小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
その日は珍しく朝寝坊をしていつもよりも遅い時間に目を覚ましたヒューイ・キサラギは、あくびを噛み殺しながら部屋のカーテンを開けた。
すでに朝日とは呼べない眩しい日の光が部屋を照らし、彼は体を伸ばしてから窓を開けた。
冬の冷たい風が吹き込んだが寝惚けた頭に丁度良い刺激と言わんばかりに窓を全開にすると、ベッドに座った。
「手紙が来てるよ!」
相棒である妖精のピコが一通の封筒を持って飛んできた。
ヒューイはそれを受け取りつつ、訝し気にそれを眺めてから封筒の裏を返してみた。
何も書かれていない素っ気ない封筒は封蝋こそされていないが、急いでいたのか雑に糊付けはされていた。
「宛名も差出人もなし。誰かが直接ポストに投函したって事だね」
ピコの言葉を聞き流しながらベッドの横に立てかけてある刀の鞘から小柄を引き抜き、封を切って中身を確認する。
ピコが肩の上に止まり、一緒に手紙の内容を眺めた。
「……密告状だね。差出人がイニシャルなのが気になるけれど、爆弾テロだって」
ヒューイは頷きながら差出人のイニシャル『S』について考えていた。
彼の知り合いの中で『S』がつく名前は、波止場で暴漢から助けたソフィアと、行きつけのパン屋の看板娘のスーくらいなものだ。
「で、どうするの?」
ピコが再び部屋の中を飛び回りながら聞いてくる。
ヒューイは小柄を刀に差し戻しながら、相棒とも言える愛刀を握りしめた。
「悪戯かもしれないが、万が一という事もあるし見過ごす理由もない。行くぞ」
「そうこなくっちゃ! もしも死んでも骨は拾ってあげるからね」
宿舎の部屋を出て教会へ向かおうとシーエアー駅へ行こうとすると、すぐ近くの路肩に馬車が止まっているのが見えた。
渡りに船とはこの事だ、とヒューイは御者に声をかけようと前に回って驚いた。
「よう、乗るか?」
そう言って声をかけてきた御者はよく知った人物だったのだ。
まるでヒューイが来るのを知っていたかのように御者台に足を投げだして座っていたのは、馴染みの御者であるジーン・ペトロモーラだった。
ヒューイは特に断りも入れずに客車に乗り込み、御者台に続く窓を開けて言った。
「珍しいな、こんな場所にいるなんて」
「何、丁度そこまで客を乗せて来たところでね。それで、どこに行くんだ?」
「サンディア岬駅まで。急いでくれるか」
「あいよ!」
ヒューイの言葉を聞き終わらないうちに馬車を走り出させていたジーンは、瞬く間に法定速度を超えた速さで馬車を駆った。
無論、ここにジーンの馬車がいたのは偶然でもなんでもなくライズの差し金であるのだが、それをヒューイが知る事はない。
ジーンの駆る馬車は通常の馬車の半分程度の時間でサンディア岬駅へと到着した。
ヒューイは多めの駄賃を払うと、刀をベルトに差す事はしなかったが左手にしっかりと持つと足早に教会へと急いだ。
駅の時計では正午までまだ一時間ほどあるようだったし、今のところ目視する限りでは教会から煙が上がっていたり火薬の匂いがしたり、不穏な点は見つけられない。
平穏そのものの道を小走りに駆けていき教会にたどり着くと正面の大きなドアは開け放たれており、中には数人の人が各々ベンチに座ったり、大きな十字架の前で跪いて神に祈ったりしていた。
ヒューイはそんな人々を横目に隅々に視線を送りながら中へと入って行った。
「あら、ヒューイさん」
教会のシスターであるルーナが声をかけてきた。
たまには礼拝に来て一緒に祈りを捧げたり、墓守のアルバイトで仕事を手伝ったりしているヒューイは、シスターとは顔見知りの間柄だ。
「ルーナさん!」
ヒューイもルーナの姿を見つけると、まわりの人に気を使いながらもルーナに駆け寄った。
「今日はどうなさったのですか。またお祈りでしょうか」
いつもと変わらぬ穏やかな口調で話しかけてくるルーナに、ヒューイは少しだけ安堵のため息をついた。
「お祈りというわけではないんだ。今日はルーナさん一人ですか? 神父は?」
ヒューイの様子がいつもと違う事に気付いたルーナは若干緊張感のある声で答えた。
「今日は神父様の姿はまだお見掛けしていませんわ。何かあったのですか?」
ヒューイは頷きながら声を落とし、まわりの参拝客に悟られないようにルーナの耳元で囁いた。
「この教会に爆弾が仕掛けられているかもしれません。申し訳ないが少し中を改めさせてもらえないだろうか」
「まあ、爆弾……!」
ルーナは小さく驚きの声を上げたものの、周りを見渡して一呼吸すると静かに言った。
「今日のミサは正午からの予定ですから、これから人が集まります。急がないといけません。何をすればいいですか」
思ったよりもずっと落ち着いた反応を見せるルーナに感心しつつ、ヒューイは力強く言った。
「まずはこの教会の中を探してみます。もしも爆弾が見つかったら安全な場所まで移動させます。でも、万が一の時は礼拝客のみなさんに避難していただく事になるかもしれません」
「わかりました。いざという時は皆さんを避難させるのは引き受けます」
「ありがとう」
「一旦はお任せしてしまいますが、ヒューイさんに神のご加護がありますように」
気休めだとしても今のヒューイにとってその言葉はありがたかった。
どこから手を付けようかと見渡していると、別行動を取っていたピコが飛んできた。
「こっちに不審な木箱が仕掛けられているよ!」
大きな声で叫ぶピコだが、まわりの人間には聞こえていない。
ピコの姿が見えるのも、声が聞こえるのも、自分だけという事にヒューイは長年の経験で慣れてしまっているので、特に驚く事もなくピコの示す方へと急いだ。
教会の奥の祭壇の手前、ミサの際に神父が教えを説くために使用する教壇の裏の足元に、その木箱はあった。
大きさはワイン瓶が三本ほど収まるくらいで雑に釘止めをされており、開く事は出来るがそれなりの労力が必要そうだ。
もちろん、その為には衝撃を加える事にもなってしまう。
木箱を持ちあげてみるとそれなりに重さを感じる。
持ちあげられない程ではないが、何かが詰まっているような印象を受ける。
木箱にそっと耳を当てて中の音を探ると、わずかに何か機械仕掛けの物が動くような音が聞こえた。
「下手に解体してドカンじゃ洒落にならないよ。被害のないところまで動かす?」
ピコの言葉に頷きつつ慎重に箱を持ちあげたヒューイは、決して走ったりするような愚行を起こさずに慎重かつ丁寧に木箱を教会の外へと運んでいく。
その様子をルーナは胸に下げた十字架を握りながら心配そうにみつめていた。
教会の外に出たヒューイは、裏庭の共同墓地を抜けて岬の外れの人気のない草原の外れまで木箱を運んだ。
仮に爆発をしたとしても周辺に危害は無いし、人が傷つけられるようなこともない。
一瞬崖下の海に放り投げてしまおうかとも思ったが、万が一海面に叩きつけられた衝撃で爆発を誘発して崖崩れなどを起こす可能背がある為、その方法は回避するしかなかった。
一月の終わりのまだ寒い最中に海からの冷たく強い風を浴びていたにも関わらず、体中にぐっしょりと汗をかいている事に気付いたヒューイは、自分が思った以上に緊張をしていた事に気付いて苦笑した。
とりあえず目下の危険は回避できたと判断し、その場にへたり込みたい衝動を強い意志の力で打ち消して、教会に戻るべく来た道を引き返し始めた。
少し歩いたところで、教会から神父がこちらに向けて歩いてくるのが見えた。
神父は何の用があるのか共同墓地の中を抜けて教会の敷地外であるこちらへ、迷う事なく一直線に歩いて来ていた。
その後ろからシスター・ルーナが慌てて後を追いかけて来ている。
その様子に何とも言えな違和感を覚えたヒューイは手にした刀を腰のベルトに差すと、慎重に神父の方へ近づいて声を投げた。
「神父様、どうされましたか」
ヒューイの言葉に、神父は顔に笑顔を浮かべながら答えた。
「シスターから爆弾の事を聞きました。無事に処理出来たのか心配で」
「ええ、問題ないですよ」
ヒューイは言葉を返しながら若干の違和感を覚えていた。
『爆弾を処理』
その言葉が僅かにひっかかる。
神父はヒューイの近くまで来ると、目を細めながら言った。
「爆弾処理の経験がおありで? 失礼ながら素人が手を出せるものではないでしょう」
ヒューイは爆弾を処理する事など、一瞬たりとも考えていなかった。
神父の言うように素人が手を出せるものではないし、だからこそ爆発しても被害の無い場所までわざわざ大汗をかきながら運んだのだから。
それに、もしも身近な場所に爆弾があると知った場合、普通の人が取る行動とはどんなものだろう。
恐らくほぼ全ての人が爆弾から距離を取って避難するはずだ。
だがこの神父は迷う事なく自分の近く、つまりは爆弾の方へと近づいてきた。
それはすなわち爆発の規模を熟知しているか、爆弾がまだ爆発するタイミングでない事を知っているからに他ならない。
しかしヒューイはそこまで考えながらも逡巡していた。
この人の良さそうな神父とは初めて会ったわけではない。
何度となく教会を訪れた際に言葉を交わしているし、時には一緒に神に祈りを捧げた事もある。
万人に好かれる毒の無い人物であったし、シスター・ルーナも神父には信頼を置いているであろう事はその態度からも読み取れていた。
だからこそ今目の前の神父から感じた違和感の正体について、ヒューイは決断を下せずにいた。
ただ唯一言えるのは、数多の戦場を経験し、命のやり取りを経験した者にしか感じ得ない、一種の殺気のようなものをこの神父が放っているという事だ。
なので、ヒューイは敢えて嘘を吐く事にした。
「戦場でいくつか爆弾を見た事があります。今回の爆弾は程度が低く、大した仕掛けの物ではありませんでした。お陰で私のような素人でも処理出来るほどちゃちな造りでした」
極力明るく無邪気さを装って言った言葉に、神父の笑顔が一瞬凍り付き眉毛が反応したのをヒューイは見逃さなかった。
この男は黒だ、と確信したのと同時に今まで見知ってきた神父とはまるで別人の、他者を嘲笑うかのような声が返ってきた。
「そうですか……。あなたのような東洋の田舎者傭兵に軽くあしらわれるなんて、全くの心外です。ああ、本当に傭兵稼業というのは碌な輩がいませんねぇ」
ヒューイは神父の変わり様に驚きはしたものの、予想していた事でもあるのでむしろそうなってしまった事をどこか残念に思っていた。
「あなたが爆弾を仕掛けたんですね、神父様」
「仰る通りです」
ヒューイの問いかけに何の言い訳もなくすんなりと肯定した神父に、追いついてきたルーナが動揺の声を上げた。
「そんな、神父様が!?」
戸惑うルーナの様子を見ても、神父の嘲笑うかのような口調は変わらなかった。
「ええ、そうですよ。時間が来たら貴女もあの教会と一緒に跡形もなく吹き飛ぶはずだったのですが、そうならないようで残念です」
ルーナは信頼を置いていた最も身近な人物からの裏切りに、よろよろとその場に力なく崩れ落ちた。
ヒューイは一歩前へ進み、神父と対峙した。
「聖職者というのはどうやら見せかけのようだな。あんたの正体は一体何者だ?」
その問いかけに神父は爬虫類のように舌なめずりをすると、狡猾さを顔の満面に表現したような笑みを浮かべて言った。
「そんな事を知ってもなんの意味もないと思いますよ」
「そうか? あんたを地区警備隊に突き出す時に役に立つと思うのだが」
「ははは、なかなか面白いですね。あなたのような末端の傭兵が、この私を突き出すと?」
「至極真っ当な話しだろう」
「いやいや、おかしな話です」
神父は司祭杖をヒューイに向けると、槍のように体の脇に構えて見せた。
「あなたもシスターもここで私に殺されるのですから、警備隊に突き出すなんて不可能ですからね」
対するヒューイも刀を鞘からゆっくりと引き抜く。
右足を前へ、左足を一歩引いて刀を臍の前まで引き上げて両手で柄を握ると、剣先を神父の眉間へと向けた。
そして先ほどまでとは打って変わって冷たく、感情を供わない声で言った。
「シスターを殺すと言ったか?」
神父は自分の挑発にこの東洋人傭兵が上手く引っ掛かった事に若干気を良くしていた。
「ええ、言いましたよ」
余裕綽綽でそう言った瞬間、神父は言い知れない恐怖を感じて無意識に一歩後ずさりをしていた。
「む……?」
頬を伝う冷たいものを拭いつつ、神父はゴクリと喉を鳴らした。
『この私が……冷や汗を?』
神父は目をしばたかせてもう一度東洋人傭兵を凝視した。
先ほどと何も変わらず刀という東洋の剣をただ構えているだけだ。
何の変哲もない普通の構えだ。
だが、神父はそのヒューイに気圧されていた。
彼の体から放たれる、純粋で隠そうともしないその殺気に。
「傭兵は」
その緊張を破るようにヒューイが口を開いた。
「傭兵は治安維持と市民の命を守る事が仕事だ。お前がシスターを殺すというのなら、それを阻止するのは傭兵の仕事だし、それはつまり、ここがオレの戦場になるという事だ」
「……何を言っているのですか」
「ここがオレの戦場であるのならば、オレは全力を持って刀を振るおう」
東洋人傭兵が何を言いたいのかわからないが、数々の死地を乗り越え、数々の猛者を屠ってきたこの自分が、今、この時にこの東洋人傭兵にわずかながら恐怖を感じている。
神父はそんな自分の気持ちを振り払うように、声を上げた。
「あなたが全力を出そうが無駄な事です。何を隠そう、この私はヴァルファバラハリアン八騎将が一人、血煙のゼールビスなのですから!」
声も高らかに叫んでから神父は自分のした事に驚いていた。
──なぜ、自分はこんな名乗りを上げてしまったのか。
そう思った矢先に、ヒューイがゆっくりと、まるで止まっていた風車が風を受けてゆっくりと動き始めるように、それでいてそうなる事が必然のように自然な動きで刀を頭の上に振りかぶり、上段の構えを取りながら言った。
「ヴァルファバラハリアン八騎将、血煙のゼールビス。オレはドルファン国軍第五歩兵部隊所属、如月ヒューイ。いざ尋常に、参る!」
ヒューイの足が地面を蹴り、土煙が舞い上がった刹那、その手に握られた刀が雷のように閃いた。