変化に最初に気付いたのは、《レイヴン》のリーダー、ヴィジブックだった。地盤沈下と超重力の合わせ技で巨人を押し留めていた彼は、ふと、滴を頬に受けて雨の訪れを知るような気軽な調子で、言った。
「おっと。噂をすれば、アラン君が帰ってきたみたいだ」
「は?」
「なんですって?」
ヴィルとミヒルが聞き返す中、フィッツジェラルドの皮膚の紋章が動き、光が収まる。
瓦礫の巨人を押し潰していた重力の魔法が解除された。たちまち瓦礫の巨人が元の形を取り戻し、液状化した地面に埋まっていた身体を強引に引き上げていく。
「お、オイオイオイオイ!? 旦那!? 急にやる気も生きる気もなくしたのか!?」
「しっ。スカイ/ホロウ。あの巨人の中に目と意識を凝らしておいてくれ」
口元に立てた人差し指を添えたヴィジブックが、念話を繋いでいた二人に言う。
ズズズ……と音を立てて巨人が身を起こそうとする、その内側で──
「どわあああああああふざけんなテメエええええ──っがう!?」
叫びながら身を起こしたアランは、固い物に思い切り額をぶつけて倒れ伏した。
ズキズキとした痛み。ガンガンと揺れる脳。それを実感として感じる。
最初に感じる刺激としてはあんまりだが、それでも痛みの実感が、涙が出るほどに嬉しい。
「っやった……やったぞ、元の世界に戻って──って、ななななんじゃこりゃーーーーー!?」
アランは喜びに目を開け、シームレスに驚愕の絶叫を張り上げた。
瓦礫を巻き込んでうぞうぞと蠢く金属のチューブが、アランの周囲を埋め尽くしていた。
ウルカにいきなり胸を貫かれ、死ぬような痛みを感じたと思ったらこれだ。また別の亜空間に飛ばされたのか──その疑問は、脳内に響いた気怠げな幼女の声が否定してくれた。
『……うわ、アランいるし』
『ホロウ? お前まで何言って──うっわマジだ、アランがいる!』
「ホロウ! スカイ! ……ほ、本当にお前等なのか? 幻覚とかじゃないよな、頭がおかしくなった俺の妄想じゃないんだよな?」
『……なんか、アタシ達いきなり妄想扱いされてるぞ。ホロウ、ムカつくから言ってやれ』
『アランの、夜のえっちなお供のタイトル、十個言うまで止まりまてん~』
「あっははははその呼吸するように人のプライバシーを侵害するデリカシーの無さは間違いなくお前等だ! やった、やったぁ、すっごく会いたかったぞぉぉーー!」
『ね、スカイ。なんかアラン、泣いてるんだけど……ちょーキモい』
『かわいそうに、聖骸に頭をやられちまったらしいな。くわばらくわばら……』
アランにとっては実に百年以上の時を隔てた再会だが、実際の経過時間はたったの二日だ。スカイ/ホロウはアランのテンションについていけずにドン引きしている。
突然、周囲の瓦礫が蠢いた。波打つ瓦礫に押され、体感二メートルばかり落下する。
「っだ! ──っていうか、何だこの状況は。俺は今どうなってるんだ? ここどこ!?」
『巨大化したフィッツジェラルドの腹の中だよ! 街の残骸を吸収しながら、どんどん巨大化してるんだ!』
「何だそのハチャメチャな状況! じゃあ、今の俺は消化待ちの餌って事か?」
まるでアランの問いかけに応答するようなタイミングで、瓦礫が蠢き、更にアランを押し立てる。ゴツゴツとした岩壁にサンドイッチされるプレッシャーに、ぞっと背筋が青ざめる。
「冗談じゃない、クソ狭い迷路をやっと抜け出してきたのに、ぺしゃんこなんて御免だ!」
『アラン、イスラだ。いま自分がどのあたりにいるか分かるか? ブレアレストと共に、瓦礫を切り崩して君を救出したい』
『あぐっ……ダメだ。揉みくちゃにされて、どっちが上かも分からない! スカイ/ホロウ!』
『こっちも無理だ、狭すぎてアタシの〈目〉は入れないし、ホロウの思念も細かい位置までは掴めない!』
呑み込まれるアランには知る由も無かったが、フィッツジェラルドはヴィジブックが液状化させた大地から最後の足を引き抜き、再び街の蹂躙を再開しようとしていた。激しい破壊と攻防が始まれば、アランの身体は磨り潰されてミックスジュースにされるのが確実だった。
『アラン! 根性見せろ、このへなちょこ! 顔も見せずに死ぬんじゃねえ!』
「っ百年ぶりの挨拶がそれかよ、この……!」
念話越しに粗野な相棒の声がする。乱暴な発破に胸を打たれ、ぐっと身を捩る。
キィン──と、異様な感覚がアランの脳を貫いた。
澄んだ金属同士を打ち鳴らすような。耳ではなく、魂を直接揺さぶってくる神聖な音。
まるでその音が鍵であるかのように、アランの、どこか奥底の本質に近い部分が開かれる気配がする。
その根源からアランの頭脳に目がけ、凄まじい量の情報が怒濤のように流れ込んできた。
──対象物質量三四二〇トン──主要構成物質:珪素六二%カルシウム一八%ガナラン鉱一二%有機混合物八%──ガナラン鉱を対象の主幹と断定。沈降、繙読、闡明、継続──
「っ……!?」
呻き声を上げようとする、その口の動きも、振り絞る肺の動きも追いつかない。時間を置き去りにする圧倒的な速度で情報が流れていく。
それはさながら、体表を流れる電気信号の一つ一つに意識が伝播したようだった。目の前の瓦礫から細かく砕けた硝子片までを認識する。巨体に混ざった有機混合物の分子の連なりまでが超自然的に頭に雪崩れ込み、その元々がどんな生命のどの部位だったかまでが理解できる。
一瞬でアランは、自分の周囲を取り巻く瓦礫の巨人の正体を──体長から質量、彼が辿ってきた道程までを理解した。
澄んだ金属が裂ける破砕音がして、アランは頭を打ち抜かれたような衝撃に仰け反る。遠くなっていた耳が音を認識し、一瞬機能さえ忘れていた肺が深く息を吸う。
「はぁっ! い、今のは……!?」
自分の身に何が起きたか理解できず、アランは狭い瓦礫の中で身を回し、それを見つける。
自分の腰に、見慣れない物が刺さっていた。
それは鞘と、鞘に籠められた剣だ。アランの肘から先程度の長さの革製の鞘から、眩い銀であしらわれた柄が伸びている。
鞘の隙間から、仄かに白い光が溢れ出ていた。鼓動するように断続的に溢れてくる幻想的な白い光が、『手に取れ』とアランを呼んでいる気がした。息を飲み、アランは剣を引き抜く。
それはレイピアだった。美しい銀色の刀身は紙のように細く瀟洒で、なのに折れる気配を一切感じさせない力強さを持っている。その刀身は、神々しい白光を放っていた。
吸い込まれそうな光を見つめていたアランは、眩い白の中に、超常的な確信を見つけた。
「──解ける!」
『なんだって? 解けるって、何がだ?』
「自分でもよく分からない! 分からないけど、俺は、コイツを解けるんだ!」
アランは誘われるようにレイピアを握りしめる。
眼前の瓦礫の波、そこに蠢く金属のチューブ目がけて、白銀の先端を突き立てた。
澄み渡る、魂の奥底まで響く金属音。
フィッツジェラルドを構成する圧倒的な量の情報が、アランに時間を置き去りにする速度で流れ込んできた。
──分析──対象物の組成を繙読。分析、規程、解読、繙読継続──瓦礫の珪素の含有量から分子の接合に至るまでの解析が無限分の一秒で完結する。反復、繙読、分析、規程、解読、反復──アランの意識は電気のように無数に分岐し駆け巡り、命ならざる白銀の機構のように冷静に機能的に深く深く沈降していく──反復、繙読、分析、規程、解読、反復──やがて、至る。魔術組成に到達。三二万三二七九語のスペルコードと二五の非言語術式を析出。
全てはアランの肉体的な感覚の外側で行われていた。瞬きよりも短い、神経細胞の発火よりも一瞬の間に、アランは全てを暴き出す。フィッツジェラルドという生命魔術を織りなす、魂の奥底に刻まれし奇跡の原動力たる呪文の全てを抽出する。
そしてアランは、フィッツジェラルドという存在の根源に向け、純白の先端を突き立てた。
──判読──分析──掌握。
〈
突然、巨人が吼えた。
巨大な金属が引き裂かれるようにも、無数のビルが一息に瓦解するようにも、あるいは数百人が一度に身を焼かれるようにも聞こえる凄まじい絶叫を上げて身悶える。
次の瞬間、巨人が内側から爆発するように瓦解した。波打つ金属のチューブは次々と引きちぎれて宙を踊り、大小様々な瓦礫や硝子片が滝のように大地に落ちてくる。
当然、その大量の瓦礫の中には、アランが取り残されている。
「姉御!」
「あなたにお姉さん呼ばわりされる筋合いはない! 行くよ!」
真っ先に動いたのはヴィルとミヒルだった。ミヒルが〈チャリオッツ〉のエンジンを唸らせ、猛烈な勢いで加速。今まさに落ちてくる瓦礫の下へと躍り出る。
「聞こえるか、アラン! 今から瓦礫の全部を下から吹き飛ばすから、用意しろ!」
『っぁ……用意って、何を……』
「十字を切って、祈ってろ!」
悪夢から覚めたばかりのような朦朧としたアランの声にそう返し、ヴィルはありったけの魔力を火砲に注ぎ込んだ。
先のフィッツジェラルドとの戦いで、火砲としての機能は破損している。
だが、砲身が壊れていようが、爆発はさせられる。
ヴィルが籠めた魔力は、行き場を失い砲身内に充満し、たちまち猛烈なエネルギーが火砲をビリビリと震わせ始めた。穿たれていた穴から光と雷光が溢れ出す。
最高速の〈チャリオッツ〉が瓦礫の真下に辿り着くと同時に、火砲に籠められた魔力が臨界点を迎えた。ビリビリと肌を震わせる余波を浴びながら、ヴィルが吼える。
「今だ!」
「ッ──!」
ヴィルが義肢の接続を断ち切って運転席へ跳び、ミヒルが操縦席のレバーを引く。
切り離され置き去りにされた銃座が、地面に落下した瞬間、内部に籠められた魔力の全てを解き放ち、大爆発を巻き起こす。
さながら超特大のクラッカーのように、大量の瓦礫が宙を舞った。規模が大きすぎるが故のスローモーションな動きで瓦礫が浮かび上がる。
「お、わあああああああああーーーー!? 死ぬ死ぬ死ぬ、今度こそ死んだーーーーーー!?」
爆発の余波に煽られ、アランもまた宙を飛んでいた。付近のビルを飛び越える高い高い跳躍の後、腹の底が浮き上がるぞっとした怖気がして、付近の瓦礫と共に落下を始める。
がむしゃらに手足を振り回していたアランの身体が、ぐっと引っ張られる気配がした。かと思いきや、足首を掴まれ、空中でぴたりと制止する。
アランを置き去りに落下した瓦礫は、そのまま範囲数キロの一帯に流星群を撒き散らすかに思われたが、唐突に空間に現れた蒼い光の網がそれを防いだ。網は落下した瓦礫の全てを絡め取ると、滴を落とすようにひとまとまりにしてハイウェイに瓦礫の山を作る。
宙づりのまま、何が起きたか分からず呆然とするアランが足下を見ると、足首を掴むヴィジブックと目があった。
肌の入れ墨を蠢かせて蒼い光を収めたヴィジブックが、にこやかな笑みをアランに向ける。
「おかえり、アラン」
「はぁ……ただいまです」
訳も分からず、曖昧な返事を返して。そこでアランの精神が限界を迎えた。
ぶばっと音を立てるほど勢いよく、アランの鼻から血が噴き出す。
普段は穏和なヴィジブックの、おやと目を丸くした驚きの顔を目撃することなく、ぶつ、と意識が切れる音がして、アランは体感でじつに一五〇年ぶりとなる深い眠りの中に飛び込んだ。