小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
休みの日であってもいつもの通学時の時間に目を覚ました私は、いつものように自室の窓を開けた。
少し肌寒い空気が部屋に入ってくるが寒いというほどではなく、どこか柔らかな感じがする。
先日までこの時間はまだ暗かったのに、今はもうすっかり明るくなっていた。
風に乗ってわずかに花の甘い香りが漂っている。ドルファンにも春が来たのだ。
新鮮な空気を深く吸うと脳が活性化するのを感じる。窓は開け放したままにして、顔を洗い身支度を整えた。
四月に入り、戦争の情勢はわずかに動きを見せていた。
そうは言ってもドルファンに直接関わっている話ではない。先のプロキアでのクーデター未遂のその後の話だ。
プロキア首相のヘルシオ公に呼び出され、招集先のグローニュで暗殺されたイエルグ伯だったが、その長男のカイル・イエルグ大佐が報復を宣言。拠点であるハーベンで軍事行動の準備を即座に整えると、プロキア首都へと進軍を開始した。
だが、グローニュ近郊まで進軍したイエルグ大佐の報復部隊はそこで思わぬ事態に遭遇する。
それは、味方として雇い入れていたはずのシンラギククルフォンの造反だった。
ヘルシオ公に雇われハーベン制圧に動いた我がヴァルファバラハリアンと、それに対抗するべくイエルグ伯が雇い入れたシンラギククルフォンであったが、ここに来て飼い主であるイエルグ伯側を裏切るという事態になったのだ。
元よりヘルシオ公についたふりをしていただけのヴァルファバラハリアンの裏切りとは全く異質の、なんの目的での裏切りなのか分かりかねる造反であった。
その後ハーベンまで撤退を余儀なくされたイエルグ大佐の報復軍をあざ笑うかのように、シンラギククルフォンの部隊はハンガリアのドマ港から本拠地である東洋圏へと帰還していった。
これはイエルグ側についても旨味がないと判断したか、愛想を尽かしたかはわからないが、シンラギククルフォンの計画的な作戦であったのは疑いようがなかった。
一方のヘルシオ公は自身の暗殺への関与を否定しており、一連の暗殺劇はシンラギククルフォンの企てであった事を宣言しているが、イエルグ大佐はこれを受け入れてはおらず、結局プロキアの内乱は治まったわけではないという状況になっていた。
ヴァルファバラハリアンはテラ河の攻防でドルファンに敗戦を喫してからは、その痕跡を一切隠し消息不明となっている。これは間違いなく幽鬼のミーヒルビスの策略の一つだし、今頃どこかで戦力補強を行っているのはわかっている。
迅雷のコーキルネィファまで失い残存戦力が少なくなってきたヴァルファではあるが、私はこのドルファンで情報収集に専念し、後方からその活動を支えるしかない。
それが隠密のサリシュアンとして出来る最善の事なのだから。
その日私は月一回のセーラの話し相手をする日だったので、朝食を食べると約束の時間に間に合うように少し早めに寮の自室を出発した。
寮の共同玄関を通り抜け、扉を開けて通りに出ようとした時、玄関脇の柱にもたれかかりながら一人の女性が立っているのが見えた。
金色のウェーブのかかった長い髪。人目を引く真っ赤なルージュに、明らかに濃いメイクだが、それに負けない程の整った派手な顔立ち。
ジーンほどではないが私やソフィアよりも明らかに背が高く、スラリと細い印象にも関わらず豊満なスタイルの体に薄緑色のシルクで作られた馬鹿に露出の多く薄い服を纏っている。
そして、一目見たら忘れられない印象を与える男を惑わしそうな左目の目尻の横にある泣ホクロ。
誰がどう見ても学生寮には場違いなこの派手な女性は、こちらを見て明らかに私を確認してから煽情的な微笑みを浮かべ、そしてなんとも甘ったるい声で言った。
「あらぁん、遅かったじゃない。待ちくたびれちゃったわ」
その言葉に私は無表情のままその横を通り過ぎようとした。
少なくとも私の知り合いの中に、四月とは言え胸元が露骨に空いた服で出かける人はいない。
だが、彼女はそんな私にさらに話しかけてきた。
「ちょっとぉ、無視はないんじゃない。ライズ・ハイマーさん」
私は立ち止まり、その派手な女を見上げて睨みつけた。
「なぜ、私の名前を?」
女は私の視線を受け止めると、微笑もそのままに答えた。
「さあ、なんでだと思う?」
悪戯っぽく言う彼女に、私は警戒心を強めていた。
ただの学生として目立たぬように過ごしている私の名前を知っている者等、明らかに不審だ。
ゼールビスの差し金か、シベリアのスパイか、それとも私のような同業者か。
どちらにしろまともな相手ではない事は確かだ。
「要件は何? 何か用があるから、こんな所で待ち伏せなんてしていたのでしょう」
女は「うふふ」と笑うと、なんとも艶っぽい声で言った。
「少し散歩しましょうよ」
私とその謎の女は連れだって歩いていた。
何をされるかわからない状況で人目につかない場所へ行くのは良くないので、サウスドルファン地区で適度に人がおり、それでいて静かに話が出来る場所という事で、セリナリバー沿いの遊歩道に来ていた。
目立つ事は極力避けて行動したい私に対して、この女性は歩いているだけで人目を引く。
すれ違うカップルが通り抜けざまになにやらひそひそと話していた。
私はいたたまれない感覚を覚えながら謎の女の正体を知るべく、質問を投げる事にした。
「それで、あなたはどこのどなたかしら」
私の言葉に女はわずかに驚いたような反応を示した。
「ああ、自己紹介がまだだったわね。私はピ……じゃなかった……ノエル・アシェッタよ~ん」
ノエル・アシェッタという名前にはまったく聞き覚えがない。
過去に関わった事のある人間や、要注意人物の名前はすべて頭に叩き込んであるので、この人物はそういった対象ではないという事だ。
だが、偽名という可能性もあるし、つい最近潜伏した敵勢力の捜査員という可能性もある。
最大級の警戒が必要なのは言うまでもない事だが、なぜこのノエルという女性は喋るたびに語尾に独特の言い回しをするのだろうか。
その変な物の言い方のせいで、若干頭が悪そうな印象を受ける。
とは言えそれも作戦の内かもしれないので、極力先入観は持たない事にしよう。
「それで」
私は軽く咳払いをして続けた。
「そのノエル・アシェッタが私に何の用?」
ノエルは細い指を顎に当てると、近くのベンチを指さした。
「座って話しましょう?」
これ以上並んで歩いて無為な視線を浴びるのも都合が悪い。
私は同意の印に頷いて見せると、ノエルが座るのを見届けてからそっと横に並んで座った。
なぜそうするのか意味はわからないが、ノエルは悩まし気にため息を吐きながら切り出した。
「単刀直入に聞くけれどぉ、あなた、ヒューイの事が好きなの?」
その言葉に私は思わず眉を顰めてしまった。
またあの東洋人傭兵絡みの話なのか、という衝撃と、ヒューイの事が好きなのか、という言葉が思った以上に私の心に突き刺さったからだ。
私は若干動揺している自分に少し驚きながらも、極めて冷静に言葉を返す。
「……話が見えないわ。あなたはヒューイの知り合いなの?」
「知り合いも知り合い、背中のホクロを数えあう仲なのよん」
そう言って胸を張る彼女の顔は、何故か勝ち誇ったかのように自信に溢れていた。
今度は私がため息を吐く番だった。ただし、私の場合は悩ましいため息ではなく、呆れたため息であったが。
「つまり、あなたはヒューイとそういう仲だという事?」
あの八方美人の東洋人傭兵に特定の女性がいるという話しは聞いた事がないが、彼も男だし、こういった特定のパートナーの一人や二人いてもおかしい話ではない。
しかし、いかにも肉体的で女性を売りにしているようなタイプの女性が好みだというのは意外であった。
だが、当のノエルは私の言葉に先ほどまでの自信あふれる態度から一変し、明らかに視線が泳いで慌てだした。
「そういう仲、ってわけじゃないけれど……いやん!」
顔を赤くしてかぶりを振るノエルの態度に、私は少しずつ腹が立ってくるのを感じた。
こんな所で自称ヒューイと特別な仲の露出過多な女と時間をつぶしている程暇ではない。
セーラに会いに行かなくてはならないし、そもそもなぜ私が呼び止められたのか全くわからない。
このノエル・アシェッタという女が私の名前を知っているのかも問題だが、これ以上ここにいる事は私の精神衛生上良くないと心が訴えている。
私はおもむろに立ち上がりその場を去ろうとしたが、その手をノエルが掴んだ。
「離してくれる?」
その細い腕からは想像しがたい強さで腕を掴まれて少し驚いた。
ノエルは先ほどとは違う真剣な表情で言った。
「待って。そんな話がしたいわけでも、キミをからかいたいわけでもないんだ。お願い、もう少しだけ話を聞いて」
突然口調が変わり、先ほどまでの妙な語尾もなくなったし、私の事も『キミ』などと言い出す。
この変化は一体なんなのだろうか。
若干の薄気味悪さを感じつつも、その真剣な表情に少し興味は沸いた。
私はもう一度座りなおして、ノエルを見た。
ノエルは私の目をまっすぐ見つめると、ふと微笑んだ。
「本当に綺麗な瞳の色をしているよね」
「……」
私は黙って続きの言葉を待った。
ノエルはそんな私の態度を察したのか、真剣な口調で話し始めた。
「あのさ、ヒューイの事、好き?」
「その質問はさっき聞いたわ。別にあなたが彼とどんな関係かは知らないけれど、私と彼はただの知人。好きとか嫌いとか、そんな事ではないわ」
私がうんざりしながらやや吐き捨てるように言うと、ノエルは首を振った。
「ううん、私とヒューイの事は関係ないの。ライズさんはヒューイの事をどう思っているの?」
「どう……って」
先ほどとは変わり真剣な眼差しで聞いてくるノエルに対して、私は言葉に詰まってしまった。
彼女が何を聞きたいのか真意がつかめない。
そもそもヒューイという男は、私にとって観察対象でしかない。
ドルファンの傭兵部隊の中で、今や英雄的な活躍を見せているこの男は、私達ヴァルファバラハリアンにとって脅威でもあり、要注意人物でもある。
だからと言ってそんな事をノエルに言えるわけもない。
私は必死に言葉を探して答えた。
「さっきも言ったけれど、彼はただの知人よ。よく街中で会うし、話をしたりするけれど、特に特別な感情は持ち合わせていないわ」
そんな私の言葉をノエルは深刻な顔で聞いていた。
そしておもむろに視線を落とすと、少し寂し気な声で言った。
「キミにとってはただの知人かもしれないけれど、ヒューイはキミの事をただの知り合いとは思っていないと思うよ」
「どういう……」
言いかけた私の言葉を遮るように、ノエルが身を乗り出しながら続ける。
「私には、キミもヒューイの事を特別に想っているように見える」
ノエルの態度の豹変と彼女のまっすぐな言葉に、私は戸惑いを感じ始めていた。
私がヒューイの事をどう想っていると言うのか。
我がヴァルファバラハリアンにとって、今や捨て置くことは出来ない脅威となっているあの東洋人傭兵を、私が仇以外のどんな気持ちを持っていると言うのか。
一昨年前のイリハ会戦で初めて彼を見てから、秋のドルファンの街かどで偶然出会い、幾度か一緒に話を交わす事で潜入捜査に嫌気がさしていた自分に自信を持つきっかけをくれ、ボランキオとの交戦から彼の人柄を知り、ライナノールの一騎打ちで彼の騎士としての生き方を知り、怪しいサーカスへ一緒に赴き、誘拐事件をそれぞれの方向から解決し、チョコラータ・カルダを一緒に飲み、彼の故郷の話しを知った。
今思えばドルファンで過ごした時間の多くで彼の姿があり、私がここで成長するきっかけを与えてくれたのは彼であった。
だから、敵であり、八騎将の仇であるはずの男でありながら、私は彼を憎からず思っているのは自覚している。
それが特別な感情と言われれば、そうなのかもしれない。
しかしそれは一種の仲間意識というか、同じ傭兵として生きる者として、人の生死と暴力に携わる生き方しか出来ない人間としてのシンパシーに他ならないと思っている。
ヒューイの性格や人となりは私にとっては好ましいものであるとは思っているが、それはノエルの言うような特別な感情とは同じではないような気がする。
男女の所謂恋慕とは形も性格も違う物ではないだろうか、と思えるのだ。
私は自分の心の中で一つの結論が出た事で、幾分冷静さを取り戻して言った。
「仮に私がヒューイに特別な感情を持っているとして、それはきっと一種の仲間意識だわ。あなたが心配するようなものではないわ」
「傭兵に仲間意識? キミみたいな女の子が?」
「……深い意味はないわ。とにかく、私は他人の恋愛に口を出すような人間ではないし、横恋慕の趣味もないという事だけは伝えておく」
そろそろセーラを待たせるのも限界だ。いい加減に行かなくてはならない。
ベンチから立ち上がると、ノエルは私の顔をじっと見つめていた。
「キミの気持ちはキミにしかわからないとは思うけれど、一つだけ言わせて欲しいな」
ノエルのうるんだ瞳が真剣に訴えかけており、扇情的な雰囲気はどこにもなかった。
「……一応、聞いておくわ」
「ヒューイの事、頼むね」
「え?」
思いもしない言葉に私は思わず聞き返してしまったが、ノエルは私と同じように立ち上がると、投げキスを一つしながら言った。
「今日は話が出来て嬉しかったわぁん。また機会があったら……お会いしましょう」
またあの悩殺的な口調で言うと、呆気にとられる私を他所にノエルは背中を向けて颯爽と歩いて行ってしまった。
その後ろ姿を呆然と見つめていると、ノエルの姿は少し先の角を曲がって見えなくなった。
一瞬何か光のようなものがその角から空に向かって登っていくように見えて、私は目をこすった。
一体あのノエル・アシェッタという女性は何だったのだろうか。
そして、私にヒューイの事を頼むと言うのは何だったのだろう。
私は何故か胸の奥が苦しくなるのを感じていた。
いや、今はセーラとの約束を守らなければならない。
ノエルの事は次にヒューイに会った時にでも聞いてみればいい。
何ならもう一度会って話をしてみればいいのだ。
その時の私はそう思っていたのだが、この時を最後に私がノエル・アシェッタに会う事は二度となかった。