小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
プリムの祖母が亡くなった翌週、国立図書館で『例の手記』の一般公開が始まった。
手記は『ローズバンク手記』というタイトルがつけられ、レイス・ローズバンク著として公表されたのだが、異変はすぐに起こった。
一般公開されるや否や誰の目にも触れる前に、ドルファン王室議会から手記に記載されている内容が王室の公式見解の歴史より、著しく誤った内容を記載しているという旨での公開差し止め要請が提出されて、審査対象となってしまった為一般人の閲覧が一切出来なくなってしまった。
そんな強硬策を取られてしまえば、その手記の内容を知りたいと思うのは人の常だし、王室議会がそこまで躍起になって隠そうとする中身も気になる。
私はローズバンク手記の内容を確認する為、深夜の国立図書館へ忍び込む事にした。
今年の初めにも忍び込んだことのある図書館なので、すでに潜入ルートは確保しているし熟知している。
前回の潜入は図書館の休館期間中だったので守衛などはいなかったが、今回は通常開館期間中という事で深夜とは言え守衛が見回りを実施しているだろう。
だがそれは私にとって大した問題ではない。要は見つからなければいいだけで、そもそも夜中に図書館に忍び込もうなんていう輩は滅多に現れるものではないので、守衛たちの警備も緊張感に欠けたおざなりな物だ。
簡単に図書館に忍び込む事に成功し、あらかじめ目星をつけていた部屋に行くとドアに鍵が掛けられていたが、これをミーヒルビス直伝の開錠術を使って開ける。
今日はこういった事態をあらかじめ想定していたので、ヘアピンだけでなくちゃんとしたピッキングツールを持参している。
鍵はさしたる苦労もなく開けられたので、音もなく部屋の中に忍び込むと内側から鍵を閉めた。
この部屋には窓が無いためほぼ真っ暗だが、こういう時の為に持参した小型のランプに火を灯して部屋の中を観察する。
部屋の大きさは私の学園寮の部屋と同じくらいの狭さで、中央に比較的大きな飾りのない机と椅子が鎮座しており、奥の壁も左右の壁も天井までの本棚となっていて様々な蔵書がやや乱暴に突き刺さっていた。
机の上にランプを置いて目当ての本を探す準備をしようとすると、その机の真ん中にやけに厳重な錠前のかけられた木箱が置いてあった。
鍵穴に器具を差し込み少しの間開錠を試みる。流石にドアよりは時間がかかったが、やがて錠前はカチリと音を立てて開いた。
その箱の中には簡素な装丁の本が入っており、表紙をめくってみると『ローズバンク手記』と手書きで書かれていた。
私は座り心地の悪い椅子に腰かけると、弱弱しいランプの光を頼りにその手記のページをめくった。
その手記はプリムの祖母であるレイス・ローズバンクの、王宮の侍女として仕えた記録であった。
それほど厚い本ではないので二時間程度で全部読めてしまったが、読み終えた私は言い知れぬ気持ちでわずかに手が震えていた。
結論から言うとレイス・ローズバンクは、私の父であるデュノス・ヴォルフガリオ、いや、ドルファンを追われる前の話なのでデュノス・ドルファン王子の専属侍女だった。
幼少時より才覚に恵まれた父をレイスはまるで自分の子供のように可愛がっており、父もまたレイスに厚い信頼を置いていたようだ。もっとも、その信頼を置かれていたかどうかは本人の弁なのでいささか信頼性には欠ける所だが、一旦は信用するとしよう。
手記の前半はいかにデュノス少年が優れているか、愛情深く部下に分け隔てがなく、純粋で勉学や剣術にも熱心な、将来の王の器としてこれ以上ない人材である事が、側近の侍女ならではの目線と愛情深い文章で記されていた。
私は父が幼かった時の事を知る機会などほとんどなかったので、非常に興味深くそれを読んだ。
しかし、中盤から手記の内容は一変していく。
ある日、夜の王宮内をデュノス公と双子の弟デュラン公が連れだって歩いていた時、廊下の灯り用に燭台に刺さっていた松明が二人に向かって突如として崩れ落ちた。
弟を庇った兄デュノスは顔の右半分に至る程の大きな火傷を負ってしまう。
命こそ助かったが、王族たるものが顔半分に醜い火傷の痕を持っているなど、国民にも、諸外国にも全く示しがつかないと考えた旧家の両翼を主体に、デュノス公がドルファン王室議会から命を狙われるようになる様子がそこには生生しく書かれていた。
もっともその背景にあるのは、優秀すぎるデュノス公が王位に就いた場合、王室議会の中で旧家の両翼の立場が弱くなる事を危惧したピクシス家の陰謀が蠢いている事とレイスは指摘しているが、これはその当時の見解ではなく後年に自身が経験した事を踏まえて書き加えた見解のようだ。
暗殺を企てられたデュノス公は食事に毒を盛られたり、療養地で暗殺者を仕向けられたりする中、レイスや側近のキリング・ミーヒルビスが命を懸けてその脅威から守った記録があった。
最終的にドルファンに居続ける事は死と隣り合わせである事と、顔の傷がある限り主君の座に就く事は絶望的であることから、王家の身分を捨てて奔放する事を選んだ父とミーヒルビス、レイスは王室議会の中でデュノス公を支持していたゼノス・ベルシス卿の手引きで、彼の統治するダナンに逃げ延びてしばらく滞在したとある。
ダナン滞在中に刺客の刃から父を守った事で、ミーヒルビスの目が後に光を失うきっかけとなった事も書かれていた。
ダナンで怪我の療養やこれからの行き先などを協議した結果、父とミーヒルビスはスィーズランドを目指したようだが、レイスに関しては身の危険を案じたデュノス公の判断でドルファンへと帰されたと書かれている。
後半はドルファンへと帰ったレイスの恨み節が書かれていた。
王城に戻ったレイスはデュノス公に生涯奉仕する事を宣言したが、王宮内でどんどん閑職へと追いやられていったり、彼女自身が暗殺の危機に何度も遭遇する事の恐怖だったり、デュノス公が生きて国を脱出した事を王室議会が隠蔽して、公はすでに亡くなったものとしている事に対する弾劾だったり。
旧家の両翼によって操作されたドルファンの公式記録では、デュノス・ドルファン公は弟を庇った際に負った怪我が原因で死んだ事になっている。
それはドルファンに生きる人達にとって〝一般常識〟であり、誰もが知っている〝普遍の歴史〟だ。
実際にはデュノス公は生き残ったわけだが、それを知る者は一部の王室議会メンバーと、弟のデュラン、ゼノス・ベルシス卿、当事者であるデュノス公とミーヒルビス、そしてこの手記の著者であるレイス・ローズバンクのみという事になる。
しかし、私にとってはこの本の内容こそ〝一般常識〟であり、〝普遍の歴史〟であり、私がこの国に潜入する理由でもあるわけだが、それはドルファンの人々にとって、〝異常な見解〟で〝都合の良い歴史改竄〟となって、この手記の存在自体も、頭のおかしい元王室の侍女の妄想話程度に受け取られかねないだろう。
この手記は左派の反体制主義連中にはこの上なく使いやすそうなアイテムだが、公式の歴史を根本から覆す可能性を秘めるこの本を、王室議会、とりわけ旧家の両翼が黙って見過ごす事はないという事だし、だからこそこの早さでの公開中止要請したのだ。この手記の存在と、レイス・ローズバンクという侍女の存在を正史という歴史の闇に葬る為に。
深く長いため息を吐いて本を箱に戻そうとした時、最後のページの隅に走り書きで書かれた文字を見つけた。
レイスが書きなぐったであろう文字は、乱暴だがしっかりとした筆跡で書きつけられていた。
『この手記が敬愛するデュノス様の名誉を守る事を願って。そして、愛しき双子アリッサとメリッサに捧ぐ』
「メリッサ……」
突然現れた良く知った名前に、思わず声を発してしまった。
メリッサは、私の母の名前だ。
ここに書かれたメリッサというのが母の事を指しているのかはわからないが、この手記が父の半生を描いている事を考えれば、それは必然的に母の事を指しているのだろう。
偶然同じ名前の人物とするには、あまりにも短絡的すぎる。
だが、手記の内容にメリッサなる人物が登場した事は無かったし、私を産んだ後、私が五歳になる前に病で亡くなった母が双子だったという話は聞いた事がない。
「アリッサとメリッサ……」
もう一度その名前を呟いた時、廊下を歩く足音が聞こえてきた。
守衛の見回りの時間だ。
手元の懐中時計で時間を確認すると、夜中の三時を回ったところだった。
思わぬ長居をしてしまったし、夏の夜明けは早い。夜闇に紛れて行動するなら撤収の頃合いだ。
母の名前の事は一旦考えない事として、手記を箱の中に元通りに戻していった。
ローズバンク手記の公開をめぐる出来事は意外と大っぴらに世間に取り上げられており、ウィークリートピックスに記事が載る程であった。
記事には幼少で亡くなったデュノス公の元侍従だった故レイス・ローズバンクがこの手記の筆者という事まで書いてあるので、これはテラ・ヴァネッサが積極的に情報をリークしているからと思われる。
だが、だからと言って国家権力に抗えるはずもなく、ローズバンク手記は旧家の両翼の思惑通り公開中止となり発禁本として指定されてしまっていた。
これに対しテラ・ヴァネッサはレイス・ローズバンクの肖像画を掲げての抗議の集会を行い王室議会への非難を行ったが、その効果も空しく、集会は特になんの成果も上げられずに終わって行った。
しかし、仮にあの手記が世間に公表されたとしても、ドルファンの現体制に大きな揺さぶりをかけるような事にはならなかっただろう。
ドルファンの人々にしてみれば、デュノス公が幼少時に亡くなり、デュラン公が王位に上ったのは当たり前の歴史であるし、所詮は王宮内の話だ。自分たちの生活に直接関係しない王室内の出来事にどれほどの人が興味を示すのだろうか。
事実、発禁処分に抗議しているのはテラ・ヴァネッサだけで、本来同じ左派反体制主義のアウル・ヴァネッサですら抗議活動には賛同していなかった。
歴史と言うものはこうして改竄され、闇に葬られていくのだという顕著な例になってしまったローズバンク手記だが、私はそれの公開を試みた事自体は誤りであったとは思わない。
何故なら、デュノス・ドルファンは今も生きているし、その娘という生き証人がここにいるからだ。
ローズバンク手記は闇に葬られても、その本があったという事実が重要であり、父がドルファンへの復讐を果たした暁には発禁処分を解除して広く世に公表すればいい。
その時こそ世間はドルファンの本当の王の存在に気づくだろうし、偽りだらけの〝普遍の歴史〟を押し付けていた王室議会とこの国に対して反旗を翻す事になるだろう。
それに、個人的にはあの手記を読めた事は良かったと思っている。
数少ない父の理解者がいた事が嬉しかったし、スィーズランドに渡る前の父の様子を知れたことはとても貴重な経験になった。
出来ればレイス・ローズバンクが生きているうちに一言でも話ができれば良かったのだが。
そんな事を考えていると、不意に部屋の扉をノックする音が聞こえた。
夏休みに入った学園寮は帰省する生徒が大半でほとんど人がいないし、私の部屋に来客がある事などほぼあり得ない。
私は護身用のナイフを確認してから「はい」と声を投げた。
すると、すぐに若い女の声が返ってきた。
「あ、ライズさん。私です、プリム・ローズバンクです」
「プリム」
思わぬ来客に少し驚いたが、私を殺しに来た暗殺者や逮捕する為の警備班でない事は確かだ。
それとわかっているが慎重にドアを開けると、私服姿のプリムが立っていた。
大分疲れた様子で顔に生気がないが、少し隈が浮かんでいるもののその目が強い意志の力を秘めているように見える。
プリムはドアの向こうに立ったまま、小さな紙袋を差し出した。
「ライズさん、先日はご迷惑をおかけしてすみませんでした。これ、お借りしていたハンカチです」
そう言えばあの日、涙に暮れるプリムにハンカチを貸していた。
「わざわざありがとう。いつでも良かったのに。またプリシラに呼び出されたりするだろうから、その時にでも渡してくれれば……」
紙袋を受け取りながら言うと、プリムは左右に首を振った。
「いいえ、もう渡せなくなってしまうかもしれませんので」
大した内容ではないはずなのに、プリムの言葉には重たい響きがあった。
祖母を失った悲しみがまだ心に影を落としているのだろうか。
そう考えながら、ふと今の言葉が引っ掛かった。危うく聞き流してしまうところだったが、『もう渡せなくなるかもしれない』と言わなかったか。
「プリム、あなた──」
言いかけた私の言葉を遮るようにプリムがやや強い口調で早口に言った。
「ライズさん、本当にありがとうございました。一緒に病院へ行っていただき、とても心強かったし嬉しかったです。それでは、失礼します」
言い切ったプリムは深々と頭を下げると、こちらも見ずに廊下を足早に歩いて行ってしまった。
私はその背中を見つめつつも、言い知れぬ嫌な予感を感じていた。