小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
囚人服姿のプリムは虚ろな顔でこちらへ振り返り、私の姿を認めるなり立ち上がり鉄格子にしがみついた。
「ライズさん! どうしてこんな所に!?」
私は鍵束の鍵を一つずつ鉄格子の鍵穴へ差し込む。三つ目の鍵で鉄格子が開いた。
「詳しい説明は後よ。とりあえずこれに着替えて」
持ってきたシルクの布に隠していたメイド服一式を取り出し、プリムに押し付ける。
「脱獄しろ、という事ですか」
プリムは緊張感をまとった声で言った。
「そうよ」
私が答えると、プリムは激しく首を振った。
「駄目です! 私はデュノス様と祖母の名誉の為にここにいるんです。私が脱獄したら、その名誉を訴える人がいなくなります!」
いつ衛兵が息を吹き返すか、外のプリシラの時間稼ぎがいつまでもつのか、という事もあり私は若干苛立っていた。
「今はそのタイミングではないわ。あなたが殺されれば、その事実を知る者がいなくなる」
「殺される? 誰が私なんかを殺すと」
「あなたもおばあ様の手記を読んだのでしょう! あなたの最も忌み嫌う権力者達なら、その事実を知るあなた自身を歴史の闇に葬るなんて簡単な事よ。それこそ、デュノス公とおばあ様のように!」
私の言葉に衝撃を受けたように、プリムは鉄格子を持ったまま膝から崩れ落ちた。
「……そんな。じゃあ、一体何のために私は……」
喉の奥から絞り出したような声とともに、プリムの目から涙が溢れた。
私は膝を折って座り、プリムの高さに目線を合わせて鉄格子越しに声をかけた。
「生きなさい、プリム・ローズバンク」
プリムが涙で濡れた顔を上げてこちらを見る。
「あなたは正しい歴史を知る者として、それを証明できる者として、生き続けなければいけない。レイス・ローズバンクの無念を晴らしたいのでしょう。ここで旧家の両翼の思惑通りに消されてしまえば、もう二度とレイスの無念は晴らせなくなってしまうわ。生きて、機会を探す事こそ唯一レイスの無念を晴らす為の道よ」
「ライズ……さん。あなたは……」
「言いたい事や聞きたい事があると思うけれど、今は一刻を争うわ。急いで!」
プリムは何かを振り切るように頷くと、囚人服を脱ぎ捨てていつものメイド服姿へと急いで着替え始めた。
その間に私は気を失っている衛兵をプリムが幽閉されていた牢屋の中へと引き摺って運び入れ、着替えを終えたプリムと入れ替えに鉄格子に鍵を閉めた。
鍵束を空いている別の牢獄に投げ捨てると、プリムの手を取って入り口への階段を上る。
階段を上り切った所で扉に耳を当てて外の様子を伺うと、プリシラの甲高い声が聞こえた。
「何やっているのよ! 捕まえられなかったらクビにするわよ!」
かなりの三文芝居っぷりの力技だが、まだ入り口を警備する衛兵を引き付けてくれているようだ。
ドアを少し開けてみると少し離れた所で立ち尽くしているプリシラと、衛兵がその周りをドタバタと走っているのが見えた。
私とプリムはその隙に静かにドアの外に出て、何事もなかったのようにプリシラに近づいて行った。
「プリシラ様、そろそろお時間になります」
私が声をかけると、プリシラは一瞬こちらを助けを求めるようなうんざりした顔で見つつ、王女らしく言葉を放った。
「あら、もうそんな時間? 私は戻りますが、鼠は必ず捕まえるように。私の居城に鼠がいるなんて許せませんので」
「は、はい……」
疲れ果てた顔の衛兵が不承不承返事をするのを横目に、プリシラは颯爽と私たちの前を歩き出した。
「もう、存在しない鼠との追いかけっこなんて金輪際ごめんだわ!」
プリシラが文句を言いながら先頭を進む。
「あなたが考えた完璧な計画の一環なのだけれど」
「世の中に完璧なものなんてないの!」
プリシラはぼやきながらも毎回城を抜け出す為に培った経験を最大限に活用し、衛兵の死角から死角へ、目立たない場所から場所へ的確に移動しながら城からの脱出ルートを先導してくれていた。
私とプリムはメイド服のままその後に続いていく。
こんな事で自身の脱出癖が役に立つなど本人ですら夢にも思わなかっただろうが、プリシラが日頃城を抜け出てくれている事に感謝すらしたい心境だ。
迷宮のような王城の廊下を抜け、私たちは城壁の上へと続く塔に忍び込む事に成功した。
照明のない薄暗い螺旋階段を、所々に開いた明かり取りの窓からの消え入りそうな僅かな西日の光を頼りに上っていく。
そして城壁の上へと続く扉の前でプリシラは立ち止まり、こちらを振り返らずに言った。
「私が案内してあげられるのはここまで。ここから先はライズならわかるよね」
以前この道のりでプリシラと城内に忍び込んだ事があるし、何度となく私が一人でここまで来た事もある道だ。
「大丈夫よ」
私が言うと、プリシラようやく振り向いた。
そして王女らしい凛とした声で言った。
「プリム」
プリシラに名前を呼ばれ、それまで黙ってついて来ていたプリムの体がピクリと反応した。
「……プリシラ、様……」
プリムはおずおずと顔を上げた。
「あなたには本当に世話になりました。おばあ様の手記の事については、残念だったとしか言いようがないわ。何も力になってあげられなくてごめんね」
プリシラの言葉に、プリムは自分の感情をどう表現して良いのかわからないようで、わずかに肩を震わせていた。
そんなプリムに対し、プリシラは王女の口調ではなくいつもの素のプリシラの口調で言葉を続けた。
「多分これで最後だろうからさ。言いたいことがあれば言っておけば? どうせもう主従関係も無くなるんだし。まあでも、わたしのような素晴らしい王女の侍女として勤められた事は、間違いなく誉れな事よね! なんなら泣いて感謝してくれてもいいわよ」
プリムは一瞬呆気に取られていただが、わなわなと震える手を力いっぱいに握って言った。
「……好き勝手ばっかり言ってるんじゃないわよ! このじゃじゃ馬王女!」
突然の大声に、プリシラはもちろん私も驚いてしまった。
だがプリムは勢いもそのままに続けた。
「さんざんわがままばかり言って、馬鹿じゃないの!? あんたのおかげでどれだけ苦労した事か! あんた達がしっかりしていないから、おばあちゃんが……! デュノス様が! あんたの事なんて大っ嫌いなのに……!」
そう叫びながらプリムの目から大粒の涙がボロボロと零れた。
「なんで私みたいなダメなメイドを助けてくれるんですか……! 文句ばっかりで、あんた達王族を告発しようとしている私なんかを……!!」
後半のセリフは嗚咽交じりで消え入りそうだったが、プリムはなんとか喋り切って服の袖で涙を拭った。
それを見ていたプリシラは、驚きの表情だったがやがて優しく微笑んだ。
「ねえ、プリム。あなたは私の事が嫌いだったかもしれないけれど、わたしはあなたの事、好きよ」
その口調はまるで母親が子供をあやすような口調だったが、プリシラは言葉を続けた。
「わたしはあなたの言う通りのじゃじゃ馬だし、わがままだし、自分勝手だけれど、そう言った素の部分を見せられる相手って限られているのよ。だって……私は王女だもの」
プリシラの言葉とプリムの嗚咽だけが静かな塔の中に響く。
「あなたにとって私は憎むべき一族の女だったのだろうけれど、わたしはあなたの事をただの王女と侍女ではなくて、年の近い〝友達〟だと勝手に思っちゃってたんだ。ごめんね、プリム」
プリシラは涙をこらえて俯くプリムを柔らかく抱きしめた。
「友達だから、助けたいと思っただけ。もう会えないかもしれないけれど、元気でね」
プリシラの本当の気持ちは当人にしかわからない。
少なくとも私には、プリムを助ける理由をこれ以上ドルファンの歴史の闇に飲まれて散っていく命を見たくないからと説明していたし、それは本音だと思っている。
だが、今、プリシラが言った言葉は建前には聞こえなかった。
恐らく私に言った事もプリムに言った事も、どちらも彼女の本心なのだろう。
彼女もまた、ただの娘と偽物の王女という誰にも理解できない二面性を行き来している中で、年が近くてある意味二面性を持ったプリムに特別な感情を持っていたのかもしれない。
プリムはしばらくプリシラに抱かれるまま動かなかった。
このままいつまでもそうさせてあげたい気持ちもあるが、今は一刻も早くここを離れる方がいい。
私は冷静な声で言った。
「あまり時間がないわ。行きましょう」
城壁へと続く扉を開けて外を伺い、誰もいないのを確認してから私が先に外に出る。
プリシラはそんな私を見てプリムをそっと離し、私の方へ押し出す。
そして静かだが確固たる強い言葉で言った。
「ライズ、後の事は頼んだわよ」
私は黙って頷き、プリムの手を取る。
「行くわよ」
俯いたままのプリムを強引に外に引っ張り出し、空いている手でドアを閉めようとした時、プリムがわずかに小さな声でプリシラに向けて言った。
「お元気、で……」
その言葉がプリシラに聞こえたかどうかわからないが、ドアが閉じて私たちは城壁の上で夜風に晒される状況となった。
「さあ、行くわよ。ついてこれるわね?」
私の言葉にプリムは涙を拭って頷いた。
そこからはなるべく身を屈めつつ城の裏手まで城壁の上を走り、プリシラが抜け出すのに使う大きな木まで急いだ。
メイド服で動きづらいが、プリムに手を貸しつつ大木を木登りの要領で降りると、少し先に停まっている馬車に駆け寄る。
御者台に声をかける事もせずに客車のドアを開けてプリムを先に押し込んで、私も乗り込む。
客車の中は小さな燐光灯のランプが天井にぶら下がっており、書き物をするには薄暗いが、お互いの顔くらいは十分に確認できる。
御者台に向けて窓を三回ノックする。少し間をおいてから再度四回ノックすると、馬車がゆっくりと動きだした。
それと同時に私はあらかじめ座席に置いてあった袋から女性ものの服を取り出すと、プリムに押し付ける。
「これに着替えて」
言いながら別の袋から自分用の服を取り出し、私はメイド服を脱ぎに取り掛かった。
ただでさえ狭い馬車の客車の中だ。二人で着替えるには十分なスペースが確保できるわけではないが、状況が状況なのだから我慢するしかない。
私が背中で留めてあるボタンと格闘していると、プリムが受け取った服を胸に抱えながら、戸惑いの表情で言った。
「ライズさん……あなたは、一体何者なんですか? どうして私を……助けてくれるんですか?」
私はようやくボタンが外れて、メイド服を脱ぐことが出来た。
そうして露出した私の裸の上半身を見て、プリムが息を飲んだ。
明らかに私の胸の辺りにある無数の傷痕を見て驚いている様子だった。
私は私服に袖を通しながら、静かに答えた。
「今見た通り、私はただの町娘、というわけではないわ」
三つ編みを首元から出し、いつものように前に垂らす。
「あなたにはこのままダナンへ向かってもらう。ダナンに着いたら、この手紙を持って領主のゼノス・ベルシス卿の屋敷に行きなさい」
未だ戸惑い顔で固まっているプリムに封書を渡す。
プリムは受け取ったものの、より困った顔する。
「その手紙を見せれば、ベルシス卿はきっと力になってくれるわ。そして、ほとぼりが冷めたらスィーズランドを目指しなさい」
言いながらもう一通の封書を渡す。
「スィーズランドに着いたらその手紙の中に書いてある住所を訪ねて。着いたらわかるようにしておくから安心していいわ」
指定した住所は、私の故郷の屋敷だ。
久しく帰っていない我が家だが、使用人たちがいつか帰ってくる主の為に今でも綺麗に保ってくれているはずだ。
戸惑ってはいるが封書を受け取ったプリムを見届けると、私は御者台に向けて窓を三回叩いた。
その合図に反応して、馬車は人通りの無い道路の脇に寄せて止まった。
私は客車の出入り口ドアに手をかけつつ、プリムの方に振り返った。
「私やプリシラがあなたにしてあげられるのはここまで。あなたが私の指示通りに行くも、自身の思う道を行くも、それは自由よ。とりあえずこの馬車は今日のレッドゲートの扉が閉まる前に首都城塞を出るし、このまま乗っていればダナンまでは連れて行ってくれる」
プリムは黙ったまま、複雑な顔をしている。
この短時間の間で目まぐるしく事が動いたのだ。それは無理もないだろう。
私はドアを開けつつ、最後の言葉をかける。
「そうそう、ちゃんとした自己紹介がまだだったわね。私の名前はライズ・ハイマー。あなたも知っている通りにね。ハイマーと言うのは母方の姓で、その母はもう亡くなっているけれど、父は健在よ。我が父の名はデュノス」
プリムが驚愕のあまり目を見開いて、声にならない声を上げているのがわかる。
「これ以上詳しい事は言えないけれど、あなたのおばあ様が、レイス・ローズバンクが命がけで守ってくれた正統なドルファンの血脈は今も受け継がれているし、正しき王は正しき王位に凱旋する為に剣を磨いているという事実は伝えておくわ」
プリムの双眸から大粒の涙が溢れだし、胸の前で手を組むと声を絞り出しながら泣き始めた。
「全部、あなたのおばあ様のおかげよ。ありがとう、また会いましょう」
私はそう言って客車から降りてドアを閉める。
馬車がゆっくりと走り出し、やがて闇の中に消えて行った。
その週末は夏らしく暑い日で、私はプリシラを待ちながらロムロ坂の喫茶店のテラス席で天然水を片手にウィークリートピックを読んでいた。
トピックスの中ほどのページに、『ローズバンク手記の作者の孫、留置所内で服毒自殺』という見出しの記事があった。
ローズバンク手記の作者レイス・ローズバンクの孫で、王室の侍女だったプリム・ローズバンクが拘束中の留置所内で服毒自殺を図って死亡した事が簡潔に書かれていた。
その次のページにご丁寧にも使用した毒物が市販品ではなく、そもそも留置所に毒物を持ち込んでいなかったという事まで書かれており、暗殺の可能性があるという結び方で文章は終わっていた。
私は冷たい水を口に含みながら、旧家の両翼のしたたかさに舌を巻いた。
ここまで書いておけば、少なくともプリムが生きており、どこかに逃走していると思う者はいないだろう。
プリムの脱獄を許したのは失態なのだろうが、結局は旧家の両翼の思惑通りの結果になっている。
ローズバンク手記は闇に葬られ、仮にプリムがドルファンに舞い戻ったとしても、それはすでに戸籍上の故人で、あとはどうにでも出来るという事だ。
トピックスを畳んでテーブルの上に置き、夏の強い日差しを手のひらで遮っていると、プリシラが走ってくるのが見えた。
「ごめんごめん、抜け出るのにちょっと手間取っちゃった」
プリシラは何の断りもなしに私の向かいの席に座ると、店員を呼んで「クリームソーダ!」と言った。
「あれからお城の警備が厳しくなってさ。抜け出るのも一苦労なのよ」
プリシラは私が畳んだトピックスを団扇がわりにして顔を扇いでいる。
私はそんなプリシラを呆れ顔で見ながら言った。
「まあ、当然ね。あの脱走は明らかに第三者の協力があってのものだし、そんな事を王室議会が許すはずもないもの」
「メッセニなんてカンカンに怒っちゃって、近衛兵たちはいい迷惑でしょうね」
店員がクリームソーダを運んできて、プリシラはそれに乗っているアイスに嬉々としてスプーンを差し込んだ。
しばらくクリームソーダと格闘していると、突然プリシラはにやにやと笑いだした。
「何? 気持ち悪いわ」
「思い出し笑い。プリムが脱獄した事は王室議会の一部のメンバーと、当事者である地下牢の警備をしていた衛兵しか知らない事だけれど」
プリシラは言いながらも顔ににんまりと妙な笑顔を浮かべた。
「その当事者の衛兵が証言したそうよ。〝自分は王宮に住み着いたメイドの幽霊に首を絞められた〟って」
アイスのスプーンをこちらに向けると、プリシラは面白そうに言った。
「どう? 幽霊になった感想は」
私は大きなため息を吐いた。
「下らないわ」
グラスの中の氷が、軽やかな音を立てて踊った。