夕暮れ時の伊瀬貝商店街、職場から解放された労働者たちが夕食や晩酌をしようと思い思いの飲食店へと足を向ける。その店のひとつ、飲兵衛酒匂も仕事上がりの労働者でごった返していた。
「ヤチヨさん、こっちにハイボールみっつ!」「あいよっ!」
「こっちには唐揚げ下さい!」「あいよっ!」
「ヤチヨさん勘定ー!」「あいよっ!今行くから待ってな!」
店の中には注文を見事に捌いている一人の女性がいた。身長は二メートルほどありそうだろう。長い黒髪を束ね鋼のような筋肉を見せびらかしながら取っ手のついたジョッキビールを大きな手で10ほど持ち上げる。そのまま担ぎ上げて注文のあったテーブルへと運ぶ。
「あいよ!ラガーとカクハイボール」
「おっ、あんがとねぇヤチヨさんどうだい?俺と一杯やらないかい」
すでに出来上がっている中年男性がヤチヨに声をかける。堅苦しく締められているであろうネクタイはすでに緩みきっており、顔全体を真っ赤に染め上げていた。確か酒癖が悪いと記憶していたのでケンコウシンダン?というものに引っかかったと言っていたのでその話する。
「ガッハハハ!小松さんよぉ、私は仕事中!それにこの前お医者様から酒は辞めろって言われたって自分で話してたじゃあないか!そんなんだと一生禁酒しろって言わてても知らないぞ!」
ヤチヨの言葉に衝撃をウケたような小林と呼ばれた男はしゅんと小さくなる。
「うぐっ……確かに酒を飲めなくなるのは厳しい」
「だろ?今日のところは水で我慢しろな!酒は無しだ」
はいよとヤチヨは氷水が入ったコップを渡す。小松の同僚や後輩と思われる男たちからは感謝の言葉を述べられたがヤチヨ自身はそんな大したことをしていないというが礼はありがあたく受け取る。
「ヤチヨ。素直に受け止めてやってや。ここだけの話小林さんはね昔っから酒癖が悪いんだよ。何処の飲み屋行っても女の子に突っかかって行くばっかりでさぁ、ここまで大人しく引き下がること事態ないんだよ」
「タザワさんや。別に私しゃ何もしてないんだがね」
あまり納得はしていないようであったヤチヨだったがお頭の田澤幸男に言われては言い返すこともできず普通の仕事へと戻っていった。
◆ ◆ ◆
夜も更けてきて空席が目立つようになるが、まだまだ酔っ払いどもは飲み足りないようで店に居座っている。そんな喧騒の中柱時計から二一時を知らせる鐘が店内に響きわたる。ヤチヨの帰宅を知らせる鐘でもあった。
「お頭ぁー!そろそろ私上がりますわ!」
「おう、もうそんな時間か!気をつけて……「おやっさん」どうした!」
「店の前で喧嘩だなんとかしてくれぇ!」
「よっしゃ行ってくるわ!」「おう!ガツンとお灸を据えてやれ!きょうはそれで上がっていいぞ!但し時間には気をつけろよな!」
ヤチヨが店の外に出ると送り出した店主以外の小林他常連客は喧嘩をしている者たちを哀れんだ。この店に付きそいまたは一見だった小林の部下は疑問符が浮かんでいた。酔いの少し冷めた小林はまともに会話ができるまでに回復していたのでその疑問に答える。
「ああ、お前はヤチヨさんがどうやって喧嘩を止めるか知らないだろう。絶対にこの周りで喧嘩はするなよ絶対にだ」
その刹那おおーと歓声が上がり小林の部下等の一見は驚き、常連客は哀悼の意を示し、田澤は自信ありげにうなずいていた。
ヤチヨが店の外に出ると人だかりが出来ており、その中心部で背広を来た男同士が醜く殴り合っていた。
「おんどりゃあウチのシマで何売りさばいとんじゃワレェ!」
ヤクザ風の男が渾身の右ストレートを繰り出す。それを躱して運動着を着ていたチンピラ風の男が殴り返す。
「知らねぇし売ってねぇよ!それにこれは合法だっつーの!」
喧嘩はとどまることを知らずにどんどんとヒートアップしていく。ヤチヨは人だかりをかき分けて喧嘩の中心へと進む。
「こらこら二人とも喧嘩はやめな、うちの客が困ってるんだ」
「「なんだぁてめぇアマは黙ってな(ろ)」」
ヤチヨを無視するように喧嘩を続ける男二人。せっかく対話で終わらせようとしたのに無下にされたとあっては流石に仏のヤチヨも堪忍袋の尾が切れる。拳を大きく振りかぶると力任せに振り下ろした。
「いい加減にしな!」
怒りの両手から繰り出された鉄槌は二人の頭を捕らえて拳骨を脳天に直撃する。周りから歓声が上がるが殴られた二人はというと一瞬で気絶していた。しまったとヤチヨは気が付きひたすらビンタを繰り返していた。
「おい起きな!面倒ごとはごめんだから。アンタたちは喧嘩してたか聞いてから寝てもいい。今は目、覚ましな」
男二人がビンタで眼が覚めるころには真っ赤に頬が腫れた上に頭上には膨らんだ餅のように大きなたんこぶが出来上がっており仁王立ちしているヤチヨに正座して向き合っていた。その立ち姿はまさしく鬼のような形相をしてるようである。
「それで……なぜお主たちは喧嘩なぞをしていたのか?」
「コイツが俺たちのシマで商いを」「だから違法なもんじゃ無いっていってるだろうが」
また立ち上がって殴り合いそうになるがヤチヨの殺気を感じて大人しく正座にもどっている。
「はぁーとりあえずそっちの若いもの、その商いをしていたものを見せてみなされ」
チンピラ風の男が取り出したのは白い粉が詰まっていた袋であった。群衆から麻薬だ、覚醒剤だとざわめきが上がるがヤチヨは気にすることない。
「これは何に使うかわかって持っているのか?」
「何って……そりゃボルダリングとか野球の投手が使うチョーク、まぁ所謂滑り止めです」
ボルダリング……やったことは無いが確か商店街の通りにできる場所があるとヤチヨは常連から聞いたことがあった。なぜこの男が持っているのか問い詰める。
「いまさっきそこのジムでボルダリングをしていたんですよ。つい夢中になって気が付いたらこの時間。慌てて出てきたから粉を持ってきたんだと思います」
「屁理屈にしか聞こえねぇなぁ!兄ちゃんよぉ!」
もう一発殴るとヤチヨが殺意を込めて脅すとヤクザ風の男はしゅんと縮こまる。だがこの袋がそのチョークなるものだという証拠はヤチヨにはないので後処理は司法の力、警察に頼ることとなる。
「ありがとうございました。後は我々が引き継ぎを行いますので……」
「ええ、お願いします。私はそろそろ列車で帰らなきゃいけないので」
ようやく開放されたヤチヨは手荷物と両手に酒瓶を携えて急ぎ足で伊瀬貝駅へと向かう。警官が時計を見上げると時刻は二一時四五分を示していた。
「凄い大きな女性でしたねぇ。大の大人二人をボコボコにするなんて」
事後処理に来ていた新米の警察官はそう呟く。チンピラ風の男が持っていたのは検査の結果、薬物ではないことが確認されたので軽い聴取をした後で翌日に本格的な事情聴取をすることで合意して二人を開放していた。
「ん?ああお前は新人だから知らんのか。あの女性ヤチヨさんはここらへんじゃ一番の有名人だからな」
「そうなんですねぇ。というかなんで先輩知ってるんです?」
「この前酒屋主催のショット大会あったろ?あの大会の優勝者だ」
「あぁ……確か酒が足りないって喚いていた人でしたっけか」
中堅、新米警察官の二人はそのときを思い出しため息をついた。飲み足りないと散々喚き散らした結果優勝賞品の酒樽一つを丸々空にしたことで有名となり『丸呑みのヤチヨ』『ガブ飲み姐さん』と不名誉なあだ名を付けられてる。本人は気にはして居ないようであった。
その頃、噂されていたヤチヨはというと……
「へくち!あぁ、やばいやばいやばいぃ~!乗り遅れる!」
駅までの道をひたすらに走っていた。本来ならば全速力でむかっているところであるは今日に限ってそうもいかない事情があった。彼女の休日一番の楽しみともいえる
「何でよりによってウチの前で喧嘩するかなぁ!おまけにとんでもない理由の喧嘩だったし!ああ腹立たしい!これで休みがパァ、なんてこよになったら!」
恨みが積もりに積もって愚痴となって溢しながら走る。数分は走るとやっと駅舎が見えたが正面入口に取り付けられていた時計をみるとヤチヨは更にあせる。時計の針は21時58分頃を示しており、駅からは列車の発車を知らせるベルとアナウンスがかすかに聞こえていた。
――『まもなく
「急げぇ~~~~!」
入口に人影が見える。彼らは間に合うであろうがタクシープールを挟んだヤチヨはというと間に合うかは怪しい所ではある。しかし間に合うという可能性に賭けて彼女は走っていた。
定期を駅員に見せて改札を抜けるころにはベルもアナウンスが聞こえなくなり、機関車の動作音だけが駅構内に響き渡っている。まだ間に合うとおもいこ線橋の一段目に足をかけたところで機関車の方から一際大きな汽笛が鳴る。振り向くとくろがねの機関車からは白い蒸気が上がっておりゆっくりとではあるが列車が動き出していた。
こ線橋を上っては間に合わない。ヤチヨがいるのは一番線、最終列車がいるのは三番線その間には四本のレールが走っている。ちょっと無理をしなければならないが列車に乗り遅れるよりはマシとこ線橋とは真逆に走り出すと一番線のプラットホームから足のバネを弾いて宙へと飛び出した。
数秒ほど滞空した後、二・三番線が面しているホームへとたどりつく。機関車はや一両目の客車はホームから離れてしまったが最後尾の客車はまだホームに居る。車掌がヤチヨに気が付きしまっていた最後尾のドアを開けてくれたので慌てずに急いでドアの手すりを掴み列車へ乗り込むことが出来た。
「はっははは、何とか間に合った……!」
「なにしてるんですかヤチヨさん!列車に飛び乗るのは危ないって何回も言ってるじゃないですか!」
ガミガミガミ……と車掌からの説教を受けるがヤチヨはその言葉を右から左へと聞き流し適当に相槌を打って説教を終えた。
車掌から開放されたヤチヨはようやく最後尾の空いている客席に座りずっと両手に持っていた酒瓶をおろし、手荷物をガサゴソと漁っている。取り出したのは缶ビール、最寄り駅にたどり着くまで軽い一人酒を楽しむ。缶を開けてグビリと一口。暗闇で月や星しか見えないがヤチヨにとっては一週間の疲れを癒せる私服のひとときであった。
缶ビールをちびりちびりと飲んでいて空になる頃に車掌が客室に現れ息を吸う。
「次は~、
車掌が次の停車駅を告げながら前方へと歩いていく。雷狗駅はヤチヨが住む亜人が多く住む町の駅であり列車おを降りる準備をする。列車が完全に停車するとヤチヨは降りる。他にも降りている乗客がいるがまばらである。
「ただいまオリヤ」
「おう、ヤチヨ帰ってきたか!酒はあるか?!」
自宅で同居しているオリヤが出迎える。左手に持っていた酒瓶を預けるとヤチヨは呪文を唱えて擬態魔法を解く。元々白かった肌はさらに白くなり額には二本の立派な角が生えていた。属に鬼人族と呼ばれる男女がそこにはおり酒瓶を見ながらあーだこーだと言い争っていた。
「こいつは何ていうんだ?」
「
「そうなのか!じゃこっちは?」
「
「コメ!?コメからこんなにうまそうな酒ができるのか!俺たちにもできるかも」
「辞めとけ、この酒を作るのに専用のコメを使うらしい」
「そうなのか!『あちら』の世界じゃ凄いなぁ!」
酒談義で盛り上がる二人の夜は長い。ふとグラスに酒を盛りながらヤチヨは思う。次はどんな酒を買ってこようか、他の酒にするか同じ種類でも地域によって味が異なる。
そんな思いをグラスに注いだ
(いつかコイツと結ばれるのかもしれないな……その時はこの酒も)
最後の言葉を思う前にグラスを口に付け言葉を熱い喉に流し込んだ。まだまだ夜は浅い、無くならない程度に二人で楽しもうとヤチヨは思った。