何気なく足を踏み入れた喫茶店に、君は居た。
『いらっしゃいませ……一名様でしょうか?』
肩口まで伸びた黒髪、自身無さげに八の字に曲がる眉。ラバーメイド服がまだ慣れていないのか朱色に染まる頬に、不安げに揺れる四白眼。
私は返事をすることも忘れ、ただ彼女に魅入られてしまっていた。
『……お客様?』
再び彼女に呼ばれ、我に返る。
いけない、これではただの不審者だ。
落ち着き払うように努め、一名であると何とか答える。
『それでは、此方のお席へどうぞ』
ぎこちない笑みを浮かべて私を案内してくれる彼女に、再度心が揺さぶられる。だが、遅れないように必死に足を動かしていく。
案内された席は道路に面した日当たりのいい席だった。
干からびるような日差しは春の陽気程度に抑えられ、体に籠っていた熱も丁度いい空調で徐々に冷めていった。
照り返し眩し過ぎる道路には人っ子一人居ない。
都会の昼間の景色がこうなって久しく、だからこそ仕事に集中できると思ったのだが……。
テーブルに備え付けられている注文用のタブレットから適当に飲み物を頼み、暫し待つ。
三分も経つことなく、スタッフルームから先ほどの彼女が冷たいグラスを運んできた。
『お、お待たせ致しました。アイスコーヒーです』
トレーの上からアイスコーヒーをそっとテーブルの前に置かれる。
軽く会釈を返すと、彼女は少しだけ顔を綻ばせてお辞儀をし『どうぞ、ごゆっくり』と言って駆けるように裏に引っ込んでしまった。
思わず彼女が行ってしまった方に手が伸びたが、頭を振って目の前に置かれたアイスコーヒーを見つめる。
態々外に出たのはこの喫茶店に来るためではない。
あくまでこの喫茶店はなんとなく足を踏み入れたに過ぎなかった。
外出せずとも暮らせる毎日に飽いた訳ではなく、ただちょっとしたスランプの解消の為だった。
何らかの刺激を求めて。
そう言えばネット上で人体に悪影響が無い様々な体験をすればいいと言われるだろう。
ゲーム、漫画、アニメ、バンジージャンプやスカイダイビング。今はもう出来ないスキューバダイビングや世界旅行でもいいだろう。
けれども私は、こうして外に出た。
調整されていない日差しにぎらつくコンクリートジャングル、息苦しくなるほどの熱気と湿気に苦しめられながら偶然このオアシスに辿り着くことが出来たのだ。
ハッキリ言って収穫は何一つとしてなかったが、このオアシスだけは別だ。
冷たいアイスコーヒーを堪能しながら、カバンに詰めていたノートとボールペンを取り出す。
すいすいと描き出すは先程給仕してくれたあの少女だ。
少し調べればわかるのだが、ここで給仕をしてくれている人たちはアンドロイド。完全な非生物だ。
故に肖像権などは無く、こうして心行くままに似顔絵なんかを書いてしまっている。
……からんっと、氷が揺れた。
ざっくりと描き終えたしまったのだ。この喫茶店内で。
私は少し慌てながら店内に飾られた時計を見る。
丁度お昼時の時間帯だが、客が店内に入ってくる気配はない。
落ち着く雰囲気のBGMだけが満たされた空間に一人、ただ座っている。
たまらず、軽食をいくつか注文する。お代わりのアイスコーヒーも。
そして、三分も待つことなく四白眼の少女がトレー一杯の料理を運んできてくれた。
慣れていないのか、若干上ずった声で、しかし丁寧かつ精密な動作で料理をテーブルに並べる彼女からはやはり人間らしさを感じられなかった。
『ごゆっくり……?』
一回目と同じようにお辞儀をして引っ込もうとする彼女を引き留め、先程描き上げた絵を見せる。
今着ているラバーメイド服とは違い、クラシカルなカスタムメイド服を着た彼女だ。
『……えっ?』
彼女の元々小さな瞳孔は更に小さくなり、絵を凝視したまま固まっている。
冷めていたであろう頬が一気に赤らみ、小さく開いた口が何か音を出そうと動かすが微かな吐息だけが通り抜ける。
徐々に思考が戻ってきたのか、視線をあちこちに動かす。だが、その焦点だけは私の描いた絵に向けられていた。
『……ご、ごゆっくり!』
上ずった声でそういった彼女は、逃げるようにスタッフルームに走っていってしまった。
せめて何か一言だけでも、なんて贅沢を考えてしまったが……ノートを閉じて目の前に並べられた料理に手を付けていく。
正直な話、余り良くないことだ。
彼女を動かすCPUから、データ管理をしているサーバーに情報が転送されている。
得た情報によってシステムの向上、最適化を行うためには当然の反応だろう。
その際、私が彼女に見せた絵は、素性も知らない誰かの手によって作られた生成AIのエサになってしまうだろう。
私は別にそれは構わないのだが、この絵を彼女以外に食べられるのが、少しだけ嫌かも知れない。
見せなければ食べられないが、彼女に食べさせることも出来ない。だが見せてしまえば不特定多数に食べられてしまう。
何を馬鹿なことを考えているのか。
外の空気を吸ったせいでテンションがおかしな風になっているのだろうか。
合成されたサンドイッチを齧りながらそんな思考も嚙み潰した。
『お会計は5800円になります』
長めのレシートを打つ彼女に、これも喫茶店のコンセプトに組み込まれているのだろうかと思いながらスマホで決済をする。
結局あの後、夕方まで喫茶店に居座り彼女の似顔絵を描いていた。
完全に趣味満載のノートになってしまったが、思いの他楽しい一日になり、だいぶ息抜きもできた。
レシートを受け取る際にまた来ますと、答えると。
四白眼の彼女は恥ずかしそうに微笑み返してくれた。
後日、喫茶店に足を向けたが彼女と出会うことは出来なかった。
この喫茶店に配備されているアンドロイドの外装は生成AIで生み出されており既存のアンドロイドよりも低コストで運用の変更が可能な――所謂、テスト運用の為にこの喫茶店で稼働していたらしい。
いくらこの喫茶店に足を運ぼうとも、本当の目的が解消されることはもう無いのだ。
彼女とは、もう二度と会うことは出来ない。
彼女がこの世界に居たという痕跡は、私があの日描いた似顔絵の他に何も残っていないのだ。
途中、生成AIの話を出したのは主人公が狂ったように彼女の絵を描いて、最後同じ店で出会って終わる。なんて締めを思ったからです。
私にはできなかった……モチベがもちもちしてるから……。