RAVENS   作:オリスケ

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幕間
第14話


 

 損耗甚大。修復不能。自己診断結果不明。分析不能。

 自己定義――失敗。不明(エラー)。反復(リテイク)。

 その機構は、闇の中で自己反芻を繰り返していた。

 機構には朧気な触覚があった。硬くて重い押し潰されそうな圧迫感が全身を包み、芯まで凍えるような冷たさが染みてくる。

 機構には記憶もあった。これもひどく朧気で、強烈な幾つかのシーンを残すのみだ。迫り来る電車を押し潰し喰らって我が物とする感触と、その充足感。ビルをなぎ倒し、人を蟻よりも容易く潰す爽快感。全能感。

 時系列的に最後となる記憶は炸裂だった。内側で何かが弾けたと感じた次の瞬間、彼の全身に激しいノイズが走り、闇に叩き込まれた。その闇の暗さが今もなお機構を取り巻いている。

 何が起きたか分からない。機構はその謎を解き明かそうと分析を試みる。自己診断――結果不明。分析不能。状況把握――不能。

 情報の処理を告げる指令が届かない。そもそも自分が今どこにいるかも、自分がどんな状態にいるかも分からない。

 街の破壊は上手くいったのだろうか。自分は満足してもらえる結果を出せただろうか。

 ……満足してもらえる? それは誰にだ?

 落丁が激しい。機構は記憶のストリームを探る指令を出す。自己分析――失敗。不能。

 機構はうんざりした。さっきからできない事が多すぎる。暗闇で出口を求めて彷徨うのに、手がすぐ壁にぶつかってしまう。

 圧迫感はずっと続いていた。冷たい感覚がじわじわと染みてくる。神経に直に氷を押し当てられるような嫌な辛さだ。とてもまだるっこしい。みじろぎして楽な姿勢を取ろうと、肉体に指令を飛ばす。

 瞬間、これまで以上の大量のエラーが機構の中に噴出した。

 身体を構成する腕、足、胴、胸、腰、各関節と手足の指と、それを構成する骨と筋肉、そのいずれもがプロトコルの喪失を訴える。驚き目を見張ろうとした、その動きにさえエラーが発生して中断させられた。

 機構は慌てて診断を走らせる。自己分析――不能。

 自分の身体に意識を走らせられない。

 そもそも……今、自分の身体はどうなっている?

 分からない。何も、分からない。

 今どんな状況だ? 誰に指示を受けて何をしていた?

 そもそも――自分って、何だ?

 冷たさが、ぞくっと意識全部を撫でる。

 その冷たさが恐怖であるという言語化は、機構には必要なかった。

 片っ端から分析プロトコルを走らせる。診断――失敗。診断――周囲の環境、天候、気温、座標、指先でも髪の毛一本の触感でも何でもいい――失敗。診断――何か、何か情報が欲しい――失敗。診断――自分が何者か、何ができるかを掴む情報を一つでも――失敗。診断――いやだ――失敗。診断――診断――いやだ、いやだ、いやだ――診断――診断――こわい――診断――診断診断診断診断診断診断診断診断――なんでもいい! 情報をくれ! 僕は私は俺は自分は何だ何なんだ! いやだこわいよ、誰か! 診断診診断診断診断診断診断診断診断――

 どこにも届かない自己診断を延々と繰り返し、自分が隙間もない箱に閉じ込められていると丁寧に丁寧に解き明かして、機構は静かに発狂への階段を下っていく。

 果たしてその無為な思索が、何十万回、何億回繰り返されただろう。

 

 

「……ああ、雨だ。街の雨っていうのは嫌だねえ、鬱陶しいばかりで風情が欠片もない」

 

 

 意識の片隅で、誰かの声を聞いた。

 機構は必死に、それが自分にあるかも曖昧な『耳』を凝らす。

 

 

「それにしても、こんなに早く〈パズスの虫籠〉を脱出してくるなんて思わなかった! 世界樹の洞の脱出には体感三〇〇〇年は必要かと思っていたのに、わずか一五〇年ばかりで攻略してしまった――〈茫漠緻縫の針〉か。うん、ウルカは中々いいものを見繕ったみたいだね!」

 

 

 大仰で、タガの外れたように楽しげに、喝采を上げる声。

 機構が閉じ込められた隙間もない暗がりに、針の先ほどの穴が空いた。彼は必死の思いで、その穴の中に飛び込んだ。定義すら不能になった自分の肉体を揺り動かすのは、想像を絶するほどつらくて苦しい作業だった。全身をぐちゃぐちゃに潰すような心地で声の元へと進む。

 細かい砂や硝子の破片が身体にこびり付く。かつて自分は、これを取り込んでいた。少ない経験で得た生得的反応が小さな礫を呑み込み進む。身体を捻って進んだ先に、異様な雰囲気を放つ植物の壷があった。これも縋るように取り込み、重くなった身体を這いずって前に進む。

 かくして機構は、堆い瓦礫の山からずるりとその身を這い出させた。

 外は夜で、雨が降っていた。鼠色の分厚い雲が空を多い、破壊によって機能を辞めた摩天楼が黒い壁になって空を突いている。

 しとしとと降りしきる雨で身体を構成させていた瓦礫が濡れる。機構は瓦礫を繋げて帯状になり、中央に植物の壷を抱え込んだ、得物を呑み込んだ蛇のようになった身体を必死にくねらせて、声の主の元まで這いずる。

 老齢の紳士は、全てを見透かすような凄絶な黄金の瞳をおやと見開き、機構を見る。

 その瞬間、機構の中にほんの僅かに残っていた記憶に火花が散った。自分に対して向けられていた、嬉しそうな輝く瞳、自分はそれを人生で最も尊い喜びだと感じていた。

 

 

「……ぱ、ぁ……」

 

 

 瓦礫の身体が引き摺っていたスピーカーから、ノイズだらけの声が漏れる。泣きじゃくる赤ん坊のようにも、今まさに衰え死にゆく老人の声にも聞こえる、悲痛な色の声。

 存在しない手を伸ばし、存在しない目から涙を流して、助けを求める。

 

 

「ぱぱ……ぱぱぁ……!」

 

 

 パパ。父さん。それが果たして正しい定義で使われているかは分からないが、自分にとって彼は、世界の全てと言っていい大事な人で、自分の全てを作ってくれた人な筈だった。

 老爺は機構を見て、肩を落として溜息を吐いた。

 

 

「ああ、これはひどい。意識補強までこだわって、せっかく組み上げた魔術式がずたずただ」

 

 

 自分を認識してくれる。それが余りにも嬉しくて、機構の内にある恐怖と寂寞が噴出する。

 助けて、パパ。わたしは僕は私は俺は儂は自分自分は一体誰ですか何なんですか。何も分からないんです。元に戻してください。僕を定義してください。機構は必死に身を燻らせて懇願する。情報を、定義を。

 

 

「ふむ……フラナガンへの打撃としては期待外れだが、それはアランの喜ぶべき力によるもの。『人炉』のコンセプト自体が悪い訳じゃない。だがコレより発展があるかというと微妙な所だな。そろそろ次のテーマに移るとするか」

 

 

 しかし、老爺は機構に意識を向けなかった。蓄えた口ひげを撫でて別の思索に暮れている。

 訳が分からなかった。どうして助けてくれないのか? もう記憶も朧気だけれど、あなたは自分に全てをくれたんじゃないのか? 凄い子だと、傑作だと褒めてくれたんじゃないのか?

「ぱぱ、ぱぱ……!」

 

 

 機構はスピーカーを揺らし、ざらついたノイズ混じりの声で必死に呼びかける。

 凄絶な黄金色の瞳が、何の感情も見せずに機構を睥睨し……しばしの考慮の後で、老爺はぱちんと指を鳴らした。

 まるで自分が世紀の大発明を思いついたような御機嫌な笑顔で、老爺はぐっと身を屈め、機構を見据えた。

 

 

「フィッツジェラルド。君に素晴らしい問いを与えよう」

 

 

 フィッツジェラルド。穴だらけの中から、彼にそう呼びかけられた記憶が発掘される。

 そうだ、思い出した! 自分はフィッツジェラルド。彼に産み出された作品で、彼の子供のように愛された最高傑作だった!

 ようやく辿り着いた一つの理解に対しての喜びは……しかし、後に続いた老爺の言葉に踏みにじられた。

 

 

「君は一体、何者だ? 君がフィッツジェラルドのはずがない」

 

 

 ……え?

 機構の意識の中に疑問符が灯る。老爺が楽しげに自分を見つめている。

 

 

「君は私の作品だった。だがもう違う。呪文の九九%は破損し、私が作った魔具としての役割は何も残っていない。故にここにいる君はもう私の作品ではない」

「ぱ、ぱ……」

「ああ、その呼びかけも違う。君は私の子供ではないのだから。だって君は産まれた時から脳と脊髄だけの存在だった。雌雄の差は愚か、生物という呼称すら適さないだろう? 君は既存の生物群の何にも該当しない」

 

 

 噛んで言い含めるように、楽しげに追い詰めていく。精神の逃げ道を言葉で塞いでいく。

 疑問符が大きく膨れあがり、根のように意識を浸食し、恐怖に縛り付けていく。

 

 

「ならスクラップだろうか? でもスクラップは喋ったり、親を求めたりはしない――生命の定義とは何だ? 意識の定義とは何だ? 考える脳と、脳を生かす血潮だろうか!」

 

 

 そう言うと、老爺は腰のホルスターから球形の魔具を取り出し、淡い白に輝く籠手で握り、放った。小さな爆発が瓦礫の山を吹き飛ばす。

 吹き飛んだ瓦礫が水たまりに落ち、コンクリートにぶつかる。その固い音の中に――どちゅり、と水っぽい音。

 偶然にも足下に落ちてきた生々しい肉の色をした残骸を指さし、老爺は笑った。

 

 

「おや、どうしたことか! ここにあるのは君の脳じゃないか!? かわいそうに、瓦礫の崩落で潰されてぐちゃぐちゃだ、これはもう完全に機能を停止して死んでいる!」

 

 

 高らかに言った老爺が、うっすらと肌色をした、水っぽい肉の塊を靴底で踏みつぶす。

 機構は慄然とした。

 アレが自分? 自分の脳? 考え、思考し、自我を司る部分……それが、死んでいる?

 ――だったら、今ここにいる自分は?

 途方もない喪失感が意識に浸食する。

 そもそも意識自体があるのかという疑問が、その恐怖さえ曖昧にさせる。

 その瞬間、疑問が疑問を呼ぶおぞましい連鎖の絶望が巻き起こり、心を粉々に押し潰した。

 

 

「っ……ひ、ぁ……」

「さあ、改めて問おう! 瓦礫の中に残っている君は何だ!? 作品でもなく人間でもなくゴミでもなく、ただぐずぐずに崩れた残滓が揺らめくだけの君を、一体なんと定義すればいい!?」

「ぅあ、ああああああ! わあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 殴りつけるような老爺の声を受けて、とうとう精神を崩壊させた機構は一目散に逃げ出した。街灯のない夜闇の中に、その夜よりも遙かに途方も無く暗い『無』という闇を心に抱えて。

 

 瓦礫を寄り集めた帯状の存在がちぎれるような悲鳴と一緒に路地裏に消えていくのを、ヒドゥン・レイ・スタンリーは観劇でもするような心地で見送った。

 それから彼は、降りしきる雨に濡れる事など構わずに、くつくつと喉を鳴らして笑った。

 

 

「ああ、楽しみだよアラン。君は一体、どう成長し、何を見せてくれるんだろうね」

 

 

 まるでちり紙をゴミ箱に捨てるかのように。息子の成長を喜ぶ彼の中には、かつて傑作と呼んだフィッツジェラルドについて、もう欠片ほどの関心も残ってはいなかった。

 

 

 

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