◇雷将アーデルハイト
夜の学校は嫌な場所だ。もう少し前までは、緊張感と薄気味悪さを覚えていたが、今は近寄りたくない、という感覚が強い。この通い慣れた旧校舎が現在そもそも近寄るべきではない場所ということを差し引いても、夜の学校への忌避感はアーデルハイトの中に固まっていた。理由は、簡単かもしれない。お化けでも警備員でもない。あの顔に会うからだ。
月明かりの下。夏の夜でもじっとり暑い熱帯夜。虫や蛙の鳴き声に囲まれた、校舎裏の空間。騒がしいながらも静かなその渦の中、彼女はそこに立っていた。黒い髪を靡かせ、空を見つめるその横顔はまさに月下美人といったもので、まだ、こちらに気づいていない。星をなぞるように手を伸ばしている。その手には確かに『ハート』のマークと『9』の刻印があった。
「入らへんの?」
彼女は振り向く。驚いた表情をして、ふっと笑った。
「無理よ。あなたが入るというなら、止めないけれど」
アーデルハイトは無造作に踏み出した。彼女は警戒するでもなく、それを迎えるように立ち、その手にはいつも通りの輝く宝石を手にしている。
「なにビビっとんねん、らしくないわ」
「……そう? 私らしい、って、どういうものかしら」
彼女は首を傾げながら、手にした宝石を掲げ、小さく呟いた。プリンセス・マスク・オン──その言葉を引き金として、巻き起こる雷光に包まれながら姿が変わる。現れるのはプリンセス・ライトニングだ。その手には剣があり、帯電し続けている。
「探したんやで。こんなとこで何しとるんやって」
「何も。考えたかっただけ。何をしたかったのか……どうして、私はあの中にいないのか」
ライトニングは校舎を指した。この先には、敵の親玉がいるはずだ。我らが学校は絶賛乗っ取られ中。占拠が行われている。ここに貼られた結界の向こう側には、プリンセス・マスカレイドたちがひしめいているだろう。確かに、その輪の中に彼女は加わらず、アーデルハイトたちと一緒になって追われ、マスカレイドから逸れてここにいる。魔法少女学級で過ごした、というそれだけの、決定的な違いによってだ。
「どうなのかしらね」
「何がや?」
「私、何者かになりたかったのかしら」
そんなことを言われたって、アーデルハイトにわかることはない。ライトニングが何を考えているかなんて、わかったことなどないくらいだ。今だって──どうして剣を抜いているのか。纏った電撃の切っ先がなぜこちらに向いているのか。わからないなりに、笑う。
「少し付き合ってくれる? じゃれあい」
「病み上がりのけが人やっちゅうんに。お手柔らかにな」
「魔王塾生が怪我くらいで? ズタボロでも戦いを求めるんじゃないの?」
「せやからそういうんは一部の変人だけや」
軍刀を抜き放つ。互いに纏う電流がスパークして光り、バチバチと音を立てる。暗がりの中、自ら輝く雷系魔法少女がふたり。互いの刃が煌めいた。
「結局、付き合ってくれるのね」
「うちらの仲やろ?」
フッと笑ったその一瞬で、雷鳴が轟いた。刃同士がぶつかり合い火花を散らす。何度も響く金属音。一度振り抜くたびに放電され、互いに浴びる雷のエネルギーを奪い合いながら、攻める手は緩めない。これはただのじゃれあいだ。だからといって勝ちを譲ってやるつもりはない。
「
周囲一帯を覆い尽くすような電撃。脚に回していたエネルギーで回避を試み、最中で間に合わないと判断、アーデルハイトは両手をクロスさせて構え、受けに体を切り替えた。降り注いでくる雷光を、とにかく耐える。衝撃が体を駆け巡るが、アーデルハイトならやれる。降り注いできた力を、己のものに変えていく。が、ふと先程のライトニングの呟きが、今になって脳裏に戻ってくる。今のは──技名だ。
「はっ! どうかと思うわ、そのネーミングセンス!」
「あんたにいわれたくない」
雷が止んだ。ダメージは最小限。歯を食いしばればまだまだ立っていられる。受けきったなら、今度は反撃だ。手元に集めたエネルギーを、斬撃に纏わせる。
「
「来たわね」
飛び込んで振り抜いた刃には纏う雷の斬撃も重なり、大きく広がって、ライトニングに迫る。互いにほぼ同じような芸当ができるならばわかる。エネルギーは盗めても、この斬撃をゼロにして受け切ることまではできない。予想通り刃を合わせてきたところで、さらにエネルギーを流して放電、激しい雷を起こしてやる。さすがのライトニングも後退し、そこへ逃さず軍刀を振り下ろす。今度はコスチュームの背負った太鼓で止められていた。そのまま一回転しながらの体当たりを食らって、こちらはこちらで距離を一度取った。その隙にライトニングは宝石を取り出し、薄れた首元の宝石の輝きを回復させていく。いや、ひとつだけじゃない。彼女の手の中からはふたつ、みっつと飛び出して、宙に投げられたそれらは互いに共鳴してみせる。
「使いすぎなんちゃうの」
「出し惜しみしてあげないわ」
そのトライアングルに囲まれた彼女のコスチュームが変化する。雷の意匠がさらに追加され、手にした剣はより大きく、禍々しく。だが同時に、器が耐えきれていない。身体が軋んでいる。見開いた目から一筋、赤く血の涙が流れ、立ち姿から力が抜ける。
「おい、それ」
「ダブル……トリプル……っ、カドラプル……ふふ、さすがにここまで重ねるのははじめて。楽しくなってきたじゃない」
来る。空気がビリビリ震えるこの気配。今のライトニングが出せる最大の火力だろう。身構えた。躱すのではなく、受けきってやろうと。いつものライトニングの何を考えているかわからない表情の奥に、迷子の彼女が見えた。その思いごとぶつけてくれればいい。
「来いやぁ、プリンセス・ライトニングッ!」
「あははっ! いくわよ、せーのっ、
「
轟音とともに迫り来る雷鎚がアーデルハイトに襲いかかる。魔法を防御に回して構え、吸収しにかかり、限界は接触とほぼ同時だった。足元から放出して耐えるが間に合わない。尋常ではないエネルギーの波涛だ。全身が焼かれてもなお、歯を食いしばり呻き声を殺しながら立ち続けた。コスチュームが焦げていく。マントが千切れ、帽子が脱げて飛び、手袋はもう焦げた切れ端しかない。体は火傷まみれのボロボロだ。それでも致命傷じゃない。倒れない。踏みとどまった。
周囲の環境は余波で完全に焼き尽くされ、木々は焼け落ちて、倉庫の屋根が吹き飛んでいた。
「……あーあ。原型、残っちゃったわ」
「勝手に殺すなや……」
「私の負け、ね」
ライトニングは平然と立っていたはずが、胸元の宝石がふいに砕けて、その姿はマスカレイドのそれに変わってしまう。つまり雷撃は打ち止めだ。さらに限界を迎えた血管が破れて、血涙が溢れ出す。
そんな彼女の傍まで、一歩、一歩、歩み寄り、すぐ近くに倒れ込んだ。そしてちぎれてしまったマントの切れ端を引っ掴んで、彼女の血涙を拭う。
「マスカレイドがなんだか知らんけど……あんたは、うちらのクラスメイトのプリンセス・ライトニングやろ。な」
「……ふふ、そうね、そうかも。でも、それだけじゃないでしょ」
指ひとつ動かせないほど消耗しきったまま、くすっと笑って見せた。当ててみせて、なんてからかっているのか。アーデルハイトは体の痛みも忘れて、目を逸らした。
「あーはいはいせやな」
「……ふふ。残念。言ってくれないのね?」