小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
ヒューイ達が暮らしていた村は、当時の土地の藩主である殿様が住む城からはかなり離れていた。
そもそもこの国の首都からも歩いて二十日以上かかるこの土地は、時の政策からもどこか隔離されていたような場所であった。
なのでヒューイ達はこの藩の城主が代替わりをした事を知らなかったし、その代替わりした藩主が異教の排除に積極的な過激派の藩主である事など、想像すらしていなかった。
北国の中でもまわりの藩に比べ圧倒的に小さく脆弱なこの藩は、政府に物が言えるような立場ではない。若くして藩主になった後目の藩主は完全に政府の方針にへつらうだけがとりえの男であったが、それは小国として致し方無い事であろう。
なので、政府、とりわけ時の将軍が仏教以外の異教の排除に非常に熱心で、その根絶に力を入れていたことが藩主の行動を強く後押ししていた。
藩主はまず藩内の状況把握に努めた、役人を各地域に派遣し、異教の陰がないか、異人の陰がないかを探った。
まずは主要な都市から。そして次に中規模な村々へ。そして、小さな集落へ。
ヒューイ達の住む集落は容易くやり玉に挙がってしまった。それはそうであろう。人々は熱心とはいかないまでも、ロゼッタが広めた教えを好意的に受け止めていたし、物珍しい容姿で美人とあれば、刺激の少ない田舎の村にとってこれ以上の娯楽はない。ロゼッタの布教活動や定期的に行われるミサに参加すれば、少なくとも美しい外国人と話をする機会は得られる、そういった理由でロゼッタに近づく人は少なくなかったのである。
藩主の行動は早かった。
将軍への貢献を形にする良い機会であったし、それが人口の多い村ではなく、ほんの小さな集落というのも、多少荒事になったとしても影響がすくないという点で僥倖だった。
藩の腕利きの武士を二十名ほど選抜し、集落へ派遣。さらに自身も赴き、年老いた集落の代表と直々に談話の場を設けた。
藩主が突き付けた条件はシンプルであった。
この集落に居住する異人の首を差し出せば、この集落が異教の教えを受け入れた事を不問とする。
但し、断ればこの集落に住む住人全てを異教の教えを受けた者として、全員火炙りの刑に処す。
それだけだった。
たったそれだけの事ではあったが、殿様に会った事もなかった集落の長にとって、効果は絶大だった。
その日、まだ夏の余韻をいくらか残した生暖かい秋の日の夜に事は動いた。
ヒューイ達が住んでいる家は集落の外れに位置しており、最寄りの家までは少し距離があった。
家のすぐ裏手に、歩いても一時間もかからずに上ってしまえる小さな山があり、その山の麓にポツンと佇む田舎の一軒家であった。
家の前には小さな畑があり、ヒューイ達が野菜などを育てている。その脇に手掘りの井戸と簡素な用水路が整備されている。
集落の代表の手配した十人ほどの村の男達が、松明の火を片手に静かに家を取り巻き近づいていく。
そしてその男たちに続くように藩主の用意した武士達が額に鉢巻きをし、着物に襷をかけ、袴の裾を高々とまくり上げた仰々しい姿で、手に手に大げさな弓や手槍を持ちじりじりと進んでいく。
もちろん裏手の山へと逃げ込まれないように、そちらにも五人ほどの武士が息を潜めていた。
燃え盛る松明の灯りで、ヒューイの家の周りだけが明るく輝いていた。
家の中で最初に異変に気が付いたのは戦闘の経験が豊富なロゼッタであった。
この時代、この地域の家では、夜眠る際に戸板を立てるような事はしない。まだ夜には残暑の残る時期ではなおさらだ。
ロゼッタは障子一枚で外と隔てられた部屋の中で、複数の足音と松明が燃える際に鳴る僅かな油の爆ぜる音を聞きつけて音もなく飛び起きた。
障子を薄く開き外の様子を伺うとこちらにじりじりと近づいてくる松明の炎がいくつか見えた。
明かりを持って近づいてくるなど、夜襲にしてはお粗末だと思う反面、ついに来るべき時が来てしまった事を感じていた。
ロゼッタとて、自分がこの国で受け入れられるべき人間でない事は知っていたが、この集落の人々が、そして忠正とヒューイがいた事ですっかり緊張感が無くなっていたのは否定のしようがなかった。
どれくらいの人数がいるのだろうかと様子を伺っていると、隣にいつの間にか忠正が刀を片手に立ち膝で立っており、至極冷静な低い声で言った。
「囲まれているな。何人ほどかな?」
その忠正の冷静な声音に、ロゼッタは少し救われた気持ちがしつつ答えた。
「火の数は十。でも、その後ろに何人いるかはわからない」
「ふむ。火の数の倍はいると見たほうがいいだろうな」
「目的は何だと思う? 私の生け捕りかしら」
「どうかな。炎に反射する金属の光がいくつか見える。恐らく長物を持っている事から、生け捕りではすまされそうにないだろう」
戦場で死ぬ思いを経験している自分はともかく、自身の生死が懸かっている状況で忠正がよくここまで冷静でいられるものだとロゼッタは感心していた。
「裏口から山に逃げ込む?」
「まあ裏にも人はいるだろうが、正面から行くよりは良いかもしれん。少しは夜闇に紛れるだろうしな」
「……ヒューイはどうする?」
緊迫するロゼッタと忠正をよそに、ヒューイは薄い布団の上で気持ちよさそうにいびきをかいている。
「置いていこうにも、向こうは火を持っている。このまま火をかけられたら一巻の終わりだ。一緒に連れていくしかあるまい」
「じゃあ私が連れていく。あなたは突破と引き付け役ね」
「なんだ、随分と簡単に言ってくれるな」
「だって出来るでしょう?」
ロゼッタの言葉に忠正は答えなかったが、不敵に笑って見せた。
「裏口から飛び出したら、囲いを抜けて裏山へ。そこを抜けたら、例の廃寺で落ち合いましょう」
「おお、ヒューイと出会った、あの寺だな」
「そういう事。一刻(二時間)待ってもどちらかが来なかった時は、寺を離れる」
「そうならんようにしたいものだ」
二人は言葉を交わしながらも、手早く装備を固めていった。
よく知っている山とは言え、夜闇の中で山に入るのは危険を伴う。出来る限り厚手の旅装を纏いつつも動きやすいように注意する。
忠正は鉢金を撒き、手甲に脚絆を装着すると、腰にいつもの大刀と脇差の二本を差し、右手には生活する上で何かと便利だった信頼性の高い大きな鉈を持っていた、
ロゼッタもいつもの着物を脱ぎ棄て、旅の為の厚手の革の服に遭難した時にもつけていた黒く薄汚れた厚手のマントを纏い、背中にはライフル銃、手には巻き割り用の手斧を持った。
「ヒューイ、起きて!」
寝ぼけ眼をこすりながら、何が起きているのかまったく把握していないヒューイにロゼッタは可能な限りの旅装をさせると、自身が愛用している短刀を渡した。
「あんたの事は私が絶対に守るけれど、万が一の事があったらこれで自分の身を守りなさい」
ヒューイは状況を全く理解出来ていなかったが、ロゼッタの真剣な様子と忠正の異様な雰囲気からただ事ではない事は感じ取っていた。短刀を受け取り、神妙に頷いて見せる。
「では、行くぞ!」
忠正の声とともに、三人は裏口へ突入した。
その時、裏口で待ち伏せをしている藩主の部下達は、はっきり言って油断をしていた。
どうせ表から奇襲をかけるのだから、そこで事が済んでしまうと思っていたのだ。
戦国の時代が終わり、戦も久しく起きていない時代で、剣の腕は立っても戦場の勘と言うものを持っていない男たちは槍を肩に担ぎ月を眺めながら軽口をたたいていた。
そこに、闇の中から猛然と飛び出した熊のような大きさの忠正が猛然と襲い掛かった。
忠正は飛び出すと同時に人数を把握すると、一番手前の男に信じられぬほどの勢いで体当たりをすると、そのすぐ隣にいた男の頭を鉈の一撃で叩き割った。
その後ろで仲間に知らせる為に笛を口にくわえた男に向かってその鉈を投げつける。鉈は男の顔面に突き刺さり、男は膝から崩れ落ちた。
ロゼッタとヒューイはその隙に裏山へと全速力で駆け出した。
「こっちだ! 逃げたぞ!!」
ようやく体制を整えた武士の一人が金切り声を上げて叫ぶ。
その男を、忠正の腰の大刀が抜き打ちの一撃で切り伏せた。
「裏手だ! まわれ! 急げ!!」
表側の村の男や武士たちが口々に叫びながら裏手へと殺到していく。
「ここは通さんぞ!!」
そう叫びながら獣のような咆哮を上げた忠正がその男たちに突進していく。
村の男たちをはじめ、武士達ですらその迫力に気圧されていた。
だが彼らも武士の端くれ、主君に仕える者として気持ちを奮い立たせ忠正へと襲い掛かっていった。
ロゼッタとヒューイは後ろから聞こえてくる忠正の気合の叫び声や男たちの怒号を、振り払うように月明かりのみの真っ暗な山道を走っていた。
ただでさえ走りづらい山道だが、夜の暗さと追い詰められている緊迫感とで、より一層の走りづらさを二人は感じていた。
ヒューイは何が起きているのかまだよくわかっていなかったが、ただただ恐ろしく、恐怖に駆られて走るのみであった。
日中なら遊び慣れたこの山の道も夜には驚くほどの暗さでまったく道が見えない。木の根や枝などが邪魔をして、全く速く走る事が出来ない。
まるであの冬の夜、集落に盗みに入って追われたあの日の気持ちが甦ってくるかのような感覚に襲われ、手足が震え、自分が言い知れない奈落の底に向かって走っているような感覚を必死に我慢しながら走っていた。
ただそんな中でもロゼッタがつないでくれている手の感覚だけが、ヒューイを現実世界に引き留めてくれていた。
そんなに遠い距離ではないのに永遠とも思える山道を走り抜け、ヒューイ達はようやく山を抜けた。
振り返ると今来た方向の空が赤く光っているのが見えた。恐らく家に火を放たれたのだろう。
八年の月日を過ごした我が家が燃やされる事にロゼッタは唇を噛む思いだったが、今はそんな感傷に浸っている時ではない。
忠正の身を案じつつも、あの人ならば大丈夫だ、という自分の中の絶対的な自信を信じてヒューイの手を引いて再び走り出した。
残暑の残る夜道を旅装の厚着で走ってきたので体中汗まみれだし、息は上がり肺が酸素を求めて激しく呼吸を繰り返しているが、それを無視してあの廃寺を目指し懸命に走る。
間もなく見えてきた集落の外れのその廃寺は、以前と同じように今にも朽ち果てそうなボロボロの様相だったが、相変わらず其処に存在していたし、真っ暗な夜の中では人を寄せ付けないような雰囲気を醸し出していた。
ヒューイとロゼッタは倒れかけの戸板の入り口をくぐり抜けて真っ暗なお堂の奥に進むと、ようやく座って息を整えた。
「忠正は大丈夫かな……」
ヒューイの不安そうな声を聞き、ロゼッタは彼の頭を抱き寄せながら答えた。
「大丈夫。忠正が誰よりも強いのは、ヒューイが一番よく知っているでしょう」
「うん……」
そう返事をしたものの、ヒューイは浮かない顔をしていた。
そして訪れる沈黙。気の早い虫が夏の終わりだというのに鳴き始めている声が聞こえる。
所々抜けている壁板から月明かりがわずかに漏れており、湿った風がまわりの草木をわずかに揺らす音がざわざわと聞こえた。二人は押し黙って、月明かりに照らされた薄汚れた床板を眺めていた。
どれだけそうしていただろうか。
ヒューイがうつらうつらと船をこぎ始めた時、突然ロゼッタが立ち上がり壁板にとりつくと、隙間から外の様子を伺い始めた。
「ロゼッタ?」
たまらなく声を上げたヒューイに、喋らないよう唇に人差し指を当てて見せたロゼッタだったが、しばらく様子を伺うと、突然戸板を飛び出し走り出した。
ヒューイもあわてて戸板をくぐって外を見ると、廃寺へと通じる草が伸び放題の道を一人の杖をついた大男がよろよろとこちらに向かって歩いているのが見え、ロゼッタが鹿のような身のこなしでその男の下に駆けていくのが見えた。
「忠正!」
思わずヒューイが声を上げると、大男はしんどそうに片手を上げて応じた。
この時の如月忠正は顔中に返り血を浴びて真っ赤な顔をしていたが、それは夜闇に隠れてヒューイからは確認できなかった。
だがその血糊の中には自分の血も大分紛れていた、
いち早く忠正に駆け寄ったロゼッタは、よろけながら歩く彼の足取りに若干の不安を感じながらすぐに肩を貸した。
普段だったら女子供に肩を貸される事など良しとしない忠正が何も言わなかった。
その理由がロゼッタにはすぐにわかった。
正面からは見えなかったが、背中に五本の矢が突き立っていた。その内の三本は途中で折れて矢羽もなくなっていたが、二本は抜けばすぐに弓にかけて使えそうな程だった。
遠目では気づかなかったが、腕や足、胸、首などいたるところの着物が切り裂かれ、血まみれであった。
すでに乾いて固まっている傷もあるが、脇腹の傷などは未だ血が流れ落ちている。
鞘に納められた大刀を杖替わりに付いているが、根元まで鞘に収まっておらず鍔から少し上までは刀身の鋼が見えていた。
それは幾人もの敵を切り伏せて、刀身が曲がってしまっている為だった。
ロゼッタはいくつもの戦場で目の当たりにしてきた特有の匂いを感じ、避けられない現実に打ちのめされながらも忠正を支えながら言った。
「ありがとう、大分苦戦したみたいね」
忠正もくたびれ果てた体から絞り出した声で答えた。
「まあな。腐っても武士は武士、簡単には逃がしてはくれなかった」
「体は、大丈夫?」
「頑丈なだけが取り柄の体だ。少し休めば大丈夫だ。ロゼッタとヒューイは、すまんが先に逃げてくれるか」
その言葉に含まれた意味に、ロゼッタは強く唇を噛んだ。
「……私の為に、申し訳ないわ」
「なに、自分で選んだ道だ。後悔は何もない」
この国に流れついて、出会ったのがこの如月忠正という男で良かった。
ロゼッタは心の底からそう思った。
「追っ手は?」
「屋敷に夜襲をかけてきた部隊は、村人以外は全て斬り捨てた。村人も多少の怪我はあるし追っては来るまい」
「そう……」
ロゼッタが俯きながら答えた時、突如として闇の中から音もなく現れた黒ずくめの頭巾の男が、廃寺で二人を見守っていたヒューイを後ろ手に羽交い絞めにして動きを封じた。
突然の出来事で一切抵抗する暇もなく動きを封じられたヒューイは、せめてもの抵抗に大きな声を上げたが、その口元に電光石火の速さで猿轡を噛まされてしまった。
「ヒューイ!!」
ロゼッタと忠正が名前を叫ぶと同時に、闇の奥の街道から馬に乗った藩主がゆっくりと進み出て来た。
そして組み伏せられているヒューイと、濡れ雑巾のようなボロボロの忠正とロゼッタを交互に眺めると、唾を吐き捨てながら言った。
「よもや異教の女風情に、上様の隠密まで駆り出す事になろうとは。貴様ら、覚悟は出来ておろうな」