RAVENS   作:オリスケ

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第10話

 

 

 大股一歩、六五センチ。

 それが、その世界でただ一つ残された指標だった。

 迷宮──そこを形容する表現として、それ以外の言葉はない。

 先も見えない程続くまっすぐな回廊。気まぐれに曲がり角があり、その先もまた延々とまっすぐな道が続いている。

 人ひとりが横になれる程度の道幅を取った床と壁は、大小様々な木の根が折り重なって構成されていた。石畳のような人工物は見当たらないにも関わらず回廊は異様に整然としており、床は平坦にまっすぐ続いている。淡く発光する苔が点々と蒸しており、迷宮にギリギリ先が見渡せるくらいの光を灯していた。

 その、尋常ならざる樹木の回廊を踏みしめて、アラン・レイ・スタンリーは歩いていた。

 顔は隠しきれない疲労が滲み、呼吸は深く重い。体勢は低く項垂れている。目は鉛のように淀んで、あらゆる感情が濁って機能しなくなったようだった。

 人が変わったような、死人のようなアラン。唯一、彼の両足だけが、規則的なリズムで足を運んでいる。歩調も歩幅も揺らがない。ただ歩く事だけを入力された機械のように、アランは歩く。

 その足が、ふと止まった。壁に沿わせていた左手に伝わる感触に、顔を上げて目を向ける。

 壁を構成する樹木には、乱雑な筆致で『くたばれクソ親父!』と綴られていた。

 

 

「……はぁ~……」

 

 

 それを見てアランは、深く、深く、長い悪夢から目覚めたように深々と溜息を吐き、その場にへたりこんだ。

 

 

「今度は一際長かったな。くそ、くそが、後どれだけ続けりゃいいんだ……後どれだけ……」

 

 

 彼自身が課した何かを達成感と、それを覆い隠す途方も無い量の徒労感。アランは呪詛のようにブツブツと小言を漏らす。

 延々と、その呪詛もまた無駄な徒労だと魂に染み入るまでの間呟いたアランは、膝に埋めていた顔を持ち上げた。

 

 

「検証実験経過報告。『クソ親父』サイン二二に到達」

 

 

 言う。自分自身の脳に、直接文字を刻むように。

 機械的に歩き続ける、検証実験。大股一歩、六五センチ。

 

 

「移動距離は八三二〇万四二歩、一二万八〇〇〇キロと六五メートル、所要時間は体感経過で数えて二年六ヶ月一日と三時間二一分一七秒」

 

 

 心を殺し尽くしたような目で、脳内で刻み続けた数字を出力し、彼は綴る。

 

 

「総移動距離は一三二万三四七二キロ八三メートル、総経過時間三七年八ヶ月と二三日……〈パズスの虫籠〉の推定踏破率は……八%」

 

 

 最後の数字を吐き出し、アランはまた深々と息を吐き出した。

 ククッと勝手に喉が鳴る。亀裂の入った心から、狂気が膿のように滲み、笑いになって口をつく。

 

 

「とうとう、俺の人生の倍まで越しやがった。あとどんだけかかるんだ、あとどのくらい歩けばいい、なあ親父! 息子にこんな地獄を味あわせて楽しいかよ、この人でなしが!! あーあーあー人でなしは元からだったか! っははははははははははははははははははははっはははははははははははははははははははははは!!」

 

 

 ネジが外れたように哄笑する。その声は延々と続く樹木の回廊に響き、誰にも届く事なく搔き消える。

 哄笑し、絶叫し、溢れる涙は勝手に溢れさせ、アランは何分も何分も叫び続けた。

 そうして叫びの最後の一抹を虚空に霧散させた彼は、何度も何度も深呼吸して心を落ちつかせて、ぴしゃんと自分の頬を叩いた。

 

 

「っし、発狂終了……立ち上がれアラン。絶対に思考を止めるな。乱れるな」

 

 

 自分の心に鞭打ち、ぐっと立ち上がる。

 

 

「帰るんだ。帰って……早くアイツに、義肢を作ってやらねえと……」

 

 

 言い聞かせるようにそう言って、アランは樹木で構成された迷宮に、再び一歩を踏み出す。

 大股一歩、六五センチ。それを延々と刻み続ける──

 

 

 最後に覚えている光景は、輝く笑顔で自分を見つめる玩饗王ヒドゥン・レイ・スタンリーと、彼が翳した〈パズスの虫籠〉の、どこまでも落ちていきそうな虚空。

 虫籠内部の虚空に向けて魂が引き延ばされるような感覚がして、目覚めたらアランはここにいた。〈パズスの虫籠〉内部にあるとされていた亜空間に。

 最初にアランを襲ったのは、死の恐怖だった。〈パズスの虫籠〉は、かつて神代の蒐集家が、あらゆる生物と物質を保管するために作り出した魔具だ。もし魔獣の一匹でも保管されたままでいれば、アランは立ちどころに新鮮な餌に成り下がる。

 しかし、恐怖とは裏腹に〈虫籠〉内部は静かだった。しばらく蹲り、一日をかけて恐る恐る辺りを確認し、どうやら自分を脅かす魔物はいないと胸を撫で下ろす。

 餓死の心配も無いようだった。数日経っても、餓えも乾きもやってこなかった。歩いてもちっとも疲労しない。

 〈虫籠〉と称されるからには、閉じ込めた生物を殺さない何らかの魔法が組まれているのだろう。神々の時代の魔具だ、果たしてどのような呪文が動いているのか想像もできないが、時間が固定されているか、恐ろしくスローなのだとアランは検討を付けた。

 

 

 数日うろうろと彷徨って、意を決して誰かいないかと叫んで、反応が無いことを確かめて。魔物も餓えも、自分を脅かす脅威はないと安心して。

 そこから、真の地獄が始まった。

 

 

 〈パズスの虫籠〉内部は、噂通りに果てしなかった。樹木で作られた回廊がどこまでも続き、節々で枝分かれし、血管のように張り巡らされている。

 十数日歩き通しても、一つの変化も見つける事はできなかった。

 そこでようやく、この空間に閉じ込められている事の恐怖に気付く。

 

 

 ──自分は、ここを出る手段を持たない。

 

 

 餓えも乾きも起こらない身体に、ぞっと怖気が走った。

 仮に時間の流れが恐ろしく緩やかなのだとして、果たして本来の一秒は、ここでは何年、何十年に相当するだろう?

 《レイヴン》がヒドゥンを見つけ、倒し、〈パズスの虫籠〉を開いてくれたとして──それはアランにとって、何千年先の話になるんだ?

 死ぬこともない、恐らく時間の流れからも隔絶された場所に、自分は放り出されたのだ。

 延々と続く薄暗い回廊。長く長く、果てしなく長く続く、孤独。じわじわと忍び寄るような恐怖が、三〇日の時間をかけて、アランの心を一度粉砕した。

 アランは八日間発狂した。

 助けを呼びながら迷宮を駆けずり回る。当然のように返事はない。自分の木霊さえも返ってこない。疲れ果てて啜り泣きながら仲間の名前を呼んでも、何の意味ももたらさなかった。

 例え壊れても、生きることを諦めようとしても、無限に続く時間が死ぬことさえ許さない。それに気付いて、また狂った。

 何度も叫び、怒り、泣いて、頭を掻き毟り壁に叩き付け、また叫び──

 思う存分狂いに狂ってから、アランは顔を上げた。

 懐から工具を取り出し、樹木に傷を付けると、壁に手を添えて一定の足取りで歩き出した。

 子供でもできる迷路の解き方だ。壁に沿って左回りに歩けば、いつかは出口に辿り着ける。

 大股一歩、六五センチ。狂いそうになる頭で必死に数を数えて。理性と狂気の狭間の細い糸に乗るような危うい精神状態で歩き続ける。

 三三八日をかけて傷を付けた箇所へと帰り着いた時の安堵と喜びは、これまで祝われた誕生日全てを足したって及ばないほどだった。

 ずるずるとへたり込みながら、アランは確信し、決意する。

 

 

「この迷宮は、無限じゃない」

「必ずどこかに出口がある」

 

 

 約一年で回りきれるような生やさしい迷宮では無いはずだ。恐らくアランが踏破したのは迷宮の一ブロック。例えれば広大な盤に刻まれた賽の目の一つを回ったに過ぎないのだろう。

 けれど、無作為に変形する空間でなければ問題ない。

 辿った経路は、全て覚えている。

 アランは脳内の黒い図面に、細い線を引いた。持ち前の卓越した記憶力で、六五センチの歩幅で測った線を引き、これまでの道程を記す。

 ヒドゥンはアランに『試練』と言った。必ず乗り越え、彼の域に辿り着けるとも。

 であれば、これこそが『試練』なのだ。この迷宮を解き明かし、無事に脱出しろという。

 狂った父親の、歪みまくった愛情による、狂った課題。

 

 

「上等だ……必ず脱出してぶち殺してやるから覚悟しろよ、クソ親父」

 

 

 工具を手に、憎き父親に対する罵詈雑言を書き殴る。

 〈パズスの虫籠〉の地図を作るという、途方もない地獄の作業が始まった。

 

 

「『クソ親父サイン』二三に到達。四三七五万一八九〇歩、六万七三一〇.六キロメートル、所要時間は一年四ヶ月二一日──」

 

 

 大股一歩六五センチ。遅々とした筆致で、脳内の地図を埋めていく。

 必ず脱出すると誓い、工具片手に歩き出し──もう、四十年が経過した。

 作業に終わりは見えなかった。新たに引く地図よりも、見つかる未踏の場所の方が多い。地図に線を引いても、それ以上に地図が拡大されていく。気分はさながら、世界地図を作ろうと意気込む蟻だ。

 全長二〇〇万キロに到達した脳内地図を辿って、アランは次のスタートとゴールになるサインを刻む。そのサインに、また会おうなと一人呟いて、数年単位の行脚が始まる。

 常に頭を回す必要があるから、狂えない。

 疲労は無くても、徒労は止めどない。

 どれだけ機械でいようと思っても、寂寥感は影のように貼り付き、心にするりと忍び寄る。

 

 

「……ヴィルは、無事だよな……ああ、マジでイカれてきてやがる。誰よりも、あのムカつく罵倒が聞きたいなんてよ……」

 

 

 ブツブツと呟きながら、アランは歩く。

 延々と回廊が続く。歩数を数え、脳裏に地図を描きながらも、思考は散らばり、スライドショーのようにとりとめもない像を結ぶ。

 散漫な思考が、彼を過去へと立ち返らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──アラン・レイ・スタンリーは、愛されて育った子供だった。

 幼い彼は、父の笑顔が好きだった。父はまるで彼自身が子供であるように目を輝かせて、宝物のように大事にアランを抱き上げてくれた。

 アラン、という父の呼び声と、機械の工作音がいつも自分を包んでいた。

 玩饗王ヒドゥン・レイ・スタンリーの工房がどのような場所だったか、アランは全貌を知らない。見た場所は全て覚えているが、せいぜいそこらの企業と変わらない、一流の研究施設といった場所だった。

 マトモな場所は恐らくほんの一部で、見せてはいけない場所は巧妙に隠されていたのだろう──奴に、人としての倫理観が残っていたのだとすればだが。

 ともかくアランは、幼少期の大半を、その一流の魔具工房で過ごした。魔具に興味を持つのは必然だった。アランは四歳から工具を手にし、魔具に向き合った。

 

 

 アランには才能があった。全てを記憶する天性の資質があった。そして、魔導技師として成長するための、最高の環境があった。

 工房にいる時には、自発的に父を師匠と呼ぶようになった。世界一の魔導技師から、惜しみない愛情と師事を受けた。

 工具を手にして二ヶ月で、始めての魔具を作った。呪文を唱えて軌道させ、まっすぐ走るシンプルな車輌のおもちゃだ。それから数ヶ月後の五歳の誕生日には、父と一緒に貨物を牽引できる自走車輌を組み立てた。

 父の師事は完璧だった。段階を踏んで目標を用意し、アランを飽きさせなかった。試行錯誤の楽しさ、知識が増える満足感、自分で魔具を作る達成感を存分に味わせ、成長させた。

 

 

「人間は道具によって進歩してきた。文明の進歩とは、すなわち道具の進歩なんだ」

 

 

 ヒドゥンはそんな風にアランに語った。彼の魔具の理念がアランの子守歌の代わりだった。

 さながら人参を括り付けられた馬だ。アランは魔具を作る楽しさに没頭した。魔具を作ることが世界で一番楽しかった。それで父が喜んでくれるのだから、尚のこと没頭した。

 振り返っても、嘘偽りなく幸福と呼べる日々だった。

 父に褒められるような魔導技師になりたいと、一生懸命に頑張った。父を慕い、尊敬し、焦がれるほどに憧れた。

 父に褒められるのが嬉しくて、それが自分の全てで。

 何を作っているかなど考えもしなかった。

 そうして迎えた八歳の誕生日に、自分が産み出した魔具が、一つの街を滅ぼした。

 

 

 

 

 『作品』から放たれた花火は、昼の空に銀河のような光を散りばめ、それを眼下の村に雨のように降らせた。

 一瞬で全てが破壊された。辛うじて残された建物と命も、広がった炎が全てを焼き払った。

 視界が真っ赤に塗り潰される。優しさだけを受けて育った柔らかく無垢な頬が炎に炙られる。工具の音を子守歌にしてきた耳に、甲高い絶命の叫びが無数に叩き付けられる。

 同じようにそれを浴びながら、父は笑った。笑って、成功だと喝采して、アランの頭を撫でて抱き締めた。

 その時、アランは善悪を知った。

 心の芯から震えるような怖気で、父がどうしようもない悪であることを思い知った。

 

 

 

 

 程なくして、アランは父の研究所を飛びだした。

 着の身着のまま、前後不覚のまま走り通して。気付いた時にはアランはボロボロの状態で、テオス・フラナガンに辿り着いていた。フラナガン市警に保護され、ヒュース家に育てられ、ミヒルの弟として十年を過ごした。

 自分が玩饗王の息子であることは、包み隠さず話した。それでも自分を家族としてくれたヒュース家には頭が上がらない。彼等は自分が一人の大人として生きられるよう様々な教育を課してくれた。

 けれど、アランは魔導技師となる事を選んだ。ヒュース家の反対を押し切り、《レイヴン》で戦う事を選んだ。

 魔具を愛する事だけは、やめられなかったのだ。

 父は吐き気のするほどの悪であったが、それでも魔具に向かい合ったあの日々は、人生で最も幸福な時だった。父を憎んでも、自分に宿る魔具への情熱までを唾棄できなかった。

 だからアランは、魔導技師になった。

 同じ魔導技師として、父親の悪を正すために。

 自分は父のような狂人ではないのだと、証明するために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぁー、あー、あーーーーーぁーーーぁわわわわわわぁわわぁわわわあぁぁぁあーああぁぁぁぁあぁ!! あーーーーーーーーもーーーーーだめだぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁーーーーー!」

 

 

 その一心で保ち続けた気力も、そろそろ限界を迎えようとしていた。

 三年一ヶ月をかけて五八回目のサインに辿り着いた瞬間、大声を張り上げて工具を思い切り突き刺した。大の字になって床に寝転がり、手足をバタバタとさせながら大声を張り上げる。

 大股一歩六五センチ、歩き続けて七四年と三ヶ月。三百五十万キロメートルを歩き続けた。

 正気の沙汰ではない。いや、アランはずっと狂いっぱなしだった。ただ常人なら喉を掻き毟って自害する所を、根性で踏みとどまっているというだけで。

 

 

「もう知るもんか、なんもかんも知った事か! もういい、全部どうでもいい! 歩くのも生きるのももうめんどくせえ! っぐ……ひぐ……ぅぅぅおぉあああああ……!」

 

 

 泣きながら罵詈雑言を吐き、暴れ回る。時間が隔絶されている影響か、ここでは疲労もなく、睡眠も不可能らしい。生きている限り、アランはこの迷宮に直面する事を強いられるのだ。

 どんなものにも寿命はある。現代の魔具は、メンテナンスなしなら十年も使えば部品かスペルコードが擦り切れて機能を停止させる。只人の命ならば上手に生きて九十年だ。

 肉体よりも、精神の方がずっと脆い。

 七四年も保ったのなら、驚嘆する執念と言えるだろう。

 父を必ず倒すというアランの信念も、しかし確実に、時間と共に濁って擦り切れていた。

 故障し、動かなくなれば、もうアランに生きる気力は存在しない。

 

 

「ブレアレスト……ボス、スカイ/ホロウ、イスラさん……ううぅ、ヴィルぅ……」

 

 

 会いたいという思いも希望にならず、会えないという絶望の闇を深くするばかり。

 すんすんと啜り泣いても、慰めてくれる人は存在しない。

 線を走らせ続け、まるで神経回路のように細かくなった脳内の地図は、タイトルを付けるとすれば『無為』以外にない。

 いよいよ生きるのを諦めてしまおうと、そう覚悟を決めようとした時だった。

 ──ぽちゃ。

 耳が音を拾った。

 狂った声でない、機械的な靴音でない、自分以外の音。

 顔を上げて、その方向を見る。

 水滴が垂れて、小さな水たまりを作っていた。

 驚愕に顔を上げれば、水の出所は、先ほどアランが突き刺した工具だった。壁から染み出た水が工具を伝い、水滴を滴らせている。

 アランは飛びつくように工具を引き抜き、内部に目を凝らした。滴る透明な水に指で触れ、恐る恐る舌に乗せる。

 

 

「っ──げえっふ! っぺ、苦!? いや酸っぱ、甘!? 違う今度は辛──はあ!?」

 

 

 神経全部を刺激する、舌がちぎれるような強烈な衝撃が走り、アランは仰け反る。

 恐る恐る、自分か切り込んだ裂け目を覗き込み、更に工具を突き立ててみる。裂け目から染み出てくる水は勢いをよくし、ちょろちょろという軽やかな音を立てて壁を濡らす。

 その清流の音は、涙が出るほど美しく聞こえた。しばらく感動に打ち震え、狂気に染まっていたアランの頭脳に、思考が復活する。

 

 

「なんで水が……今までこんな事なかったぞ? 深く傷つけたから? でも、八つ当たりは今回が始めてじゃない」

 

 

 描き続けた地図を脳内に広げ、アランは気が付いた。

 一つの見落としもないように、アランは一息に足を伸ばす事をせず、全ての道を一つ一つ踏破し、正確極まる地図を少しずつ広げていった。その努力があったからこそ気付けた。

 地図の中に、不自然に開いた空白がある。

 液体の滴るそこは、まさにその空白に当たる箇所だった。

 アランは慌てて、目の前の壁にサインを刻んだ。壁に左手を着き、逸る足取りを諫めながら歩き、距離を測り、地図を描く。

 四ヶ月後、アランの予感は的中した。迷宮の中には、楕円形をした空白が存在した。

 

 

「……間違いない。これは維管束だ」

 

 

 根から吸い上げた水を運び、葉で作った養分を巡らせる、水と栄養を運ぶ植物の血管。直径実に七千キロに及ぶ巨大な一本の管に触れて、アランの思考は加速する。

 

 

「植物で作られたこの空間が、一本の巨大な樹木だとすれば──」

 

 

 常識では有り得ないサイズの巨大さではあるのだが、樹木だとすればだいたいの構造は決まっている。大きく幹を構成する樹木の大半は、維管束を輪状に並べた双子葉類だ。

 アランは意を決して歩き出した。サインを刻み、左回りで大股一歩、一秒に二歩のペースで歩き、意欲的に地図を広げる。

 果たしてアランは、十四年の時間をかけて更にもう一本の維管束を発見する。

 アランは両手を広げて喝采した。

 この地獄のような迷宮の、全貌を突き止めた瞬間だった。

 

 

「っしゃあああああああああああああああ!! 死ねクソ親父ーーーーーーーーーーー!!」

 

 

 脳内の正確な地図は、維管束同士の傾きまで正確に算出できる。推定される迷宮の直径は八二七〇万キロメートル。その正体は──生きた樹木だ。

 全貌が分かれば、内と外が分かる。方角が分かる。

 闇雲に地図を埋める作業は、探求へと変わった。

 

 

「待ってろよヴィル、みんな! 何十年何百年かかったって、必ずここを抜け出してやる! 目的地は、迷宮の中心だ!」

 

 

 途方も無い作業が再び始まった。ひたすら中心に向けて歩き、行き止まりに出会ったら引き返し別の道を探す。方角を見失わないためにも、頭に常に地図を浮かべ、線を刻んでいく。

 何年も何年も、何キロも何キロも、常に思考をしながら歩く。必ず帰るという一心で魂を鉄のように固めて、火を絶やさぬようにして。

 果たして、どれほどの時間が経ったか。

 機械的に足を動かしていたアランの顔を風が撫でる。

 顔を上げたアランの、濁った目に光が宿った。

 回廊は終わり、大きく開けた神殿がそこにあった。見上げた頭上に天井は見えない。広大な宮殿の両脇には、人の手で作られた物ではない、樹木が捻れて自然に出来上がった様々な像が鎮座していた。人型や獣型、鳥類など様々なシルエットがあるが、いずれもアランの知識には該当しない、猛々しい意匠を感じさせた。

 

 

「……ぉ、ぉぁ…………すっげ」

 

 

 ここ十年ばかり発音すら忘れていたアランの喉から、ようよう意味のある言葉を絞りだす。

 神殿の奥には、淡く輝く柱があった。眩い白光を内側から放つ柱が、果ての見えない頭上に向けまっすぐ伸びている。

 近づくと、それは柱ではなく裂け目のようだった。内側に途方も無く巨大な円筒形の空間があり、裂け目からそれを覗くような状態にあるらしい。恐らく樹木の芯にあたる部分で、栄養素を上に吸い上げているのだろう。ごうごうと魂が震えるような唸りを上げていた。

 

 

「……今更ためらうなよ、アラン」

 

 

 光の胎動する空間へは、半透明の薄いゲル状の膜で覆われていた。アランはさながら光に惹かれる羽虫のように近づいていく。

 恐る恐る近づけたアランの指が、急に何かに引っ張られるようにゲル状の膜に触れ、突き抜けた。あっと驚く間もなく、アランは光の中に呑み込まれる。

 ざぶん、と液体に飛び込む音。ぞっとするほどの冷たさが襲ったと思いきや、感覚の全てが一気に遠くなる。液体そのものが眩く発光しているのか、視界が真っ白に染まり、瞼を開いているのか閉じているのかも分からなくなる。そのまま巨大な流れに押し流された。

 激流は僅か数秒のようにも、数ヶ月のようにも感じられた。途中で数回生まれ変わったような気もする。

 激流は唐突に終わり、アランはばしゃんと激しい水音をあげ、固い床に叩き付けられた。

 

 

「っげほ、げほ! ここは……どこまで流されたんだ?」

 

 

 頭を振り、呑み込んだ液体を吐き出して、地面の感触を探る。

 ひたりと触れた床は、冷たい石の感触がした。顔を上げたアランは、自分がこれまでと全く違う場所に訪れたことを悟る。

 壁の両端に並んだ巨大な窯。壁には無数の武具や防具が並んでいる──いずれも目を見張る業物だ。ひと目見ただけで、その格の違いに鳥肌が立つようだ。

 正面には、見上げるほど巨大な銅像が立っていた。無数の腕に、用途も様々な武器を携えている。どこかの戦神を象った物だろうか。穏やかな顔の額に開いた第三の目がアランの魂を見透かすようだ。

 炉や、机に整然と並んだ工具には、何千年何万年もの間使われた年期が見て取れたが、この場所が投棄されてから更に幾星霜も経過しているらしい。多くの炉は埃が被り、機能を停止させている。

 一つの炉が、煌々と炎を燃やしていた。その色は白い。幻想的な白い炎の前に、誰かが屈んでいる。その人物はふと顔を上げると、呆然とするアランに気づき、目を丸くする。

 

 

「……あんれまぁ、人だぁ。めっずらしい」

 

 

 のんびりとした声を上げたのは、少女の姿をしていた。腰まで伸びた髪は蝋のように白い。瞳の色は血よりも濃く眩い赤。両側頭部には、黒い光沢を放つ角があった。辺境に存在するという悪魔属かと思ったが、あのようにまっすぐ伸びた角は文献には見たことがない。

 ここに至るまでの経緯もあって、同じ規格の存在とは思えなかった。しかし、少女は火の側で打ち込む鍛冶仕事のせいか、ものすごく薄着だった。緩いズボンを履いた腰から上は、肌に貼り付く上布一枚きり。炉の火で炙られて汗が滲み、胸の膨らみにぴっちりと貼り付いている。臍の窪みに滴る汗までが見えて、アランは咄嗟に目を逸らした。

 目に毒な格好をしている事など気にも止めず、少女は取り出した剣を机に置き、驚きに丸くした目のまま近づいてくる。

 

 

「これまた随分と若かぁ。赤子と変わらんやないのぉ?」

「いや赤子って、見たとこ君とそんなに変わらな──ふひゃ!?」

 

 

 ふむふむと考え深げに観察していた少女が、不意にアランのわき腹をがっしと鷲掴んだ。素っ頓狂な声を上げるアランもお構いなしに、続いて太股、二の腕と移り、もみもみ物色する。

 

 

「うん、肉も付いとる。劣化もなく、償却もされてない健康体やの」

「ちょ、何勝手に触って──」

 

 

 振りほどこうと身を捩る。その顔を両手で抑えられた。

 あどけない、けれどこの世のものとは思えない可憐な顔が、息がかかるほど近くに迫る。

 喉を詰まらせたアランの目の前で、少女はズボンから小さなハンマーを取り出した。ぼんやりと白い光を放っているそれで、アランの額をコツンと小突く。

 名状しがたい感覚が、アランを襲った。

 雷に撃たれたような衝撃と共に、アランの意識が剥離する。独立した意識は外側からアランを俯瞰する目になり、流れる血の一滴になり、全身の神経を経由する電流になった。拡散した自意識が、アランの全身を隅から隅まで自分のものとして知覚する。

 自分という情報、それも極限まで精密な情報を一息に脳に流し込まれたような感覚に、アランはよろめく。

 

 

「う、ぁ……!?」

「ふむふむ……あぁ、『籠手』の息子か。それなら、うん、ここに来れたのも納得かもなぁ」

「っ待て、今なんて言った……親父を知ってるのか? ここはどこだ? そもそもお前は誰なんだ?」

「おろ? 分かっていて来たんじゃないの?」

「知るかよ。〈パズスの虫籠〉に閉じ込められて、白い流れに飲まれて、気付いたらここに……ああくそ、状況が急に変わりすぎて付いていけねえ……!」

「虫籠? ……うっわ、世界樹の洞? アレを抜けてきたんか? え、ほんと? こわ……」

 

 

 体感で百年以上稼働を続けたアランの脳が、突然現れた少女の存在に驚きすぎて震えている。一方の少女と言えば、虫籠の名前を聞いて驚き、というよりドン引きしている。アランの辿ってきた道程は、この異様な少女にとっても狂気の沙汰であったらしい。

 

 

「質問に答えるなら、うちはウルカ。ここは炉」

「炉って、どこの炉だよ。見たところ鍛冶場みたいだけど……」

「炉は炉よ。どこかも、何ならいつかも曖昧な場所やけ」

 

 

 捉えどころのない少女に翻弄されつつ、アランはぐるりと首を回し、壁に掛けられたり棚に陳列されている武器達を見る。

 どれも凄まじい清廉具合だ。あまり詳しくないアランでさえ神業だと断言できる。数十年の人生を全て打ち込んで辿り着く至高の域のように思えるが、まさか全てこのウルカという少女が作ったものだろうか。

 戦慄するアランを余所に、ウルカはくぁぁ……と欠伸を一つ。はてと何かに気が付く。

 

 

「……あ。ここに来た奴はもてなせって先代から言われとるんやった、忘れてたぁ」

「もてなすも何も、まずは状況の説明をだな……」

「んー、食べもんもないし……あ、お前さんは若い雄だし、よかったらうちでも食べる?」

 

 

 考えの掴めないほんわかとした表情のまま、少女は自分の胸を両脇からぐっと持ち上げた。汗の貼り付いた大きな双丘がふっくらと持ち上がり、アランの息を止めさせた。

 

 

「っは、はぁ? な、き、急に何言ってんだ……そ、そんなことよりだ! 何かしてくれるなら、脱出のために力を貸してくれ。俺は元の場所に帰りたいんだ」

「ん? せっかくここまで来たのに、お前さんは帰りたいの? てっきり、親父さんより上に登り詰めたいんやと思ってた」

「……何だって?」

 

 

 さすがに看過できず聞き返す。ウルカはもう胸を寄せ上げる事をやめ、アランから視線を外し、炉の白い炎の中へ何かを差し入れている。

 

 

「さっきの鎚で『響かせた』時に、お前さんの憎しみが見えた。怒りと、見合わない自分への無力感……越えたいという克己の心と……創造への情熱」

「……」

「ここは産み出す者しか来れん神聖の地。帰りたいなら拒まんけど……うちは仕事ができんで、ちょい寂しいかもな」

 

 

 眉尻を下げて唇を尖らせるかわいい仕草。それを補って余りある、超常の気配。

 アランはもう一度空間を見渡す。白い炎を灯した炉、神業によって創られた武具の数々。

 ヒドゥンは『試練』だと言った。試練が迷宮の踏破だとすれば、辿り着いたここにもまた彼の思惑がある。息子としてアランを育てようという、歪んだ父親の情熱が。

 

 

「……教えてくれ、ウルカ。お前の仕事って何だ。俺に何をしてくれるんだ」

「見繕う。お前さんに見合う得物を。人の粋を越えた熱を孕んだ魂を打ち、清廉し、神智に至る器に変える」

 

 

 ウルカはくぁ、と眠そうに欠伸をしながら、アランに真紅の瞳を向けた。

 

 

「やから、ええと、客人にはこう聞く決まりなんよ……汝は何を編み、何を創り、常世に何を齎すか?」

 

 

 のんびりとした声音。けれど、その問いを投げられた瞬間に、空気が一気に温度を下げた気がした。

 重要な問いだと、魂が悟る。この瞬間に、自分の人生を決定づける程の。

 迷う時間は一瞬。アランは深呼吸を一つ、ウルカの目を見つめる。

 アランの掲げる野望はシンプルだ。

 父を越え、打倒する、正義の魔導技師になる。

 父が魔具によって人を殺すのであれば、自分は魔具でそれ以上の人を守り、救ってみせる。

 

 

「──俺は、抗う力を齎す。俺達を縛る枷をぶち壊し、運命を自分で切り開く。世界最高の正義の魔導技師と名乗れるような、力に立ち向かう力が欲しい」

 

 

 アランの宣誓を、ウルカは緩やかな頷きで答えた。その唇は緩んで笑みを作っている。どうやらアランの解答は、この不思議な少女を満足させるものだったらしい。

 

 

「わがまま、利己的、大変結構……職人が太極を見る必要なんぞなか。こだわり尖って、それで世界をぶち抜いて見るがよし」

 

 

 そう言うと、ウルカは炉にくべていた器具を手にし、立ち上がった。

 大きな鋏と鎚だ。白い炎によって熱され、目も眩むほど白い光を放つそれを両手に持つ。

 その格好で、なぜかウルカはこちらに近づいてきた。

 異様な気配にアランがたじろぐ。

 ジリジリとした熱気が肌に触れるくらいに近づいて、ようやくウルカがはたと気が付いた。

 

 

「あ、言い忘れてた。今から兄さんの魂を加工するから……めちゃ痛むけど、まあ別によかよね?」

「は? オイふざけんな、待てせめて心の準備──」

 

 

 言い終わらないうちに、鉄鋏がアランの胸を貫いた。

 白く焦げる猛烈な熱。アランの驚愕の叫びも、立ちどころに白く塗り潰される。

 胸の奥、自分の最も深い所から、何かがずるりと引き抜かれる。

 アランの一部であり、本質であるそれに、ウルカは白く輝く鎚を躊躇いなく振り下ろした。

 鋼が激突する、ガァンという音を最後にアランの意識は途絶し、その瞬間に、世界を巻き込む彼の激動が始まった。

 

 

 

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