小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
五月祭が終わり街は平穏を取り戻していたが、ドルファンを取り巻く状況は少しずつ変化を見せていた。
国境都市のダナンは、統治しているゼノス・ベルシス卿の意向で今までドルファン国軍の陸戦大隊の駐屯を拒否し続けていたのだが、この五月からついにその駐屯を認めていた、
ベルシス卿の権威の衰えと見る者もいるが、逆にこれはベルシス卿の知略だろうと私は思っている。
いくら現国王を支持していないベルシス卿と言えど、ドルファン王国の王室議会の一席である事は間違いない。
プロキアとの国境線という事もある中で頑なに大隊の駐屯を拒否し続ける事は、ドルファンに対する造反と取られかねない。ましてやヴァルファバラハリアンに助力していると見られかねない状況では、身の潔白を証明する意味でも大隊駐屯を許可するのは当然だろう。
ドルファン国軍は早速一大隊をダナンへと派遣しており、一応の国境線の戦力は潤った状況と言える。
そして、当の我がヴァルファバラハリアンだが、その姿がプロキアのハーベン近郊で発見されたと報じられている。
ハーベンと言えばつい先日当主のイエルグ伯が暗殺され、息子のカイル・イエルグ大佐が報復部隊を編成したばかりだ。
もともとイエルグ伯の反乱鎮静の為にプロキアに雇われたヴァルファバラハリアンがプロキアを裏切った後、イエルグ大佐の近くで動いているというのはある意味では正解だろう。
今やドルファンからもプロキアからも攻められる立場となったヴァルファが、味方として取り入りなら絶好の相手という事だ。
ただし、イエルグ大佐とヴァルファバラハリアンが軍事行動を一緒に行っているという情報はまだない。
ドルファンやプロキアにしてみれば不穏な動きの一つとして、ハーベン周辺は監視対象となっている事だろう。
そんな遠くの地での変化など素知らぬ顔でドルファンの日常は流れており、すっかり春の暖かさで過ごしやすかった日々がいつの間にか少し汗ばむ陽気に変わったこの五月の終わりに、スポーツの祭典が実施されていた。
その名の通り、この国での唯一の運動の大会であるスポーツの祭典は運動公園で毎年盛大に行われている。
ついこの間五月祭があったばかりだというのに、ドルファンの人々はお祭り騒ぎが余程好きと見える。
例年この祭りには参加しておらず、私にとって縁の無い催しだったのだが、今年だけはわざわざ運動公園まで来て観戦する事になっていた。
それは今日の短距離走の競技会にハンナが出場するからだった。
このスポーツの祭典は陸上競技をする者にとっては唯一無二の大会であり、学生の部に関してはここで優勝する事こそ学生生活の目標といってもいいと言う。
ハンナは中等部から陸上短距離及び中距離走を選択し練習に励んできた。今年は高等部の最高学年である三年生という事で、学生の部に参加できるのはこれが最後だ。
そのハンナの高校生活の集大成というので、是非会場に足を運んで欲しいと頼まれてしまったら断る理由を探す方が大変だ。そんな経緯もあり、こうして運動公園に来ている。
運動公園の周辺は祭りらしく様々な出店が軒を連ねており、これはもう五月祭や収穫祭といい、露店がない時季の方が少ないような気がしてきていた。
私はソフィアと連れ立って歩きたくさんの選手がアップをしている通用口近くの広場へ赴いていた。
ソフィアに聞いた話によると、ハンナはドルファン学園では一度も負けたことが無い、陸上競技の不動のエースだという。
その才能は高く評価されており、多少学問の成績が悪くても学園の教師陣からの覚えが良いそうだ。
一度だけ体育の授業でハンナの走っている姿を見たことがあるが、その姿はまるでカモシカのようで一緒に走っていたクラスメイトに大差をつけてゴールしたのを覚えている。
だがこのスポーツの祭典では中等部、高等部の五年間ですべて準優勝。
一度も優勝の記念楯を持ち帰ったことが無くこの最後の大会では、かなりの期待を背負って出場するとの事だ。
そんな重責を背負わされたハンナはさぞ緊張している事だろうと思っていたが、他の選手に混じって柔軟をしていたハンナは私とソフィアの姿を見つけると極めて明るく、そしていつも通りに笑って見せた。
「あ! ソフィア、ライズ! 来てくれたんだね!」
満面の笑みでぶんぶんと手を振るハンナに緊張の様子は見えなかった。
そんなハンナのもとに駆け寄ると、ソフィアはその手を取って握った。
「ハンナ、頑張ってね! 私、応援しているから」
「ありがとう、ソフィア。ボク、絶対今年こそ優勝してみせるよ」
力強く頷くハンナに、私も声をかける。
「緊張はしていないようね」
「もちろん! 体調も万全だし、準備も万端だよ。ライズも応援してくれるの?」
何かを期待したような視線でこちらを見るハンナに、私は言い切った。
「応援はしないわ。見させてもらうだけ。結果がすべてよ」
私の言葉にハンナは苦笑いを見せた。
「あはは、やっぱりライズはライズだね。でも、ありがとう。気合入ったよ!」
その顔はリラックスしており、過度の緊張もないし自信の程が見て取れた。
これならばいつもの実力を発揮できるだろう。
だが、これほどまでに高い実力を持つハンナが優勝出来ないというのは、どうしてなのだろうか。
その疑問が口をついた。
「ところで、ハンナは連続で準優勝だそうだけれど、優勝はいつも同じ人なの?」
私の質問にハンナの顔から笑顔が消えて、真剣な眼差しでこちらを見た。
「うん、そうだよ。ここ五年ずっと同じ人に負けているんだ」
つまり大会五連覇という事だ。陸上競技に詳しいわけではないが、それはとてつもない事なのだろう事は想像できる。
「一体どんな人が……」
言いかけた時、私の後ろから聞いた事のある高笑いが響いた。
「おーほっほっほっほ! 野猿はどこかしら」
振り返ってみると、そこにいたのは例の特注のシルクのレオタードを身にまとった、リンダ・ザクロイドその人だった。
ハンナはそのリンダを見ると、怒ったように手を腰に当てて抗議の声を上げた。
「野猿じゃないって言ってるだろ!」
「あら、わたくしに勝てもしない娘が、野猿じゃなかったら何だと言うのかしら」
そのハンナの前に立ちはだかったリンダはいつものように手の甲を口の前に持ってくると、得意の高笑いをまた披露した。
どうやらハンナとリンダは知り合いのようだ。
そして今の会話から、大会を連覇しているのはこのリンダで間違いないだろう。
一しきり高笑いをして見せたリンダは、ようやく私に気が付いたようだった。
「あら、ライズさんではなくて。こんな所でお会いするなんて奇遇ね」
「そうね。先日の舞踏会ぶりかしら」
「そうよ! あの時は本当にびっくりしたのよ」
私達が会話をする様子に、ハンナが訝し気に口をはさんだ。
「ライズ、リンダと知り合いなの?」
私が答えようとすると、リンダが先に答えた。
「それはこちらのセリフだわ。野猿のくせに、ライズさんとお知り合いとでも?」
ハンナはむっとしたように口を尖らせた。
「ボクがライズと知り合いだったら何だと言うのさ。ライズはボクの友達! 今日は応援に来てくれたんだから!」
私は応援する気は無いと、ついさっき言ったはずだが。
「まあ、野猿のくせに生意気な口をきくわね。いいわ。ライズさんの前でせいぜいみっともない姿を晒すことね」
リンダはそう言うと、また高笑いをしながら競技場の方へと歩いて行ってしまった。
ハンナはその後ろ姿に向かって舌を出していた。
「リンダ・ザクロイドがあなたの優勝の障壁なのね」
私が言うと、ハンナは舌を引っ込めて笑った。
「そうなんだ。あんな態度だし、人の事をいつも野猿呼ばわりするいけ好かないヤツなんだけれど、めちゃくちゃ速いんだ。それだけは間違いない。性格は悪いけれど、あの強さだけは他の誰よりも、ボクが一番尊敬しているよ」
私は頷きながら、リンダとの出会いを思い出していた。
あの寒い冬の日に、この運動公園でトレーニングをしていた彼女を介抱したのがきっかけだった。
リンダのあの人並外れた練習量と、それを見せない涙ぐましい努力の結果がその実力の秘訣なのだろう。
「でも」
ハンナはまた真剣な眼差しに戻ると、自分の頬を両手で叩いて気合を入れながら言った。
「今年はボクが勝つよ。二人にはその瞬間を見てもらうから!」
ハンナの気迫がその両肩から立ち上ってくるようで、リンダの挑発は逆効果になったようだ。
「それじゃあ、行ってくるね!!」
ハンナは私たちにウィンクをして見せると、競技場へと駆けて行った。
「私達も観客席に行きましょう」
ソフィアの言葉に頷くと、私たちはハンナの戦場へと歩を進めていった。
競技場の観客席はそれなりに埋まっており、運動場では力自慢の男たちがどれだけ重い物を持ち上げられるのかを競い合っているのが見えた。
手近な席を確保し、ソフィアを座らせる。
「何か飲み物を買ってくるわ。あなたは何がいいかしら」
「え、私も行きますよ!」
「席を確保しておいてほしいの。何にする?」
「では、ミルクティーを……」
「わかったわ」
私は頷き、席をソフィアに任せると競技場の入り口の方へと戻り売店の方へと歩き出した。
売店のすぐ手前まで来た時に、壁にもたれて立っているリンダの姿を見つけた。
彼女は思いつめたような顔で地面を見つめており、集中しているようだった。
「リンダ」
私が声をかけるとリンダはハッとしたようにこちらを見て、私だとわかるとわずかに微笑んだ。
「ああ、ライズさん。先ほどは失礼しました」
「ハンナから聞いたわ。あなた大会五連覇中なのね」
「あら、あの野猿、わたくしの悪口を言っていませんでした?」
「性格が悪い、とは言っていたわね」
リンダはふふふ、と笑った。
「隠さないのね、そういう事」
「事実だもの。でも、あなたの事を他の誰よりも尊敬している、とも言っていたわ」
私が言うと、リンダは少し驚いたように目を見開いが、穏やかな表情で微笑んだ。
「そう、野猿がそんな事を」
「ハンナは今年こそ優勝すると意気込んでいるわ。私から見てもその気迫が良い方向でのっていて、やってくれそうな雰囲気をもっているわ」
リンダはそれを聞きながら、ため息を吐いた。
「ライズさんはあの野猿を応援するのかしら。お友達ですものね」
私は首を振った。
「私は誰の応援もしない。結果がすべてでしょう? 戦場では誰かの応援なんて何の意味も成さないわ。そこにあるのは、培った技術とそれを裏付ける自信、そして運ですら叩き伏せる『実力』だけ」
リンダは呆気にとられながらそれを聞いていたが、しばらくすると愉快そうに笑った。
その笑い声は例の高笑いではなく、年相応の少女らしく弾けるような笑い声であった。
「本当にライズさんは変わってらっしゃるわ」
「そうかしら」
「ええ、もちろん良い意味で、だけれど」
リンダはひとしきり笑うと、目じりを軽く指で拭った。
「あの野猿は、はっきり言って強敵です。最初の頃はわたくしの方が圧倒的に勝っていましたが、高等部に入ってからは年々実力を上げているのがわかる」
リンダは目を閉じて続けた。
「今年はきっと去年よりももっと強くなっている。わたくしが勝てるかどうかもわからないのが正直なところです」
私は黙っていた。
「でも」
リンダは静かに目を開けると、鋭い眼差しでこちらを見た。
「私は負けるつもりはありません。ザクロイドの名を背負う者として。そして、私自身のプライドに賭けて」
彼女の静かな闘志は彼女を取り巻くオーラとなり、その涼し気な瞳の奥にゆらゆらと揺れる青い炎を宿していた。
「見させてもらうわ」
私が言うと、リンダは力強く頷いた。
ソフィアのミルクティーと、自分用のホットコーヒーを持って席に帰ると、まわりは満席に近い状態だった。
ミルクティーを渡すと、ソフィアが嬉しそうに言った。
「ありがとうございます。えへへ、なんだかちょっと嬉しいです」
「おかしなことを言うわね」
「だって、お友達とこうやって観客席で何かを見るって、あまり機会がないですから」
「別にいつだって出来るでしょう。あなたが望めば、観劇くらいなら付き合うわ」
「え、本当ですか!」
なぜソフィアがそんなに大袈裟に驚くのかわからないが、別にそれくらいの事はなんでもない。
昔の私ならそんな無駄な時間をすごすのはお断りだったが、今はソフィアやハンナたちと過ごす時間というのも、何かしらの学びがあり、私自身の成長に繋がる部分があると思っている。
ソフィアが前のめりに言ったとき、トラックに短距離走の選手が入場してきた。
ハンナとリンダが入場口から歩いて来て、向かい合って立つと握手こそ交わさなかったがお互いに一言二言呟きあい、頷きあった。
そして、他の選手とともにスタートラインへと並んだ。