目の前の少女はじっと、その中の文言を見つめ、ついでに手書きのイラストを添えてあるのにも目を通して、じっと見つめて、ふいに顔を上げ、こちらの顔と見比べるのを何度かしていた。
「これ、あんたが描いたの? 可愛い自画像」
「それは……ラズリーヌが描いてくれた私で。ラズリーヌの名刺には……恥ずかしながら私の絵が載ってるんです」
「へえ! そっか、確かにこんな絵描きそうかも……そう、ディティック・ベルさんね。それでベルっちなんだ」
ブルーベルに緊張感はなく、しかしその雰囲気に隙はどこにもない。傍らではデリュージとダークキューティーが激突していて、氷が飛び散り、影絵が踊り、しかしそれを気にも留めない。
「……ラズリーヌは無事ですか?」
「ラズリーヌとだけ言われると、先代とか混じっちゃうな。あ、私のことはブルーベルって呼んで。ブルーベル・キャンディね」
飴玉使い──ブルーベル・キャンディと名乗った彼女は、ディティック・ベルの問いにそのままの調子で笑っていた。
「あの子は師匠のお気に入りだからね」
──それが答えなのか。恐らくは結界の中にいるのだろう。が、その無事に関しては、彼女は名言をしなかった。ただ、傷つけたのか、と言い方を変えると、そうではないと返ってくる。怪我をさせたわけではなく。ただ、少し『協力してもらっている』と。そもそも脅しで連れていったくせに、と拳に力が入るが、落ち着くように己の胸を撫でる。
「どうしてあの子を追いかけてるの?」
「……え?」
「あの子は元々、師匠のところにいたんだから。元の鞘だよ。それを追いかけようとしたから、あんな死ぬような目に遭った、ってことじゃない?」
ブルーベルは答えを待っている。こんなことを言い出すのはわざとだろう。ディティック・ベルが答えられるかどうかを待っているのだ。答えは……答えは、あるはずだ。自分が言うべきことが、喉の奥、腹の底にはある。それが、出てこない。声になってくれない。
「プク派の強行の……儀式を……」
「それは、オスク派の目的でしょう。それならラズリーヌのことは関係ない」
「っ……それ、は」
わかっている。ブルーベルが待っているのはそんな答えじゃないんだろう。何度も奥歯に力を込めながら考えて、考えた果てに、絞り出したのは自分の感情でしかなかった。
「私は……あの子が、特別なんだ」
初めて出会った時はただ、騒がしい魔法少女だなと思っていた。現実に追いかけてまでもう一度出会った時は、誰よりも彼女を頼っていた。共に生き残って、その先も一緒にいたいと告げられた時──私の中で、あの子はもう『特別』だった。
「あの子に、傍にいてほしい。あの子がいなきゃ、ラズベリー探偵事務所にはなれない」
ラピス・ラズリーヌとディティック・ベルでラズベリー。一緒に食べて笑ったケーキのあの甘酸っぱい日々は、決して手放せない。ずっと、ずっと、味わっていたい。
「私は……そうだ。私は、あの子がいなきゃ駄目なんだ」
それを聞かされたブルーベルは、口元に指を当てて、それじゃあ、と口を開いた。
「あの子はどう思ってると思う?」
「……ラズリーヌが?」
「そう」
ぐっ、と拳を握る。自分の胸に当てる。それは──そう信じるしかない。彼女と一緒に暮らしてきた、特別で、当たり前で、ラズベリーの香る、あの日々を。
「ラズリーヌは。私が好きだよ。あの子は私を選んでくれたんだ。でなきゃここまで一緒にいない」
迷いなく答えきって、その後に訪れる沈黙までずっと、ブルーベルの瞳から目を離さない。先に逸らしたのはブルーベルの方だ。ふふ、と笑ったのは、気恥ずかしくなって誤魔化したのか。そこまで言いきるんだ、と呟きながら、彼女は初めて、その場から歩みを動かした。
「あの子がどう思っていても連れ戻すなら。私は止めないよ。その大胆な告白に免じて、今この場も見逃してあげる」
「……! ラズリーヌに、何か」
「それは自分で確かめてよ。探偵でしょ? あの子なら、結界の向こうで待ってる」
ブルーベルの口からついに、居場所が直接告げられた。やはり乗っ取られた校舎、遺跡の中だ。その言葉があっただけでも心構えが違う。それに──。
「デリュージちゃんの方も終わりそうだし」
氷の魔法少女はダークキューティーの前に倒れ、今まさに、影絵の狼によって脚を砕かれていた。それでも傷口を凍らせて無理やり立ち上がっている。鬼気迫る顔には、そこまでするだけの理由すら見えていないようだった。
「待って!」
思わず間に飛び込む。ダークキューティーは手を止めた。デリュージの周囲に浮いていた氷は、力が足りずに溶けて消えてしまった。冷えきった体から白い息を吐きながら、彼女はその場に膝をつく。
「襲撃犯を止めたいのではなかったのか」
「……だからって死なせたいわけじゃない。見殺しにしたら……私が後悔する」
「そうか。甘いな。それが許されるのは主人公だけだ」
だからとそのまま襲いかかるのかと思いきや、身構えたディティック・ベルの前で、ダークキューティーは手を解き、影絵を作ることさえやめた。その間にブルーベルがデリュージの肩を支え、彼女にまた何か飴玉を食べさせている。その度に、デリュージの額にあるティアラが濁り、淀んでいく。
「駄目……あなたは……傷つけたら……許さない……」
瀕死の口から紡がれるのはうわ言だ。もう見ていられない。止めようと振り返り、勢いのまま踏み出して、デリュージの手を掴んだ。
「待って。そんな体じゃ」
「……こんな体……でも……」
「いいや。もう、完成してる。これ以上、私らがやる必要もない。結界の中に帰るよ」
ブルーベルはそう伝えると、デリュージに肩を貸し、どころか半ば運びながら遠ざかっていく。その背中を、ディティック・ベルは追いかけようとはしなかった。ふいにこちらを向いたかと思いきや、彼女は手を振る。
「頑張って! うちの可愛い姉弟子、よろしく!」
──ブルーベルのことは何もわからないが。とにかく、応援された、のか。襲撃犯であったデリュージもあれだけのダメージを受ければ立ち上がるのも難しいだろう。そうだ、襲撃犯。胸を撫で下ろして安心するより先に、ダークキューティーの顔を見て、それから端末を取り出して、シャドウゲールに電話をかけた。
『はい、私です』
「そっちは……無事? こっちもなんとか終わったみたいで」
『えっと、それなんですけど──あぁとにかく、本拠地に向かいます。本拠地ってオスク派の病院なんでしたよね』
通話が切れる。あちら側で何があったのかは気になる。ディティック・ベルもひとまずは戻る他にないだろう。
「次はどうする?」
「……あとは。ラズリーヌを取り戻しに行くだけです」
「そうか」
決戦の日は迫っている。すぐにでも迎えに行ってやりたいが、ディティック・ベルだけではどうにもならない。依頼した協力者たちが舞台を整え切るまで、あと少し。
帰路を歩み出すディティック・ベル。既にこの時から、ディティック・ベルの心臓は決戦前の鼓動になっていた。その隣を黒い、ダークキューティーが──歩く?
「……あの?」
「どうした。戻るのでは無いのか」
「え? ダークキューティーさんもですか?」
「雇い主から連絡があった」
そういえばダークキューティーの本来の雇い主は現在プフレだった。完全に味方になってくれるらしい。てっきり忙しくこれ限りになると思っていたが、思わぬ強者の助っ人に、確かな収穫を得た。そこから先は特に話しかけられることも無く、その雰囲気がゆえに話しかけづらく、帰路はやや気まずかった。