リユニオン   作:やわらかな土

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開闢

 気がつくと闇の中にいた。

 知らぬ間に眠っていたのだろうか。

 上も下もわからないくらい闇が濃い。スマホを探したくても、こう暗くては手も足も出ない。

 まずは電気をつけよう――と思ったところで明るくなった。

 周りを見回すと、白いのっぺりとした空間がどこまでも広がっている。まるで黒を白に反転させただけのような空間だ。明るくなったところで上も下もわからないことは変わらない。これを明るくなったと言っていいのか悩むくらいの白い闇だった。

 ちょっと調子が良くないのかもしれないし、こんなときはコーヒーでも飲んで落ち着くのが一番なのだが、腰を落ち着けるにも場所がない。

 まず机が必要だ――と、頭に机を思い浮かべると、目の前に机と椅子が現れた。自分の部屋に置くような大きな学習机やパソコンデスクではない、教室に並んでいるタイプのシンプルな机だ。

 机の足元には影が落ちている。つまり床だ。不思議なもので、そこに床があるとわかると足の裏に大地が感じられ、自分は確かに立っているのだと思えた。「地に足ついた」とはまさにこのことだ。

 机の天板は暖かみのある木目調で、樹脂によるすべすべとした手触りが心地よい。誰かが掘った文字や穴の凹凸が指先に引っかかるのも学校の机ならではだ。椅子に腰を下ろすと、体に沿うようややカーブを描いた板の確かな硬さを感じる。座面と背もたれの角度はほぼ直角だ。椅子のフレームや机の引き出しはスチール製でひんやりとした冷たさがある。

 

「あ、こんなところにいたんだ」

 

 どこかから声が聞こえた。女の子の声だ。

 声の出どころを探していると、まるでページをめくるようにして白い闇の隙間から女の子が現れた。

 女の子とはいうものの、現れたのは半透明の人影だったので、声質で判断しただけだ。見た目はゼリーでできたマネキンとしか形容できない。マネキンの輪郭はゆらゆらと曖昧に揺らいでいる。

 

「ねえ、リーダー。キミはいま何をしようとしていたの?」

 

 ゼリーのマネキンがそう問いかける。

 

「ええと、とりあえず椅子に座ったところで」

「うん。それから?」

「それから――そうだ、コーヒーが飲みたいなと思って」

「うんうん。コーヒーかあ。ねえ、リーダー。コーヒーで何か思い出すことはない?」

「思い出すことって?」

「なんでもいいんだよ。匂いとか味とか、誰の淹れてくれたコーヒーがおいしかったなあ、とか」

 

 そう言われても――と思った。コーヒーに違いなんかあったっけ?

 瓶に入った粉コーヒーをマグカップに入れてお湯を注ぐだけ。スプーンを洗うのが面倒だから適当に揺すって混ぜていたっけ。苦くて香りの良いインスタントな液体は、粉を入れた量による濃いか薄いかくらいの違いしかない。

 

「コーヒーなんかどれだって同じだよ」

「本当に?」

「だって、喫茶店にでも行かなきゃ本格的なコーヒーは飲めないし。でも――」

 

 ふと、いつか嗅いだ挽きたてのコーヒー豆の甘い香りを思い出した。食事のたび、休憩のたび、その香りを嗅いでいた。扉の向こうからその香りが漂ってくるだけで気持ちが安らぐ思いがした。たしかインスタントとは比較にならないくらい美味しかったはずだ。コーヒー豆を買うお金だってバカにならなかったはずで、たしかコーヒー基金という貯金箱にお金を貯めていた。そのお金を使うとき、少女は嬉しいような申し訳ないような、微妙な表情を浮かべるんだ。自分のために淹れているんですからと、少女はあくまで謙虚な姿勢を崩さなかった。コーヒーを淹れ、味をみて、それをノートにつける。豆の配合、温度、抽出時間。かわいいイラスト混じりにびっしりと書き込まれたノートと真剣な眼差し――。

 

「いつもコーヒーを淹れてくれる人がいたんだ。すごく美味しかったことを覚えてる」

 

 言葉とともにコーヒーの香りと味が鮮明に蘇った。すると、挽いたコーヒーの甘い香りがした。気のせいではなく、いつか嗅いだあの香りだ。

 

「コーヒーが入りましたよ、リーダーさん」

 

 その言葉と共に、机の上にコーヒーの入ったマグが置かれた。吸い込まれるように口を付ける。まず軽く爽やかな香りがし、軽い酸味のせいかあっさりとした飲み心地だ。甘い香りが鼻から抜けていき、続けてもう一口飲んでしまう。

 

「リーダーさんはまだ起きたばかりだから浅煎りのものにしてみたんですけど、どうやら正解だったようですね」

 

 ありがとう――そう言おうとして見上げると、コーヒーを淹れてくれた彼女もまたゼリーでできたマネキンのような姿をしていた。彼女も椅子に座って、自分用に淹れたコーヒーに口を付けた。コーヒーから唇が離れると、ゼリーでしかないはずの口元に瑞々しい唇が浮かんで見えた。何もない顔に丸みを帯びた唇が膨らんで、唇に残った雫を赤い舌が艶かしく舐め取った。その唇に、どこか見てはいけないものを見てしまったように感じて、思わず目を伏せてしまう。

 

「どうかしましたか?」

「いや、別に。なんでもない」

「何か思い出したことでもあるんですか?」

「思い出したっていうか、うーん……」

 

 思ったことを何でも口にしていいはずがない。プライベートなことに踏み込むようで気が引ける。けれど、マネキンの彼女には存在しないはずの目からこっちに向けた強い視線が放たれている。

 

「本当に申し訳ない。見せ物みたいに扱いたいわけじゃないんだ!」

「はい」

「……女の人とキスしてたよね?」

「えっ。あ、はい」

「その人とはきっと恋人同士なんだよね。別に見ようと思ってたわけじゃなくて、見えちゃったというか……」

「あの。実は恋人というわけではまだなくて……」

 

「あら、そうだったの。私は“そういうつもり”だったのだけど?」

 

 背後から声がした。

 振り返ると、彼女らと同じようなゼリーのマネキンが腕を組んで立っていた。

 

「リーダーにとって私は二番目の女ということなのね。ま、別にいいけれど」

 

 彼女はそう言って、コーヒーを淹れてくれた彼女との間に割り込むかたちで席についた。

 

「森崎さん、大切なのは順番じゃないって聞いたはずじゃないですか」

「そうね。確かに聞いたわ。けれど一番最初に思い出したのが詩帆だったことは紛れもない事実。私はおまけみたいなもの。そうよね、リーダー?」

「森崎さん、あんまり意地悪言わないであげてください……」

 

 森崎と呼ばれた彼女が怒気をはらんだ声をこちらに向ける。顔は見えないのに、声色と、腕を組んだまま少し傾げた首の奥に彼女の感情が見えるようだ。

 

「まあいいわ、続けましょう。リーダーが次に思い出すのは誰なのかしら? 楽しみね」

「またそんなふうに圧力をかけて……。焦らずゆっくりでいいんですからね、リーダーさん」

 

 なんのことかよくわからないままコーヒーに口をつけた。これでマネキンは三体になった。どうやら何かを思い出すと一人現れる仕組みらしいということはわかった。

 何かに巻き込まれていることはわかるが、それがなんだかわからない。けれど、詩帆と森崎さんの飴と鞭のようなやり取りからはなんだか懐かしさを感じた。

 だから、感じたことをそのまま伝えてみることにした。

 

「こういうやり取り、なんだか懐かしい気がするよ」

「懐かしい――ですか?」

「うん、懐かしい。森崎さんはよく誰かとケンカをしてなかったっけって」

「アレシア。リーダーは私をアレシアと呼んでいた。森崎さんなんて他人行儀な呼び方、気味が悪いわ」

「そうなんだ。じゃあアレシア、君にはケンカ相手がいたような気がするんだけど」

「そうかもしれないわね。あまり気が進まないけれど、それについて思い出してみればいいじゃない」

 

 アレシアは天を仰いでそう言い、ため息をついた。

 

「もしかして、違う方向性で考えた方がいい?」

「できるならそうして欲しいけれどね」

「森崎さん!」

「だって詩帆、このままじゃきっと厄介な奴が来るわよ」

 

 その瞬間、何かの気配を感じで後ろを振り返った。けれど、そこには誰もいない。確かに気配を――というより声が聞こえたような気がした。

 ――厄介とはご挨拶じゃない。

 ――アンタに奴呼ばわりされる覚えはないんだけど?

 ――今に見てなさいよ。必ずぶちのめしてやるからね、アレシア。

 

 そんな声が頭の中に反響している。

 一歩も引かない気の強さがお互いに噛み合っていて、その相性の良さからいい連携が取れていた相手がいたはずだ。

 槍を構えて敵と対峙するアレシアが浮かぶ。その先に少女が立っている。少女は拳を打ち鳴らし、好戦的に笑っていた。

 そんなシルエットが浮かび上がる――。

 

「厄介とはご挨拶じゃない!」

 

 今度は声がはっきりと聞こえた。すぐ背後に存在を感じ、振り返ると、やはりゼリー状のマネキンが腰に手を当てながら、隣に座るアレシアに向かって指を鋭く向けている。

 

「はあ。まさかアレシアから私を思い出すとはね」

「良かったじゃない、思い出してもらえて」

「うるさい。別に感謝なんてしてないからね。それよりも」

 マネキンがこちらに顔を向けて言った。

「アンタもアンタよ。よりによってケンカで私を思い出すなんてね。私をアレシアの敵とでも認識してるわけ?」

「事実よ」

「森崎さん!」

 何やら不穏な空気を感じるが、同時に懐かしさを覚える。これが日常的な光景だったのだと容易に想像できた。

 

「それにしても殺風景な場所ね。机と椅子しかないじゃない。ただ広いだけの空間って逆に狭く感じるものなのね」

「確かにそうね。机しかないから、ここにいるしかない。選択肢がなくて窮屈だわ」

「というわけでリーダー、早くなんとかしなさいよ」

 

 なんとかしろと言われても、と思う。

 闇の中よりも白い光の方が視界が広がる感じがしたし、机があることで床を感じられて落ち着いたが、そういうことだろうか。

 だとすればある種の制限、不自由さがあることでかえって自由を感じるのかもしれなかった。

 

「ほら、早く思い出して。私たちが集まる場所には何があったっけ?」

 私たち――詩帆とアレシアと、あと――?

「なによその顔。アンタまさか、私のこと思い出せないわけ?」

 表情を読まれてしまい、何も言うことができずにいると、マネキンはあからさまにため息をついて言った。

「菜々花。安住菜々花よ。はあ、こんなヤツがリーダーだったなんて情けない」

 

 呆れられてしまった。なんとなく気まずくて目を逸らす。けれど何もない空間を見つめ続けるわけにもいかず、目線を机の上に戻した。何もないほうが窮屈だという二人の言葉をさっそく実感してしまう。

 今すぐここから逃げ出したい。解放感が欲しい――!

 そう強く思うと、空中のちょうど腰より高いくらいの位置に窓が現れた。

 

「へえ、いいじゃない。まずは窓なのね」

「けれど景色がないから、このままではただの置き物でしかない。つまらないわ」

「リーダーさん、目を閉じてみてください。それから想像してみて。窓の外には何がありますか?」

 

 詩帆のいう通り目を閉じてみる。それから窓の外の世界を想像する。ポスターカラーのような青空がどこまでも深く広がっていて、季節はきっと夏だった。波が砂浜をさらう心地良い音が一定のリズムで響いていた。

 

「いい感じじゃない。続けて」

 

 棘のない菜々花の声がすぐ耳元で聞こえた。

 机の上のパソコンで作業をしていて、目が疲れたから窓の外に目を向けた。空は眩しくて、めまいを覚えた。夏の空に比べると部屋は暗くて、クリーム色の壁がくすんで見えた。壁には本棚やロッカーが並んでいる。本棚にはファイルや資料に混じって誰かの私物であるハードカバーやラノベが並んでいる。ブックエンド代わりに変身ヒーローのフィギュアが立っている。その下の段には救急箱と鉄アレイが並んで置かれていた。ロッカーは更衣室にあるような縦長のスチール製のもので、一台を二人で使っているらしい。女の子のロッカーだから触るのは禁止だ。作業台の上にはコーヒーメーカーとコーヒー豆が並んでいる。よく見ると、物陰や本棚のちょっとした隙間などに、まるで隠してあるかのように小さな熊のぬいぐるみが置いてあった。クレーンゲームの景品のようなタイプのものだ。

 ぬいぐるみの存在が不思議だった。他のものはともかく、自分の中から熊のぬいぐるみがゼロから想像されるとは考えにくかった。そういえば、このぬいぐるみに異常な執着を見せる人がいたような気がする。

 

「あのさ、なんか変な熊のぬいぐるみを思い出したんだけど」

 

 目を閉じたまま声に出し、誰にともなく聞いてみた。

 

「くまっぴだ。変なぬいぐるみではない。さあリーダー、声に出して言ってみるんだ。さん、はい!」

「……くまっぴ」

 

 目を開けると新たなマネキンが立っていた。凛とした声に促されるまま、くまっぴと輪唱する。辺りは頭の中で想像した部屋と同じものが広がっていた。机があり、窓があり、壁があり、本棚とロッカーがあり、作業台があり、出入り口がある。ちゃんとした部屋になっていた。

 その部屋の中をよく見ると、ぬいぐるみだけでなくロッカーやファイル、机の角にまでくまっぴのシールが貼られていた。まるで領土を主張しているかのようだった。

 

「順調ね。じゃあ次、この子の名前を思い出しましょ」

「なんだと。まさか私の名前を忘れているのか?」

「そのまさかよ。それどころか姿だって思い出せていないみたい。だからほら、体だってご覧の通り」

 

 菜々花は透明な体を見せつけるように両手を広げて言った。

 

「情けない。我々が過ごしてきたあの時間はなんだったんだ」

「まあまあ。まだ始まったばかりですから。さあ、リーダさんに名前を教えてあげてください」

「そうなのか。私は美岐だ――知っている人間に自己紹介するとは、不思議な気分になるものだな」

「わかる。わたしも同じ気持ちを味わったわ」

「なんだかすいません……」

 

 彼女たちの口ぶりからすると仲の良い友人だったことがわかる。それだけに恥ずかしさでいたたまれない。

 

「さっきまでと比べると部屋に物が増えているし、これで思い出しやすくなったんじゃないかしら?」

「ですよね。リーダーさん、次はどれにしますか。何か適当に目についた物から行きましょう」

 

 椅子に腰掛けて微動だにしないアレシアとは対照的に、詩帆は握った両手を前に突き出して言った。情けなさは一旦忘れて、これは激励だと前向きに受け止めることにする。

 次に目についたのは救急箱と鉄アレイだ。何となく真逆の印象があった。この組み合わせだと鉄アレイで殴った相手を治療するために救急箱が置かれているように思える。

 

「あのさ。この鉄アレイって、もちろんトレーニング用だよね?」

「当たり前だろう。私の私物だ。一体なにと勘違いしたんだ」

「じゃあ隣に置いてある救急箱とは関係ないんだよね」

「ああ、それは彩未の私物だ。中には絆創膏と湿布と常備薬が入っている」

「ちょっと瀟さん! リーダーさんが自分で思い出さなくちゃいけないのに、名前を教えてあげちゃ意味ないですよ」

「別にクイズをしているわけじゃないんだから構わないだろう。リーダーにはとっとと思い出してもらわないとな」

「それはそうかもしれませんけど……」

 

 詩帆は納得のいかない様子で引き下がった。美岐の言うことは合理的だけど、結局のところ思い出せないのが悪いのだ。現に「彩未」と教えられても、一体誰のことなのかまったく思い当たらない。

 救急箱について思い出せることといえば、これはほとんど俺専用になっていたということだ。保健室があるにも関わらずこの場所に救急箱が置かれている理由は、俺だけがよく怪我をすることと、保健室に行くことができないからだった。閃くようにして部隊という言葉が浮かんだ。

 そうだ、俺たちは部隊として戦っていた。

 指揮者は――俺だ。

 みんなはイローデッドに変身して戦っていたから負傷しても大事にはならない。けれど俺は違った。エーテルフェログラムは他者のエーテルに干渉する性質上、生身で現場に立ち合っていた。無傷でいられる現場などない。常に何かしらの怪我を負って帰還していた。

 そしてもうひとつ、イローデッドの特殊部隊は公には存在しないものとされていた。

 一生徒が頻繁に怪我をして保健室に行っていれば問題になる。あまりに大きな負傷であれば組織の病院で治療を受けることもできるが、大抵は応急処置で済ませる。そこで救急箱の出番というわけだ。

 現場での治療担当は詩帆だったが、部室では主に彩未だった。出血や部位損傷など緊急性の高い怪我は詩帆に頼っていたが、詩帆のセル・リコンストラクタは灰をエーテルに変換して細胞の活性化を促すものなので、傷口を塞ぐのに効果的だが打撲や捻挫によるダメージを消すことはできない。痛みだって当然残る。そういった怪我の面倒をみてくれていたのが彩未だった。彩未は配給される薬の効果のほかに人体についてもよく勉強していて、たとえばテーピングひとつとっても痛みが和らいだし体を動かしやすくもなった。食事についてもアドバイスされたし、実際回復も早かった。彩未は俺や他のメンバーの状態について日誌に記録していたから、健康状態もすべて把握していた。配給される治療キットは、あるとき彩未が持ち込んだ救急箱に収められるようになった。救急箱はピンク色で、赤十字もなんだか丸っこい。それは見た目がかわいいほうが回復も早いから、という彩未独自の理由からだった。

 

「やっとお姉さんのことを思い出してくれたんだね。リーダーくん」

 

 そんな声がした。後ろ手に組んで、すこし首を傾げたような仕草で甘い声を出すそのマネキンは、間違いなく彩未のものだった。

 

「ああ、思い出したよ。彩未――でいいんだよね?」

「当たりー」

 

 間延びしたような返事をする彩未は、普段は整った身なりをしていて、学生の買えるものではない香水を香りがしていた。育ちの良さを感じる佇まいだったが、一見すると緩く見える態度だったので、学生らしくない見た目とは違って接しやすいという印象を周りに与えた。けれど、治療行為に関する彩未の熱心な姿を知ってしまっているので、学生らしからぬ見た目はむしろ背伸びしているようにも感じられた。きっと真剣に取り組んでいるときの姿が本質なのだろう。

 

「あーっ、リーダーくん。いま変なこと考えてたでしょう?」

「そんなことないよ。彩未のことを思い出してただけ」

「そうなんだ、うれしいなあ。どんなことを思い出してたのか、お姉さんに教えて?」

「それは内緒だよ」

「意地悪」

「あのさあ、あんたたち。イチャつくのもいいけど、後にしてくれないかな!」

 

 俺と彩未の間に割り込むように、菜々花が体を入れて遮った。

 

「リーダーも鼻の下伸ばしてないで、さっさと全員思い出しちゃってくれない?」

「それもそうだね。了解」

 

 鼻の下を伸ばすと言われて気になったことがある。俺がこうやって誰かと親しく話していると、どこかからある視線を感じることがあった。今は空席のその場所に目を向ける。たしかそこに座っていた子は、ハードカバーの書籍に目を落とし、我関せずというような態度だった。けれど、確かに視線を感じるのに、そちらに目を向けるといつも書籍を見つめていて、それから「なにか用?」というような視線をこちらに向ける。まるで自分の感情を悟らせないかのような態度。それが逆にわかりやすい、そんな子だった。

 彩未や詩帆の治療の際には能力のエーテルシーカーでこちらのエーテルの損傷箇所から具体的な怪我の位置を特定して、より効果的な治療ができるよう促す。そんな役割を担ってくれていた。

 対外的には柔らかな態度と笑顔だが、実際は割とドライで、笑顔はむしろ壁として機能していた。その意味で彩未と似ている部分がある。

 好きなこと――たとえば小説の話題になると急に早口で言いたいことをまくし立て、言い終えてから気まずそうな顔をする。きっとそれが彼女の本質的な部分なのだろう。

 名前も思い出せる。彼女の名前は高岡由紀子。

 

「久しぶり、でいいのかな。リーダー」

 

 極端に抑揚のきいた声でそう言って、由紀子は空席に着いた。

 

「思い出されるってこういう感じなんだね。リーダーの記憶を共有するというか、リーダーから見た自分がベースになって構成される。はあ……。リーダーから見たら私ってずいぶんわかりやすい小娘だったんだなぁ……」

「あはは。まあ由紀子は他人の機微に興味があるのはわかってたし、そういう視点で他人を見ることに後ろめたさを感じていたんだよね」

「あーもう。そこで鈍感かよ。別にもういいから、リーダーは作業を続けて」

 

 由紀子と並んで本を読んでいる女の子がいた。

 その子は文学や古典を愛読する由紀子とは対照的に、ラノベや映画のノベライズのような小説を好んでいた。作品に対してのアプローチは違っていたけれど、二人は割と相性が良かったらしく、同じ作品から生み出される異なる解釈によって理解度が深まるのだ、なんてことを言っていた。

 その子には先天的に未来予知の能力があり、その異能を占いという形にすることで世界と共存していた。けれど占いなどではなく、本当に見えていることを俺たちは知っていた。その意味で、一般的に言われる「不思議ちゃん」とは一線を画す存在だった。アニメやラノベ、特撮にオカルト、サメやゾンビなどのB級映画に強い関心を示していて、それはきっとなんでもアリという世界観が彼女という本当の異形を拒まないからだろう。

 彼女にとって未来予知とは生まれた頃からあったごく当たり前のものだった。人はいつか死ぬ、なんて当たり前のことを俺が口にするのと大差ないのだ。彼女はそれを「神様に聞く」と表現していた。他者の喜びだけでなく、悲しみや憎しみや苦しみを意図せず知ってしまうのはどんな気持ちがするだろう。

 

「リーダーはきららにお熱。リーダーのことならなんでもお見通し」

「まあ、きららに隠し事はできないからね」

「そんなことはない。でも、まさかリーダーにここまで同情されているとは」

「同情って……。大変だろうなあとは思っていたけどさ」

「リーダー。きららに会えて嬉しい?」

「もちろん嬉しいよ」

 

 俺は最後の一人の思い出しにかかった。この子は少し特殊な子だ。

 いつか、将来の夢を聞いたことがあった。答えは「何もない」ということだった。将来が見えないとか、不安とか、そういうことではなかった。本当に何もなかったのだ。

 俺をお兄ちゃんと笑顔で呼ぶ瞳の奥にある暗闇はついに晴れることがなかった。強烈な悲しみを湛えたまま、その悲しみと向き合うことも拭い去ることもできず、たったひとりで悲しみの中に沈んでいたのだ。悲しみを鈍麻させなければ狂ってしまっていただろう。けれど、笑顔と態度は完全な偽りということでもなく、きっと本来の姿の一端だろうことは窺えた。なぜなら彼女は嘘が極端に下手だからだ。

 実際、彼女は嘘をつかなかった。その代わり沈黙で答えた。その沈黙を彼女は「みんなを騙している」と表現した。素直で誠実な人物じゃなければ言えない言葉だ。

 その少女の名前は星谷かんな。

 

 扉の向こう側に誰かの存在を感じて目をやった。この部屋にいる全員がその気配を感じたようだった。けれど扉が開かれることはなかった。

 立ち上がって扉に近づき、軽くノックしてみる。

 

「かんな、そこにいるんだろ。入って来ていいよ」

 

 俺は問いかけた。けれど返ってきたのは沈黙だった。俺は扉を開けた。かんなは隠れるように壁に背を付け、膝を抱えてうずくまっていた。

 

「かんな、入っておいで」

「……」

 

 かんなは顔を腕に押し付けたまま、無言で首を振った。

 

「みんな待ってるよ。誰も怒ってないから安心して」

 

 俺は床に膝を付いて、ゆっくりとかんなの頭に触れた。手が触れた瞬間、かんなはビクッと体を震わせたが、拒む様子はなかった。

 

「なんで――」

「うん」

「私はいつも元気で明るくて、悩みなんか全然なくて、難しいことなんかわからないバカじゃなくちゃダメなんだよ。なのになんで――」

「そんなのかんならしくないし、誰もかんなをそんな子だと思ってないんじゃないかな」

「全部バレてたってことじゃん。私がやったことってなんだったの。これじゃ本当にバカみたいじゃん」

「……それはそうだね」

「会わせる顔なんてない」

「うーん。それは諦めないと」

「お兄ちゃんはズルいよね。かんなのウソを全部わかってて、見透かして、上から偉そうに笑ってるんだ」

「まあ俺はかんなのお兄ちゃんだから」

 

 言い終えた瞬間、かんなの裏拳が俺の腹に突き刺さった。別に痛くはなかった。

 

「怒ってくれなきゃフェアじゃない」

「俺が怒るわけないだろ。でも、あいつらはなんて言うかな」

 

 部屋の中からメンバーの談笑する声が漏れていた。かんなが顔を伏せたまま頭を俺の肩に寄せた。

 

「どうなっても知らないから。ちゃんと責任取ってよね」

「まかせろ」

 

 立ち上がってかんなに手を伸ばした。かんなは俺の手を取って立ち上がった。ようやくかんなの顔が見えた。不安そうな目の奥に暗闇はもうなくなっていた。

 かんなは俺の背に隠れるようにして部屋に入った。彩未が歩いてきてかんなの手を取った。かんなの背を押してやると、ゆっくりと一歩目を踏み出した。彩未に手を引かれるままに席に着くと、菜々花がかんなの肩にひじを置いてさっそく恨み言を口にした。きららがかんなの隣に座って、全然関係ないことを喋り始める。彩未も席につき、立ち話をしていた由紀子と美岐がそれに続く。詩帆が皆に淹れたばかりのコーヒーを配膳する。喧騒を無視していたアレシアが、詩帆からコーヒーを受け取って口をつけた。

 半透明のマネキンだった彼女たちに元の姿がぼんやりと重なって見えた。四角い机とは対照的に曖昧な彼女たちは表情豊かに笑っていた。やがて彼女たちはこちらに視線を向けた。お前も早く来い――そう言っているように聞こえた。

 

 こうして文芸部の部員たちは雫世界の種として再構築されたのだった。

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