RAVENS   作:オリスケ

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第3話

 

 大陸一の大都市フラナガンは、その区域によって街並みを大きく様変わりさせる。

 中心部は背の高いビルが建ち並び、多くの魔術光が灯り夜でも明るく活気に満ちている。それら摩天楼群と西部の貿易港は、昼夜を問わずに活気に満ち、沢山の人が仕事に従事している。

 その先進的な景色は中心部から外れていく程に勢いをなくし、やがてゼロになる。

 

 

 フラナガン南部のテムス区は、属にスラムと呼ばれるような場所だ。豪勢なビルは一つもなく、セメントを固めた集合住宅や木造の平屋が並ぶ。修繕もされずひび割れだらけの道路に、傷だらけの古い型落ち車輌がボディを危うく揺らしながら走っている。

 テムス区に住んでいるのは様々だ。仕事を求めて遠方からやってきた労働者、夢に生きるエンターテイナー、一攫千金を夢見てきた先立つ物のない向こう見ず、臑に傷がある人目を憚るもの──そういった、経済力と信用のない者達が雑多に集まって暮らしている街だ。

 しかし、殺伐としている訳ではない。交易の中心であるここは食うものと仕事には事欠かず、様々な境遇の人が雑多に集まる社会は同時に彩り豊かな文化を育む。

 種族ごとに存在する宗教の礼拝堂が各地に点在し、一つ道をずれるだけで異国に迷いこんだような錯覚を与える。メインストリートには掘っ立て小屋が並ぶバザールが開かれており、各国の郷土料理のスパイスでいつも複雑な匂いを漂わせている。世界各地の庶民の生活の博覧会とでも呼ぶべき光景は、観光名所としても人気が高い。

 そこに住むアランもまた、この区域の雰囲気を気に入っていた。豊かな生活ではないが、人々の夢が集まっている。そして人と人の距離が近く、みんながお互いを支え合って暮らしている。

 

 

「……ん?」

 

 

 バザールを抜けてしばらく歩いていると、道の脇に停車している車が目に留まった。開けたボンネットから一筋の白煙が登り、その前で体格のいい男が頭を抱えている。

 男はアランを見つけると、心の底からほっとしたように顔を輝かせ、豪快な声を張り上げた。

 

 

光明あり(グ・シウトレー)! おぉアラン、いいところにすれ違ってくれた!」

「ゴルデンスのおっちゃん。また車の故障か?」

「おう、このオンボロめ、お客さんを乗せて運んでる時に根を上げやがるんだ。年だからって根性が足りねえよ、五〇近くなっても働く俺を見習えってんだ!」

「ああ叩くな叩くな! そうやって乱暴に扱うからダメなんだよ」

 

 

 太い腕でガツガツとボンネットを叩かれて、アランは大慌てで駆け寄る。ゴルデンスの乗る車は相当な年代物で、車体は傷だらけであちこち凹んでいる。そのオンボロな車体とは裏腹に、頭に乗せた『TAXI』のライトは、ぴかぴかと誇らしげに輝いている。

 見れば後部座席には乗客が一人乗っている。一体どれだけここで立ち往生していたのか、アランは呆れ果てて言う。

 

 

「まだ未申告の個人タクシーなんてやってんのかよ。そのうちしょっぴかれるぞ」

「何を言う。俺以上にテムス区を知ってる奴はいねえ。道案内と称して金をせびる不良が大勢いる中で、適性価格で目的地まで確実に届ける。これ以上にいい仕事があるか」

「仕事に誇りを持ってるなら、仕事道具にもそれに見合う分の情熱をかけてやってくれよ」

 

 

 つい数十分前の、気に食わない乱暴な女の事を思い出して、アランは溜息一つ。魔力の流れを見るゴーグルをかけ、ボンネットを覗き込む。

 幸いにも原因はすぐに分かった。アランはゴーグルを持ち上げ、半目でゴルデンスを見る。

 

 

「おっちゃん、また適当に部品をねじ込んだな? 魔力の流れがめちゃめちゃだ」

「適当じゃねえぞ。ちゃんと色と形が同じ奴をガベージハンドの店から買ってきた」

「それを適当っていうんだよ。あのな、心臓麻痺を起こした病人に、豚の心臓を繋げて生き返ったりするかよ?」

「生き返るかもしれねーだろーが」

「生き返らねーよ根性論も大概にしろ! ったく、これで今まで走ってた方が不思議だぜ」

「違いなぞ分かるもんか。全く、どこが悪いかちゃんと言ってくれりゃ治すのによ、このっ」

「わあぁだから殴るなってば! ちょっと待ってろ。えーと代替品として使えるためには……」

 

 

 アランは煙を上げる魔導エンジンの、乱暴に修理された問題の部品を抜き出す。

 魔導システムはよく人体に例えられる。魔力というエネルギーを全身に送る心臓部があり、エネルギーで様々な役割を果たす機関があり、それらを血管のような魔力経路が繋いで循環させている。

 だから魔具の故障は、外科治療と同じように繊細で複雑な作業なのだ。だというのに利用者の多くは、まるで怠け者に渇を入れるような気分で、魔具を叩いて治そうとする。作り手のアランとしてはたまった物じゃない。

 

 

「はぁ。魔具がどれだけの努力を籠めて作られて、どれだけ文明に貢献してるのか分からないのかなぁ……」

 

 

 ブツブツとひとり言で文句をいいながら、アランは懐のポーチからペンを取り出した。速乾性の溶剤に金属粉末を溶かした刻印用の特注インキで、部品の周囲に呪文を書き込んでいく。

アランが使った例えを用いるならば、豚の心臓に変身魔法をかけて人間の心臓だと騙すくらいの作用はある。それをエンジン部に組み直し、ネジを締め直す。

 

 

「よし、これで大丈夫なはずだ。エンジンをかけてみてくれ」

「どれどれ──おぉ!」

 

 

 ゴルデンスが運転席に乗り込むと、すぐに歓声を上げた。エンジンが唸りを上げ、魔導車輌が苦しげながらも息を吹き返す。

 別人のように表情を明るくしたゴルデンスが、車から降りてきてアランの肩を叩いた。

 

 

「でかしたぞアラン! これで俺の評判を落とさずに済む!」

「応急処置だからな。ちゃんと修理屋に行って治してもらってくれよ」

「だがアラン、応急処置って言ってもお前の腕だ、もう半年くらいは平気で走れるだろ?」

「走れねえよ、怪我まみれのボロ車に鞭打つような真似するなよかわいそうだろ! 次壊れた所に立ち会っても助けてやらねーぞ!」

「修理だって金がいるんだ。俺も蓄えはないし、コイツにゃまだまだ稼いで貰う必要があんのよ。なあオンボロよ!」

「だ、か、ら、叩くなってば!」

 

 

 ボンネットをバンバン鳴らしながら大笑するゴルデンスに注意していると、車の扉が開けられた。

後部座席にいた客が降りてくる。ゴルデンスがにこやかな笑みで声をかける。

 

 

「待たせて悪いな嬢ちゃん。このポンコツも直ったから、すぐに出発するぜ」

「ううん、大丈夫。ここまででいいよ。会いたい人にも会えたし」

 

 

 涼やかな声色に、アランが振り返る。

 そこにいたのは、アランのよく知る女性だった。

 首までで切りそろえた黒髪。同じく黒色の、磨かれたように澄んだ理知的な瞳。スラリと細い身体を包むフラナガン市警指定の黒スーツは、皺一つなく几帳面に着こなされている。

 凜とした知性の色を感じさせる少女は、小さな唇を綻ばせて笑みを作り、アランに片手を上げた。

 

 

「久しぶり、アラン。会えて嬉しい」

「ミヒル……姉さん」

「さっき目が合ったでしょ? なのに気付かないなんて、よっぽど魔具が好きなんだね」

 

 

 言われ、アランはぐっと身を固くする。露骨に警戒を滲ませた姿勢は、微笑むミヒルとは正反対だ。

 間に立つ形になったゴルデンスが、二人を交互に見て、流れる雰囲気に気付かないまま言う。

 

 

「なんだ、目的地は確かにアランの工房の近くだとは思ったが、顔見知りか?」

「育ての姉です。フラナガン市警災害対策鎮圧課の、ミヒル・ヒュースと言います。いつもアランがお世話になっています」

「いやいや頭を下げられる間柄じゃねえよ……おいおいアラン、お前も隅におけないな。こんなべっぴんな姉がいるなんて知らなかったぞ!」

「……忘れてたんだよ」

 

 

 アランの顔は一気に強張っていた。喜色めいたゴルデンスの視線も億劫そうに、彼は踵を返して歩きだす。

 

 

「アラン。姉ちゃんなんだろ、放っておくなよ!」

「気にしないでください。はい、こちら乗車賃です」

「ああ、どうも……え? 嬢ちゃん、払いすぎだぞ」

「ほんの気持ちです。車の修繕費にでも当ててください」

 

 

 ミヒルが微笑み、きょとんとした顔のゴルデンスを残し、アランの後ろを追いかける。

 背後に寄ってくる足音を聞いて、アランは開口一番苦言を呈した。

 

 

「何しに来たんだよ」

「今日の緑の氾濫作戦に、アランも来ていたんでしょう? 私も鎮圧隊に参加してて、あなたの姿を見かけたから」

「『緑の氾濫作戦』? フラナガン市警も大変だな。事件そっちのけで、マスコミ用に面白おかしいキャッチコピーを付けなきゃいけなくて」

「からかうのはダメだよ。住民の避難や後処理も、市民への事後報告だって街を守る大事な仕事なんだから」

 

 

 諭され、アランの胸に異物感が籠もる。無意識に足取りが早くなるが、ミヒルは歩調を早めて付いてくる。

 

 

「アランが心配になったから、様子を見に来たんだよ。そんなに冷たくあしらわないで」

「そりゃ心配してくれてどうもありがとう。怪我? ないよ、この通り健康体。身体検査が必要? それとも昔みたいに、姉弟のハグでもする?」

 

 

 振り返ったアランが、殊更演技らしく両手を広げた。今度はミヒルが眉を潜める。

 

 

「からかわないで。一歩間違えば死ぬかもしれない事件だったんだよ。《レイヴン》なんて危ない組織に入って、災害の渦中に飛び込むアランを、姉の私が心配するのは当然でしょ?」

「『なんて』とか言うなよ。危険なのは承知だ。死ぬかもしれないのも覚悟してる……今回はだいぶ無理矢理巻き込まれたけど……それはそれだ」

 

 

 吐き捨てるようにアランが言う。色を暗くした瞳が、ミヒルの視線と交差する事はない。

 夜も近くなった頃に、アランは自分の家に帰り着いた。夕焼けは空の支配権を月に譲り、西の空が黄昏色に輝いている。

 アランの住まいは、テムス区の外れの方にあるガレージだった。元々は運送会社の車輌保管庫だった廃屋をタダ同然で買い取り使わせて貰っている。

 錆びた鉄の異音を奏でながらシャッターを押し開ける。その先の、縦横六〇平方メートルに及ぶ空間がアランの工房だった。壁の一辺には板が打ち付けられ、作業用の工具がびっしりと並んでおり、併設された長テーブルには製図が積まれて塔を作っている。台車にはアランがスクラップ場から調達してきた残骸が山と積まれ、その隣には希少な魔石を詰めた小棚が沢山並んでいる。天井のクレーンからつり下げられて、日銭稼ぎで修理している二輪車が揺れていた。

 大量の物がありながらも、本人の几帳面さのお陰で不思議と整頓されて見える。そこが彼の我が家だった。漂う機械油の匂いはいつもは気分を落ちつかせるのに、今は後ろにいる姉のせいで無性に居心地が悪い。

 ミヒルはアランの背中越しに工房を一瞥し、どこか影のある声音で言う。

 

 

「……工具が増えたね。まだ魔具を作ってるの?」

「まだも何も、これが俺の仕事だよ。話は終わりか? じゃあもう帰ってくれるか? 俺の魔具を待ってる奴がいて仕事が山積みなんだ。一休みしたら早速図面を引いて──」

「アラン」

 

 

 口調は変わらない。ただ名前を呼ばれただけだ。けれどその声には、アランの言葉を封じ込めるだけの強い力が籠められていた。

 

 

「鬱陶しく思うのは分かるよ。だけど無視するのはやめて。ちゃんとお姉ちゃんの目を見て」

「……」

「アラン」

 

 

 もう一度名前を呼ばれ、アランは降参した。振り返り、始めてミヒルと向き合う。澄んだ黒目には凛々しい正義の色が宿っている。アランはもう警戒心を隠しもしない。

 

 

「……どうせ、決まったお言葉を言いに来たんだろ」

「そう。あなたにお願いしにきたの……《レイヴン》を抜けて、魔具製造を辞めて」

 

 

 アランが小馬鹿にするように肩を竦めた。その態度にめげずに、ミヒルは真摯な面持ちで、懐から書類を差し出す。

 

 

「フラナガン市警の求職届だよ。通り雨みたいに事件が起きるから、事務職はいつも人手を募集してるの。私が近親者なら安心できるって、身分調査も省いて歓迎してくれるわ」

「だから何だよ。首輪付けられて姉さんの腰巾着になって、部屋に閉じ籠もって書類仕事でもしてろってのか?」

「そんな言い方しないで。やりがいは沢山あるよ。人を助ける立派なお仕事だよ。直接危ない目に遭わなくたって、これもちゃんと人に喜んで貰える仕事で──」

「やめてくれ。そういう事じゃない。姉さんだって分かるだろ」

 

 

 アランは首を振ってミヒルの説明を遮った。毅然としたミヒルと対称的に、敵意も露わにミヒルを見る。

 

 

「マトモな職についてほしいなら、せめて分析官や工房職を勧めてくれ。レイヴンは私設組織で、意外と薄給だしな。市警で自由に魔具を作っていいなら、俺の気持ちも少しは揺らぐ」

「そんなの無理だよ。だってアランは……」

「俺は? 俺は、何だよ?」

 

 

 語気を鋭く、アランが詰め寄った。ミヒルがたじろぎ、ぐっと喉を詰まらせる。

 その態度が、何よりアランの心境と、二人の間に走る深い亀裂を現していた。アランは「悪い」と呟き、詫びを入れる自分さえも含めた苛立ちに茶髪を掻き毟る。

 

 

「姉さんの優しさは嬉しいよ。俺を育ててくれたヒュース家には感謝してる……今の俺が、叔父さんにとって恩を徒で返すような事をしている事は分かってる」

「……」

「だけど、俺の夢にまで口出しする権利はないはずだ……俺はアラン・ヒュースじゃない。アラン・レイ・スタンリーなんだ。この名前が抱える罪は理解している。理解した上で、俺は今ここで魔具を作ってる」

 

 

 自分の背後の工房を手で示す。積み上がった製図の高さも、工具に染みた機械油も、彼が魔具製造に捧げた時間と情熱を照明している。

 アラン・レイ・スタンリー。スタンリー。己の中でその名前を反芻し、彼はミヒルに言う。

 

 

「俺は絶対に、()()()()()()()()にはならない。それが信じられないって言うのなら……何も言わず、黙って、ただ見ていてくれ」

「……」

 

 

 砂混じりの乾いた風が、二人の間に吹いた。夕暮れが終わり、空が藍色に滲む。

 空気が冷え、街灯がぱっと灯る。空寒い白色の明かりが、ミヒルの黒髪を照らす。

 ミヒルはアランの言葉を受け止め、切なげな顔を徐々に俯かせ、やがて絞り出すように「そう」と呟いた。

 

 

「……父さんね、アランの部屋をまだ残してるよ。アランが思い直して、いつか帰ってくるって信じてるから」

「知らねえよ。戻るもんか、あんな家」

「……」

「……ごめん」

「ううん。私も、今のはズルだった。でもこれだけは分かって。私も父さんも、アランに幸せになってほしいの」

「……」

「まっとうな仕事をして、普通に生きてほしいって……本当に、それだけなんだよ」

 

 

 俯いたミヒルは、鞄を開き、中から紙袋を取り出した。チェーン店のロゴが書かれたそれをアランに差し出す。

 

 

「お腹空いてるだろうから、サンドイッチ持ってきたの。本題に入る前に、ご飯食べよって誘えばよかった」

「……」

 

 

 少し迷って、アランは紙袋を受け取った。ほっと安堵するミヒルの笑顔に、胸が軋む。

 か細い街灯の下で、ミヒルは一歩引いて、アランから離れていく。

 

 

「久しぶりの姉弟の時間、作りそびれちゃったな……ぶきっちょでごめんね。それじゃ」

「……じゃあな」

 

 

 憮然と返事を返すと、ミヒルはその応答を、そこで得られた繋がりを大事に仕舞い込むように微笑んだ。薄ガラスのように、優しく脆い微笑みだった。

 それからミヒルは完全に背を向けて、フラナガン中心部の、煌々と明かりの灯るビルの林へと帰っていく。

 その背中を見えなくなるまで見送り、アランは工房に入り、シャッターを下ろす。

 明かりを灯した製図台の上で、アランは紙袋を開いた。トーストされたパンに、色取り取りの野菜とスモークチキンが挟まっている。その量は明らかに二人分だった。

 

 

「ハニーマスタード……まだ覚えてんのかよ」

 

 

 呟き、一つ取り出したサンドイッチを囓る。

 好物のはずのサンドイッチは、苦く喉に引っかかるような申し訳なさの味がした。

 

 

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