小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】   作:ケルティック☆タイチ

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【60】ライズとソフィアの父親

 真冬の寒さが深まる中、いつの間にか朝に日が昇る時間が早くなっていき、夕方に太陽が沈む時間が少しずつ遅くなり始めた二月のある休日。

私は先日の誕生日にヒューイ・キサラギから贈られた革手袋をして、いつものように市井の視察の為に街に繰り出していた。

学生寮のあるフェンネル地区の外れからサウスドルファン駅方面へと歩いている時に、その人物に出会った。

 

 まだ比較的早い時間という事もあり、朝もやのかかるフェンネルの通りは人の気配がほとんどなく、こんな時間に活動しているのは小鳥たちか仕込み中のパン屋、そして潜入捜査員くらいのものだろう。

朝日に輝く白い息を吐きながら歩いていると、サウスドルファン駅近くの薄暗い路地の片隅に、人が倒れているのを見つけた。

こんな時間にこんな場所に倒れているなど、普通ではない状況だ。いくらか寒さも緩み始めているとは言えまだ二月だ。一晩路地に転がっていれば死んでいる可能性もある。

 その人物は路地の縁石に持たれながら首を垂れて壁に体を預けるように倒れていた。

来ている服は物乞いのような汚いものではないが決して裕福な感じはしない、補修や継ぎが所々に見られる服だった。その体格からおそらくなかなか体の大きな男性のようだ。

ここからは顔は見えないが、茶色の髪を雑に後ろで結んでいるようだ。そして右手に握られた酒瓶。

どうやら泥酔して行き倒れた酔っ払いのようだ。

近づいてみると強烈な酒の匂いがして、わずかに肩が上下しているので呼吸はしているようだ。

野垂れ死んでいるわけではないがこのまま放置しておけば寒さで死ぬ可能性もある。

軍部の治安維持部隊に通報しようにも朝早すぎてまだ機能していないはずだし、どうしようかと考えていると後ろから駆けてくる足音と、心配そうな女性の声で「お父さん!」と聞こえた。

振り返ると一人の女性がさっとその男性に駆け寄り、顔に手を添えた。

心配そうに男性を介抱しているその女性は、ソフィア・ロベリンゲであった。

 

「ソフィア」

 

声をかけると、初めて私の存在に気付いたようで顔をあげて驚いた声を上げた。

 

「あ……ライズさん! お、おはようございます」

 

動揺しているのか、こんな状況で朝の挨拶をしてくる。

私はため息を一つ吐いてソフィアの脇に屈んだ。

 

「だいぶ深酒をしたみたいね。でも、呼吸は安定しているし、吐瀉のあともない。大丈夫よ」

「は、はい」

 

ソフィアは私の言葉を聞いているのかいないのかわからない曖昧な返事をしながら、力なく転がる父の頬を撫でている。

今更ながらソフィアが寝間着の上にコートを羽織ったままの恰好だという事に気付いた。

 

「あなた、なんて恰好でいるの。いくら早朝とは言え、もうそろそろ人が活動をはじめるわ」

 

私の言葉にソフィアはコートの前をさっと手で押さえた。

 

「朝起きたら父の姿が無くて、あわてて家を飛び出したもので……」

 

着の身着のままで駆け付けた、という事なのだろう。

 

「ここは私に任せて、一度家に帰りなさい。身支度を整えたら、馬車を連れて来るといいわ。それまでは私が見ておくから」

「は、はい……」

 

幾分乗り気でないような返事をしつつも、ソフィアは立ち上がると頭を下げた。

 

「すみません、ライズさん。少しお任せします。後で必ずお礼を……」

「そんな事は気にしなくていいから、早く行きなさい」

 

ソフィアはもう一度頭を下げると、通りを走り出した。

私はその後ろ姿を見送りながら、もう一度ため息を吐いた。

この行き倒れの酔っ払いがまさかソフィアの父親だったとは。

普段から品行方正で控えめな性格のソフィアの父親がこんな酒の醜態を晒すような人物とは、いささか意外な感じがするが、この男の茶色い髪は、なるほど、ソフィアの髪と同じ色をしている。

男は目覚める様子もなく静かな呼吸をしながら眠っている。

私は自分のコートを脱いでソフィアの父親にかけてやった。明らかにサイズが小さいが、凍え死ぬよりはマシだろう。

右手に握られている酒瓶をやや強引に引きはがす。飲みかけのその瓶は蓋がしておらず、その匂いからラム酒のようだった。

海賊ではあるまいし、こんな強い酒を瓶から直接飲むなど、それこそ急性アルコール中毒になってもおかしくない。

私はその瓶を道の隅に置くとソフィアの到着を待った。

 

 

 私服に着替えたソフィアは二十分程で戻ってきた。だが、そこに馬車はなく、彼女一人で戻ってきた。

 

「ライズさん、すみません、お待たせしました。あの、ここからは私一人で大丈夫ですので」

 

そう言ってソフィアは父の腕の下に頭を差し込むと、力任せに立ち上がり、強引に父親を立ち上がらせた。

私のコートがずり落ちたが、道路に落ちる前に拾い上げる。

ソフィアはよろよろとしながら一歩踏み出した。その足取りは心許ないものの、どこか慣れた様子が見て取れる。

どうやらこれは初めての事ではないようだ。

だからと言ってこのまま家まで歩いていくのだろうか。途中で転べば、父親だけでなくソフィアも大きな怪我をしかねない。

私はソフィアの反対側に回ると、父親の腕を担いだ。

 

「ライズさん?」

「さっさと行くわよ。案内して」

 

ソフィアは申し訳なさそうな顔をしたが、首を振って前を向いた。

 

「ありがとうございます。すみません、お願いします」

 

そうして二人で一歩を踏み出した時、当の父親が唐突に目を覚ました。

 

「う……ここは、どこだ」

 

気だるそうな声はしわがれており、酒焼けで若干しゃがれていた。

 

「お父さん、しっかりして」

 

ソフィアが声をかけると、父親は私達を引きはがしてよろよろと立った。

 

「ソフィア、オレの酒は……どこだ」

「もうお酒なんてないわ!」

「なんだと……!」

 

ソフィアの父は突如として激昂すると、街の方へと方向を変えて歩き出した。

その歩き方は酔っているせいもあるのだろうが、明らかに右足が不自由な歩き方だった。

 

「お父さん、どこに行くの!」

「うるさい! 酒を買いに行く!」

 

ソフィアが父の腕にしがみつく。だが父親はその腕を力任せに振りほどいた。

その反動でソフィアは道路に倒れ込んでしまった。

 

「お父さん……もう、お酒は止めて!」

 

ソフィアの悲痛な叫び。だが父親はそれを意にも介さず、倒れた娘に目もくれずに歩き出した。

私はこの無神経な父親を制止するのは無理だろうと思い、ソフィアに駆け寄った。

 

「お父さん……」

 

ソフィアの目から大粒の涙がこぼれる。

私はそっとハンカチを差し出すと、やさしく背中を撫でた。

父親は一度も振り返ることなく朝もやの通りへと消えていった。

 

 

 それからしばらくソフィアが落ち着くのを待った後、私たちは場所を変えて中央公園の外れのベンチに並んで坐っていた。

ソフィアは私の貸したハンカチを強く握りながらうつむいて黙っていたが、やがてぽつりぽつりと口を開いた。

 

「すみません、恥ずかしいところをお見せしてしまい」

「そんな事は構わないわ。彼はお父様ね。随分酔っていたようだけれど、いつもああなの?」

「……父は昔は立派な騎士だったんです。それが、大きな戦争で右足を悪くして軍を追われてからは、ああやってお酒に逃げるようになってしまって」

「そう。確かに右足を引きずっていたわね。そんなにひどい怪我だったの?」

「もう前線には立てないだろうと言われたそうです。それまでは厳しいけれど、優しい父だった」

 

ソフィアの声は非常に弱々しく、疲れと悲しみが入り混じっていた。

 

「悲しい人なんです。過去の栄光にすがって、ああやって生きる事で必死に自分を保っている」

 

達観したその意見に私は胸の奥に少しの苦みのような物を感じていた。

私の父は復讐に生きているが立派な人で、私を悲しませるようなことは全くなかった。

だが、ソフィアの父はこうして娘に迷惑をかけ、酒におぼれている。

しかし、そこで唐突に疑問が浮かんだ。

ソフィアの母親はどうしたのだろうか。

以前病気がちだと言う話は聞いたことがあるが、父親があんな状況でもソフィア一人が駆けつけてくるというのはあまり良い選択とは思えない。

 

「お母様は?」

 

私の質問にソフィアは一瞬驚いたような顔をしたが、また目を伏せた。

 

「母……は、体が弱くて」

 

ソフィアは顔を上げて続けた。

 

「私、弟がいるんです。でも、生まれつき精神の病気なんです。母はそんな弟に付きっ切りなので、父の面倒まではとても見る事は出来ません。それがまた父にとっても寂しさに繋がっているのかもしれないと」

 

その瞳には力がなくいつもの健気な彼女とは思えないほど深い絶望の色が見て取れた。

そのあまりにも暗い瞳の色に私は不安を覚えた。

だからこそ、私の口を言葉がついた。

 

「ソフィアは」

 

「え?」とソフィアがこちらを見る。

 

「ソフィアはどうなの。お父様も寂しさからお酒におぼれてしまっているのかもしれないけれど、あなたは大丈夫なの?」

 

控えめに言ってもひどい状況の中、父にも母にも助けを求められないソフィアの心は平静を保てるとはとても思えない。

だがソフィアは私を見ながら、わずかに微笑んだ。

 

「ありがとうございます。私なら、大丈夫です。今は少し大変かもしれないけれど……」

 

そう言いながら悲しそうな笑顔を見せる。

 

「私、父が……家族が、好きですから」

 

その笑顔があまりにも痛々しくて胸の奥の苦みが、痛みに変わっていく感覚がした。

 

「それに」

 

だがソフィアは淡々と続けた。

 

「状況は少し良くなっているんです。母の治療費や生活費で借金がかさんでいたんですが、父がエリータス家の支援を取りつけたので、だいぶ楽になりました。私もアルバイトの数を減らせましたし、大好きな歌の練習もできています」

「エリータス家の支援?」

「はい。二年ほど前から、引退騎士である父の生活を援助してもらっているんです」

 

 その言葉に、私は以前から感じていた疑問の点と点が線で結ばれるような気がした。

なぜソフィアの婚約者がジョアン・エリータスなのか、という疑問だ。

それはソフィアの父が借金の肩代わりに自分の娘を売りつけたという事に他ならない。

名門エリータス家の人間ともあろう者が、何故町娘であるソフィアと婚約などしているのかと思っていたが、今ある事実を整理すれば答えは簡単だった。

いかに一流貴族のエリータス家と言えど、三男であり無能を体現したようなジョアン・エリータスの扱いには苦慮していた事だろう。

だからと言って結婚もさせずに道楽息子を放っておけばエリータス家の名に傷がつく。

 

だがソフィアの父の借金を肩代わりする事で、その娘と結婚させてしまえば、とりあえずの体裁は保つことが出来る。

ようはソフィアは父に売られたのだ。

そう思うとソフィアの父に対して猛烈な怒りがこみ上げてくるが、だからと言って私がソフィアにしてあげられる事などほとんどない事もわかっている。

 

「あなたは、それでいいの。ジョアン・エリータスとの婚約も、それが理由だとわかっているのでしょう」

 

私の言葉にも、ソフィアはやはり悲しく笑うだけだった。

 

「私は……いいんです。それで家族が幸せになれるなら、それが私の幸せでもあるから」

 

ソフィアの言葉には明確な決意と意思の力、そして少しの諦めが含まれていた。

ここで何か言ったとしても、当事者でない私の言葉など何の慰めにもならない。

いたたまれない無力感に叩きのめされたような気分だが、ソフィアが大丈夫と言う以上、私がかけてあげられる言葉などない。

 

「そういえば、ライズさんは朝のお散歩ですか?」

 

ソフィアがいつもの明るい声で言った。

私は思考の海から我に返り、あわてて返事をした。

 

「え、ええ、そんなところよ。早朝は人が少なくて気持ちがいいから」

「いいですね。私も今度散歩してみようかな」

 

その時、公園の鐘楼にある鐘が、朝をしらせる為に鳴り響いた。

ソフィアは反射的に立ち上がって言った。

 

「あ、もうこんな時間ですね! 私、この後漁港でアルバイトがあるので失礼しますね。ライズさん、色々とありがとうございました!」

 

私に向かって頭を下げると、ソフィアは柔らかく微笑んで行ってしまった。

今日二度目となる彼女の後ろ姿を見送りながら、私は胸の奥の苦みと痛みを飲みこもうとしていた。

私が出来る事は何もない。

それはわかっているが、このまま黙ってそれを受け入れるというのも受け入れがたい。

無駄な事ではあるのだろうがソフィアの身辺を少し調べてみてもいいだろう。

それは即ち、ジョアン・エリータスの事を調べる事にもつながるし、旧家の両翼を調べる事になる。

ドルファンの政治の中枢である旧家の両翼を調べるのなら、それは任務である。

任務であれば、全力を持って取り掛かろう。

私の足は王立図書館に向かって歩き出していた。

 

 

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