小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】   作:ケルティック☆タイチ

65 / 102
【65】The Man From Far East②

 小僧が目を覚ましたのは五日後だった。

その頃にはあの吹雪もすっかりとおさまっていたし、それからは見事な冬晴れが続いていた。

極度の栄養失調からくる疲労と手足の不衛生な傷口の化膿で、かなりの高熱を発症した小僧は本人のあずかり知らないところで生死の境を五日間彷徨っていた。

その小僧が五日間の死神との戦いに打ち勝ち、無事に常世の誘惑から此岸に舞い戻れたのは間違いなく二人の大人のおかげだった。

 

 まず、小僧が最初に見た男は如月忠正(きさらぎただまさ)という名だった。

黒々とした髪は髷を結っており、太く凛々しい眉が正義感を物語っている。

ボサボサに伸びた髭のせいで表情はあまり見えないが、髭を剃ればそれなりにかわいい顔をしている、とは同行している女の談だ。

この国の人間では珍しい大きな体をしており、身長は六尺(約一八〇センチ)を優に越え、鍛え上げられた体は筋肉の鎧を纏い隆々としている。

歳は二十八と若いが、その風貌からよく四十過ぎに見られてしまっているのだが、本人はあまり気にしていない。

彼は剣術道場の生まれであり、いずれ親の道場を引き継ぐ為に修行の一環として諸国を行脚している。

 

 そして、女の方はロゼッタ・エクリッシという名だ。

その名が示す通り、この国の出身ではない。長く癖のない黒い髪をしており、額にバンダナを巻いており、歳の頃は二十代の半ば。

着ている服は着物だし、この国の人間はほとんど全員が黒い髪をしている事もあり、遠目ではあまり奇異な目で見られる事は無い。

だが、忠正程ではないにしろ、この国の女性よりも圧倒的に背が高く、その整った顔立ちに高い鼻、そして涼しげな目元の瞳の色がルビーのような透き通った赤い色をしている事が、彼女が外国人だという事を物語っていた。

彼女はいわゆる宣教師であって、自身の信仰している神の教えを広めるためにこの国を訪れていた。だが、そんな彼女が背中に背負っているのは、この国では非常に珍しい『ライフル銃』であったし、宣教師にしてはやけに肝の据わった女性であった。

この二人が何故一緒に旅をしているのか。その理由を小僧が理解するのはまだ先の話しだ。

そんな忠正とロゼッタの献身的な介護の甲斐あって、小僧は命をつないだのだった。

 

 

 意識を取り戻した小僧に、忠正とロゼッタは優しかった。

小僧の看病の為に例の崩れかけの廃寺にすっかり根を下ろした忠正とロゼッタは、持っていた貴重な薬を惜しげなく小僧に与えたし、食料を調達する為に集落に出かけて行っては、路銀を使い栄養のある物を購入したりしていた。

本当は集落の医者に小僧を見せるのが一番良いのだが、小僧の風貌やこの廃寺にいた状況などを察した二人はそうはしなかった。

だからこそ小僧は戸惑っていた。

この一ヵ月、大人というものは恐怖の対象でしかなかった。

食べ物も飲み物も、自分が何かを口にしようとすると皆大声を上げて追いかけまわしてきた。

だがこの二人の大人は自分に親切にしてくれる。

食べ物も飲み物も与えてくれる。汚れていない着物もくれたし、傷口の手当も、寒くないように火を焚いてくれたり、体を洗ってくれたりもした。

なぜこの大人たちは自分に親切にしてくれるか一切わからなかった。ただ、一ヵ月前まで一緒にいた母親が、同じように自分に優しかった事を思い出して、何故か泣きそうになってしまった。

 

「さて、こんなものでどうだろう」

 

ロゼッタが短刀を片手に自信気な声で言った。

その声に草鞋の中結いを結んでいた忠正は顔を上げた。

 

「おう、なかなか男前ではないか」

 

ふふん、と胸を張るロゼッタの脇で、ボサボサだった髪を切られ綺麗に整えられた小僧は、複雑な表情をしていた。

その小僧の頭をポンポンと軽く叩いたロゼッタは、小僧の目を見ながら言った。

 

「こんな小さな子供が一人とは、親はどうしたんだろうね」

「ふむ。どうも近くの集落の子ではないようだしな。捨て子か、もしくは生き別れたか」

 

その忠正の指摘は概ね正解していたのだが、そんな事を二人は知る由もない。

 

「ここで出会ったのも神の思し召しって事ね。ねえ、君、名前は?」

 

小僧は自分に対して何か言っているのはわかったが、それに返す言葉をまだ何も知らなかった。

そんな小僧の様子をしばらく見ていたロゼッタは、何か思いついたように忠正の袖を引っ張った。

 

「この子、名前もわからないみたいだし、私が名付け親になってもいいかな?」

「まあ、名前がないのでは我々も困るしな。何か良い名をつけてやると良い」

「そうだなぁ……」

 

ロゼッタはじっと小僧の顔を見つめながら考えているようだ。そんなにみつめられると、小僧はなんとも言えない気恥ずかしさを感じて、もじもじとしてしまっていた。

 

「聖なる……うん」

 

何かを決めたように、ロゼッタは頷いた。

 

「ヒューイ、っていう名前はどうかな」

「ひうい?」

 

忠正の反応がイマイチだったので、ロゼッタは頬を膨らませた。

 

「ヒューイ!」

「いや、この国にはあまりない発音なので、つい。それで、どんな意味があるのだ?」

 

バツが悪そうに弁明する忠正に、ロゼッタはため息を吐いたが小僧の肩をそっと抱いた。

 

「ヒューという単語は、私の国で『聖なる』とか『正しい』っていう意味があるんだ。それに忠正が教えてくれた『神威』という言葉の『威』の字を取って、ヒューイ。どうかな!」

「ふむ、良い名前ではないか。良かったな、ヒューイ!」

 

小僧はよくわからないままだったが、嬉しそうに笑顔でこちらを見る二人を見ていると、自分の胸が温かくなるのを感じて自然と口元が緩むのであった。

 

 

 それから約八年、ヒューイ達三人はその地に留まる事となる。

理由の一つとしてはヒューイの体調が回復するまでの間、近くの集落の剣術道場に出稽古に出て日銭を稼いでいた忠正がその道場主に大層気に入られ、食客として迎え入れられた為道場近くに住処を与えられた事。

そして、集落の人々がロゼッタの信仰に興味を持ち比較的好意的に受け取られていたからだった。

だがこの時代のこの国の政府はロゼッタの信仰する宗教を許していなかった。

その宗教を信奉する事は決して許されず、宣教師などそもそも上陸すら許されていなかった時代であったにも関わらず、この集落が彼女に好意的だったのは、偏に中央から遠く離れた田舎だったからに他ならない。

そして、ロゼッタ自身が正規のルートで渡来したわけでなく、渡航途中に船が難破し漂流して打ち上げられたところを忠正に拾われた密入国者だったからだ。

 

 それでもその八年間は少なくとも幼いヒューイにとっては、幸せな時間であったのは間違いなかった。

ヒューイは寡黙で感情表現の乏しい子供であったが、母親代わりのロゼッタが非常に明るい性格だった為、どんどん表情の豊かな子供になっていった。

それと同時に忠正の出稽古に同行し、剣術道場で剣を学ぶ事も彼の楽しみだった。

剣の道は努力すればするほど彼に応えてくれたし、集落の年上の子供たち相手にも引けを取らないその実力は、次第に彼の自信へと繋がっていった。

日中は忠正の道場で剣の鍛錬を積み、夕方に家に帰ってからはロゼッタに西洋の事を始めとした様々な事を教わった。

その中で殊更ヒューイの興味を引いたのは、ロゼッタの故郷の話だった。

ロゼッタは西欧、とりわけその中でも南に位置するドルファン王国という国の出身で、その国の話はいつも刺激で満ちていた。

美しい街並みに数々の遺跡。ヒューイの想像もつかない大きな通りとそこに並ぶ店の数々。整備された公園と、そこに数多ある芸術品。ゴンドラが進む美しい運河。そして真っ白な芸術品とも言える王城。

なにもかもがこの田舎の世界しか知らないヒューイ少年には、想像も出来ないほど刺激的で憧れは募るばかりであった。

 

 だからその日も、ヒューイは夏の夕方の赤い日差しを感じながら、ロゼッタの話を興味深げに聞いていた。

「レリックス駅から歩いて行ける所に、銀月の塔という昔の遺跡があってね。そこからのドルファンの街並みの眺めはもう最高に素敵なんだ。特に夜! 銀月の塔から眺める夜景はそれはもう綺麗でね。夜空の星が地上に落ちたのかと思うほどなんだよ」

手振り身振りを交えて話すロゼッタの話し方は、その世界に引き込まれそうでヒューイは大好きだった。

目を輝かせて話の続きを聞きたがるヒューイの姿は、ロゼッタからしてもたまらなく可愛いものであった。

 

「どう、ヒューイもドルファンに行ってみたい?」

「うん、行ってみたいなあ。オレもロムロ坂の並木道を歩いた後に、喫茶店でお茶をするんだ」

「あはは、いいね。もういっぱしのドルファンっ子だね」

ロゼッタは面白そうに笑ったが、その瞳がどこか寂しそうなのをヒューイは見逃さなかった。

「ねえ、ロゼッタはそんなにドルファンが好きなのに、どうして他所の国に行こうと思ったの?」

 

それは子供の、子供らしい疑問だった。

その質問にロゼッタは少し驚いた。ヒューイの観察眼もそうだが、つい昨日まで小さな子供だと思っていたヒューイが大人びた質問をしてきたその成長にも驚いたからだ。

そんなヒューイにロゼッタは誇らしさを感じつつ、この子になら自分の背負っている『業』を話したとしても受け入れられるだろうと感じていた。

 

「私はねえ、昔はドルファンの事が好きじゃなかったんだ」

「え、どうして?」

「私が生まれたところはドルファンでも山の方の田舎でね。家族はみんな狩人をしていたから、私もそうなると思っていた」

「狩人?」

「そう。弓を使って獣を追って、山の恵みを分けてもらって生きていたの」

 

 ロゼッタは三人兄弟で、いわゆる末っ子長女、兄妹の中ではたった一人の女の子だった。

エクリッシ家は代々この土地で狩猟を営んでいる一族だ。銃火器を良しとしないドルファンの中で、特に弓矢を用いた狩猟に誇りを持っていたエクリッシ家で育った彼女はそこで狩人になるのが当然だと思っていたし何の疑問も持っていなかったが、特別な刺激もない毎日は退屈でここで死んでいくのが当然だと村の誰もが思っているのが信じられなかったが、自分もそうなっていくと理解していたしそんな生き方にうんざりしていた。

だから兄の一人が鹿追をしていた際に誤って崖から転落して死んでしまった時も、悲しみは谷よりも深かったがそれが狩人としての宿命だと割り切れるくらいの山の民の心得を持っていた。

だがある日、父が鹿の毛皮を街に卸に行くのについて行ったロゼッタは、たまたま街に来ていたサーカスを見に行った時に運命の分かれ道が待っていた。

 

 その日のサーカスの演目は銃を使った曲芸だった。

遠く離れた場所から小さな的の林檎を打ち抜くというそれだけの演目だったが、ロゼッタの心は完全に銃に奪われてしまった。

粉々に砕かれた林檎を見て、あんなに遠くから林檎を破壊できる威力があるのなら、狩りにも使えると思った。

安全な距離から獣を撃てるなら、兄のように山の犠牲になる事もない。狩りだっていまよりもよっぽど楽になるし、狼や熊に遭遇しても撃退出来る威力なのは間違いない。

まだ十五だったロゼッタは銃を取り入れる事で家族の生活が楽になると信じて止まなかった為、すぐに父親に銃の導入を提案した。

だが父は古き良き狩猟方法を守ることに誇りを持っていたし、銃による乱獲で山の秩序が壊れる事を恐れロゼッタの提案を痛烈に拒絶した。

どちらも家族と山の生活を守りたい気持ちでの意見だったが、若いロゼッタはそれを受け入れられなかった。

宿泊していた宿から飛び出すと、彼女はサーカスの団長を訪れていた。

銃の扱いを教えて欲しい、と。

 

 そこからは数奇な運命を辿った。

サーカスの団長はそんなロゼッタを自身の故郷へと送った。

送られた先はロゼッタの行った事も見た事も、想像すらした事のない極北の地、シベリアだった。

そこで軍隊に放り込まれた彼女は望み通り銃の扱い、特にまだ珍しかったライフル銃の扱いを叩き込まれる事となる。

来る日も来る日も厳しい訓練、想像を絶するような地獄の日々だったが、家を飛び出し、身寄りもない外国の地ではそこで生きる以外の術はまったくなかった。

気が付けば五年の月日が経ち、いつの間にか兵士として戦場に立っていた彼女は、山の獣を撃つ為に身に着けた技術で、敵兵を撃っていた。

──なぜ、こんな事になってしまったのだろうか。彼女が自問自答しない日はなかった。

 

 家族にもっと安全で楽な狩猟方法を取り入れさせたかっただけだったのに、彼女はいつか人を撃ち、人の命を奪う死神としての仕事をしていた。

あの日、怒る父親を振り切って宿を飛び出した事を後悔してもしきれない。

 そんな生活を送っていたある日、彼女の所属する部隊はハンガリアの地方都市へ派遣されていた。

ハンガリアとヴァン=トルキアの戦争でハンガリアに加勢していたシベリアだったが、彼女の部隊は後方支援として派遣されたのだ。

そこでヴァン=トルキア軍の奇襲にあった部隊は、ほぼ全滅という事態に陥った。

ロゼッタは、たまたま奇襲された際に頭を強打し気絶していたのだが、意識を取り戻した時には周りは火に囲まれ、生存している仲間は一人もいなかった。

すでにヴァン=トルキア軍は撤退しており、命からがらそこから逃げだした彼女の足は自然とドルファンに向かっていた。

だからと言って、父を裏切ってしまった以上故郷に戻る事は出来ない。

身も心もボロボロだった彼女はドルファン首都城塞へと逃げ落ちて、藁にでもすがる気持ちで教会へ駆け込んだのだった。

 

「そこで懺悔した私に、神父様が本当に良くしてくれてね。あの時ほど神の御心に感謝した事はなかったよ」

 

辛い過去を思い出しながら語るロゼッタに、ヒューイはなんと言葉をかけて良いかわからなかった。

ただ、あの寒い吹雪の夜に人の温かさを与えてくれたロゼッタに何かしてあげたくて、その手をぎゅっと握る事しか出来なかった。

そんなヒューイの優しさがロゼッタは痛いほどに理解できた。

 

「ありがとう、ヒューイ。私は大丈夫だよ。あんたは優しい子だね」

 

教会に逃げ込んだロゼッタは、神父の計らいもあって修道女として過ごす事になり三年の月日が経った。

修道女として戦場で殺してしまった人々の魂へ祈りをささげていた彼女は、遥か東方の地へと商売の手を広げようとしている商人の旅団と出会う。

旅の安全を祈念して欲しいというその旅団に、ロゼッタは同行させて欲しいと願い出た。

それは、自身が人殺しという一生消えない罪を背負う中で、神の教えを信じる事で救われた恩返しでもあり、神の教えを知らない人々に少しでも教えを広げたいという真面目な気持ちからだった。

かくして旅団の一員として旅に出たロゼッタだったが、そこからまた三年の過酷な旅路の末、中華皇国を出立した船が嵐に巻き込まれ沈没し、海を三日三晩漂流して流れ着いたこの国で旅の途中だった忠正に拾われたのだった。

 

「この国に流れ着いた時に私が持っていたのは、皮肉な事に私がずっと捨てられなかったシベリア軍にいた時に愛用していたこのライフル銃だけだった」

 

ロゼッタはいつも背中に背負っている長身の銃をヒューイに渡した。

その銃はヒューイにはずしりと重かったし、信じられない程冷たく、恐ろしかった。

 

「私はこの銃を自分への戒めだと思ってずっと持っているんだ。もう二度とこの銃を撃つような事はしない。神と私の信仰に誓って、この引き金をもう一度引く事は絶対にないし、あってはならない事だって」

 

ロゼッタの真剣な言葉に、ヒューイはなんと答えて良いかわからなかった。

だが、ただその目をじっとみつめていた。

そんなヒューイを見てロゼッタは柔らかに微笑んだ。

 

「だから、あんたと出会ったあの吹雪の夜。驚いて刀を振るった忠正からあんたをこの銃で守れた時、私は運命を感じたんだ。たくさんの命を奪ってきたこの銃が、小さな命を守った。これこそが神の思し召しだったんだってね」

 

ヒューイはロゼッタにどうやって気持ちを伝えて良いかわからずにいたが、幼いなりに必死に言葉を紡いだ。

 

「いつか、一緒にドルファンへ行こうよ。オレ、ドルファンの街を見てみたいし、ロゼッタの故郷にも行ってみたいよ」

 

そんなヒューイの言葉に、ロゼッタは満面の笑みを浮かべた。

 

「じゃあいつかドルファンに行った時の為に、ルーマン語の勉強もやっていこうか」

「ええ! それとこれは、別問題じゃない?」

 

二人がそんな会話をしているところに、手に大きな鯰をぶら下げた忠正が縁側にのっそりとあらわれた。

 

「おう、今日もやっているな。門下生にデカい鯰をもらったんだ。今日の夕飯はこいつにしよう」

 

二人は感嘆の声を上げ、忠正に飛びついた。

優しい父母代わりの忠正とロゼッタと暮らすこの時が、ヒューイにとってまさに幸せの絶頂であった。

だが、その幸せも長くは続かない事をこの時の三人は知らなかった。

あまりにもこの国の中央から離れてしまっているが故に彼らの幸せは成り立っていたが、逆にそれが残酷なまでに突然爪を立てるとは思いもしなかった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。