◇中野宇宙美
結界は外と内とを遮断する。この校舎は、範囲こそ広いが密閉された空間だ。ソラミの魔法は『封を切らずに中身がわかる』というものだ。対象が密閉されているほどに認識できる精度が上がる。そしてそれは、空間に対しても例外ではない。結界の中、この閉じられた世界でなら、ソラミの感覚は誰よりも研ぎ澄まされていると言ってもいい。広すぎるが故に全てを把握しきれているとは豪語できないまでも、なんとなくの魔法少女の配置くらいはわかる。慣れ親しんだ家族の気配ならもっとわかる。うるるも幸子も、一点から動かないあたり、戦闘には参加していないか、もう倒されて気絶でもしてくれているのだろう。少なくとも、誰かが死ねばわかる。嫌という程、死の気配はあちらこちらで起こっている。
そんな中、限界まで食らいついてきた彼女、半獣の魔法少女クランテイルとは、完璧な一騎討ちだった。近づいてくる気配はなく、誰の邪魔が入ることもない。教室のカーテンを閉じ、鍵を閉め、テープを引っ張り出して隙間を潰しながら立ち回り、密閉度を上げた。それに従って得られる情報は一気に増えて、クランテイルの息遣い、一挙手一投足が手に取るようにわかった。豪快に様々な動物へと変化して暴れ回る相手にも、その動物の特質を即座に把握、筋肉の動きから予測して、情報を元に立ち回る。
クランテイルの下半身は今のところ実在の動物だ。的確に使い分けてくるのは厄介だが、動物とて自然の産物、弱い部分は必ずあって、ソラミは身体能力では敵わないながら、戦いは優位に動いていた。しかしそれも薄氷だ。乱戦の余波でこの教室が壊れれば、あるいはクランテイル自身が広い戦場を選ぼうとすれば、一気にクランテイルに優勢になる。彼女もそれをわかっていて、破壊力に長けたライオンやクマに続き、ゾウやカバの巨体を使い暴れようとしたのを、カーテンを囮にして、机をぶつけて、上半身を攻め立て対応を迫った。使える環境は全て使う。ソラミには教室にあるものほぼ全てが見えている。防御と回避の必要性に迫られて、アルマジロの甲羅で防御した後、カンガルーの脚で躱しながら脚力で仕掛けてきて、ソラミもギリギリの格闘戦を強いられる。攻撃の軌道は読める、受け流す方法も弾き出せる、まだソラミは有利なままだ。このまま攻め立てていけば、クランテイルを倒すことだってできる。
「──!」
しかし、結界から伝わっていた情報が変質したことに気がついた。
この感覚は──気配は、まずい。校舎を壊して、死の気配を振り撒いて回る何者かがいる。ソラミは目を見開き、クランテイルを見る。彼女の攻撃に容赦はない。踏みつけようとする馬体での突撃に、なんとかちぎったカーテンを巻き付けて止め、互いに息を荒くしながら、ソラミは叫んだ。
「待って! 戦ってる場合じゃ……ない、かも」
クランテイルは話を聞く耳を持たず、次の攻撃の構えをする。それに対して、慌てて両手を振って、どうにか話を聞いてくれるように制止した。
「このままじゃ、みんな危ないんだって」
幸子の気配が、その濃厚な死の気配と一緒に動き出した。ソラミは己の予感が当たってしまったことに、背筋が凍る。これは、手を打たなければまずい。
◇プレミアム幸子
うるるとソラミは前線に出ていった。攻め入ってきた敵の魔法少女を迎え撃つため、プク派の魔法少女たちを引き連れて、特にうるるなんてリーダー役として切り込んで行った。一向に帰ってこないのは、万が一があったかもしれない。その隣にいたソラミもまた頼もしく、訓練で見せた以上の動きで敵と戦っていた、みたいだが、彼女もまた続報がない。幸子は隠れたまま、動けないでいた。
プク・プックから与えられたのは儀式の最後の仕上げに、固有魔法である幸子の契約書を使うことだった。この魔法の契約書は、サインをした誰かを少しの間、一生分を使い果たすほど幸運にする。そして使い果たした後は、有り得ないほどの不運によって、ほぼ確実に死に至る。これまでは、皆揃って命を落としている。そんなものを儀式使うなんて、誰かを生贄に捧げるみたいで、幸子はそれが嫌で、こうして乱戦の中、隠れていた。
引け目はないとは言えない。うるるもソラミも、プク・プックのために、矢面に立ち戦っている。幸子は怯えて隠れている。怖がっているうちに、この騒ぎが終わりますように、と祈っていた。身体能力も強くない、性格も魔法も戦いに向かないプレミアム幸子は、この状況では下手に外に出ていくこともできなかった。そんな中、だった。ふいに、隠れ場所に光が差した。
「おや。探しましたよ、こんなところに隠れていたなんて」
「え……?」
姿を現したのは、いきなりプク派にたくさん現れた同じ顔の魔法少女たちのうちの1人だった。幸子を探していた、ということは、プク・プックが呼び戻そうとしているということで、それはつまり、儀式がもうすぐ終わるのだろうか。それはそれで、嫌なことだった。
「貴方の魔法が必要なんですよ。丁度、ここにもう1人『私』もいますから」
「ついてきてって言われたけど、なんなのかしら?」
同じ顔がもう1人現れる。同じ顔……だけれど、雰囲気が随分と違う。後から来た方はそんなに嫌な感じじゃないが、先に現れた、頬に『クラブ』の『エース』が描かれた彼女は、ニヤニヤしていて雰囲気が怖い。そんな彼女に、さあ契約書を出して、と言われて、一度は断ろうとして、首を振った。
「これは面倒なガキ……いえ、失礼。確か貴女には姉妹がいましたね。おふたりともきっと、敵に苦戦していることでしょう。私なら、その契約書があれば、敵なんて簡単に蹴散らしてさしあげましょう。力になりますよ?」
甘言で笑う彼女の、コスチュームのフードの奥が見えた。そこにおぞましい『何か』が蠢いていることに気がついて、大人しく差し出した。いい子ですと不気味に微笑んだ彼女は、そのうちから1枚をちぎり、目を通し始める。
「ふむふむ、なるほど。聞いた時から思っていましたが、前借り、というわけですね。強引な借金だ。これを使うのはダイスロールとしてはイカサマ同然、魅力的ではないかもしれませんが……あいにく、ダイス運をごまかさなければ、この祭りに間に合わないようですからね」
「な、なんのこと……?」
「さあ私、出番ですよ。ほら、サインをしてください」
「よくわからないけれど、エース級に必要なら、やるわよ」
もうひとりの方は契約書を手に取り、まともに目を通すことも無く、すらすらと同意していく。幸子はそれをビクビクしながら眺めていた。そんなことをしちゃいけない、こんなことをしたらどうなるか……そもそも、契約書を使って何をする気なのか。
「できたわ」
「では。こちらを」
クラブのエースが渡したのはサイコロだった。受け取った方は首を傾げつつも、とにかく転がす。出目は──当然、全てが『6』。その結果を見て、クラブのエースが心底楽しそうに笑った。
「こんなあっさりとうまくいくものですね。いきなり知らない魔法少女の体に入っていた時は何かと思いましたが……これなら、大丈夫そうです」
「……え?」
クラブのエースのパーカーの内側から、一気に『何か』が飛び出した。ぬらぬらと光る、海洋生物のようなそれらは、今しがた契約書にサインをし、ダイスを振って、幸運を使い果たしたもうひとりに、目で追い切れない速度で覆いかぶさった。触手たちが元の位置に戻る頃には、もうそこには影も形もない。つまり、今目の前で、この触手が今の魔法少女を殺したのだと、理解する頃には遅い。既にプレミアム幸子の周囲を、クラブのエースから伸びた触手が取り囲んでいる。
「うーん……自分自身って、美味しくないものですね。まあいいでしょう。契約書をくださった貴方にはそうですね、面白いものを間近で見る権利を差し上げましょうか」
「あ……い、嫌……っ」
「嫌ですか? まあまあそんなこと言わずに、せっかくの招待です。この賽ノ目チロリ……いえ、プリンセス・チロリとしておきましょうか。私もこのお祭りに参加させていただくとしましょう」
◇リオネッタ
獣人ブランディアは強力な魔法少女だったが、戦闘の経験はリオネッタが勝った。爪を武器とする者同士の格闘戦は、人形操りの糸を絡め、人体模型や人型に切り抜いた瓦礫、ついでに転がしていた遺体まで使って囮や撹乱を行い、思考が追いつかずに隙を見せたブランディアをリオネッタの一撃が刈り取る形で決着した。彼女の他にも魔法少女たちはいたが、実力はそれよりも下。コンボを狙って配置されたであろう爪を治すネイリストのイルネイルもブランディア自身が戦闘不能なら脅威ではなく、那子が幣で叩いて倒していた。
「しっかし……遅いデスね」
「……クランテイルさんなら心配はいらないでしょう」
「それもそうデスが……次の波デス」
「なるほど。貴女にしては鋭いですわね」
「ひとこと余計デス」
那子が直感した通りだった。あれほどに襲撃してきたはずの敵魔法少女たちが、不自然に途絶えている。これは何かがあると思い、備えるべく瓦礫から人形を調達しようとした。が、それは叶わない。廊下を砕き、次なる敵は存外すぐに姿を現した。
「……幸子!? なっ、幸子、なんで……離して! 今すぐ!」
「どっちが幸子デス? 捕まってる方?」
「そう! 捕まえてる方は知らない!!!」
頬にクラブのエースのマークが刻まれていることから、マスカレイドであることは間違いない。しかし、その姿は異様そのものだ。パーカーの中から、異形の触手が這い出しているではないか。
「見つけました、遊び相手」
「……遊びで来ているわけがなくてよ?」
「私はお遊びなんですよ」
「なんデスかアイツ! ムカつきマース!」
異様な気配の正体はこいつだ。そしてその気配の強烈さは、真っ向から戦ってはいけない相手だということを示している。自分と那子だけではどうにもならない。援軍が来るまで、持ち堪えられるだけ持ち堪えるしか。
「こんなのばっかりですわね……本当に!」
だがこれもトーチカのため。それはつまり、リオネッタが決して許せないあの子のためだ。頭を回しながら、リオネッタは那子と並んで構えた。