次の瞬間、ヒューイは大きく引いていた左手をやり投げのように前へ突き出し、その突進力を持ってさらに加速した。
「ああっ!!」
私は思わず悲鳴にも似た声を上げていた。
その予想を超えた一撃に、コーキルネィファは成す術もなく喉を貫かれていた。
彼は口元から血を吹き出しながら何事か呟いて笑って見せた。
そしてそのまま膝から崩れ落ちた。
今まさにヴァルファバラハリアン八騎将の一角が、またあの東洋人傭兵によって落とされてしまった。
これは憶測でしかないが、あのスパークリング・ニードルの一撃を受けた時に、ヒューイは恐らくコーキルネィファの特異体質に対し何らかの理解をしたのではないだろうか。
右手が不自然に弾けたあと、痺れてしまい自由が利かなくなった事で、コーキルネィファが電気を操っている事に気付いたヒューイは、わざと後退したのだ。
そうして河、いわば水場まで下がることによってコーキルネィファを誘導した。
その誘導にまんまと乗せられてしまったコーキルネィファは、ヒューイの思惑通り水場に突進。そして水に触れた瞬間に体を流れる電流が水に放電してしまったのではないか。
結果、超加速が鈍ったコーキルネィファに対し、そうなるのがわかっていたヒューイは逆に初見殺しの突進突きを使う事で八騎将を討ち取ってしまった。
なんという状況判断。なんという柔軟な思考と適応力だろうか。
彼はここまで運だけで勝ち残ったのではない。間違いなく実力でここまで生き残ってきたのだ。
次の瞬間にはドルファン国軍の兵士たちから興奮に満ちた歓声が沸いた。
それは一種の狂気を孕んでおり、彼らはその勢いのまま再度ヴァルファへの攻撃を再開し始めた。
指揮官を失い完全に統制の崩れたヴァルファの兵達は、必死に抵抗を試みているが、ドルファン軍は先行隊の様子を見ていた後続の部隊が次々と河を渡るべく騎馬兵を中心に進軍を開始していた。
すでにヒューイの姿はおろか、コーキルネィファの遺体がどこにあるのか混沌とし始めた戦場でわからなくなってしまっていた。
「サリシュアン」
隣に立っていたミーヒルビスが落ち着き払った低い声で言った。
「コーキルネィファは敗れたようですね。勢いづいたドルファン軍が川を渡るのは時間の問題です。第二部隊には申し訳ないが、我々は早急に撤退を開始しなければなりません」
「……ドルファンへの復讐が、目の前にあったと言うのに」
「コーキルネィファの暴走を抑えきれなかった私の責任です。ですが、また機は巡ってきます。それまではまた雲隠れしなくてはいけませんが」
「口惜しいわ。お父様の合流さえ果たせていれば……」
「サリシュアン」
ミーヒルビスの声がさらに低く冷たい重さを伴った。
「戦場にもしも、はありません。あるのはそこで起きた事象と事実だけです」
「わかっている……わかっているわ!」
敗戦を目の前で受け止めなければいけない現実と、あのコーキルネィファがヒューイに討たれて死んだという事実が私の心を激しく揺さぶり、動揺している自分がわかった。
そんな私の心を見透かすように、ミーヒルビスは私の肩に手を置いた。
「お嬢様、冷静さを欠いてはいけません。どんな時も冷静に物事を俯瞰する。それこそが戦士というものです」
「……わかっているわ」
「それでは、我々は撤退を開始します。軍団長にも早馬を出さなければ」
「私が行くわ」
いくらここで敗戦したからと言え、ここまで来たのだから何か隊の役に立たなければいけない。そんな責任感からの言葉だった。
だが、ミーヒルビスはそんな私のわずかな希望すら打ち消すように言った。
「いいえ、サリシュアンはドルファンに戻ってもらいます」
「え!?」
思いもよらない言葉に、思わず聞き返す。
「今、何と言ったの」
ミーヒルビスは何の感情も伴わない声で言った。
「任務に戻ってもらう、と言ったのです。あなたに与えた任務について、撤回した覚えはありません」
「キリング!」
思わず名前を呼んでしまった。
「私は……お父様の役に!」
「そう思うなら、すぐにドルファンに戻りなさい。それが軍団長の望みでもあるのです」
「うう……」
私は返す言葉が見つからず、うなだれてしまった。
「お嬢様、この後我々は必ず反攻に転じます。その時に現地の情報がなければ、本懐を遂げる事が出来ません。あなたの任務はデュノス様の大願達成の大きな力となるのです。それを理解してください」
「……そんな言い方は卑怯よ」
「事実ですから」
私は震える手を強く握りながらも、顔を上げてミーヒルビスの顔を見た。
「わかったわ。ドルファンに戻りましょう。ただ、一つだけ約束をして」
「……なんでしょうか」
「あなたの力で必ずヴァルファバラハリアンを勝利に導いて」
ミーヒルビスはふ、と微笑みを見せた。
「承知しました。約束しますよ、お嬢様。このキリングの命に代えても」
私は悔しさを押し殺しながら頷いた。