《レイヴン》事務所は、現代文明が誇る魔導技術の粋が随所に散りばめられている。外部からの探知を無効化する魔術防壁は結成以来破られた事はなく、各所に自由に出入りできる空間転送エレベーターは、《レイヴン》の秘匿性を維持するのに一役も二役も買っている。
事務所内のトレーニング室にも、それら文明の叡智が採用されている。広々とした空間には、魔術的洗礼が施された特殊な土が敷き詰められている。土は利用者の希望に合わせて盛り上がり様々な地形を形作る他、手合わせのための人型も用意する事ができる。
それらトレーニング室の機構が産んだ無数の土人形の中で、鋼鉄の旋風が巻き起こる。
旋風の中心にいるのはヴィルだ。金髪を振り乱した彼女は、牙を覗かせた愉しげな笑みを浮かべて宙を舞っている。
金属の義肢が振るわれる度に、ヴンと空気が唸り、軌道上にいた土人形が砕け散る。ヴィルは拳を振るった勢いのまま身体を回して飛び上がり、流れるように繰り出した回し蹴りで一度に三体を土に帰す。義肢の金属が煌めく度に、土が飛沫になって吹き飛んでいく。
まるで舞踏のような、荒々しく機能美に満ちた戦技。休む間もない多対一の乱戦を、ヴィルはかれこれ二〇分ばかりぶっ通しで繰り広げていた。
「こいつで――どうだァ!」
ヴィルが空中に舞い上がると、そのまま上体をくるりと一回転。持ち前の脚力に遠心力を上乗せした金属の踵が土人形の頭頂部に突き刺さり、粉々に打ち砕く。
まるで余波に吹き飛ばされるようにして、周囲にいた土人形も纏めて崩れ去った。大地に突き刺さった義足の衝撃が放射状に土煙を撒き散らす。
「はい、撃破数三〇〇体よ。トレーニング終了ー」
遠巻きに眺めていたブレアレストが、手を打ってそう呼びかける。ヴィルは顔に貼り付いた金髪を持ち上げながら言う。
「なんだ、もう終わりか? ……足んねえ、もう一セットだ」
「やめておきなさいよ。その義手、日常生活用のスペアなんでしょ? 勝手に暴れて壊したなんて言ったら、アランがカンカンに怒るわよ」
「こっちは一週間ぶりに歩ける身体になったんだ、少し発散したってバチは当たらねえよ」
汗ばんだ胸を上下させながらそう言って、ヴィルは「それに」と言葉を句切り、左手の義肢で拳を握って開いてを繰り返し、バッとパンチを繰り出す。
「義肢の調子がすこぶるいい! 羽が生えたみたいに軽く動くんだ、暴れたくもなるっての。へへ、ここまで見違えるなんて、アランが手に入れた聖骸さまさまって奴だな」
〈茫漠緻縫の針〉によって調整されたヴィルの義肢は、使用する彼女の感覚からしてもまるで別物だった。自分の意志を動作に変える伝達性能も、可動性も、違和感がまるでない。
これまで以上に、自分の手足のように振るうことができた。動かす爽快感も段違いだ。うずうずとした高揚感がヴィルの胸を弾ませている。
「コレでますますド派手に暴れられるってもんだぜ。アランの新作と、それを振るうだけの悪党の登場が今から待ちきれねえ――どうしたよ、ブレアレスト?」
はやる気持ちでシャドーボクシングをしていたヴィルが、ふと動きを止める。ブレアレストが、微笑ましげに目を細め、唇をによによと緩めて笑っていた。
「ん~? 別に何も~? ただ今のあなたが、まるで新しいおもちゃを貰った子供みたいに微笑ましいものだから」
「なんっだとぉ!? ガキ扱いすんなお嬢様が!」
「ああ違う違う。子供っぽいってじゃなくて……そう、乙女っぽいなぁと思って」
「乙女だぁ?」
予想外の言葉をかけられて、ヴィルが鼻白む。
目を丸くした彼女に対し、ブレアレストはにやにやとした笑顔を更に深めて尋ねた。
「ねえねえヴィル。実際の所、アランとはどうなのよ?」
「どうって? 相棒だよ。いつでもオレの役に立つ便利な武器庫だ」
「もう、そんな型に嵌めた答えじゃなくて……貴方はどんな感情を抱いてるのって話。相棒って言う度に、心がむずむずしたりしないの? 彼の作ってくれた義肢を嵌めて、以心伝心~て気持ちになったりしない?」
ブレアレストは、どこかうっとりとした声色で、弾むような足取りで詰め寄ってくる。普段は知性を感じさせる口はだらしなく開かれて、ぽわぽわとハートマークが浮かぶのが目に見えるようだ。
自分の嫌いな話題が振られている事に気が付き、ヴィルはげぇと顔をしかめさせた。
ずばり、恋バナだ。
「やめろやめろ、オレとアイツはそんな間柄じゃねえ」
「うっそつきー。恋はタイフーンなのよ。一度始まったらもう止められなくて、全部を好きで上書きしちゃうの。胸が切なくてきゅんきゅんが止まらなくなっちゃうんだから」
「それを言うならつむじ風すら始まっちゃいねえよ、あんなザコモヤシがオレに釣り合うもんか」
ばっちいものでも見たように舌を出し、蚊でも払うように義手を振るヴィル。
しかし、ブレアレストは意地悪っぽいにやにや笑いのまま、ぼそっと言う。
「無事に帰ってきてくれてほっとしたくせに」
「――」
「ほっとしてる顔を皆に見せたくなくて、お見舞いにも出なかったくせにぃ」
「む……」
「二人で技師の相談をする時は、スカイ/ホロウも入れさせないでしょ? それって二人っきり、大事な所を彼に見られちゃう時間って自覚してるからじゃない。ほんとは恥ずかしいって気持ちがあるんでしょぉ~?」
「ぐ、ぎ……!」
からかうようなブレアレストの言葉に歯噛みする。
つい、この前の連結機構を接続した際に、アランを抱き締めた事を思い出す。
普段はへなちょこ呼ばわりしているが、自分で魔具の組み立てまで行うアランの体付きは以外としっかりしていた。連結機構の痛みに覚悟した時、耳元の彼の深く静かな吐息に、気分が静まったのも事実だ。顔を沈めたアランのジャケットからは、彼を象徴する機械油の匂いと、その向こうに彼自身の少しすっぱい匂いもして――と、こんな風にまざまざ蘇る程覚えている自分自身がいたことにそもそもびっくりする。
ぼ、と顔に火が灯ったのが自分でも分かった。どきどきと弾む鼓動は、運動のせいにするには無理がある。ブレアレストがあらあらと更に笑みを深くするのがひたすらにムカつく。
ヴィルは苦労して眉をしかめて、吐き捨てる風に装って言う。
「っ……まあ、頼りにはしてるよ。オレの義肢を飽きもせず作ってくれるのは、嬉しい。オレはアイツがいなきゃ戦えねえ訳だし、そういう点で……その、うん。感謝はしてるぜ?」
「うんうん、さすが普段はツンツンしてるぶん破壊力高いわね~。それでそれで? 一〇〇点満点でどのくらい彼が好きなの?」
「だ、だけど! ……そういう方向に行くわけないだろ。見ろよ、こんな身体なんだぞ、オレは」
見せつけるように両手を開いて、ヴィルが言った。挙動に合わせて動いた金属の機構がキシと鳴る。
四肢の内三つを埋める、光沢を放つ金属の義肢。冷たく、ずしりと重たく、動かす度にキシキシと機構が音を立てる。
不自由にはもう慣れた。それでも人間か、一人の女性かと聞かれれば微妙な所だ。
人間と呼ばれるには、彼女は色んなものが欠けて、歪みすぎている。
「オレはアランにとって、魔具を使うお得意様の一人、その関係性でいいんだ……第一、アイツもこの距離感がいい筈だ。マトモにハグもできない女なんて、向こうから願い下げだろ?」
自嘲気味にそう言って、ブレアレストに同意を求める。しかし彼女は、楽し気にはにかむのをやめていない。
「なるほど、後ろめたい所はあって当然か……でもヴィル、考えてもみなさいよ。魔具にとっても熱い愛情を注いで大事に考えているアランが、その魔具を扱うあなたに同じだけの感情を向けないなんて事あるかしら?」
「……気持ち悪。やっぱこの腕千切ろうかな」
「バレバレな照れ隠しは置いておいて。あなたもれっきとした女の子なんだから、変に線引きしないでつながりを深くするのもいいと思うんだけどなぁ。その方が絶対に人生が楽しくなるし、私の心もきゅんきゅんするものっ」
野次馬であることを堂々と宣言しながら、ブレアレストは身をくねらせる。かと思いきや、急に真剣に眉を潜め、ヴィルの顔を見つめる。
「あとねヴィル。これは恋愛強者からのアドバイスなんだけど」
「恋愛小説仕込みの妄想ばっかしてる奴のどこが恋愛強者だって?」
「バトル漫画ばかり読んでるあなたに比べればよっぽど強者よ。あのね、あなたがどんな折り合いを付けようと勝手だけど、今のままだと進展がないどころか愛想尽かされちゃうわよ?」
「……む」
「魔具を壊してもちゃんと謝る事もしないし、いつもモヤシとか弱虫とかからかって。魔具を貰っても、ちゃんとありがとうを言ったことないでしょ? 終いにはアラン、あなたの魔具を作るのがストレスになっちゃうかも」
子供に噛んで含めるような言い方は癪に障ったが、その内容は確かにヴィルに思い当たり、不安をよぎらせた。
「……考えすぎだろ。それなりに長い付き合いだ、何を考えてるかくらい分かる」
「長く付き合えば気持ちが分かるなら、この世界に破局なんて存在しないわ。ちゃんと口に出して伝える事って大切なのよ? いつもありがとう、これからもよろしくねって伝えるだけでも、アランは嬉しいはずよ」
「……」
「アランの喜ぶ所、見たくない?」
「ふざけっ……ああもう分かった分かった、魔具作りのやる気が上がるってんなら、お前の口車に乗っておべっかくらい使ってやるよ」
「さすがヴィル! それなら善は急げよ。ここ、最近できたスイーツ屋さんで、シュークリームが本当に絶品なの。これをおみやげに買ってアランのお家に行ってらっしゃいな」
一際声を弾ませて、ブレアレストは魔導書を手にし、中から一枚のチラシを取り出した。
「大魔女様がチラシを魔導書の栞にすんなよ……それに、シュークリームだぁ? 何でそんなガキ臭え食い物を?」
「知らないの? アランって大の甘党よ。魔具製造は頭を使うらしくて、私がチョコレートを差し入れた時も喜んで受け取ってくれたわ……あらあら? もしかして私、恋愛方面で貴方より一歩リードしちゃってる? 貴方の大切なアランを、横から掠め取っちゃうかも?」
「……、……おえぇ」
「はいはい、苦虫を噛み潰したような顔しないの。騙されたと思って行ってきなさいよ。何なら今回だけ特別に、あなたの分までお小遣い出してあげるから」
図らずも心をときめかせる良質なネタを見つけたお陰か、上機嫌なブレアレストに背中を押されて、ヴィルは重たい足を引き摺るように訓練室を後にした。
汗を流して、着替えて、ブレアレストに見送られて街に繰り出して――二時間後。
「あの脳内ピンク魔女、あとで絶対しばいてやる」
赤くなり始めた空の下、げっそりした顔でヴィルは呟いた。
ブレアレストに紹介された店は、新聞で取り上げられる程の超人気店だった。街路を二回折り返す程に長い行列に並び、レジの前に立つのには一時間半もかかった。
「ったく。よくもまあ、このオレにスイーツなんて買ってこさせるぜ……これじゃあオレがアイツを気に懸けてるみたいじゃねえか」
悪態を吐き、ヴィルは左手を持ち上げ、苦労して手に入れたスイーツ店の箱を翳す。戦うための金属の義手にぶら下がるファンシーな箱は、あまりにアンバランスで笑えてくる。
今から、自分が。このヴィルが。日々街を守るために戦い、威嚇するように金髪を流し、「我闘う故に我在り」なんてタトゥーまで彫った粗野な自分が。甘さたっぷりのシュークリームを持って男の下を訪れようとしている。言葉にすればそんな感じになる今の状況がひたすら小っ恥ずかしい。
相棒と表現はするが、アランとは浅はかならぬ関係だ。もし人との関係が他人から恋人にかけて一本の直線で表現されるとすれば、自分とアランはかなり上の方に位置するだろう。
だとしても、彼女が自覚する通り……ヴィルが、そんな浮ついた対象になるはずがない。
「……」
市境を抜けてテムス区に入る。ビル群の数が減り、空の赤みが深くなっている。道はいつしか車道と歩道の区別がなくなり、往来の少ないだだっ広い道を胡乱に歩く。
夕焼けに翳すように、ヴィルは右手を持ち上げた。
オレンジの光を透けさせた、滑らかな白い肌。細い指。
自分に唯一残された、魂同然に大事な右腕。それに重ねるように、続けて左腕を翳した。
背後に燃える夕焼けを反射する、鈍色の金属の光沢。動かす度にキシと駆動音を上げる。見下ろせば、同じ物があと二本、自分の足から生えている。
作り物の、偽物の腕。重くて冷たい金属の機構。
『人炉三七号』。それが自分の呼び名だ。玩饗王の手によって改造を施され、産まれる前から人間未満であるよう設定された生きた魔力貯蔵炉。
自分とアランは、似ているようでまったく違う。
同じ相手を恨み復讐を誓ったという点で、自分とアランは繋がっている。
だが……だが、アランは人間だ。
自分は――
「ったく。ブレアレストに毒されちまったな……何をセンチに浸ってんだ。適当に買ってきた甘味をサッと渡して、ケツを叩いて玩具を催促するだけだっての。なぁ?」
翳したシュークリームの袋に向けてそう嘯き、ヴィルは沈む自分の気持ちを嘲笑する。
真横から叩き付けられた衝撃が、その淀んだ気持ちごとヴィルを吹き飛ばした。
「ッ――!?」
驚愕から立ち直った時には、ヴィルの身体は橋を離れて宙を舞っていた。
土石流に巻き込まれたような衝撃と鈍痛。痛みに痺れる全身が、何かに絡め取られている。
ヴィルを襲ったそれは、川縁のコンクリートを削りながら、ぞぞぞぞっと素早くのたうつ蛇のような挙動でヴィルを引き摺っていく。巻き込まれた内部は竜巻のように蠢いており、ヴィルの身体をちぎれる程乱暴にかき乱される。
ヴィルの引き摺られるそこは、かつては市内に物資を運ぶ運河として使われた河川だ。川縁には物資を貯蔵するための煉瓦積みの倉庫が、役目を追えて沈黙したまま並んでいる。その倉庫の一つに、ヴィルは凄まじい速度で叩き付けられた。
「ぐ、が……!?」
脆い煉瓦が紙細工のように粉々になり、ヴィルは瓦礫と一緒に、埃が積まれたアスファルトを転がる。全身に細かな瓦礫に切り裂かれた赤線が走り、鋭い痛みで顔を歪ませる。
飛び込んだ倉庫は広く、がらんどうだった。埃の浮いた塗りつけただけのコンクリートに、規則的に立ち並ぶ鉄支柱。役目を終えた運送機械が横倒しになり錆を浮かばせている。風化してひび割れた煉瓦の隙間から橙色の夕焼けが差し込み、宙に舞った埃と瓦礫を光らせている。
そのコンクリートの床をガリガリと削りながら、ヴィルを巻き込んだ瓦礫の渦が彼女の眼前に蟠る。細かい破片が寄せ集まってできたそれは、とぐろを巻く蛇のように一塊になり、かと思えばそれ自身が液体であるかのように、その場でうねうねと形を変化させる。
「定義不能――自己診断不能――」
瓦礫の中から、辛うじて声と判別できるノイズだらけの音がする。
瓦礫には、泥鰌のように激しくのたうつ金属のチューブが絡み付いていた。その蠢くチューブで、ヴィルは目の前にいる不定形の怪物の正体を知る。
「テメエ……生きてやがったか、フィッツジェラルド!」
人炉八四号、玩饗王の作品たる彼は、しかし名前を呼ばれた瞬間に、てんかんを起こしたように全身を打ち震わせる。
「フィッツジェラルド――不明(エラー)、不明(エラー)、定義不能。自分はフィッツジェラルドか? 不明、不明、分からない、思い出せない信じられないフィッツジェラルドを定義できない分からない分からない僕は私は俺は自分は誰、だれ、ダレ、誰」
「お前、何言って……」
「自分はフィッツジェラルド違うフィッツジェラルドを構成する核は死んだ。俺は私は命あるものか肉体を持たない命は命と呼べるか親子の定義介在介入検証不可自己定義反芻反芻反芻不明証明不能分からない自分は何だ誰だ分からない分からない分からない」
「ッ――」
「いやだ、こわい」
ぞわ、と皮膚が粟立つ。不定形の身体を蠢かせ、ノイズの激しい声で途切れなく呟き続けるその機構は、生命の形を外れて尚ハッキリと分かるほどの、強烈な恐怖を孕んでいた。
フィッツジェラルドは、不定形の身体を沸騰するようにボコボコと歪ませたかと思うと、不意にその動きを止めた。突き出た先端の一つが、鎌首を擡げるようにヴィルに向けられる。
「定義しろ、三七号。俺私儂わたしは何だ。お前は命で自分は命ではないのか。お前が三七号で此方が八四号でない理由は何だ」
何を言われているのか分からず呆然とするヴィル。その「訳の分からない」という視線さえ怖くてたまらないとばかりに、フィッツジェラルドは巨体を身悶えさせた。集まった瓦礫が擦れ、途轍もない不協和音が奏でられる。
「教えてくれ三七号お前は何故三七号だ俺は私はなぜ八四号でない! 定義しろ! 俺は私は自分は僕は一体何だ、何なんだぁぁぁぁぁぁ!!」
甲高い不協和音の悲鳴を奏で、瓦礫の化物はヴィルに飛びかかった。
飛び上がったヴィルが先ほどまでいたコンクリートが轟音を上げて砕かれる。瓦礫がフィッツジェラルドの渦に飲まれると、ミキサーにかけられたようにたちまち粉々に磨り潰されてしまう。ぞっと青ざめたヴィルの胴体を、フィッツジェラルドの体から飛びだした金属のチューブが弾き飛ばした。
「ぐがっ!?」
わき腹に深々と食い込む金属の打突。ごりゅ、と肉を削がれる音が臓腑を震わせ、ヴィルは煉瓦壁に叩き付けられた。焼け付くような痛みに視線を下げれば、わき腹に小さな穴が穿たれ、吹き出した真っ赤な血が床に積もった埃を吸って固まっている。
チューブの先端にはワームのような鋭い牙があった。まるでパンを指でちぎるような気軽さでヴィルの肉を削ぎ、フィッツジェラルドが巨体を揺すってヴィルを狙う。
「自分は命と呼べるのか。命の定義はどこにある。痛みを感じるのが命か? 不明、不明、自己の定義を触覚と定義し検証を継続する」
「ぎぃ、づ……」
「痛みが己なのか? 知りたい、教えてくれ三七号、俺私僕儂わたしを痛めつけてみろ!」
「ッ言われなくたって、今すぐぶち殺してやるよ!」
再びの突進を横っ飛びで躱したヴィルは、倉庫の天井を支える鉄骨の一つに飛びついた。義手の右手で鉄骨がひしゃげるほどに鷲掴む。
「だぁぁ、らァ!」
気合い一閃、鉄骨の根元に向けて義足を振り払う。鋼鉄の蹴りは鉄骨をひと薙ぎで両断し、続けざまにヴィルは全力を籠めて腕を引いた。
天井がメキメキと軋む。長い年月で風化し脆くなった天井がヴィルの膂力によって引き崩され、鉄骨と煉瓦が轟音を上げてフィッツジェラルドに降り注ぐ
もうもうと立ち込める砂埃に咽せるヴィル。その脳内に、息巻いた幼女の声が響く。
『ヴィル! ホロウが思念を拾ったぞ、何が起きてる!?』
「いいタイミングだスカイ/ホロウ! フィッツジェラルドが出た。頭がおかしくなって暴れてやがる!」
『すぐ皆を集める! 今どこだ、アタシの目で探しきれない!』
「知らねえよ、テムス区で起きてる馬鹿騒ぎを探せ!」
そう叫ぶのと同時に、積み上がった鉄骨をバリバリと砕きながらフィッツジェラルドが飛びだしてきた。無数の瓦礫を擦らせるぞぞぞっという音を奏で、蛇のような巨体が躙り寄る。
ヴィルは引き抜いたばかりの鉄骨を握り、力の限り振り抜いた。砂場を叩き付けるような微妙な手応えだが、確かにフィッツジェラルドを捉え、よろめかせる。ヴィルは天井を支えていた長大な鉄骨を棍のように操り、立て続けに二撃、三撃。
「ポンコツの自分探しに付き合ってやれるかよ。細かく砕いてゴミ箱に放ってやる!」
「感触検証、不明、不明――検証継続」
ノイズ混じりの声で機械的に繰り返し、フィッツジェラルドは身を捩らせた。
瓦礫の渦の中に、翠の光が輝いた。続く四撃目を振りかぶったヴィルの前で、光は急激に膨れあがる。
突然、ヴィル目がけて、大型バスが降り注いだ。
虚空から現れたバスは、まるで横から衝撃を浴びせられたように回転しながら大地を跳ねて、ヴィルの視界を埋め尽くす。
「ッおぉぉぉぉ!?」
動物的勘に物を言わせて、ヴィルは鉄骨を腰だめに構え、迫るバスの車体に突き刺した。地面に刺さった鉄骨がつっかえ棒となり、車体をぐっと持ち上げさせた。ヴィルは地面と車体、髪の毛を掠める程の距離をくぐり抜ける。
そのヴィルの足を、フィッツジェラルドのチューブの一本が絡め取ると、視界が像を捉えきれない程の勢いで振り回された。
「舐――めんなぁ!」
恐ろしい勢いで固いコンクリートが迫る。マトモに直撃すれば、ヴィルの頭蓋骨は卵のように呆気なく砕け散る。ヴィルは本能でタイミングを合わせ、着地と同時に義手の拳をコンクリートに叩き付けた。爆発したような衝撃が轟き、ヴィルの身体を吹き飛ばす。
「スカイ/ホロウ! フィッツジェラルドの奴、パズスの虫籠を体内に抱えてるぞ! ……はは、ヤベエ奴がヤベエブツを連れてやがる。一石二鳥のカモネギだぜ」
全身を打ち付ける痛みを皮肉で誤魔化し、ヴィルが立ち上がろうとする。
そこで、痛みとは異なる底冷えするような不気味な違和感を覚えた。足下を見てすぐに、その理由が判明する。
右足が無くなっていた。振り回された勢いに負けて引き千切られたのだ。筋繊維の役割を果たすチューブが足から伸び、ちぎれた部品があたりに散らばっている。
緩衝のために叩き付けた右腕も、あちこちがひび割れていた。スペルコードが欠損しているらしく、魔力放出の光がバチバチと瞬いている。
「作って貰ったばっかで、気に入ってたのによ……!」
いまのヴィルの義手は非戦闘用だ。激しい戦闘など想定していない。ヴィルが日常生活を満足に送れるようにと、アランが有り合わせの材料で急ピッチで作ってくれたものなのだ。
あるべきものが無いという喪失感が、ヴィルの魂に怖気を走らせる。
顔を上げれば、砂埃の漂うアスファルトに、ヴィルが買ってきたスイーツ店の紙箱が転がっている。ファンシーな柄は見る影も無く汚れ、シュークリームは潰れて、砂と埃の上にクリームをぶちまけていた。
「……クソが」
悪態を吐き、残った片足とひび割れた腕を使って起き上がる。よろめく身体を、右手で鉄骨を掴んで支える。
背後には、土石流にも似た唸りを上げる、形ある瓦礫の奔流。砕けた倉庫の瓦礫をも取り込み、今やヴィルが見上げるほど巨大に膨れている。
ギシギシと悲鳴を上げる非戦闘用の義手で拳を作り、ヴィルはギッと眼光鋭く、目の前のおぞましい瓦礫の奔流を睨み付けた。
「このオレが、ほんの気の迷いでデレてやろうとしてたのによ……どうするんだよ。これじゃあ逆にキレられちまうだろうが」
「感知不能。その感情の変異はなんだ起因はどこだ、不明。定義不能――教えろ三七号。お前の感情を定義しろ!」
「テメエをぶち殺してやるって言ってるんだよ! まずは楽しみにしてたシュークリームの九ドーズ分を、テメエの身体に叩き込んでやらぁ!」
壊れかけの義肢を軋ませるヴィルに向けて、自己を失った瓦礫の怪物が襲いかかる。
夕焼けが沈み、空が重たい夜に飲まれていく。
絶望的なこの状況と、自分に迫る死の予兆を、誰よりもヴィル自身が鋭敏に悟っていた。