天災は、その日の夜、街の外から始まった。
フラナガンから大陸の各地に向けては、蜘蛛の巣のように放射上に伸びた鉄道が走り、日夜人と物資を運んでいる。直線数千キロに及ぶ鋼鉄のレールとその上を走る魔導車両は、現文明に置いて最も重要な魔導インフラだ。
都市機能の動脈と呼べる鉄道は、安全を確保する様々な防衛がされている。平野を走る線路は大きな鉄柵で囲まれ、野生動物や魔物の侵入を塞いでいる。また鉄柵には、凶悪な魔物が現れた時のための簡易的な魔術式も編み込まれていた。魔物が鉄柵を破壊し乗り込んで来た場合は、警報が発せられ討伐隊が派遣される。線路に点在する駅は、それら魔物討伐のために派遣された冒険者達が警備にあたる駐屯地としての役割も担っていた。
その駅の一つが、最初に地図から消された。
雲が月を覆い隠す、鬱蒼とした夜更けの時の事だ。
フラナガンにほど近い、地平まで見渡せる平野の只中にある駅だ。住民は二〇人ほど。一件の商店と酒場を中心に、駐屯兵が住む家が数件並ぶだけの場所だ。
鉄道以外は真新しいものはなにもなく、風に若草がそよぐ音が耳に心地いい。魔物の被害も少なく、時々放牧で育てられている家畜が草を食みにくる。そんな牧歌的な場所だった。
そこが今、まっさらな更地と化していた。
まるで岩盤をひっくり返してミキサーにかけたような土砂まみれの地面が、半径数百メートルにかけて広がっている。
何が起きたかを語る者は誰もいない。線路も小屋も、そこに住んでいた人達も、まるで土に飲まれたかのように跡形も無く消え失せていた。
長く伸びる線路の一点で、幾つもの魔術光が空を舞っている。幻想的な純白の光が、そこに立つ老齢の紳士と、光沢のある機械仕掛けの巨人の姿を照らし出していた。
玩饗王ヒドゥン・レイ・スタンリーは、機械の巨人の腰に〈パズスの虫籠〉を括り付けた。お守りのようなそれを撫でて、巨人の肩を労るように叩く。
「さあ、準備はいいかいフィッツジェラルド。いよいよ君の晴れ舞台の幕開けだぞう!」
「──」
「はは、なに緊張する事はない。自信を持って、胸を張りなさい。君は僕が開発した『人炉』の完成形。君という存在そのものが既に、世界に動乱を巻き起こすほどの偉業なんだから!」
声を弾ませてヒドゥンが言う。その目は子供の学級劇を観賞する父親のように輝いている。
「心ゆくまで暴れ、気の向くままに蹂躙するといい! ビルを砕き、大地を薙ぎ、文明の程度の低い慢心を粉々に打ち砕くといい! その道程に──そうだな。あの《レイヴン》なんて壊滅させてやれば、随分見応えのあるレセプションになるんじゃないかな!」
「──目標、選定──了承」
くぐもった電子音でそう言い、フィッツジェラルドが頷くと、ヒドゥンの元を離れ、大地に伸びる線路の上に立つ。
そよ風が吹き、闇夜に若草がさわさわと音を立てる。
塗り潰されたような暗闇の地平に、一条の光が見えた。それはみるみるうちに大きく眩くなり、箱形のシルエットを映し出す。
猛烈な速度で押し寄せる魔導車輌に向けて、フィッツジェラルドは拳を持ち上げた。途端に彼の身体がざわめき、筋繊維を構成していた無数のチューブが意志を持つように動き出した。根を張るように大地に走り、握りしめられた拳に茨のように巻き付き、名状し難き兵器へと変貌させていく。
立ちはだかる巨人に気付いた列車が、猛烈なサイレンを鳴らす。
時速九〇キロで邁進する鋼鉄の車輌に、巨人の拳が振り抜かれた。
地平の果てまで響くような轟音。
フィッツジェラルドの拳が、運転席を含めた戦闘車両の四分の一を押し潰した。
衝突のエネルギーは魔導車輌に跳ね返り、行き場を失った後続車両を、上空へと跳ね上げさせた。全長二百メートルはある巨大な鋼鉄の塔が上空に屹立する。
次の瞬間、フィッツジェラルドが激しく身体を蠢かせた。拳に纏わり付いていたチューブが弾かれたように動き、車輌に絡み付く。メシッと金属の軋み砕ける音。
おぉ、と唸ったヒドゥンが、両手を広げて喝采を示した。うっとりと恍惚な声を、車輌が宙に浮き上がった凄絶な夜空に響かせる。
「さあ、見るがいい未熟な文明よ! 僕の新たな発明は、人造生体魔力炉『人炉』! 彼こそがその終結形、フィッツジェラルドだ!」
列車に絡み付いたチューブは瞬く間に広がり、宙に浮いた魔導車輌を絡めとる。チューブはそのまま鋼鉄の外殻をリンゴのように囓り潰し、猛烈な勢いで浸食していく。
車輌を縛る圧力に車体がひしゃげる音。金属が擦れるごりゅごりゅという金属音。車体に裂けた穴から生きた人間の悲鳴が聞こえ、それが即座に断末魔に切り替わり、消える。
「出生時に人体の欠損が起こると、人体の構築に消費されるはずだったリソースが行き場を失い、本人の純粋魔力に転換される。僕はその特性を極限に突き詰め、神代の霊獣に匹敵する魔力貯蔵量と出力を実現させた!」
ばきぼき。ごりゅごりゅ。金属とその内部にいた無数の命が、猛烈な勢いで食い潰されていく。宙に縫い止められていた全長数百メートルの魔導車輌は、紙細工のように潰され、食われ、ひとかたまりに押し潰されていく。
「さらに、産まれた時から脳と脊髄しか持たないフィッツジェラルドは、己の肉体という縛りからも解き放たれた! 自己という定義が存在しないゆえに、彼は取り込んだあらゆる物質を、自らの身体と定義し動かす事ができる!」
目を輝かせるヒドゥンの前で、たちまちのうちに魔導車輌が粉砕圧縮され、金属の山ができあがる。
その山が、もぞりと蠢いた。ギリギリという金切り音が雷雨のように轟く。
希代の天才の手によって産み出された機械仕掛けの巨人が、魔導車輌の全てを飲み込み、いま全く別の存在へと変貌を遂げていく。
命あるものに怖気をもたらす金属音が幾重にも連なった重奏。それが、世界最悪の犯罪者玩饗王が産み出した、新たな脅威の産声だった。
「さあ、巨人が動くぞ! 意志と理性を持ち、命令に忠実に動く希代の生命魔具フィッツジェラルドの勇姿を、しかと目に焼き付け、怯え、立ち向かってみるがいい! 文明どもよ!」