テオス・フラナガンの西海岸に広がる貿易港は、人口一二五万人の都市の中で、最も巨大で重要な箇所の一つだ。世界各国からの物資を受け入れる港は、樹齢百年の大木よりも大きなライトが建ち並び、眩い白色の光を平坦なコンクリートに浴びせている。
そこらの村二つ三つを収められそうな広い土地には、大型バス二台分はありそうなコンテナが積み木のように夥しく積み上げられている。海を経由して運ばれる積み荷の全てが、大陸の入り口たるフラナガンの、この港を経由するのだ。
時刻は午前四時。今は物資の運搬こそ行われていないが、夜明けと同時に到着するコンテナ船の受け入れのために、忙しない作業が今もなお続いている。
その喧噪は、船着き場から一キロ離れたコンテナターミナルにいても聞こえるほどだった。
「……本当にここに現れるのかねぇ」
「オイ、頭下げろよヴィル。見つかったらどうするんだ」
「あ? 海風がうるさくて聞こえねーよ、ハキハキしゃべれ根暗かコラ!」
「隠密行動だって言ってんだよ声量落とせバカ!」
コンテナの上に立つヴィルに、隣のアランが怒鳴った。彼はまるで虫のようにコンテナにへばり付き、しきりに周囲を気にしている。
背後に控えたブレアレストとイスラも会話に混じった。
「今回はアランの言う通りよ。敵は蓋を開けただけで災厄を巻き起こせる魔具を持ってるもの。騒ぎを起こして自棄になられるのが一番危険よ」
「だが、まあ。そうは言っても平穏そのものだな。ヴィルが拍子抜けする気持ちも分かる」
『ホイホイ、付近の監視をしてるスカイだぜ。今のところ、怪しい動きをする奴は確認できねえ。コンテナの中に潜られてちゃ、アタシの〈目〉でも探しきれねえけど』
「それについては問題ない。気配があれば私が捉えてみせよう。エルフの耳は、舞い落ちた落ち葉から木の名前を当てられる位には優れている」
イスラはそう言って、傍らに広げた袋からポテトチップスを抓みあげた。吹き荒ぶ海風に軽やかな咀嚼音が重なる。
「……頼もしい言葉だけどよ、そんなにボリボリ音立てながら言われても説得力ないぜ。っていうか作戦地にチップス持って来んなよピクニック気分か」
「待ち時間の退屈は食べて紛らわす他ないだろう。それに責任の所在で言えば、私を虜にさせるほど耽美な味わいのポテトチップスが悪い。うん、実に素晴らしいね、脂。脂で揚げれば全てが旨くなる。エルフの森の永遠の書架に刻んでおきたい文言だよ」
「おーい、聞いたかアラン? お前も後ろのものぐさエルフを見習って楽に構えてろよ」
呆れ半分で、ヴィルは隣のアランの背中、そこに背負われた大きな鉄板のようなものを小突いた。「あだっ」と悲鳴を上げて身を捩れば、ガチャガチャと沢山の異音がする。
何だか一回り大きくなったような彼に、ブレアレストが聞いた。
「今日はいつにも増して重装備ね。後ろに背負ったそれ何?」
「護身用の盾だよ。中心にヴィルの義肢で余ったバウンサーフォングの皮膚を使用していて、触れた相手を──」
「どれどれ?」
最後まで聞かず、ヴィルがアランの背中の盾の、色が変わった中心部を踏んづける。
その途端、銅鑼を鳴らすような音と共に衝撃波が走り、ヴィルの身体を真上に跳ね上げた。
「ひょわはあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──────ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ゛んっ!?」
ヴィルの甲高い悲鳴が登り、落ちてきて、すぐ脇のコンクリートにゴシャッと音を立てて墜落する。
数秒後。コンテナをいそいそと登ってきたヴィルが、アランの頭に拳骨を振り下ろした。
「ッテメエなぁ!? オレの義肢そっちのけでジョークグッズを作ってんじゃねえよ、ヘンな声出ちまったじゃねーか!」
「今のは説明も聞かず手を出すそっちが百パーセント悪いだろ類人猿か! 防具の一つでもないと命が幾つあっても足りないんだよ、お前が無理矢理に引っ張り回すからな!」
「やめろやめろ、運動神経絶無のお前が魔具を振るうとか、巻き添えの被害の方が大きそうだ。危険を減らしたいんなら、お前は黙ってオレのために優秀な魔具を作って、オレの傍にいりゃいいんだよ」
そう言ってヴィルは、意気込みを表明するように左腕の義手を回す。掌の甲の部分には、アランの盾の中心部と同じ素材が使われている。受けた衝撃を数倍にして跳ね返す、バウンサーフォングという魔物の外皮を利用したものだ。効果の程は、先ほどヴィルが身を以て証明した通りだ。
その時、全員の脳内に、気怠げな幼女の声が呼びかけた。
『はぁーい。わちゃわちゃ、終了~』
『やかましいったらありゃしないぜ。ホントに周囲に敵がいなくてよかったな……だが、いよいよ勤務時間の始まりみたいだぜ』
スカイ/ホロウの声に、全員が気を引き締めて海に目を向ける。
ちょうど朝日が登りはじめようとしている。ほの明るくなった海を、一つのコンテナを積んだ小型船が走っていた。
『積載番号は確認済みだ。情報の通りならアレで間違いない』
「誰も受け取りに来ないの? 意外とフラナガン市警が健闘してるのかしら」
「さあな。玩饗王の手の者だ、次元を切り開いて現れる位はやってみせるかもしれないぞ」
各々が臨戦態勢を整え、コンテナから降り、海岸に近づく。
人の肉のある右腕でアランの肩を小突き、ヴィルが言った。
「感動の再開、ってやつだな」
「やめろ、縁起でもねえ──厄ネタを一つぶっ潰すだけだ。そうだろ?」
固い声色でアランが言い、ヴィルが笑みを返す。アランは差し出されたヴィルの右手に、自分の左手をゴツとぶつけた。
「接岸を待つ理由もねえ。受取手がいねえんなら、サッサと掠めてトンズラしちまおうぜ」
そう言ってヴィルが速度を上げ、先陣を切る。
背後の摩天楼の山から、朝日が姿を見せた。
日差しに、小舟の積んだコンテナの外装が照らされる。
そこに書かれたマークを見たアランは、瞬時に未だ顔も知らない敵の目論見を理解した。
「ヴィル、下がれ! 中にいるのは、魔具だけじゃない!」
アランが叫ぶのとほぼ同時に、コンテナが一瞬、がくんと揺れた。
次の瞬間、コンテナの扉が激しく吹き飛び、猛烈な炎が《レイヴン》に向けて放たれた。
「ッ一章三節──偉大なる祖竜は、手始めに目覚めの息吹で卑しき盗賊共を吹き散らした!」
即座にブレアレストが魔導書を展開し、詠唱。掌から放たれた火砲が炎を相殺させる。
顔を覆わずにいられないほどの猛烈な熱と光。その向こうで、コンテナが更に弾け、中に潜んでいた物が飛びだしてきた。
蜥蜴のようなフォルムの、強靱な鱗を持つ巨大な竜が一体。その背後に、翼を持つワイバーンが四体。
ドラゴンには鞍が着けられ、それぞれに騎手がいた。皆一様に、牛の頭骨を模したヘルメットを被っている。
ワイバーンに乗った機首が、高らかな声で笑った。
「っはははは! やはり来たな《レイヴン》! いいぞ、レセプション用に調教した甲斐があるというものだ!」
「ッ誰かと思えばテメエ等かよ、ブルズヘッズ!」
「ああそうとも。無機物も生物も、合法違法問わずあらゆる物を地平の続く限りどこへでも配達する。それが独立脱法法人運送会社ブルズヘッズ! これよりゴキゲンな配達の時間だ!」
そう言って、リーダーらしき男は、自身のヘルメットの頭骨を拳でゴンと打ち鳴らした。残りの四人も後に続いて頭骨を鳴らし、どこかの民族楽器のような音色が響き渡る。
〈目〉を飛ばしていたスカイ/ホロウが唸るように言った。
『誰かと思えば、タガが外れたビーストテイマーばかりが集まってる暴走集団かよ。面倒くせえ奴らと契約しやがって』
『陽キャ集団……がち、苦手』
「これで何回目だよブルズヘッズ! テメエ等は何べんブチのめせば懲りるんだ!」
「たとえ死であろうとも走り屋のソウルを消せはしない! これまで《レイヴン》には散々煮え湯を飲まされてきたが、今回ばかりは違うぞ。この配達を無事に終えて、我々は運送屋としての信頼を盤石なものにするのだ!」
そう言うと、ブルズヘッズは鞭をしならせた。目が覚めるような音と一緒に、四体のワイバーンが一斉に飛びだす。
「さあ、今日も元気に仕事を始めよう! 始業開始だ、弊社のモットーを高らかに叫べぇ!」
「『領空と法定速度は突き破るもの』!!」
最悪な企業理念と共に、ワイバーンがそれぞれバラバラの方向に飛びだす。
瞬間、ヴィルが義手を振りかざし、地面を強かに殴りつけた。
轟音が鳴り響き、バウンサーフォングの素材による衝撃波が迸る。
空中に飛び上がったヴィルが、ワイバーンの一体に一瞬で肉薄した。
「余計な仕事を増やしてんじゃねえ、ちっと頭を冷やしてろ!」
目を剥く騎手に義肢の拳を振り抜く。快音が奔り、衝撃波が相手を遠く沖合と吹き飛ばす。
船から港へ乗り上げた蜥蜴型の竜が、再び火焔を放つ。それに炎で応戦しながら、ブレアレストが叫んだ。
「地上のコイツは私に任せて! 皆はワイバーンを追いかけるのよ!」
「了承した」
イスラが短く頷くと、コンテナを跳躍して、南へ飛んでいくワイバーンを凄まじい速度で追いかけていく。一方のアランといえば、ブレアレストの背後で、ぶつかりあう業火の熱量に気圧されて狼狽えるばかりだ。
「ぶ、ブレアレスト! 俺はどうすれば……!」
「決まってるでしょ? あなたはいつだって、二人一組よ!」
ぱちんとウィンクして、ブレアレストはアランを蹴飛ばした。背中にかるった盾が地面に当たり、衝撃波で彼を高く高く跳ね飛ばす。
「おわああああああああ!?」
「叫んでばっかだなぁテメエは、少しは肝っ玉を鍛えやがれ」
空中に跳ね上がったアランを、ヴィルが受け取った。騎手を失ったワイバーンに跨がった彼女が、アランを自分の後ろに跨がらせる。
念話を通して、イスラが言う。
『すまない、こちらは外れだ。大分距離を離された!』
「了解だ──奴らを逃がす訳にはいかねえ、爆速で飛ばすぞ」
「ヴィル、お前テイマーの資格持ってたのか?」
「竜乗りに勉強や証明書が役立つかってんだ。こんなの野生の勘でどうとてもなるんだよ!」
「振り落とすなよ、絶対に振り落とすなよ!? てか待って、先にシートベルト──ぎゃああ!?」
「あるわけねえだろ、バーカ!」
言い捨て、ヴィルは鋼鉄の義足でワイバーンの背を蹴った。嘶いたワイバーンが、アランの悲鳴を置き去りにする速度で飛翔する。
先行する二体のワイバーンが向かうのは、摩天楼が立ち並ぶテオス・フラナガン中心部。
地平線から顔を覗かせた陽光が硝子を張った壁面に反射してキラキラと瞬き、空が澄み切った青に彩られていく。場違いに綺麗な現代文明の象徴に向けて、災害級の魔具を連れたワイバーンが飛んでいく。
「スカイ、〈目〉を飛ばして本命を突き止めろ! 二手に別れられたら追い切れねえ!」
「おわわわわ、お、落ちる! 助けてくれヴィルぅぅ!」
ガクガクと揺れるワイバーンの背に揺さぶられ、アランはもう半泣きだった。彼はその勢いのまま、上半身全部を使って、ヴィルに後ろからひしっと抱きつく。
「ひょわぁぁぁ!? ばっ、テメ、アラン! どこ触ってんだクソ野郎!」
「どこか掴んでないと落ちるんだよ! 考える余裕がねえ。手の感覚がまるでない! 俺今どこ触ってんの!?」
「ひぁ、だ、そこはオレのむ──あああしゃらくせえ! 腕はここ、オレの腰に回してろ!」
『……なあホロウ。お前の目から見て、アレどうよ?』
『ん……いちゃらぶ?』
「スカァイ! 覗き見で任務失敗させたら、後で直接ぶん殴りに行くからなぁ!」
顔を真っ赤にさせたヴィルが更に手綱を絞り、朝日で煌めくフラナガン都市部へ突入する。
既に街は活動を始めていた。ハイウェイを沢山の魔導車輌が走っている。街路でホットドックを売る露店の主人や、オフィスで書類仕事に打ち込んでいた会社員が、上空を横切るワイバーンを驚きに目を丸くして見送る。
振り返った頭骨ヘルメットが、ヴィルに向け高らかに笑う。
「はっはは、いいぞ! 速度に魂を捧げし我等ブルズヘッズ。競争相手がいるほど、熱く激しく昂ぶるというものだ!」
「そんなに走りてえなら、田舎でバイコーンでも乗りこなしてればいいんだ、暴走族共が!」
「何を言うんだ。こういうのは注目されてなんぼ。世間の大騒ぎの声が、そのまま我々のソウルへの賞賛の声なんだよ!」
『──見つけた! 右の奴だ、ワイバーンの首元に〈パズスの虫籠〉をぶら下げてやがる!』
スカイが叫ぶのとほぼ同時に、二体のワイバーンが二手に別れた。都市ブロックを右折した一匹に狙いを定め、ヴィルが手綱を繰り、ワイバーンの翼で窓硝子を削り割りながら追従する。
暴走族集団ブルズヘッズは、構成員全員が一流のビーストテイマーとされている。操るワイバーンの速度は今のところほぼ同じだが、精度は向こうが遙かに上だ。ブロックを曲がられる度に差が付けられる事は明白だった。
『アラ~ン。こういうときこそ、べんりな魔具~。なんか、ない?』
「ええと、確かポーチに……」
「待ってられっかよ。アラン、これ持ってろ」
懐に伸ばそうとした手をヴィルが掴んだ。そのまま引っ張られ、何かを掴まされる。
「何これ?」
「手綱だ。いいか? 胸張って、自分が支配者だって気分でどっしり構えてろ。そうすりゃ振り落とされる事はねえ」
「手綱──オイ待て、まさかお前」
「そのまさかだよ!」
言い捨て、ヴィルはワイバーンの背に立ち上がり、その頭部に義肢の拳を振り下ろした。
衝撃波が奔り、ヴィルの身体は凄まじい勢いで加速する。
天才的なセンスで放たれた衝撃波は、見事にヴィルを、眼前のブルズヘッズの駆るワイバーンに辿り着かせた。揺れる尻尾を義手で掴み、勢い任せに飛び乗る。
突然の乗客に、頭骨ヘルメットの奥の目が驚愕に見開かれる。その目に向けてヴィルは、牙を剥きだしの獣じみた微笑みと、固く握りしめた義手の拳を見せつけた。
「そんなに世間を騒がせてえなら、テメエ等の逮捕で一面を飾らせてやる!」
叫び、一撃。横殴りの鋼鉄の拳はブルズヘッズの横っ面を強かに打ち抜き、すぐ傍のビルの中へと吹き飛ばした。
砕け散った窓硝子の快音が早朝のフラナガンに響き渡る。ヴィルはワイバーンの手綱を持ち、後ろのアランを振り返る。
「アラン、操縦は大丈夫か。待ってろ、今そっちに──」
言葉は最後まで続かない。
突然に横合いから飛びかかってきたワイバーンが、ヴィルに食らい付いたからだ。凄まじい速度を維持したまま彼女を掠め取り、ビルの中へと突入する。
「ヴィル!」
「俺達は一流の走り屋であると同時に、一流の運び屋だ。目的を達成すれば、我々全員の勝利なんだよ!」
ブルズヘッズの騎手は、ヴィルに突貫をしかけると同時にワイバーンを乗り移っていた。〈パズスの虫籠〉を持つワイバーンを駆り、ぐっと速度を上げる。
語気を荒げて、スカイが叫んだ。
『アラン! 今追えるのはお前だけだ、何としても食らい付け!』
「ん、んなこと言ったって、ワイバーンなんて乗ったこともねえんだよ! 逆に食われないようにするので精一杯だ!」
いきなり事件解決の要となったアランが、泡を食ったように叫ぶ。必死に手綱を操って何とか目的の方向に飛ばす事は成功しているが、ワイバーンは危うげにふらつき、互いの距離は離れていくばかりだ。
今にも振り落とされそうな、余裕のないアラン。彼の頭の中に声が響く。
『──アラン、そのまま奴に食らい付いてろ!』
「ヴィル? 良かった、生きてたか!」
『アレくらいで死ぬわけねえだろ。見失う事だけはするな、後はオレが何とかする!』
「ッ──分かった!」
アランは意を決し、ワイバーンの胴を蹴り、速度を上げる。おそれから来る震えを根性で抑えて、ビルとビルの間を疾走する。
時を同じくして、金髪を靡かせた義肢戦士がビルから飛びだした。ガラス片を陽光に煌めかせながら斜め上に跳躍したヴィルは、ビルの屋上に降り立ち、疾走を始める。
「スカイ、アランはどっちにいる。方向で言え!」
『斜め左だ、まっすぐ突っ切れ!』
指示に従い、ヴィルは屋上の縁に義手の拳を叩き付け、衝撃波で跳躍する。ビルの間を抜けるワイバーンより高く、摩天楼より更に高く、目的の場所まで最短距離の直線で突っ走る。
果たしてヴィルは、早朝のビル群を駆け抜ける二騎のワイバーンの頭上に躍り出た。
二騎の距離はかなり離されている。次にブロックを曲がられたら追いつけない。
ヴィルはアランの、へろへろな軌道で必死に追い縋るワイバーンに狙いを定め、跳んだ。
ぐわっと足下から風が吹き上がる。落下に特有の、内蔵が持ち上がる感覚が、ヴィルに高揚感をもたらす。
一秒一瞬の誤差、数ミリの加減の違い、それが勝負を分ける。ヴィルは意を決して叫んだ。
「アラン、屈めぇ!」
「お、おう──ぐぇっ!?」
訳も分からず、ワイバーンに抱きつくように上体を屈めたアランが、次の瞬間背中に訪れた衝撃に呻き声を上げる。
流星のように飛来したヴィルが、アランの身体、その背にかるった盾に着地したのだ。
落下のエネルギーを上乗せした凄まじい衝撃。それを、盾に用いられているバウンサーフォングの皮膚が、何倍にもして跳ね返す。
付近の窓硝子がひび割れるような、爆発のようなエネルギーが轟いた。ヴィルの身体が弾丸のように跳ね飛び、音も置き去りにして飛翔する。
ブルズヘッズは、己に迫る鋼鉄の腕も、それが自分の後頭部を打ち抜く瞬間をも体感する事ができなかった。
「ぶっ飛べえええええええええええ!!」
猛烈な勢いで飛来したヴィルの拳が、ブルズヘッズの頭骨ヘルメットを粉々に打ち砕き、一瞬で男の意識を奪い取った。そのままワイバーンも巻き込んで吹き飛び、傍にあった建設中のビルの骨組みへと突入する。
打ちっ放しのコンクリートビルの吹き抜けから、砂埃が吹き上がる。
体勢を立て直したアランが、念話越しに聞いた。
「ヴィル! 大丈夫か!?」
『ったた……勢いのまま、壁を幾つかぶち抜いたみたいだ……あーやべ、頭がグラグラする』
「っ待ってろ、すぐそっちに行く!」
アランは慎重にワイバーンを操り、着陸させる。
建設中のオフィスビルは骨組みに沿ってコンクリートを入れ込んだ段階で、ひんやりした鼠色の壁面が剥き出しになり、鉄パイプや配線用の魔導ケーブルが散乱している。ヴィルの一撃の威力は相当なものだったらしく、もうもうとした砂埃があたり一面に漂っていた。
「っすごい煙だ……ヴィル、どこにいるんだ。返事してくれ!」
声をかけるも、返事はない。頑丈な彼女が死ぬとは到底思えないが、それでも心配だ。アランは砂埃の中に踏み入ろうと一歩踏み出す。
その格好で、時間が凍りついた。
「……?」
最初は、些細な違和感がアランの足を止めさせた。
目を凝らしたアランは、それを見つける。
砂煙の中に、巨大な影が横たわっている。ヴィルと一緒に吹き飛ばされたワイバーンだ。
その巨大な影の隣に、さらに二つの影がある。
人型の影が一つ。人のように見える、歪な巨大な影が一つ。
本能よりももっと深い、魂の奥底が震えるような、名状しがたい悪寒が走る。
コロコロ、と軽やかな音を立てて、土埃の中から何かが転がり出てきた。
見たことのない樹木でできた壷。それが転がり、内側の塗り潰したような黒を見せる。
『……〈虫籠〉の蓋が……』
『あい、てる……?』
戦慄したスカイ/ホロウの声が脳内に木霊する。その言葉の意味さえ、凍りついたアランの脳は処理できない。
呼吸すら忘れそうな戦慄に固まるアランの前に、それは土埃をかき分け、姿を現す。
──爽やかな出で立ちの老人だった。
前世紀の風情を感じさせる貴族風の礼装。髪と蓄えた口ひげは白くなっているが、まっすぐ伸びた背筋と精悍な体付きは、年齢を全く感じさせない。上等な黒地のステッキを持つ左手は、どの金属とも似つかない黒い籠手に覆われていた。
何より凄まじいのは、その目だ。黄金色の目は、一見すれば知的な高貴さを感じさせる。しかし一度視線を合わせたならば、きっと呼吸すらままならなくなるだろう。まるで世界の真理を見透かすような、凄絶な色を孕んだ瞳だった。
背後に機械仕掛けの巨人を侍らせた老人は、まるで散歩のような気軽さで土煙の中から現れると、凄絶な目でアランを認めた瞬間、その顔をぱっと明るくさせた。
「──グ・シウトレー(光明あり)! ああ、まさかこんなにすぐ会えるなんて、なんて運命の気まぐれだろう!」
穏やかなえくぼを浮かべて、紳士が微笑む。快活な声は激しい声量ではないはずなのに、アランの鼓膜をビリビリと震わせ、魂を軋ませる。
「はは、驚いて固まってるなぁアラン。ドッキリ大成功だ! さあ、感動の再開だ。この胸に飛び込んで来てくれたって構わないんだぞ。僕もだいぶ年を食ったが、お前を受け止めるくらいはできるんだから!」
今や心臓を鷲掴みにされるような怖気が、アランの全身に駆け巡っていた。
縫い付けられたように足が動かない。肺が搾られたように呼吸ができず、ばくばくと、鼓膜に直接響くほどに心臓が鳴っている。
戦慄するアランに向けて、紳士はどこまでも親しげな笑みを浮かべ、両手を広げて、この場、この瞬間の再開に全身全霊での喝采を示した。
「僕等のこれまでの道程と、ここで出会えた奇跡を祝おうじゃないか! ──健勝みたいで何よりだ、我が息子よ!」
玩饗王ヒドゥン・レイ・スタンリーは、その全てを見透かすような凄惨な瞳で、凍りつくアランの魂を突き刺した。