「ばかだなぁ、お前」
それから三日後。《レイヴン》本拠地内の寝室にて。
久しぶりに――アランにとっては本当に久しぶりに再会した相棒は、アランの顔を見た瞬間に、眉を潜めて苦々しく言い放った。後ろ手でドアを閉じながら、その相変わらずな物言いにアランは苦笑する。
「地獄から生還してきた相棒だぞ。もっとねぎらいの言葉とかないのかよ、見舞いにも来てくれなかったじゃないか」
「お前のせいで巨人をぶっ倒すのに余計な手間が増えたんだよ。攫われるなんて情けねえぞ、お姫様め。だいたいオレは足を運ぼうにも、この通り運ぶ足がねえもんだからよ」
そう言ってヴィルは足を持ち上げた。ほんの少しの根元しかない彼女の太股が、ベッドをぼふんと叩く。
何も知らない人が彼女を見て、一瞬で『人間』だと認識するのは難しいだろう。それぐらいに、彼女の見た目は欠落が多い。四肢のうち残っているのは右腕だけ。左腕は肩口から先がなく、両足は僅かな太股を残して欠落。欠けた四肢の断面を、義肢接続用の金属の機構が覆っている。フィッツジェラルドにもぎ取られた左足には包帯が巻かれていて、その先端を覆うようにされた白い布が彼女の欠落をより強く意識させる。
ツインサイズのベッドの真ん中に投げ出されたヴィルの姿は、見る人が見れば相当にショッキングな光景だった。けれどアランは、ヴィルの人ならざる外見なんかより、彼女が下着だけのあられもない姿でいることの方に驚いた。タンクトップタイプの肌にフィットするスポーツブラは、彼女の意外と大きい胸の形を浮き彫りにしていて、思わずさっと視線を逸らす。
「スカイ/ホロウに会いに行くって連絡させてただろ、なんでそんな格好なんだよ」
「そういう文句は、いっぺんでも右腕一本で着替えてみてから言いやがれ……つーかお前、こんな木偶の身体に欲情するってのかよ? 相当性癖のこじれた変態だな」
「オイ、やめろ。お前の身体だぞ、冗談でも木偶なんて呼ぶな」
茶化した様子のヴィルを諭す。ヴィルは「……ちっ」とつまらなそうに舌打ちをしてアランから目を逸らし、右腕で傍らに置いていた新聞をわざとらしく開いて会話を打ち切る。
アランは手にしていたアタッシュケースを机に置いた。開くと、金属の光沢を放つ義肢が三本と、円形の装置が一つ陳列されている。円形の装置は、スペルコードが刻まれた金属の外縁に、時計の内部より更に複雑な機構がひしめき合っている。ヴィルの意識と義肢を接続する連結機構。彼女の義肢において脊髄の役割を果たす最も重要な魔具だ。ケースから取り出し、肉眼で慎重に外観を確かめ、専用のゴーグルで魔力経路を確認する。
その作業の合間に、ヴィルが話しかけてきた。
「ニュース見たか?」
「いや、見てない。進捗はあったのか?」
「サッパリだ。玩饗王ヒドゥン・レイ・スタンリーは見つからず。ハイウェイの瓦礫の山はようやく撤去を始めようかって頃合いだ……それより、あんまり嬉しくない特報があるぞ。お前の事が取り上げられてる」
「なんだって?」
作業の手を止めて振り返った。ヴィルは膝の上に広げた新聞をつまらなそうに眺めている。
「バカの考えたじつに天才的な推論でいらっしゃるよ。ヒドゥンがこの街に現れたのは在住している彼の息子が原因で、そればかりか今回の一連の事件は、親子で共謀して起こしたんじゃないかとさ。《レイヴン》はこの疑念を晴らす説明責任があるのではないか、だと……アホ臭え。三文ゴシップに付き合ってられるかってんだ」
「本当にその通りだ……親子の共同作業なんて、もう沢山だよ」
否応なしに、過去の記憶が蘇る。八歳の誕生日。父と共に作った魔具が街を焼いて作られた紅蓮の光景。悲鳴。
あの日以来、父に対する憎しみの炎が潰えた事はない。玩饗王出現の報せを聞く度に、自分の身が裂かれるような辛酸を感じている。
それなのに、アランの前に現れたヒドゥンは、十年来の再開を心から喜び、誇らしげに息子と呼び立てた。
思い返すだけで反吐が出そうになる。十年が経っても、あの男は何も変わっていなかった。相変わらず倫理観の喪失した悪意の塊で、自分を息子と呼び、イカれた愛情を見せつけ、成長させようと試練まで課した。
「……」
アランは腰に提げたレイピアに触れる。
ウルカと呼ばれる少女に出会い、白銀の武器を手に入れてから、アランがそれを手放した事はない。距離を置くと、まるで自分自身を見失ったような不安に襲われるのだ。風呂や睡眠時を除けばいつも腰に差している。
ヴィルも話には聞いているのだろう。彼女の視線を背中に感じる。少し迷って、アランは柄を止めている革鞘のボタンを外し、引き抜く。
小ぶりのレイピアは、やはり尋常でなく磨き抜かれた白銀の煌めきをしていた。アランの手に収まった刀身は、ほんのりと白い輝きを放っている。
アランはレイピアの先端を、円形の連結機構に突き刺した。
澄んだ金属を打ち鳴らす、キィン――という快音。アランの意識が、時間すら置き去りにする極限の集中状態に落ちていく。
繙読、分析、規程、解読、反復――アランの脳内で果てしなく続く理解の連鎖。部品の一つ一つが、感触さえ伝わる明瞭さで理解されていく――繙読、分析、規程、解読――巨大な山の頂に落ちた一滴の雨粒が、土に染みて大きな流れと合流し、やがて大地全てを埋め尽くすような、その全ての道程を一瞬で通過するような膨大な情報の渦――やがて魔術組成に到達する。アラン自身で書いた七二四九語のスペルコードを認識する。
頭に飛び込んだ魔術式の解像度は、アランが自分の脳内で思い描くそれを遙かに超えていた。紡いだ一語一語が、一つの命のように機構の中を動き役割を果たす様をイメージできる。無数の魔術の連鎖反応の全てを我が事のように把握する。
スペルコードから織りなす魔術が、そのまま自分の身体になったよう。だからこそ、まるで間接が炎症を起こしているような不具合に気が付いた。
その小さな不具合に、アランはレイピアの針を差し向ける。
〈
そう意識した瞬間、連結機構がレイピアと同じ淡い白に輝き、音もなく粉々に分解された。球状に形成された白い光の中で、重力を忘れたように部品が宙を舞う。
アランの意識下で、その作業はジグソーパズルを組み立てるようだった。数万個のピースの全てが、どこに当てはめられるかを理解している。光の中で部品は次々と組み合わせられ、やがて一つの機構となってテーブルに収まった。
「っはぁ……ふぅー……」
針を引き抜き、深く呼吸する。
頭が焼けるように熱くなっていた。身体と意識の繋がりがちぐはぐで、たった今息を吹き返したみたいだ。
義肢の連結機構は、見た目こそさっきまでと大きくは変わりないが、その内側は別物だった。目の前にあるこれが魔具であれば、先ほどまでのは子供が作った粘土細工だろう。
「ヴィル。これまでの義肢、足首を強く捻ると痛んだだろ」
「え? ああ、軽くぴりっとする位だけどな。ぜんぜん気にする程じゃなかったぞ」
「でも、俺の魔具でお前に嫌な思いをさせるのは嫌だ……もう大丈夫だ、多分、動作性もかなり軽くなっていると思う」
目眩のする頭を振って、アランは今起きた出来事を反芻する。
〈茫漠緻縫の針〉。切っ先が触れた対象を、分子の構造に至るまで完璧に分解・理解し、編纂する力。神代の技術を持つ聖骸の、その中でも抜きんでた逸品であることは疑いようもない。
だがその性能の分、使用した際の負担は凄まじかった。脳に流れ込む情報量は怒濤という言葉さえ足りない。時間を置き去りにする極度の集中は、アランが一人で作ったスペルコード七〇〇〇字程度の魔具に対してさえ、危うく失神するほど強烈だった。フィッツジェラルドを分解した際に脳が焼け焦げなかったのは、本当に幸運だったのだろう。
強力な力だ。使い方によっては、容易く己の身を滅ぼすほどの。このレイピアは、間違いなく自分の魔具製造の技術を跳ね上げさせる事だろう。
「待たせたな、ヴィル……どうした?」
連結機構を手に振り返ると、ヴィルが神妙な面持ちでこちらを見つめていた。問いかけると、彼女は肩を竦める。
「別に? ただ見てたんだよ。パパからのプレゼントに喜ぶお前の姿をさ」
「……含みのある言い方だな」
否応なしに気分が深く沈み、視線が鋭くなる。ヴィルは「悪い」と一言詫びて、右腕一本きりの身体を揺する。
「ただ思っただけだ。お前は結局、父親の後を追いかけて、父親のようになろうとしてるんじゃないかって」
「そんな訳ないだろ、よりにもよってお前が疑うのか?」
「疑うもんか。あのクソ野郎に対する憎しみって一点で、オレは誰よりもお前を信じてる。だけどアラン、鳥は犬のように大地を走っては生きられないだろ? 列車は敷かれたレールしか走れない。それが誰によって敷かれたかに関わらずさ」
「急にどうしたんだよ、インテリ目指して哲学書でも読み始めたか?」
「茶化すな……こんなナリだ。どこにもいけず何もできない状態が続けば、さすがのオレも気が滅入るんだ」
枕を腰に敷いて座ったヴィルが、右手を広げて自分の身体を見せつける。一人ではベッドから降りる事もできない、食事すら満足にこなせない、右腕一本の彼女の身体。
「オレは奴に産み出された道具だ」
「ヴィル……」
「これは事実だ。オレは道具。試験管の中で産まれた人造人間。右腕以外の四肢を削られて魔力に転換した生きる魔力炉、その完成品でさえない実験サンプルの一つだ……あの日、玩饗王討伐のためにやってきた冒険者に救助されなければ、オレは実験台にされるか、魔具に組み込まれて、石炭みたいに死ぬまで使い潰されるはずだった。元来マトモな人間じゃないんだよ」
「でも、お前は今ここで戦っている」
「そうだ。自由になったオレは《レイヴン》に入り、何の因果かお前と出会って戦ってる……こんな風に産みやがったヒドゥンの野郎を絶対に許さない。いつか必ず殺すと魂に誓った。この手で、オレの血が通ったこの右手で、奴の皺枯れた首をへし折ってやると誓った」
ヴィルは右手で、自分の鎖骨の下、そこに綴られたタトゥーをなぞる。『I FIGHT THEREFOR I AM(我闘う、故に我在り)』。それが実験台として産まれたヴィルが、今ここに生きる上で魂に刻んだ信念だ。
しかし、ヴィルの右手は力を失い、シーツにとさりと落ちる。
「だが結果はどうだよ? オレは奴に手も足も出ず、お前は息子として愛され、新たな得物を手に入れた。奴の望むままに試練を乗り越え、望むように成長している……まるで、何もかも奴の掌の上みたいじゃないか」
「……」
「オレはオレだ。奴への憎しみは変わらない。だけど、それすらも奴の思惑通りだったら? オレはどれだけ藻掻いても奴の作品で、お前が着実に『第二の玩饗王』への階段を登ってるとしたら……つい、ほんの気の迷いで、そんな事を考えちまったんだよ」
普段のヴィルからすれば考えられない弱気な言葉だった。例え外野から何を言われても、彼女は知ったことかと吐き捨て、中指を突き立ててみせる――突き立てるための指さえあれば。
今アランの目の前にいるのは、右腕しかない人造人間だ。一人の悪意によって、産まれた瞬間に人間に許されているほとんどを奪われた不虞の者。
彼女が心の内に孕んだストレスと劣等感は、相棒のアランでさえ推し量る事はできない。
だからアランは、ヴィルの独白に答える事をしなかった。義肢の連結機構を手に、ベッドに乗り上げ、彼女に近づく。
「……包帯、外すぞ」
「欲情してヘンな事すんなよ、変態」
「どの口が言いやがる」
軽口の応酬が静かな部屋に木霊する。沈んだ雰囲気は冷たく、皮膚がひりつくような緊張を感じた。しかし、居心地の悪さはない。
アランがヴィルの左の太股、その先端を覆っていた包帯に触れる。柔らかな、温かい太股の感触。んっと微かな声がヴィルの唇から漏れる。
包帯を外すと、ヴィルの肌が露わになった。あるべきものがない、つるりとした筒状の太股。先端にはフィッツジェラルドに引き千切られた跡が痣となって残っていた。
中程で欠けた太股は……これを言うと確実に殴られるので言うことはないが……まるで女性の神聖な部分を覗いているような気まずさをアランに感じさせる。とはいえ視線をほんの少し傾ければ、下着一枚きりの彼女のお尻がすぐそこにある。そんなあられもない格好で、ヴィルは何も言わず、身動ぎもしない。アランを信頼し、彼に身体を任せている。微かに緊張を孕んだふぅ……すぅ……という長い呼吸がアランの耳をくすぐる。
左太股の先端に、アランは連結機構をあてがった。顔を上げ、ヴィルと目を合わせる。
「……なぁ。その神様の針で、痛みはなくせねえのかよ?」
「原理上しょうがない所だ。魔術回路を皮膚に通して、お前の神経を無理矢理引っ張り出して魔具と結びつけるんだ。これも百年前なら神業なんだぞ、我慢してくれ」
「分かったよ、くそ……」
打って変わって弱々しく悪態を吐くヴィル。
そうして彼女は、心なしかほんのり赤くなった顔で、右手を広げた。
「ん」
たった一音でも、意味は伝わる。アランはヴィルに身を寄せ、その背中に腕が回された。
彼女の身体が密着する。背中を握る手に籠められた力は強い。肩に顎を乗せ、耳元に寄せられた彼女の唇から、緊張に震える吐息がする。
アランは空いた左手をヴィルの背中に回し、抱き合った。励ますように彼女の背中をぽんぽんと叩く。
「いくぞ……いち、に――さん」
呼吸を合わせ、合図と一緒にアランは連結機構を太股に押し付けた。
途端に機構が作動し、魔術回路が太股の神経を引っ張り出す。
「ひい゛っ、づ……!?」
かつてヴィルは、冷たい針を全身の血管に通されるみたいだと表現した。声を抑えられない程の激痛が彼女の中を電撃のように走り、背中に回された右腕がぎゅっとアランを掻き抱く。
「ふぅーッ、ふぅーッ……っく、ふぅ……」
痛みは数秒で収まる。耳元の荒い呼吸は次第に落ち着きを取り戻していく。連結機構はヴィルの太股に癒着し、彼女の肉体として完全に収まった。
一気に冷や汗で濡れた彼女の背中を撫でて、アランは言う。
「……お前の言う通り、あのクソ親父の思惑通りかもしれない。俺が手に入れた力が何を引き起こすのか、正直想像もできない。何をしても俺はアラン・レイ・スタンリーで、奴の息子だという事実はなくせない」
抱き合ったままでアランは語る。ヴィルの静かな呼吸と背中に回された手が先を促す。
「だが奴は、今ここに生きている俺と、今の俺の心までは設計していない。俺は自分の意志で〈レイヴン〉に入り、魔具を製造している。フラナガンを守るために。クソ親父が殺すより多くの人を守るために」
たとえ魔具を作る知識と情熱が、悪しき父親によって授けられたものだとしても……それが正しく使われる限りは悪になり得ない。
道具に善悪を推し量る能力は存在しない。善悪はいつも、道具を使う側に委ねられるのだ。
ゆえに、吐き気のする悪を憎み、正しい事を為そうとする精神こそが、自分が誰かの道具でないという証明だ。アランはそう信じている。
「ここがクソ親父の掌の上だとしたら、その掌に火を付けてズタズタにしてやる。得られる物は遠慮なく全部貰って、その力で奴の思惑を内側からぶち壊してやる。そう思う俺の心は、決して奴の物なんかじゃない。クソ親父のおこぼれ一つで、俺が俺であることが揺らぐもんか」
アランは力強く言い切る。
現に今、アランはかつてない情熱に燃えている。〈茫漠緻縫の針〉は、アランのこれからの魔具製造に激変をもたらすだろう。数世紀は先を行くとされるヒドゥンの技術に追いつく事ができるかもしれない。
それが、端から『父親に憧れ追いつこうとする息子』に見えるとすれば、好きに言わせておけばいい。
アランにとってこれは、人生を賭けた復讐の道程なのだ。
アランの独白を、ヴィルは彼に抱きついたまま静かに聞いていた。
やがて、アランの耳元に寄っていた口から「へっ」と小憎らしい笑いが溢れる。
「恥ずかしげもなくそんな発破が出てくるなら、心配する事はなさそうだな」
「他人事みたいに言うなよ。俺の魔具でお前が戦う、この関係は変わらないんだぞ。今まで以上に気張って貰うからな」
「へん、貧弱野郎が言うようになったじゃねえか。オレも腕が鳴るってもんだぜ」
「……」
「……なぁ、アラン」
「ん?」
「無事でよかった。正直、もの凄くほっとした」
「……ちゃんと伝わってるよ。けど、言葉にしてくれてありがとう」
アランの肩がポンポンと叩かれる。もう大丈夫という合図だ。冷静になると、距離の近さや彼女の仄かな甘い香り、胸に触れる柔らかな感触が急にありありと感じられて、アランはさっと身を引く。ヴィルはもう泣いてはいなかったが、その顔は僅かに朱に染まっている。
その勝気で生意気な、斜に構えた粗暴な顔を見ると、改めてアランの胸に帰ってきたという感慨が湧いてくる。
ヴィルは右手を持ち上げ、アランに拳を向けた。彼女に唯一残された肉体。復讐すると誓った彼女の血と魂が通った拳。
最も『人間』である部分を翳して、彼女はニッと唇の端を持ち上げて獰猛に笑った。
「くたばれクソ親父」
「ああ、必ずぶっ殺してやる」
物騒な挨拶を交わし、アランはヴィルの拳に自分の拳を打ち付けた。
ごちん、という衝撃が、腕から身体へ、その奥の魂まで響く。
そうして、同じ怨敵を持つ二人の戦士は、互いの志を確かめ合い、戦い続ける決意を固めたのだった。