◇レモネード・グレネード
ベクトリア殺しの犯人は見つからないまま、一週間が過ぎ、皆が落ち着いた頃、授業は再開された。マスカットの前の最前列の席には花瓶が置かれ、ジュエリーゼリーをはじめとした数名が供えた花でいっぱいになっていた。
ディティック・ベルは皆を安心させるためか、今わかっていることを話してくれる。けれど、内容は結局手がかりがなく絞り込めないという内容ばかりだった。研究部門が司法解剖のために遺体を預かった後、連絡がない、と。その研究部門に所属しているはずのツインウォーズは授業に現れず、真相は闇の中だ。
犯人がまだ捕まっていなくて、それどころかこの教室に犯人がいるかもしれないのは、怖い。けど、疑っている相手はすぐそこにいて、シン・ソニックもトーチカもずっとアイに目を向けていた。みんな、大人の力を借りずとも、彼女だけはなんとかしなければという意識がある。レモネードも学級閉鎖の間に、第8宿舎に赴き色々と調べていた。キュー・ピット・アイが起こした過去の罪のこと。そして、トーチカがかつて何をしたのか。調べたことは、マスカットには伝えなかった。アイの所業を知って欲しくなかったのか、それともただ、自分が彼と秘密を共有する気分に浸りたかったのか。どちらでもいい。
重要なのはこの後だ。シン・ソニックにアイのことを伝えた。すると彼女は、意外にも冷静に答えた。
「前科は把握してるけど先輩も先生も監視に留めろと言っているこれ以上の独断行動は控えなければならないじゃないとまた殴って止められるし」
素直すぎるというかストレートすぎる彼女に関しては、無理やり矯正すればそのまま進むらしい。彼女はアイに対しては監視のみ、制圧は本当に何かあった時と決められたらしい。そこから逸脱してくれることは、アイが目の前で本当に何かをしない限り、ないだろう。
そしてその日。機会が訪れる。
授業が終わり放課後になると、シン・ソニックはいつも最速で帰宅する。彼女曰く『監査部門としての仕事や見回りや日課のランニングがあるからだけど別にいいでしょここに留まってたって意味ないんだから』だそう。それは今でも変わらない。監査部門としてアイの監視はしっかり行う彼女だったが、最速は譲れないのか、もう校内にいない。
そして続いてトーチカ。彼というよりは、アイが彼にくっつこうとするのが問題だったが。
「ごめんアイさん、帰る前にトイレと……ちょっと用事」
「問題ありませんわ、お傍に」
「……アイさん? 男子トイレまでついてくるのあれやめてくれないかな?」
彼の方からさすがに離れてくれと言われ、アイも「仕方ありません、待つのも愛ですものね」と引き下がった。ここで初めてトーチカとアイが自ら離れるのを確認したレモネードは、ここぞとばかりにマスカットに目配せをした。彼女に頼むのはトーチカの足止めだ。荷物の準備をするふりをして時間を稼ぎ、彼女は「それじゃあちょっと先に帰るね!」と告げて教室を出ていった。
その後も他班の生徒たちが教室をあとにするのを見送る。最後にアルメールが、状況に首を傾げつつ教室を離れていくと、残ったのはもうアイとレモネードだけ。
「あら。帰りませんの?」
向こうから話しかけられて、初めて、深く息を吸い込んだ。最初に出そうとした一声はうまく出せなくて、咳払いをして、ようやく声が出る。
「……わ、わたし。調べたの……あなたが何をしたのか」
「それはそれは」
「わかっているのは……ストーカー行為と、殺人が少なくとも3件。記憶消去刑を受けてなお反省なく、一度封印刑に処され、さらにそこから反魔法の国勢力の手引きで脱獄……本当に、凶悪犯罪者だったんだ……」
「一度も否定した覚えはございませんわ。自覚はありますもの」
「だったら……だったら、どうしてトーチカくんに近づくの」
「私がこの心に決めたことだからですわ」
澱みなく、己が悪であると思った上で、彼女は悪のままの自分で生きている。羨む者が見れば、それはそれは羨ましい生き方だろう。レモネードからすれば、そんな彼女が自分たちの日々に入り込んできたのが、何より──。
「……ねえ」
手に力が入る。過去を悪びれる様子もない、罪悪感も抱いていない。レモネードだって
「あなたが来てから、学級はめちゃくちゃ。アーデルハイトさんは襲われて、トーチカくんにはまとわりついて、挙句の果てには、ベクトリアさんが」
「アーデルハイトさんの件は私が助けた側。おうじさまと一緒にいるのは当たり前のこと。そして殺人には関係ないと、何度も言っているでしょう」
「……あなたしか考えられない」
「ですから理由も暇もありませんと」
「人殺しの言葉……信じられると思う!? トーチカくんがどう思ってるか、知ってるの!?」
アイがついに言葉を詰まらせた。
「それでも! 自分で選んだのが、この場所ですもの!」
それでもなお、レモネードの思い通りにはならない。
「認めてよ。あなたが認めたら……全部終わるんだ」
「……私を仕立てあげて、本物を野放しにする、と? あなた……自分が安心したいだけですのね」
「っ、そ、そうだよ、それで何が悪いの……あなたがいなくなったら……きっと元に戻る。ベクトリアさんは死んじゃったけど、元のクラスに戻ってくれるはずなんだから」
「そんなわけありませんのに」
瞬間、レモネードは衝動的に変身し、その手の中に檸檬型爆弾を作り出すと、ヘタを模したピンを力任せに引き抜いた。投げ捨てたピンが教室にからんと転がる。いつでもいい。叩きつければ、教室ごと粉々だ。
「それは、あらぬ疑いと衝動で抜くものではありませんでしてよ」
アイの姿が変わる。もはや教室での変身が禁じられていたって関係ない。シン・ソニックが手を出せないなら、レモネードがやる。やるしかないのだ。
「いなくなってよ……わたしたちの教室から……トーチカくんの傍から……!」
◇マスカット・マスケット
──レモネードが、帰ってこなかった。今までは一度だってそんなことはなかった。内気な彼女が、マスカットと離れて誰かのところに行くなんて、学級に入る前だったら本当に有り得ないことだったくらいなのに。
真っ先に班員に話を聞きに行く。シン・ソニックは早朝の校舎近辺のランニングでは姿は見ていないといい、トーチカも昨日はマスカットと話した後は、職員室で先生と面談し、そのままアイと合流して帰宅している。
問題はそう、そのキュー・ピット・アイだった。レモネードは、明らかに彼女とふたりになろうとして、その後に行方知れずになっている。しかもアイ自身は当たり前のように登校している。彼女に、マスカットは焦りを隠して、できるだけいつものトーンで話しかける。
「ねえ。昨日、レモネー、いつ帰ったの?」
「レモネードさんなら、おうじさまのご用事が終わる前に、もういい帰ると仰られて出ていかれましたわ」
「……帰って、ないんだけど」
嫌な気配がしてならない。まさか。そんな。脳裏にフラッシュバックしてくるのはベクトリアの死体だ。可能性ばかりが脳に過って、黙っていられなくなり、マスカットは走り出した。
「レモネー! いる!? ねぇ、どうして帰ってないの、返事、して!」
旧校舎の色んな場所を見て回った。立ち入り禁止のままの先の事件現場にも入って、しかしベクトリアの血痕を見ただけで終わった。魔法の端末から慌てて、メッセージをいくつも送って、何度も電話をかけた。返事はないし繋がらない。落としたのか。ひとりで何もできないというほどマスカットに頼りきった子ではない。なのにどうして。全部の教室の扉を開けて、掃除用具箱の中まで見て、学校から出てぐるっと回り、藪の中にもいなくてゴミ箱の中にもいなくて、女子トイレの個室を見ていないことを思い出して、戻ってきた。
そして、校舎端にある普段使っていないような奥まったトイレの個室に、鍵が閉まっているのを見つける。マスカットは魔法少女に変身し、銃口をつきつけ引鉄に力を込める。撃ち抜かれて鍵は壊れ、扉が軋みながら開いた。
「レモネー、レモネー……っ、あ」
答えは最悪の予想の通りだった。
「な、なん、で」
全身から血の気が抜ける。檸檬色の髪が乗っているのは土気色の顔の上で、口の端には赤黒く滴った痕。胸元から腹にかけて、激しい刺傷がある。力なく垂れ下がった腕の下で、あの時と同じ、血溜まりができていた。
「嘘、うそ、うそ、だよね……レモネー? ねぇ……いやぁああああっ!!!」
悲鳴が旧校舎に響き渡る。その声を聞き駆けつけた者たちは、ここで2番目の事件現場を目撃することとなった。