小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
【97】嵐の中の特攻
シベリアのサーカス団を装ったテロリストによるプリシラの誘拐未遂は、大衆紙にも大々的に取り上げられた。
ウィークリートピックスは勿論、号外までが発行された事により、この誘拐未遂は瞬く間にドルファン中に広まった。
情報規制が上手くいかなかったのか、それともここまでがピクシス家によるシナリオだったのかはわからないが、トピックスではシベリア人テロリストによる犯行と大っぴらに報道されており、兼ねてより起こっていた外国人犯罪への不安を助長したのは間違いなく、ドルファン首都城塞だけでなくドルファンの国中に外国人排斥の雰囲気が色濃く漂いはじめていた。
私のような学生はともかく、外国人労働者や傭兵などが一人で街を歩くのは、逆に危険な雰囲気さえ感じる程町全体がピリピリとした緊張感を持っているようになっていた。
カルノーによるあの衝撃の告白の後、私は事実をどう受け入れて良いかわからずに悶々とした日々を過ごしていた。
プリシラが異母姉妹であった事。お父様の娘が私一人ではなかった事。ドルファン王家の血筋は今後も正当に引き継がれるであろう事。
元々どこかの村娘であるはずのプリシラを殺す事は、私達ヴォルフガリオ家の復讐にはならないからこそ彼女を殺す事を断念したにも関わらず、彼女は正当なドルファンの血筋である事が分かってしまった。
しかもその血筋と言うのが私と同じヴォルフガリオの血筋であり、考え方によっては彼女がドルファン王家にいる事こそが復讐になるのではないか、とも言える。
プリシラの本当の母であるアリッサは、おそらくすでに故人となっているだろう。
アリッサ・サリシュアンの事をカルノーが知っていた事を考えると、それはピクシスの本家本元であるアナベル・ピクシスももちろん承知しているという事だ。
プリシラが産まれてすぐにピクシス家は彼女を誘拐し、母親であるアリッサを殺害。歴史の闇の中へと葬っているに違いない。
正当な王となるデュラン・ドルファンの婚約者である、現王妃エリスはアナベル・ピクシスの娘だ。
エリス王妃とデュラン国王の間には長い間子供が出来なかったと聞いている。
アナベルはエリス王妃が実は子供を作れない体だという事を知っていて、わざとデュノス公を泳がせた上で、子供が生まれたところを強奪する事で王家の血筋を途絶えさせないという手を打っていたのではないだろうか。
これらは私の推測でしかないが、アナベル・ピクシスならやりかねないし、その方が腑に落ちてしまう。
ドルファンという国を守る為ならどんな事も辞さないアナベル・ピクシスという人物の本性を見た気分だ。
仮にそれが真実だったとした場合、私は今更プリシラにどんな顔をして会えばいいというのか。
そんな悶々とした日々を送っている一方で、ダナンで籠城を続けているヴァルファバラハリアンを取り巻く状況には大きな変化はない。
兵糧攻めを決定したドルファン王室議会だったが、ダナンの備蓄はこの作戦を見越したかのように大量にあるようで、その効果が出るにしても時間がかかるだろう。
だが、だからと言ってヴァルファの状況が好転する事はない。
元来籠城とはどこかからの支援が約束されている状況での作戦でなければいけない。
このままヴァルファはダナンで抗戦するのだろか。だとすればこの戦いはいつまで続くのだろうか。
私はいつまでこのドルファン首都城塞の中で何の役にも立たない潜入捜査をすればいいのだろうか。
本隊から何の指示もないまま無為な時間を過ごすだけなのだろうか。
そんな事を考えて、今日も眠れないまま夜が更けていく。
憂鬱な気持ちを反映するかのように、窓の外のドルファンの空は厚い雨雲に覆われて真っ暗に淀んでいた。
二月の終わりだと言うのに発生した季節外れのハリケーンの影響で、真夜中だと言うのに灰色の雲によって若干明るく見える街並み。
時折鳴り響く耳を劈くばかりの雷鳴と稲光、学生寮のガラス窓に叩きつける雨粒が強い風に呷られてバチバチと音を立てている様子を、私はベッドの上に座りながらただ漠然と眺めていた。
こんな激しい嵐の夜に首都城塞を脱出してダナンへ行く事が出来ればどんなに良いかと考えていた時、不意に部屋のドアをノックする音が聞こえた。
こんな嵐の真夜中に訪問者などいるわけがない。
だが、こんな夜だからこそ寮母の見回りという事も考えられる。
私は後ろ手にナイフを隠しつつドアの方へと近づいて行き、声を投げる。
「……誰かしら」
しばしの沈黙。
寮母であれば何かしらの反応があるはずだし、黙っているという事は良からぬ来訪者である可能性が高い。
ナイフを持つ手に力を込めた時、ドアの向こうから低く聞き覚えのある声が聞こえた。
「……サリシュアン殿、私です」
その声に私は急いでドアを開ける。
ドアを開けた先にいたのは、例のヴァルファバラハリアンの部下である隊員で、その姿は雨に濡れたドブ鼠のようであった。
彼は部屋に入ると同時にドアを閉め、すぐ横の壁にもたれかかった。
体中を滴る水が床を濡らしていく。
「一体どうしたの。こんな嵐の中」
これが尋常ならざる事態である事はすぐにわかった。
私の言葉に彼は非常に深く息を吸い込むと、痛みに耐えるようなくぐもった声で答えた。
「……これが私の最後の仕事になります」
その何かを覚悟しているような低い声色と、若干の呂律の悪さに一瞬にして心がざわつく。
男はそのまま言葉を続けた。
「よく聞いて下さい。軍団長がこの嵐に乗じて首都城塞に攻め入っています。レッドゲートはすでに突破しており、僅かばかりの精鋭部隊と共に王城を目指しています」
「──っ!?」
その想像すらしていない言葉に、私は声も出せずに息を飲んだ。
だが男はそんな私を気に掛ける事もなく続けて言葉を吐いた。
「激しい暴風雨でドルファン国軍は伝令もままならず、現場は混乱しているようです。近衛の一部と、外国人傭兵部隊の数人が対応に当たっています」
「外国人傭兵部隊……」
その言葉にもはや確証めいたものすら感じる。
「……いるのね。あの東洋人傭兵が」
「恐らく」
男は頷きながら、壁にもたれたままずるずると下がっていき、床に座った。
その壁に雨で濡れた黒い染みが広がっていき、その中に鮮やかな赤い色が混じっていた。
「あなた、怪我をしているの!?」
私が傷を確認しようとすると、男はそれを拒むように首を振った。
「レッドゲートの開放工作で、少しドジを踏みましてね。……どうやらここまでのようです」
「馬鹿言わないで。とりあえず止血を!」
言う間に座った彼のまわりに血だまりが出来ていく。
「無駄ですよ。自分の事は自分が一番わかっている。私はここで任務終了です」
今起きている事があまりにも急展開過ぎて思考がついていかない。
私に潜入捜査の基礎を叩きこんでくれたこの男が、こんな下手を打つわけがない。
「隊を除隊するんじゃなかったの! その後の身の振り方を考えていたんでしょう!」
思わず叫んだ言葉に、男は笑った。
「へへ、仮にも隊長ともあろう方が、なんて事を言うんだ。こんな事が参謀の耳に入れば軍法会議ものですよ」
そう言う男の目はこちらを見ていない。誰もいない壁の方を見つつ、言葉を続けた。
「軍団長にも、参謀長にも信じられない程世話になっていると言いましたよね。その恩をまだ返し切れていない」
「だったら治療を受けなさい! 生きてヴァルファに貢献する事こそ、その恩に報いる事になるわ!」
男はもう一度静かに笑った。
「これが最後の恩返しです。さあ、早く行って下さい。今ならまだ間に合うかもしれない。……軍団長の所へ」
「何を……」
「これが本当の最後になるかもしれないんだ。早く、御父上のとこ、ろへ……」
言いながら彼は激しく血を吐いた。
少し泡立った鮮やかな色の血は、肺からの出血だ。この量の血を吐いた時点で、助かる見込みなどない。
私は思わず目を逸らしながら頬に冷たい物が伝うのを感じた。
「行け。行ってくれ、ライズ」
縋るようなその声に私は立ち上がり、壁に掛けていたコートを掴み取ると部屋を出て走りだした。
部屋を飛び出す瞬間、もう動けない彼に別れの一瞥を送りつつ口の中で言葉を紡ぐ。
「……ありがとう、ごめんなさい」
これが夢であって欲しい。
真夜中の悪夢であって欲しい。
だが寮を飛び出したところで容赦なく襲ってくる吹き荒ぶ雨風に、これが現実だという事を思い知らされる。
今は何かを考えている場合ではないし、正直思考回路がまともに働いているとは思えない。
お父様は王城を目指していると言っていた。
私は何もかもを振り払うように、全速力で王城を目指して走り出していた。
響き渡る雷鳴と暴風、狂ったように叩きつける雨以外は、ドルファンの街は不気味な程静まりかえっていた。
こんな嵐の真夜中に外に出ている人などいるはずもなく、私は姿を隠す事もなく通りの真ん中を全力で走っていた。
学生寮からドルファン城の正門など、普段なら全速力で走れば二十分もかからずに到着できるはずだ。
だが、いくら暴風雨が吹き荒れていようとも、こんなに時間がかかるものだっただろうか。
すでに息が上がり、肺が酸素を求めて激しく収縮を繰り返している。
永遠とも思える距離を夢中で走っていると、ようやくドルファン城の正門が雨で霞む遥か遠くに見えてきた。
最後の力を振り絞り、足を前へと進めていく。
容赦なく目に飛び込む雨粒を拭いながら、ドルファン城の正門がその輪郭を現しはじめて来た。
そして、その城門の前に二人の男の姿があり、それを取り巻くように数人の兵士が人垣を作っている。
二人の男の内の一人はドルファン国軍傭兵部隊の安い白金色の鎧を纏い、兜すらつけていない黒髪の頭で顔半分がどこかからの出血で赤く染まっている。
東洋の剣である刀を右手に持ち、左手は負傷しているのか右肩を抑えて立ち尽くしている。
もはや見間違えるはずもない程この目に焼き付いたその顔。東洋人傭兵のヒューイ・キサラギだ。
そしてその向かいで背の丈ほどある大剣で崩れ落ちそうな体を支えて立っているのは、ヴァルファバラハリアンの象徴である真紅の鎧を纏った軍団長、破滅のヴォルフガリオに間違いなかった。
三年振りとなる父の姿に涙が出そうになるが、この状況を見る限りそんな感傷に浸る場面ではない。
所々砕かれてパーツが外れた鎧に乱れ切った髪で立っているのもやっとといったその様子は、間違いなくヒューイと一騎打ちをした事を物語っている。
あの常勝無敗を誇るヒューイが重傷を負っているのも初めて見るが、父の負傷はそれ以上で、恐らく実力が拮抗した者同士の想像を絶する激しい戦闘が繰り広げられていたのだろう。
今まさに止めの一撃を放とうとゆっくりと近づいていくヒューイ。
「待って!!」
私は声の限りに叫び、本能で体が動くのに任せてそのヒューイの前へ両腕を広げて立ちはだかった。
「ライズ!」
父とヒューイが同時に私の名前を呼んだ。
私は満身創痍の父を背中に、ヒューイを睨みつけて叫ぶ。
「軍団長には一指たりとも触れさせないわ!」
父の前で立ちはだかる私に、ヒューイは驚いた表情を浮かべたが、すぐに戸惑いと同情のようなものが混じった、悲しそうな目でこちらを見た。
そんな私の背中から懐かしい父の声が聞こえた。
「馬鹿者、なぜ出て来た。早く……早く逃げるんだ。もはや我らの負けだ」
一騎打ちでの負傷の所為もあるのだろうが、三年振りの父の声は疲れ果てしわがれて、かすれていた。
その現実を上手く受け入れられなくて、思わず大きな声で反論してしまう。
「まだです!」
自分から出た声が涙声になって震えているのがわかる。
「まだ……」
言いかけた私の言葉を遮るように、父は口元から血を流しながら言った。
「我が憎悪の念がお前も八騎将も……他の兵士たちも負け戦に巻き込んでしまったな」
そして大きなため息と共に言葉を続けた。
「ヴァルファバラハリアンは我が死とともに消滅する……」
そんな言葉は聞きたくない。
お父様がいる限りヴァルファバラハリアンは無くならないし、何度でも再起できる。
まだドルファンへの復讐は果たされていない。
その想いを言葉にしようと父の方へ振り返った時、お父様は私の顔を見て懐かしそうに目を細めると名前を呼んだ。
「ライズ」
自身の流すおびただしい量の血で真っ赤に染まったその手が、私の頬に触れる。
その信じられない程冷たい手に、私は思わず体が震える。
何か言葉を言わなければいけない。
だが何も言葉が出てこない。
そんな私に、父は何もかもを理解していると言わんばかりに、昔と変わらない優しい声で言った。
「残りの人生を自分の為に使え……普通の女としてな……」
「お……父様ぁ」
喉が張り付いて声が出ない。
頬を伝う雫が雨と涙でまじって大粒の水滴になる。
最愛の父とようやく再会したにも関わらず、こんな仕打ちはあんまりではないか。
そんな私の気持ちなどすっかりお見通しだと言わんばかりに、父が優しく肩に触れる。
そしてそのまま私の横を通り過ぎて一歩前へと出ると、雷鳴にも負けない程の大きく威厳に溢れる声で叫んだ。
「者ども聴けーっ!!」
そのあまりにも迫力のある声に空気が一瞬にして緊張し、父を取り囲んでいた近衛兵達は圧倒されて立ちすくんだ。
「我が娘は正統な王家の血を継ぐ者ぞ! 手出しする事まかりならん!!」
ヒューイも近衛兵達も、その場にいる誰もが父の言葉に威圧され、そしてその言葉の意味に衝撃を受けていた。
父は体を支えていたブロードソードを天高く掲げると、一瞬だけ私の方を振り返った。
その目が、その口元が、ほんの少しだけ微笑むのと同時に、自分の体に剣を突き立てた。
「い、いや……! お父様ぁっ!!」
舞い上がる血しぶきとともに、私は声の限り叫んでいた。
ドルファン歴二十九年三月一日の未明。
ヴァルファバラハリアンは破滅のヴォルフガリオの死によって事実上壊滅となり、長らく続いたドルファンの戦争は幕を下ろした。