小説みつめてナイト ライズ氷解 【完結】 作:ケルティック☆タイチ
目の前で壮絶な死を遂げた父の姿に茫然と立ち尽くしていた私は、そのまま近衛兵達に拘束されて王室の地下牢へ投獄された。
窓一つない薄暗い牢獄の中では時間という概念がほとんどなく、そのまま一睡もできないまま冷たい床の上で朝を迎えた。
朝を迎えたというのは当番の近衛兵が交代した事から推測したに過ぎない。
私はびしょ濡れの服のまま冷たい牢獄のごつごつとした石造りの床に転がされており、プリムには無かった手錠で後ろ手に拘束された上、足枷まで嵌められていた。
それだけ重要人物だとみなされているのならば、なんとも間抜けな話だ。
本来ならば国家転覆を企てた部隊の一員として、即日処刑されていてもおかしくない。
にも関わらず私を生かしておく事に意味があるのだろうか。
破滅のヴォルフガリオ亡き今、ヴァルファバラハリアンは瓦解したも同然だし、私を幽閉したところで何の意味もない。
そもそも潜入捜査の専門である私を捕縛したところで、今更ドルファンにとって何の価値もない。
価値が無い者らしく何もやる事がない私は、無為に時間を過ごしていた。
目を閉じればお父様の壮絶な死に様が目に浮かんでしまうので、鉄格子の向こうに置いてある燐光灯のランタンをぼうっと眺めている。
お父様の目的であったドルファン王家への復讐も、異母姉妹であったというプリシラの事も、偽りの友情で裏切ったソフィアの事も、すべての事柄を考えるだけの気力がない。
私の心は空っぽになってしまった。
唯一、この空っぽの心に燃え残っている燃えカスのようなものがあるとすれば、私はまだヴァルファバラハリアン八騎将の一人として生き残り、騎士として生き恥を晒しているという事だ。
八騎将としての誇りと矜持だけが、伽藍堂となった私の心の中で唯一この世界とをつなぎとめてくれていた。
そんな事を考えていると、地下牢の入り口の方から誰かが言い争う声が聞こえてきて、遠慮のない足音がこちらに近づいてくるのが分かった。
「いい加減になさい! 私が彼女に会うのに、誰の許可が必要だと言うのですか!」
「王女様、困ります! ピクシス様から誰にも会わせないよう指示されております」
「そう、私は王女です。 この城のどこにも、私が入る事を制限される場所などありません!」
珍しく怒りを隠さずに声を荒げながら、王女のドレスを纏ったプリシラが牢の前まで急ぎ足で現れた。
そして私の姿を見つけるなり膝をついて鉄格子にしがみついた。
「ライズ! 大丈夫!? こんな濡れた服のまま……」
プリシラはさっと振り返ると、後ろからついてきた近衛兵に威圧的とも言える程の鋭い声で言った。
「今すぐ彼女に新しく乾いた清潔な服を用意なさい。そして手枷、足枷も外しなさい! すぐに!!」
近衛兵は困惑の表情を浮かべながら、おずおずと反論する。
「恐れながら、彼女はあのヴァルファバラハリアン八騎将の一人です。拘束を解いた瞬間、何をするかわかりません。また、手足を自由にすれば自害の可能性もある為、このような措置を取るようアナベル・ピクシス様直々に厳命されております」
「彼女はヴァルファバラハリアンである前に、重要な国賓級の方なのよ!」
「我々は何も聞いておりません。そうである以上、彼女は敵対勢力の一人であり、罪人です」
近衛兵の頑なな態度にプリシラが今にも襲い掛かりかねない勢いだったので、私はカラカラに乾いたくちびるから声を絞り出した。
「プリシラ……もういいわ。ありがとう」
「ライズ……」
プリシラがまた鉄格子にしがみついた。
私はなんとか体を動かして鉄格子の前まで体を移動させると、プリシラに相対するように座った。
プリシラはその大きな瞳に涙を浮かべながら、私の頬に触れた。
「ライズ、ごめんね……。こんな仕打ち、あんまりだわ」
私は静かに首を振った。
「ドルファンの立場に立てば、至極当然の事。むしろ拷問にかけられていないだけマシな方よ」
プリシラの手の温もりが、冷え切った私の心と体に僅かでも命の暖かさを与えてくれる。
しばらくその手の温もりを感じていると、プリシラは申し訳なさそうに言った。
「今、臨時の王室議会が招集されていて、重要事項の緊急決議がなされているそうなの。だから、お父様に頼むこともできなくて……」
「そんな急を要する決議なんて、穏やかではないわね」
「議題についてはわからないけれど、多分終戦に関する事項だと思う。それに……ダナンのベルシス卿についても」
「……そうね」
父に加担した上にドルファン王室議会に対して宣戦布告までしたゼノス・ベルシス卿の処遇など、議論するまでもなく結末はわかりきっていそうなものだ。
そしてその結末を考えれば、また一つ心が凍っていく音が聞こえるようだ。
そんな私の様子を心配顔で見ていたプリシラは、努めて明るい声で言った。
「とにかく、ここから出させるか、少しでも待遇が改善されるべきだわ!」
プリシラのこの優しさと言うか配慮は、私が異母姉妹という事実がわかっただからだろうか。
それとも彼女自身が元来から持つ優しさからだろうか。
どちらにしろ、今の私は只の犯罪者だ。
国家転覆を謀った男の娘で、潜入捜査を行っていた犯罪者なのだ。
こうなるのは仕方のない事だ。
「プリシラ」
私が声をかけると、プリシラは僅かに身を震わせた。
「……もう、いいわ。私は破滅のヴォルフガリオの娘で、ヴァルファバラハリアン八騎将の一人である事はまごう事なき真実だもの。この状況も、この先待ち受けているであろう事も、受け入れる覚悟は出来ているわ」
「覚悟だなんて……!」
悲痛な声を上げながら鉄格子に縋るプリシラを、近衛兵が力ずくで引き剥がした。
「王女様、囚人とのお戯れはそこまでです。これ以上は流石に看過できません」
「放しなさい! 王女としての命令よ!」
子供のように激しくあらがっているプリシラに、胸が締め付けられる。
これ以上彼女のそんな姿は見ていられない。
「プリシラ!」
私が声を投げると、プリシラは涙で濡れた顔でこちらを見た。
「ありがとう。でも、本当にもういいの。……もう、いいのよ」
私の言葉にがっくりと肩を落としたプリシラは、近衛兵に引きずられていく。
「わたしが必ずなんとかするから!」
闇の向こうへと消えていく彼女の叫びを最後に、牢獄は再び冷たい静けさを取り戻した。
それからどれくらいの時間がたったのだろうか。
何の変化もない牢獄の中で、時折提供されるクズ野菜の入った塩気の無いスープと、ごわごわとして乾燥した固いパン。その提供回数を六回まで数えた後、食事提供とは違うタイミングで近衛兵の一人が牢獄の前にやってきて、極めて事務的な声で言った。
「立て」
いよいよその時が来たようだ。
この牢獄で過ごした中で、考える時間だけはたっぷりあった。
だが、何の選択肢もないこの状況で、考えられることなど限られている。
私の至った結論は、ヴァルファバラハリアン八騎将の一人として、破滅のヴォルフガリオの娘として最期の時まで誇り高くいようという事だけだった。
私はゆっくりと立ち上がった。
衛兵が牢獄のカギを開け、続いて私の手枷、足枷も外す。
「歩け」
槍で武装した兵士が前に二人、後ろに二人という厳戒態勢の下、私は地下牢を出て王宮の中を移動した。
時間の感覚がまったく狂っているので今が昼なのか夜なのかすらわからないが、城内は薄暗く、所々の燐光灯が薄ぼんやりと灯っているところを見ると恐らく夜なのだろう。
私がまず案内された場所は、驚く事に湯殿であった。
嵐の夜に寮の部屋を飛び出した時から着の身着の儘だった服を女性のメイドに引き剥がされ、身体を隅々まで洗われた後は清潔だが簡素な衣服を与えられ、そのまま厨房の隣の質素なダイニングで温かい食事を与えられた。
食事の内容は決して凝った物ではなかったが、牢獄でのただ与えられるだけの家畜の餌以下の食事に比べればすこぶる美味しいものだった。
私が食事をしている間に、メイドの一人が私の髪をいつも通りの三つ編みに編み上げた。
髪をまとめるリボンは私の物だった。
これが俗に言う最後の晩餐というものだろうか。
そうだとすれば、ドルファンの懐事情はそれなりに厳しいのかもしれない。
食事を終えた私が次に連れていかれたのは、大きな扉の前だった。
その扉を前にした私は、すぐにここがどこだか理解した。
ドルファン城のほぼ真ん中に位置し、豪華な装飾で彩られた重厚な両開きの扉は、間違いなくこの国の中枢である王室議会の中央会議場だ。
この国の政治のすべてがここで決定され、この国の権力のすべてが集う場所。
そして、この国の歴史の闇が産まれる場所でもある。
近衛兵が左右の扉を開いた。
部屋の中が思った以上に明るく、私は目を細める。
「入れ。グズグズするな」
後ろから槍で小突かれたので仕方なしに部屋に入り、目だけ動かして中を観察する。
その部屋は私の寮の部屋が二十個は余裕で収まる大きさではあったが、中央は何もない空間に椅子が一つ。
それを取り巻くように大きな円卓が囲んでいた。
その円卓の一番奥に、お父様とまったく同じ顔をしているが火傷の痕のない男、デュラン・ドルファン国王が座っている。
その右隣りには何度となくその姿を確認している王室議会筆頭・旧家の両翼アナベル・ピクシスが。左隣には舞踏会で言葉を交わした、アナベルと同じく旧家の両翼マリエル・エリータスが座っていた。
アナベルの隣の席には王室議会の末席と言われるピクシスの腰銀着の貴族が座っており、マリエルの隣は誰も座っていない背もたれの高い立派な椅子のみが鎮座している。
本来であれば、そこがゼノス・ベルシス卿の席という事だろう。
彼らは一様に押し黙り、私を無表情で見ていた。
今、私の目の前にドルファン王室議会の人間が揃っているのだ。
デュラン国王は私の姿を認めると、立ち上がって言った。
「座りたまえ」
その声はお父様の声と全く同じ、低くて独特の迫力があって、そして優しい声だった。
私は言われた通り、会議場の真ん中にぽつんと置かれた椅子に腰かけた。
あくまでも敵国に囚われた立場であるし、この王室議会の面々に舐められるような事があってはならない。
椅子の背もたれに体を預けるような愚行はせずに、背筋を伸ばしてまっすぐ前を見て座った。
私が座ったのを確認してデュラン国王が頷くと、王室議会の面々が一斉に立ち上がり、議会筆頭であるアナベルが若干呂律の回らない口で言葉を吐いた。
「では、これよりヴァルファバラハリアン首領の娘、ライズ・ヴォルフガリオ・サリシュアンの処遇に関する臨時王室会議を開催する」
その言葉に呼応して四人の王を含んだ議会メンバーたちは胸の前で十字を切ると、また静かに椅子に座った。
一同からの無遠慮な視線にさらされながら待っていると、アナベルが重い口を開いた。
「ライズ・ヴォルフガリオ・サリシュアン。貴様は傭兵部隊であるヴァルファバラハリアンの首領、破滅のヴォルフガリオこと、デュノス・ヴォルフガリオの娘という事で間違いないな」
その口調は感情を伴っていないが威圧的で、自分の意のままにすべてを動かす者特融の自信のようなものに溢れている。
私はそれに気圧されないよう、小さく息を吸って答えた。
「いいえ、私は貴方がたドルファン王室議会によってこの国を追われたデュノス・ヴォルフガリオの娘だわ」
言い切った私に対し、アナベルが明らかに不機嫌そうに舌打ちをしたのが聞こえた。
金縁の丸眼鏡の奥で目を細めながらこちらを見ていたマリエルが、面白そうな声で言った。
「あの時のスィーズランドの小娘が、よもや亡霊の娘であったとは。本当に、してやられたものね。ドルファンにはいつから潜入していたのだ?」
彼女はこの状況を明らかに楽しんでいるように見える。
「イリハ会戦の後、秋ごろからドルファンにいるわ。でも、そんな事はもうすでに調べがついているのでしょう。無駄な問答はごめんだわ」
言い放った私の言葉に、マリエルは広げた扇子の裏で静かに笑った。
「それはそうだ。私は賢い娘は嫌いじゃない。アナベル、前置きは止めて結論だけを言えばいいじゃないか」
マリエル・エリータスの物言いにアナベルは若干気分を害したようだったが、顎髭を撫でた後に落ち着いた声で言った。
「まあ、つまらん腹の探り合いをしても仕方がないだろう。私はこの娘を極刑に処する事を本議会に提案いたします」
極刑。
その言葉の持つ意味とは裏腹に、アナベルの口調はさりげなく、まるでレストランでメニューを注文するかのようだった。
「ふむ……その理由を聞こうか」
デュラン国王が言うと、アナベルはやや面倒くさそうに答えた。
「この娘は国家転覆を企てた男の娘です。ましてやあの男は我々が長年手を焼いてきた思想犯。その娘など生かしておいた所でドルファンにとって毒にこそなれ、薬にはなりません。危険な芽は早いうちに摘み取るに限る。庭木も政治も同じですよ」
私はその言葉に一気に怒りが湧きあがってくるのを感じた。
自分たちの都合で追いやった父を思想犯呼ばわりとは、傲慢にもほどがある。
私がアナベルを睨みつけた時、デュラン国王が静かに言葉を紡いだ。
「……余は、この娘に恩赦を与えたいと考えている。そして、我が娘として迎え入れたいとも思っている」
「なんと!?」
アナベルが立ち上がり、国王の顔を覗き込んだ。
マリエルも驚きに扇子を扇ぐ手が止まった。
もちろん私も思いもよらなかったその言葉に、驚きのあまり心臓が止まるかと思っていた。
だがデュラン国王はゆっくりと言葉を吐いた。
「この者の父は国を追われて復讐の鬼となった。国の為とは言え能力のある者を闇に屠るという事は、言うなれば諸刃の剣に他ならない。仮にこの娘を処刑したとしても、彼女に所縁のある者がドルファンに牙を向けないとも限らない」
そう言って深くため息を吐いた国王は、顔を撫でながら続けた。
「憎しみの連鎖は結局争いしか生まない。亡霊の娘である彼女を、余はプリシラと同じように愛したいと思う。それこそが死地へ追いやってしまった者への、せめてもの罪滅ぼしになろう」
「な……! 甘すぎますぞ、陛下!!」
怒りに顔を紅潮させるアナベルに対し、デュラン国王は冷静だった。
「アナベル、お前の気持ちもわかる。だが、だからこその王室会議なのだ。決を採ろうではないか」
そう言われたアナベルは、低く唸りながらも座り直し、規則に則った口上を述べた。
「それでは、誇り高きドルファン王室会議のしきたりに従い、決を採りたいと思います。なお、欠席となるゼノス・ベルシスの票は議長たるデュラン国王陛下に委任するものといたします」
ドルファン王室会議は多数決による合議制だ。だが、その内実は旧家の両翼の二票とピクシスの腰巾着の一票を合わせた三票と、国王の一票、そして議会の中では野党たるゼノス・ベルシスの一票を合わせた全部で五票。この貴族たちの三票対王と野党の二票の力のバランスで成り立っているからこそ、旧家の両翼の絶対的な権力に繋がっているのだ。
それは即ち、この瞬間に私の極刑が決まったのと同意だ。
「それでは、決を採る。この者を極刑に処す事に賛成の者は起立を持って票を投じたまえ」
アナベルは自身の言葉が言い終わらないうちに立ち上がる。それにつられるようにピクシスの腰巾着も立ち上がる。
デュラン国王は黙って目を閉じて座っていた。
アナベルは自分の案が採決される事になんの疑問も持たずに勝ち誇った顔で髭をいじっていたが、最期の一票を持つマリエルは一向に席を立とうとしなかった。
しばらく待っていたが、ついに業を煮やしたアナベルが静かだが苛立ちを伴った声で言った。
「……マリエル、なんのつもりだ」
しかしマリエルは素知らぬ顔で扇子を扇ぎ、小さなため息を吐きながら言った。
「何って、極刑に賛同しないから座っているのでしょう」
「気でも触れたか」
怒りに顔を真っ赤にしながら言うアナベルに対し、マリエルはその美しい卵のような肌に亀裂のような邪悪な笑顔を浮かべた。
「先ほど言ったように、私は賢い娘は嫌いじゃない。この娘はドルファンに牙を剥くような愚行は犯さぬよ」
言いながら私の顔を見たマリエルの目は、心底面白そうに半円を描きながらも、どこか一方的な信頼を秘めていた。
「そんなもの、なんの保証もない話しだ」
だがアリエルはそんなアナベルの言葉を、まったく無視して座り続けていた。
アナベルとその腰巾着は着席し、忌々しそうに言葉を放つ。
「では、この者に恩赦を与えその罪を放免する事に賛成の者は起立を持って票を投じたまえ」
デュラン国王とマリエル・エリータスが静かに起立する。
アナベルはそれを見もせずに悔しそうに拳を握っていたが、王の面前では流石に感情をコントロールしたのか、ぐっと何かを飲み込むような仕草をすると先ほどとは打って変わった投げやりな口調で言った。
「賛成多数にて、この者へ恩赦を与える事を可決する。これを以て本臨時会議を解散とする」
不機嫌そうに席を立ち足早に歩きだしたアナベルは、私の横を通り過ぎながら捨て台詞のように言葉を放った。
「ゼノス・ベルシスは自決したぞ。これでお前の後ろ盾は、誰もいなくなったという事だ。貴様も覚悟をしておく事だ」
私の心に鋭い棘が突き立つ。
だが、私はなんの反応も示さずまっすぐに虚空を眺めていた。
アナベルは激しい舌打ちをしながら、腰巾着の貴族と共に会議場から出て行った。
続いて席を立ったマリエルは私の方へ例の蠱惑的な笑みを浮かべたまま近寄って来た。
「これで貸りは返せたかしら。これでもジョアンの件は、感謝しているのよ」
耳元でそう囁くと、こちらを振り返りもせずに会議場を後にして行った。
会議場の中には入り口と部屋の四隅に配備された衛兵以外は、私とデュラン国王のみとなった。
デュラン国王はゆっくりと立ち上がり衛兵達にそっと手で合図を送って下がらせると、国王らしい威厳と雰囲気を纏ったまま近づいてきた。
そして私の前に立つと、信じられない事に膝をついて私の手を取った。
「すまない、色々と辛い思いをさせた」
まさか一国の王たる者が私に膝をついて謝罪をするなど思ってもみなかった事だし、この人はあまりにも父に似すぎている。
私は自分が戸惑っている事を自覚するとともに、感情のコントロールがまったく効かなくなっており、不思議と目からボロボロと涙が零れ始めた。
「謝罪をするなら、父に……あなたの兄にするべきだわ」
何を言っていいかわからず必死に紡ぎだした言葉を、デュラン国王は目を閉じて受け止めていた。
そして静かに立ち上がると、私の目をまっすぐみつめて言った。
「……お前の言う通りだ。だが、兄は天に召され、今いるのはその娘たるお前だけだ。兄に対する贖罪という意味でもお前を養子として迎え入れたいと思うのだが、いかがか」
その純粋すぎるほどの優しさと実直さは、恐らく政治家には向いていない。
この男も父がいなくなった後にどれほどの苦労をしたのか、それは想像に難くない。
だが、最期まで父が憎んだ相手であることに間違いないし、今更私がこの国に骨を埋める事など考えたくもない。
それに父が継ぐはずだったこの国の王家の血は、私でなくともこれからもしっかりと引き継がれていくのだから。
私は涙を袖で拭うと、デュラン国王を真っ直ぐにみつめ返して答えた。
「せっかくのお申し出ですが、お断りいたします。私はデュノス・ヴォルフガリオの娘で、デュノス・ドルファンの娘ではありません。それに……」
私は目を伏せて呟いた。
「あなたにはたった一人の娘がいるでしょう。その娘に愛を注いであげて下さい。私は十分に父に愛されました」
「……そうか」
デュラン国王は静かに頷くと、深いため息を吐いた。
「ライズ!」
会議場から出ると、扉の前でずっと待っていたのか、間髪も入れずにプリシラが飛びついてきた。
私はそのプリシラを抱き留める。彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
私にしがみついて泣きじゃくるプリシラをなだめつつ、私は自分の心が穏やかな事に若干驚いていた。
「……心配をかけたわね。さっき、恩赦が下ったわ。私は無罪放免のようよ」
「良かった……良かったわ」
しばらくの間私の胸で泣いていたプリシラは、ややあって落ち着きを取り戻すと私の手を握りながら言った。
「きっと、お父様が養女として迎え入れたいと言ったと思うけれど」
私は頷いた。
「その話は……断ったわ。それは私の意図するところではないもの」
プリシラは寂しそうにこちらを見ていたが、ぎこちなく微笑みながら言った。
「やっぱりね。ライズならそうするだろうと思っていたわ。それで……これからどうすの?」
これから、どうするか。
それは牢獄にいた有り余る時間の中で、一つの可能性として考えていたものがあった。
もし極刑にならず命をつないだのならば成し遂げようと思っていたもの。
運良く命をつないだ今、私はそれをやり切らねばならない。
結局、私はどこまで行ってもヴァルファバラハリアンである事を、騎士である事を捨てられないし、どこまで行っても八騎将の一人なのだ。
私の考えていたプランを話すと、プリシラは悲しそうに視線を落とした。
「……どうして傭兵って、そんな生き方しか、そんな考え方しか出来ないのかしら」
「それが傭兵だからよ」
私は言いながら、自身を縛る血の宿命に言葉では言い表せないような深い因果を感じていた。
エレーナに言った言葉など何の意味もなかったという事だ。
そんな事を考えながら私は自分でも驚くべき事だったが、全く無意識にプリシラを抱きしめていた。
彼女の細い肩を抱きながら、私達姉妹が辿らなければいけなかった運命の交錯すらも強烈な皮肉に感じていた。
「もう会う事もないでしょう。……元気で」
私の言葉に弾かれたように、プリシラも力強く私を抱き締め返した。
「ずっと一人だと思って生きてきた。でも、一人じゃないってわかった。例え離れていても、わたしはあなたと一緒よ」
「……姉妹だから?」
「……姉妹である前に、わたし達はお互いが必要だったのよ。敵同士だった時も、わかりあえた時も、そしてそれは今も変わらない」
あんなにも殺したいと思っていた彼女が、今はこんなにも愛おしい。
父の故郷であるドルファン王国は、彼女に任せておける。
プリシラとの二年に渡る付き合いで彼女がどれだけ王女に相応しいかは、誰よりも理解したつもりだ。
私とプリシラはお互いの顔をみつめつつも、そっと体を放した。
プリシラが無理に笑顔を作り、明るい調子で言う。
「でも、私の唯一の妹がこんなに無愛想で、お姉ちゃんとしては心配だわ」
私は唇の端で微笑むと、言われたように精一杯の無愛想な声で返す。
「仮にも一国の王女ともあろう者がとんだお転婆で、妹としてはとても心配よ」
私達はもう一度お互いの顔をみつめあうと、ふと笑いあった。
「ありがとう、ライズ」
「……さようなら、プリシラ」
さようなら、私のたった一人残った家族。
その言葉を最後に、私はプリシラに背を向けて歩き出した。
我がヴァルファバラハリアンとの因縁深い、あの男との決着をつける為に。