小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
十二月のある土曜の夜。その日は珍しく朝から雨が降っていた。
プロキアとシンラギククルフォンの不穏なやり取りについてはすでに本隊に伝わったはずだ。
だからと言って国境都市ダナンにいるヴァルファバラハリアンはそこから動く事も出来ず、戦況が有利になるわけでもない。
唯一出来ることは、シンラギが合流する前にプロキアもしくはドルファンに攻撃を仕掛けるくらいか。
私は潜入捜査を指示されているのだから少しでも多くの情報を本体に伝えればいいのだ。
頭ではわかっているのだがドルファンに潜入してからというものヴァルファの役に立てているという実感が全くなく、無力感に打ちひしがれる事が多くなっていた。
すっかり気分が暗くなってしまった。
気分転換もかねて土曜の夜恒例のウィークリートピックスの記事の流し読みを始めた。
大半は新しいブティックがオープンしただの、燐光石の価格が上昇しただの、くだらない記事ばかりだったが最終面に面白い記事を見つけた。
内容はサーカスのテントからホワイトタイガー等の猛獣が逃げ出したが、居合わせた東洋人傭兵らの活躍により怪我人は出なかった、と。
居合わせた東洋人傭兵。
紙面のすみに目撃者のコメントが載っていた。
ホワイトタイガーを子猫のようにあしらい、瞬く間に捕縛に成功したとの事だ。
その横に名前は伏せてあったが剣術大会三位入賞の実力者と書いてあった。
なにかと話題になる男だ。
それ以上は特に目新しく有益な記事は無かった。
明日は日曜だし街に出かけて市井の状況を確認しに行かなければ。
私はランプを吹き消し、雨音に包まれながらベッドにもぐりこんだ。
そこで初めて手袋を取ると眠りについた。
次の日はすっきりと晴れ間が広がり気持ちの良い日曜だった。
冬の低いが鋭い日差しが冷たい空気を裂くように差し込み、気分が軽くなる。
私は紺のロングコートに赤いベレー帽という完璧な身なりで歩いていた。
最近暗い気分の時が多くこんなに気分の良いのは久しぶりだったので、馬車を使わずにセリナリバー駅からキャラウェイ通りまで歩く事にする。
しばらく歩くと前方に知っている後姿を見つけた。
黒い髪に青いコート。くつろいで散歩を楽しんでいるように見えてもその背中には一切隙が無かった。
まるで背中に目があるように。
私は足早に追いつくと、声をかけた。
「奇遇ね」
彼、ヒューイ・キサラギはゆっくりと振り向いた。
「よう、ライズ。久しぶりだな」
ヒューイはいつもと変わらぬ笑顔で私を見た。
頬にまだ新しい三本の引っ掻き傷があった。
「あら、その頬はどうしたのかしら」
「言う事を聞かない白猫を躾てきたんだ」
「そう。あなたにホワイトタイガーの調教ができるなんて思っても見なかったわ」
彼はニヤリと笑った。
「耳が早いな」
「ウィークリートピックスに載っていたわ。あなた、読んでないの?」
「興味がないものでね」
彼はいかにも興味がないと言った様子で軽く首を振った。
「そうだ、ここで会ったのもなにかの縁だ。どこか行かないか」
「何処へ」
「そうだな、ロムロ坂の喫茶店でお茶でもしようか」
先日のリン・コーユーの例もある。
何か新しい情報が引き出せるかもしれない。
「構わないわ」
「それじゃ、行こう」
私たちは馬車に乗るためにセリナリバー駅へ向かった。
ロムロ坂はいつ訪れても静かで落ち着いた雰囲気で、案外嫌いではない。
ここはキャラウェイ通りや城東大通りとは違いガヤガヤと人が多くないし、画廊やアンティークショップなども軒を連ねている。
坂を下りきったところにやはり落ち着いた雰囲気の喫茶店があり、私たちはそこに入った。
オープンテラスをさけて店内の席に座ったが若いカップルが何組かテラスにいた。
確かに店の中は薪ストーブが焚かれ暖かく少し暑さを感じるほどではあるが、外でかじかんだ手でコーヒーを飲むのはバカらしい。
私はコートを脱ぎ脇にあるコートハンガーにマフラーと一緒に掛けた。
外ならその必要がない。
だが脱いだからといって私の完璧な身なりは揺るがない。
そうか。外の人々はコートを脱ぐと身なりが崩れるのだ。
向かいの席に座ったヒューイはコートを脱いでも身なりは崩れていなかった。
「あなたは何にするの」
「そうだな」
彼は置いてあるメニューに軽く目を通した。
私も見た。
ブレンドコーヒー、数種類の紅茶、果物のジュース、軽食やマニュ、パフェといった甘味。
「さっきまでコーヒーにしようと思っていたが、店の中が暑いのでやめた。オレは天然水にする」
意外にも私も同じ考えだった。
「私もそれにするわ」
注文を済ませ私たちはしばらく外を眺めていた。
ウェイトレスがテーブルに品物を置いてから伝票を伏せて置いた。
彼が水を一口飲んだ。
私も飲んだ。
冷たく硬い水が喉を駆け抜け、体に染み渡るのを感じた。
外のテラスで一組のカップルが一つの飲み物にストローを二つ挿して分け合って飲んでいる。
そして楽しげな笑い声を上げていた。
「平和ね。戦争中だというのに」
「そうだな。だが、それでいいと思う」
私は外から視線を移して、彼を見た。
「戦争がなくなればいいと思う?」
彼は外を見たまま答えた。
「さあな。戦争がなくなれば職がなくなる。そうすればまた新しい戦場に赴くだけさ」
「そうね。馬鹿げた話ね」
「そうだな」
彼は私を見てフッと微笑んだ。
私は黙って水の入ったグラスを両手で持っていた。
「ライズは戦争が早く終わればいいか?」
私はしばらく答えなかった。
「どうかしらね」
この戦争が終わるとき。そんな時がいつか来るのだろうか。
雇い主もいない今の状況でヴァルファがダナンを撤退しないのは、なぜだろうか。
父が憎きドルファンに復讐を果たす日がくるのだろうか。
その時、ヴァルファはどうなっているのか。
傭兵としてずっと戦い続けられるならそれも一つの生き方だ。
氷が一つ、グラスの中で音を立てて踊った。
戦争がなくなれば、職がなくなる。
「傭兵にとって戦う理由なんて、いらないのかもしれないわね」
私は自分でも聞き取れないほどの声でつぶやいた。
「なにか言ったか」
「いいえ。もう出ましょう」
そう言って席を立つ。
あのカップルはまだ楽しげに声をあげていた。
店を出るとコートを着ているとはいえ少し寒く感じた。
だが、すぐに慣れるだろう。
「並木道でも散歩しながら帰ろう」
彼が言ったので私は同意の印にうなずいた。
ロムロ坂のすぐ近くにポプラの並木道がある。
私たちはそこを並んで歩いた。
並んでみると彼は私より頭一つ分背が高い。
私は背が低い方ではないが彼が特別高いわけでもない。
しかし東洋人は背が低いと文献で読んだ事があるし、彼は東洋では高いのかもしれない。
十二月の並木道は人通りも少なく裸の木々がどこか寂しげだ。
北風が強く吹き抜けて私は帽子を手で押さえた。
寒さは感じなかった。
「この国の冬は結構暖かいのね。それとも、あなたにとっては寒いのかしら」
私はヒューイを見上げた。
彼が私をちらっと見て笑った。
「そうでもないな。オレみたいな仕事をしていると、寒さとかには疎くなってしまうのでな」
「寒さには強そうね。それでこそプロだわ」
そう言って私は自分が微笑んでいるのに気が付いた。
「ーーっ!?」
はっとして、彼から顔をそむけた。
微笑んだのなんていつぶりだろう。
ドルファンに来てからは初めてかもしれない。
なぜ微笑んでしまったのか。
とにかく、彼が私と同じプロだった事で嬉しくなってしまった。
いいや、そんなことはない。
では何故。
ドルファンに来て以来常に任務中の私は笑うことなどない。
戦場で命を賭けている仲間たちのためにも私がここで笑っていていいわけがない。
そんな浮ついた気持ちで私の任務が果たせるはずがないではないか。
だが、今、この瞬間に私は一瞬の安らぎを感じてしまった。
敵国傭兵であり八騎将のネクセラリアを殺した相手に。
きっと彼が普段からよく笑うので私もつられてしまったのだ。
そうに違いない。
私たちはその後ほとんど言葉を交わさなかった。
私は喋りたくなかった。
彼との会話に安らぎなど求めたくなかった。
気が付けばサウスドルファン駅についていた。
ここから私はフェンネル駅に。ヒューイはシーエアー駅に行かなければばらない。
別れ際に、ヒューイが言った。
「ライズは微笑っている時のほうが可愛いな。それじゃ、またな」
彼は乗り合い馬車に乗り込んで、消えた。
私は自分が赤面しているのがわかった。
赤面したのも、ドルファンに来て初めてだった。