小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】   作:ケルティック☆タイチ

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【74】ライズと月明かりの幻想③

 あの後担架で病院に担ぎ込まれたヒューイは、途中の道で盛大に水を吐き出し意識を取り戻した。

医師の診察を受けその日の晩は入院する事となった。当の本人は殴られた頭がわずかに痛むだけで、入院する事を嫌がっていたが慈愛の天使のテディーに大目玉をくらい、しぶしぶ入院せざるを得なかった。

なので、次の日の午前中に学校を抜け出して病室へ見舞いに行くと、ヒューイはベッドの上で不貞腐れていた。

 

「大袈裟なんだよ。オレは至って元気だし、なんともないって本人が言ってるんだ」

 

お見舞いに持参したスーのお店のラスクをむさぼりながら、ヒューイは不機嫌そうに言った。

なんとなく自分が入院した時に同じような事を言っていたような気がするが、きっと気のせいだろう。

 

「頭を殴られているのだから、慎重になった方がいいわよ。医者もテディーもそれを心配しているのだから」

「オレは石頭なんだよ」

 

まるで子供のような言い分に私はため息を吐いてラスクを一口食べた。

サクッと軽い生地に濃厚なバターが香り、まわりにまぶしてある砂糖が触感的にも味的にもいいアクセントになっており、思わずもう一口食べ勧めたくなる美味しさだ。

私がこれほどまでに忍耐強い女でなければ、ヒューイのように下品にむさぼり食べていたに違いない。

 

「とにかく、オレはこんな所でベッドで横になっているなんて性に合わないんだ」

「私ではなくて、医者とテディーに言う事ね」

 

船上での出来事はテロリストによる破壊活動の一環として、ドルファン国軍が調査をする事で一旦収束していた。

私はテロを未然に防いだ立役者として担ぎ上げられそうになったが、それは上手く回避してヒューイの手柄になるように仕向けた。

パーティーの参加者達は花火に注目していた事だし、私がワイン瓶の爆弾を海に投げた事実を知る者はほとんどいないと言っていいだろう。

強いて言えばオーリマン卿はターゲットにされた上に間近で起きた事だった為見ていた可能性はあるが、沈黙したまま特に何も言ってきていない。

 

 今日の早朝に寮の私の部屋に乗り込んで来たリンダは、止む無くパーティーが中止になってしまった事にだいぶご立腹のようだったが、オーリマン卿になんの被害もなかった事と、他の乗船客が無事だった事に安堵していた様子だった。

怒ったふりをして私の様子とヒューイの容態を聞きにきたのだから、案外可愛いところがある。

そして、事件に巻き込まれて怪我をする羽目になった当のヒューイだが、こちらも色々と勘づいている事はあるのだろうが、私に何かを聞いてくる事は無かった。

その代わりなのか珍しくわがままを言い続けるヒューイだが、回診に来た医師から今日一日様子を見て何事もなければ明日の午前に退院という診断を受けると、渋々了承したようでようやく文句を言わなくなった。

私はその様子を病室の隅の壁にもたれて観察していた。

 

「たまにはゆっくりと休んだら。あなた、何かと忙しそうだし」

 

私が言うと、彼はため息まじりに答えた。

 

「まあ、骨休めと思う事にするさ。せめて食事が美味ければありがたいんだけれどな」

「ここは病院よ。栄養バランスの取れた味気ない食事を楽しみなさい」

 

私の言葉に苦虫を噛み潰したような顔をしたヒューイの姿を見るのはなんとなく気分が良い。

もう少し彼をからかうのもいいが、つい十分ほど前から部屋の外にずっと立っていた気配が離れていくのを感じたので、私もそろそろ引き上げ時だ。

 

「私はこれで失礼するわ」

 

私が切り出すと、ヒューイは少しだけ寂しそうな顔を見せた。

 

「そうか。悪かったな、学校までサボらせて」

「べ、別にあなたの為に学校を抜け出したわけじゃないわ」

 

思いもよらないカウンターを受けてしまったが、気取られないよう極力いつも通りの素振りで病室を後にする。

そのまま裏口へとまわって、最短距離で正面入り口の前まで早足で歩く。

この病院には五日間ほど入院していたので、その間にありとあらゆる間取りは把握している。

このルートで行けば正攻法で正面へ回るよりもだいぶショートカットが出来る。

私は正面入り口の脇にある門柱に並んで立ち、先ほどの気配の人物を待った。

数十秒と待たずにその人物が足早に出てきて、私の姿を認めると驚きで足を止めた。

 

「……ライズ……さん」

 

昨夜と変わらず透明感のある美しい声で私の名を口にして立ち尽くしているのは、私とヒューイを助けてくれたアンだった。

 

 

 アンと私は病院を離れ、国立公園をぶらぶらと歩いていた。

アンは何も語らず黙って私の隣を歩いていたが、明確な拒絶反応があるわけでもなく、ただ黙って付いてくるという感じだった。

結局何も会話がないまま国立公園の名所の一つである、人魚を模した噴水が人気のトレンツの泉まで来てしまったので、いい加減私の方から言葉を振ってみる事にした。

 

「そういえば昨日のお礼がまだだったわね。危ないところを助けてもらって、感謝しているわ。ありがとう」

「いえ……そんな……」

 

アンは伏目がちに小さな声で答えた。こちらの方を見ず、噴水の水面を眺めている。

ヒューイを介抱していた時の積極性が嘘のような消極的な態度だ。

私は泉の縁に腰かけると、何の気なしにその水を手袋のままの手で掬った。

 

「ここの水は澄んでいるわね」

「はい……。……あの」

 

アンがおずおずとこちらを見た。

 

「あの、ヒューイさんは大丈夫でしょうか?」

「あなたも壁越しに声を聞いたと思うけれど、頭の傷も大した事はなさそうだし、心配いらないわ」

「そう……ですか。良かった……」

 

そう言って安堵のため息を漏らしたアンの瞳が涙で濡れていた。

私はそんなアンの整った横顔を眺めながら、違和感と不審感を覚えていた。

昨夜、アンはヒューイの事を一方的に知っていると言っていた。つまり、ヒューイは彼女を知らないという事で、それはつまり親しい関係では無いという事だ。

なのに今まさにアンはヒューイの無事を知って涙すら流しそうな受け止め方をしている。

明らかに過剰な反応ではないか。

私はわずかに鼻をすするアンにやや冷たく言った。

 

「あなたにとって、ヒューイは何なの?」

 

アンはその言葉に息を飲んだのが見て取れた。

そして、非常に長い間俯いていたが、やがて小さな声でポツリと言った。

 

「……憧れ、なんです」

「憧れ?」

 

アンは何かを覚悟したかのように頷くと、こちらを見て言った。

 

「少し、長いお話になりますが聞いていただけますか」

 

同意の印に頷いて見せると、アンは静かに語り始めた。

 

 

「私、好きな人がいたんです」

 

突拍子の無い切り出しに、私は若干驚いてしまった。

 

「好きな人……?」

「はい」

 

アンは頷いて遠くの空を見上げた。

 

「もう、どれくらい昔の事だか忘れてしまいましたが、その人の事は今でもはっきりと思い出すことが出来ます」

 

私は黙って聞いていたが、随分大袈裟な物言いだ、という感想を持っていた。

どれくらい昔も何も、二十歳そこそこの娘なのだから言うほど昔ではあるまい。

 

「あの日、私は港にいたんです。シーエアー地区のあの港です。世間知らずだった私はそこで悪漢に絡まれてしまい、途方に暮れていました」

 

頷きながら聞いていたが、若干の既視感のようなものを感じる。どこかで聞いたことのある気がする話だ。

 

「そんな私を助けてくれた人がいました。軍人さんで、とても強くて、悪漢達をあっという間に追い払ってしまいました」

 

アンの話を聞きながら、どこで聞いた話なのか記憶の糸を手繰るが、上手く思い出せない。

 

「きっと何かの運命だったんだと思います。その人と私が恋に落ちるのに時間はかかりませんでした」

 

アンは思い出をかみしめるように目を伏せた。

私は頷き、続きを促す。何かのピースが足りず思い出す事が出来ないが、重要な事ではないだろう。

 

「その人は強く優しい人でした。こんな私と結婚したい……って言ってくれて。私、本当に幸せでした」

 

アンの瞳に見る間に涙があふれていった。

 

「……新婚旅行に行く予定だったんです。彼は外国の出身だったから、その故郷に行くはずでした。思い出の港から船に乗り、多くの人に祝福されて出航しました」

 

アンの瞳から涙が零れ落ち、大粒の涙となって頬を伝っていった。

 

「あの日、私たちの乗った船は海難事故にあって沈みました。目の前で真っ暗な海に落ちていくあの人を、私、助ける事が出来なかった!」

 

静かに語っていたアンの声がわずかに大きくなり、冷たい熱を帯びていた。

とめどなく溢れる涙を流す瞳は、恐らく何も見ていない。きっと過去の悲惨な光景を見ているのだ。

 

「……気が付いたら私は海を漂っていました。あの人を助けられなかった無力な自分を呪い、激しい後悔の念を持って」

 

アンは指先で涙を拭った。

 

「それからどれくらいの時間が経ったのか、覚えていません……。でも、私の時間は再び動き始めました。あの思い出の港で、あの波止場であの日の私と同じように悪漢に絡まれていた少女を、瞬く間に追い払った彼を見た時に」

 

その言葉で、頭の中のパズルのピースが綺麗にはまるのを感じた。

そうだ。以前ソフィアとハンナがそんな話をしていたのだ。港でゴロツキに襲われていたソフィアを、あの東洋人傭兵が助けたのだ。

アンは胸の前で指を組んで、目を閉じて続けた。

 

「まるで私の時と同じで、胸が熱くなりました。その時、私は心の中で密かに誓いを立てました。この人を愛そう。もう二度とあんな後悔をしないように、と」

 

私はここまで黙って聞いていたが、つい反応してしまった。

 

「随分一方的な話しね」

「……そう、だと思います。迷惑ですよね、こんな見ず知らずの女に一方的に好意を寄せられるなんて」

「ヒューイがそれを迷惑だと感じるかどうかは知らないけれど、そんなに焦がれているなら、声をかけるなりすればいいのではないかしら」

 

再び俯いたアンは、小さな声で言った。

 

「私……勇気がないから……」

「少なくとも過去の後悔を引きずっているのなら、行動するべきだと思うけれど」

 

私は若干苛立ちながら言った。

壮絶な過去のトラウマがあるのだろうが、戦時中のこの時代ならばそんな話はごまんとある。

それに、自分でヒューイの名前を調べて病室に赴く行動力があるのならば、声をかければいい。

これは憶測だが、彼の性格ならばアンの事を無下に扱うような事はしないだろう。

私の言葉を聞いていたアンは、こちらを見て少し眩しそうに眼を細めた。

 

「ライズさんは、強いのですね」

「行動もしない自分にうんざりした経験があるだけよ」

 

アンは少し寂し気な様子で泉のモチーフとなったシーア神話の人魚(トレンツ)の像を見た。

 

「ライズさんが優しくて勇敢な人で良かった」

「え?」

 

なんの脈略もなく投げ込まれた言葉に、思わず聞き返してしまった。

だがアンはトレンツ像を眺めたまま続けた。

 

「私、見ていました。ライズさんが船で使用人の恰好をした人に殴られそうになった時、ヒューイさんは何の躊躇もなくあなたを庇ったところを。そして、海に落ちてしまった彼をあなたが一瞬の迷いも見せずに飛び込んで助けに向かった所を」

 

アンはあの時、船に乗っていたのだろうか。そんな疑問が浮かぶが、アンは話を続けた。

 

「正直に言って、悔しかったです。私に出来なかった事を、お二人はやってのけた。……だから」

 

アンがトレンツ像からこちらに視線を移し、私の目をまっすぐに見つめた。

 

「私はお二人をどうしても助けたかったんです。あの日の私が助ける事が出来なかった、あの人の代わりに」

 

私は黙ってアンの視線を受け止めていた。

その目はどこか寂し気で悲しそうだが、ほんの少しの諦めと柔らかな優しさとが同居したような目だった。

 

「ごめんなさい。勝手にそんな気持ちを押し付けて」

「謝る事はないわ。あなたがいなかったら、私一人ではヒューイを助ける事は出来なかったと思う」

 

アンは黙って首を振った。

 

「そんな……。でも、海で必死に彼を助けようとするライズさんの姿を見て、何とかしたかったんです。あの時の気持ちを繰り返したくなかったから」

「少なくとも、ヒューイはあなたのおかげで無事だった。彼だって命の恩人であるあなたに感謝の気持ちくらい伝えたいはずよ。私が紹介してあげるから、一緒に病院へ行きましょう」

 

私の言葉にアンは驚いたように顔を上げた。

 

「え……どうして、ですか」

 

私はアンの反応に逆に驚いてしまった。

 

「どうして、も何も。ヒューイと知り合いたいのでしょう?」

「だって……ライズさん、は……」

 

申し訳なさそうに目をそらすアンに、私は彼女が戸惑っている理由がなんとなくわかった。

そうか。彼女もまたあの不思議な女性のノエルのように、私とヒューイの関係を誤解しているのだ。

私は傭兵だ。誇り高きヴァルファバラハリアン八騎将の一人、隠密のサリシュアンなのだ。

どんなにあの東洋人傭兵とお互いの理解がすすんだとしても、私と彼は敵同士だという事実は絶対的に変わらない。

私と彼の気持ちが交じり合う事は絶対に起こらない。

それは傭兵として生きる者の、血の宿命なのだから。

だとすれば、私はヒューイに好意を寄せている人がいるのならばその人の背中を押してあげたい。

 

今のところ彼に好意を寄せていると思しき人物は、私にとっても好ましいと思える人物ばかりだ。

その中の誰かとヒューイが幸せになれるのならば、それはそれで良い事になるのではないだろうか。

彼は死と隣り合わせの仕事をしているが、彼ほどの実力者であればおいそれと死ぬ事もあるまい。

この国で聖騎士を賜り傭兵生活から脱却する未来だってあるかもしれない。

その時に、彼の隣に彼を支えてくれる誰かがいるのならば、それはきっと彼にとって幸せな事なのだろう。

私はため息を吐いて、アンに柔らかな声で語りかけた。

 

「私とヒューイは一種の仲間のようなものだけれど、あなたの思うような関係ではないわ。余計な心配をしないで、どうやって声をかけるか考えておきなさい」

 

アンは何か言いたそうだったが、やがて静かに頷いた。

私はその様子を見て言った。

 

「じゃあ、行きましょう」

 

 

 その後、病院に戻った私はヒューイにアンを紹介した。

熱烈に感謝の意を伝えるヒューイに対して、アンは真っ赤な顔で終始恐縮するばかりだったが、友達になるという事で話がついたようだった。

私はそんな二人のやり取りを見届けると、挨拶はせずに病室を後にした。

これでいい。後は二人の問題で、私が関与する話ではない。

私は隠密のサリシュアン。血の宿命に従い、この国に復讐する事だけを考えればいい。

だから、胃の上のあたりに感じるこの重いしこりのような想いは、復讐の重圧に違いない。

 

 

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