小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
リンダ・ザクロイドは熱い眼差しでこちらを見ていた。
だが私はなんとなく今の会話が腑に落ちない感覚を味わっていた。
食後のコーヒーは優雅で人の心を豊かにするはずだ。少なくとも空腹時に質問するよりはまともな回答が返ってくるだろうと思い、とりあえずこの気持ちのしこりをぶつけてみる事にした。
「ザクロイド家は貴族になりたいの?」
私の質問に、リンダはこちらを力強くみつめていた目を伏せて少しだけ小さな声で答えた。
「厳密に言えば、貴族……になりたいわけではないわ」
そう言いながらリンダがすっと右手を軽く上げると、後ろに控えていた執事が静かに離れていった。
大変よく教育された執事だ。主人の気持ちを汲み取り、合図一つで行動できるのだ。ドルファンがどうかはわからないが、今時の貴族の執事でもなかなか出来ない行動だ。
執事がいなくなったのを確認してから、リンダは話を続けた。
「わたくし達ザクロイド家が、ドルファンの貴族を始めとした上流階級の中でなんと呼ばれているか、ご存知?」
私は上流階級社会に出入りしているわけではないが、それはなんとなく予想がついた。
何も答えずに黙っていると、それほど間を置かずに話を続けてくれた。
「成金、そう呼ばれているのよ。もっとも、それは間違いではないという分別くらい、わたくし達も持ち合わせているわ。でも、」
リンダはコーヒーのカップを置くと、怒りに体を震わせながら言った。
「成金だろうと、なんだろうと、実力があれば認めざるを得ないでしょう。上流階級のパーティーで扇子の裏で成金風情と嘲笑されても、それに見合う実力さえあれば、誰もわたくしを……ザクロイドを馬鹿にする事はできないわ」
なるほど、彼女の秘めたる激情の裏側には、こういう事があったのだ。
山師であるディムス・ザクロイドはきっと風貌も貴族的とは言えないのだろう。だが、その辺の貴族よりもよほど金持ちだろうし、そもそもザクロイド財閥が成功した大きな要因の一つは、大貴族の一人ベイラム・オーリマン卿の後ろ盾によるところが大きい。
ドルファン王国の政治は、旧家の両翼と呼ばれるピクシス家とエリータス家と、それに次ぐ貴族名家を含んだ四議席と国王による合議制が引かれているのだが、経済機構に属する輸出入部門に関しては王室議会から独立しており、旧家の両翼ですらそこに口出しは出来ない。
その輸出入部門を統括しているのがオーリマン卿であり、ザクロイド財閥はオーリマン卿と蜜月の関係というのは公然の秘密と言っていい。
そうでなければ、ザクロイド財閥のここまでの成功はあり得なかった。
成功のきっかけとなった燐光石は、ドルファンでは希少な鉱石となっているが、海外、特にシベリアでは決して高価な鉱石ではない。
万が一にもオーリマン卿がザクロイド財閥を見限る事は無いのだろうが、仮に卿が急死でもすればそれは即ち海外からの安価な燐光石の輸入解禁を意味するし、ザクロイド財閥の失脚を意味するだろう。
その背景を考えれば、リンダが必至に貴族の仲間入りを目指し、他人頼りの経済活動ではなく、自力で食い込んだ政治の中枢に居場所を求めるとしたら、それは納得が出来る。納得は出来るが、疑問も生まれる。
「それで、貴方は勉学や運動も出来るという事を示して上流階級の中でも確固たる地位を築き上げたいのはわかったわ。でも、それと貴方の努力を隠そうとする姿勢はどうしてなの?」
私の言葉にリンダがハッとするのがわかった。
どうやら熱が入ってしまい、余計な事までしゃべってしまった自分に気づいたのだろう。
ほんの少し赤面しながら、取り繕ってコーヒーを一口飲んだ。
「失礼、思わず熱くなってしまいました。わたくしが努力をしている姿を見せない理由を教えれば、ハイマーさんは先日の事を忘れていただけるのかしら」
それは取引になるのだろうか。
リンダが努力を隠す理由など、どうでもいい事と言えばどうでもいい事なので、私がそれを誰かに言いふらす事もない。
だが、リンダと私は親しい間柄でもないので、言いふらさないような裏付けが欲しいという事か。
どちらにしろ私にはデメリットがない。食事を振舞ってもらった相手をわざわざ不機嫌にする必要もないので、それに乗る事にした。
「ええ、忘れるわ」
私の回答に満足したようで、リンダは優雅に頷くと少し声量を抑えて話を続けた。
「わたくしが努力している姿を見せたくない理由は簡単です。それが出来て当たり前という印象を与える為。だって、そうでしょう。成金なんて言われているかもしれないけれど、勉強も運動も教養も、なんでも最初から人より優れているならば、それこそザクロイドの実力の証明になるわ。私はそうなりたいし、そうねるべきだと思っているの」
その言葉を聞きながら、一人称の言葉の変化に気づいた。
先ほどまで貴族ぶって『わたくし』と言っていたのが、途中で『私』に変わっていた。
これが恐らくリンダの本音なのだろう。
努力の賜物ではなく、ザクロイド家が当たり前のように出来る事がその他の人間よりも優れていると見せる事で、彼女はザクロイド家の威光が金の力だけでない事を見せつけたいのだ。
その為に影でこそこそと練習をするというのはなかなかに涙ぐましい努力だし、正直嫌いではない。
私はこのリンダ・ザクロイドという女性に好感を持ち始めていた。
彼女もまた、ザクロイド家という数奇な運命の家に生まれたからこそ、背負わなくてもいいような運命を背負い、それに立ち向かおうとしているのだ。
「ですので」
リンダが咳ばらいをしつつ、言った。
「先日の事は綺麗さっぱり忘れて下さる?」
やや高圧的な言い方だったが、その理由を知ってしまえば可愛いものだ。つい微笑んでしまいたくなる気持ちを抑えて、神妙に頷いてみせる。
「わかったわ」
リンダはふふん、と顎を上げて右手を口元にかざすと、いかにも上流階級の人間らしく「オーホホホ」と高笑いしてみせた。
「それでは、寮までお送りするわ」
普段よりもだいぶ満腹だったので腹ごなしに歩いて帰りたいところだったが、リンダがそれを良しとしない事は明らかだったので、お言葉に甘える事にした。
ただし、帰りは例の煌びやかな成金趣味の馬車ではなく、普通の街の馬車を呼んでもらう事を条件にした。
リンダは不服そうではあったが、別に自分がそれに乗るわけではないので渋々了承してくれた。
執事の一人が馬車を呼びに行っている間の少しの時間、私たちはダイニングから離れ、真昼のように明るい庭の噴水のまわりを散歩する事となり、冬の夜の庭園を二人で並んで歩いていた。
フルコースの料理を食べるのは時間をたっぷりと使う。
すでに夜はだいぶ深くなっていたし、寒さは昼のそれとは違い肌を刺すような空気の冷たさになっていた。
白い息を吐きながら、毛皮のコートを羽織り、燐光灯の灯りに照らされた噴水を眺めていたリンダがおもむろに切り出した。
「そういえば、ハイマーさんは変わっているわね」
リンダの後ろを歩いていた私は、それに答えず立ち止まった。
リンダが振り返り、続けた。
「わたくしの屋敷にも驚かず、食事のマナーも完璧。わたくしがザクロイドの人間だと知っても媚びるような事もしなければ、かといって蔑むような事も言わない。とても飄々としていて、今まで出会った事のないタイプの人だわ」
私は肩をすくめて見せた。
リンダに取り入ったところで私の活動に利があるわけでもない。
取り繕った会話をしなかっただけだが、リンダには新鮮に映ったようだ。
「そういえば、今日はわたくしの話ばかりで、ハイマーさんの事は何も話さなかったわね」
それはそうだろう。私は潜入捜査員だし、ドルファンの人間にとっては敵であるヴァルファバラハリアンの一人なのだ。
だが、そんな私の考えとは裏腹にリンダは少しだけはにかみながら言葉を続けた、
「せっかく来ていただいたのにお客さまの話もろくに聞かなかったなど、ザクロイドの人間として恥ずべき行為だわ。だから、あの、また一緒に食事をしてもいいわよ」
思いも寄らない言葉に、私は息を吐くのも忘れてしばらくリンダの顔を見ていた。
リンダは何かを欲しがる子供のような目をしていた。
敵国の人間との付き合いは極力持たない方がいいのは当然のことだが、一応彼女は要注意リストに名を連ねる人物ではある。
ドルファンの上流階級達の中で飛び切り大物であるプリシラは置いておいて、それ以外の手持ちのカードはセーラ・ピクシスのみ。しかし、このセーラも厳密に言えば旧家の両翼たるピクシス家の本家ではなく分家だ。
王室議会の中枢の情報網は今の所線が細いが、旧家の両翼の力が及ばないベイラム・オーリマン卿の情報は、この先、良い材料になる事は疑うまでもない。
次の食事で私が自分の事を話す事があるかどうかは別として、リンダとの繋がりは持っておいても損は無いだろう。
私は頭の中で素早く決断を下し、もじもじとこちらを盗み見るリンダに向けて力強く頷いてみせた。
「そうね、私もまた貴方と食事が出来たら嬉しいわ」
リンダが顔をパッと輝かせた。
「オーホホホホ! まあ、当然と言えば当然よね。言い方は悪いけれど、ハイマーさんのような方がこの屋敷に入れることも、一流の料理に触れる事も、本来あり得ない事だものね」
このいかにもな上から目線と貴族ぶった高笑いがなければ、リンダ・ザクロイドは比較的善良な人間の部類に入るのだが。
そんな事を考えていると、少し遠くのサウス・ドルファン方面で大きな花火が何発も打ち上がり、冬の澄んだ夜空を彩り始めた。遅れて大砲のような火薬の爆ぜる音が響いてくる。
「まあ、年が明けたようね」
リンダは嬉々として花火の夜空を見上げた。
花火は思いの外たくさんの数が打ち上げられ、長い時間続いていた。
しばらくの光と音の饗宴を楽しんでいると、リンダが静かな声で言った。
「美しいわ。あの一瞬の美しさは、常夜灯には無い美しさだわ」
「そうね、その儚さが花火の醍醐味だと思うけれど」
「……一瞬の儚さ」
リンダは少し目を伏せた後に、非常に小さな声でつぶやいた。
「ザクロイドもそうなってしまうかもしれない。いいえ、そんな事はさせないわ。わたくしがなんとしてもザクロイドを永遠の輝きにしてみせる……」
花火の音にかき消されそうなそのつぶやきは、きっと本人でさえ聞き取れなかっただろう。
だが、私はその言葉を聞き洩らさなかったし、若干の違和感とともに覚えておくことにした。
まさにこの世の春を謳歌しているようなザクロイドの娘は、何をそんなに悲観しているのかが気になった。
結局シルベスターをリンダ・ザクロイドと祝ってしまった私は、執事の呼んだ馬車で寮へと帰り着いた。
思わぬ形で新年を迎えてしまったわけだが元々何か予定があったわけではないのでまあいいだろう。
それよりもリンダが別れ際に言っていた言葉が若干心の片隅に引っ掛かり気になっていたので、新年早々、王立図書館へと赴いていた。
もちろん図書館は閉館中ではあったが、裏口から忍び込むルートはしっかりと確保していたので、逆に人気のない静まり返った図書館は調べものに最適であった。
図書館の書庫の中で、ここ数年のドルファン国内の企業の決算書を見て回ったが、そこで思っていた以上に大きな発見をしてしまった。
ザクロイド財閥の経営状況はすこぶる良好と言える。だが、それは見てくれだけはそうなっているだけだ。
その実態は燐光石の販売独占だけでは補いきれない、超多額の負債を裏に隠している状況だった、
ザクロイドの関連企業で、南欧でのダイヤモンド発掘事業を行っている会社があるが、ここでの赤字の額が天文学的な数字であった。
関連企業は巧みに偽装されており、一見しただけではとてもザクロイドの関連企業には見えなかったが、私のように裏稼業で生きている者であればそれは容易く看破できるものだった。
つまり、ドルファンの中では燐光石の独占で巨万の富を築いており、世間から成金と呼ばれる程の金持ちであるはずなのに、その裏ではいつ瓦解してもおかしくない砂上の楼閣だったという事だ。
だからこそリンダは上流階級の仲間入りを渇望しており、仮にダイヤモンド事業での失敗が明るみに出たとしても、その他の分野での巻き返しを図ろうとしているのだ。
花火のような一瞬の輝き。
ザクロイド財閥は常夜灯である燐光石を生業としているのに、花火のように一瞬で消えていく儚さを秘めている。
ならば尚更オーリマン卿との癒着は命綱だろうし、そこには切っても切れない薄汚いやり取りがあるはずだ。
そうでなければ燐光石の独占を許しているオーリマン卿側のメリットがまったくない。
この事案に関しては、部下を動かしてもう少し詳しく調べる必要がある。
「影の努力を見せないしたたかさが……皮肉なものね」
私は決算書のファイルを本棚に戻しながら、深くため息を吐いた。