「うまくいったみたいだね、リーダー」
彩未は部屋に入ってくるなり、嬉しそうに言った。
「うまくいった……ねえ。なにが正解なんだか俺にはわからないよ」
「一体どんな手を使ってかんなを口説いたのかなあ。お姉さん気になっちゃう。ねえねえ、お姉さんにだけこっそり教えてよ」
「言うわけないだろ。秘密だよ」
「秘密っていい響き。じゃあ、お姉さんの秘密と交換する?」
「秘密ねえ」
彩未の秘密好きには理由がある。
彩未にははじめから秘密があった。彩未の目的は俺たちイローデッドのクイーン化を阻止し、アナザースピリットへと目覚めさせるために監視することだ。クイーン化を進めたい重工系と、アナザースピリットを推進したい製薬系との間の派閥争いでしかないが、コズミックファングを奪還した組織が大きな権力を握ることになるのだから、争いが起きるのは必然でもある。エーテルを補給できるストラプルは表向きこそ治療薬になっているが、本当の狙いはクイーン化を阻止することにある。いつか、ストラプルとは逆の効果を持つ薬を投与されたこともあったが、そんな研究をしていること自体が証左だ。つまり俺たちイローデッドははじめからモルモットだったということになる。彩未の秘密とは、このような製薬系の思惑を隠していたことだ。
だとしても、誰もクイーンになどなりたくはないのだから選択肢などない。それは彩未もわかっていたはずだ。彩未が俺たちをモルモットのように見ていたとは思えない。イローデッドとして生きる俺たちの悩み苦しむ姿を前に、何もしてやれない無力さはどれほどだったろう。そんな後ろめたさを薄めるため、彩未は他人の秘密を求めた――秘密があるのは自分だけじゃないのだと。
彩未はすでにアナザースピリットになっていたからクイーン化の危険はない。彩未が自分のストラプルを使わずに他人に与えていたのはせめてもの罪滅ぼしなのだろう。
「彩未にはまだ秘密があるの?」
「ふふふ。知りたい?」
「うーん。別にいいや」
「……意地悪」
「だって俺は懺悔室じゃないからね。でも言いたいことがあるなら聞くよ」
「お姉さんの秘密はちょっと特別だから、共犯関係でもない人には教えてあげられないかな」
「そうやっていつまで隠しておくつもりなんだ?」
「お墓まで」
「ここはもうお墓みたいなもんだろ」
「じゃあお姉さんは幽霊だね」
「未練があるところもピッタリだ」
「未練……。未練なのかなあ?」
「彩未が抱えている後悔は、それを口にしたところで消えはしない。それを許すか許さないかは相手次第だし、たとえ許されたとしてもやったことはチャラにはならない。言ってしまうことで相手に余計な負担をかけてしまうかもしれない。本当は言うべきではないのかもしれない。でも俺は最後まで聞くよ」
「それはお姉さんのココロトープのためなのかな?」
「いや、彩未がかわいそうで見てられないから」
「あー、お姉さんのこと子供扱いした。ひどいなあ」
「俺たちは子供だよ――なあ、彩未。別にもう言ってもいいんじゃない? たぶんだけど、彩未は自分を責めすぎているだけだと思うよ」
俺がそう言うと、彩未は両手を口の前で合わせてしばらく考え込み、それから立ち上がった。
「やっぱり無理。だから――」
彩未は椅子を俺の後ろまで引いてきて、俺と背中合わせになるように並べて座った。
「彩未?」
「こっち向いちゃダメ」
振り返ろうとする俺を彩未が鋭く咎める。
「どこから話そうかな」
「彩未が今までに行った学校の話からじゃない?」
「そんなに前のことからかあ。丸裸にされちゃうみたいで、お姉さんちょっと恥ずかしいかも」
「安心して。背中合わせだから見えないよ」
「見えない方がえっちだね」
「じゃあ見てた方がいい?」
「ふふ。話が終わってもリーダーは私のこと嫌わないでいてくれるかなあ」
「俺は今の彩未を信用してるからね。現在の姿は過去あってのことだから」
「お姉さんのこと好き?」
「好きだよ」
「よかったぁ。もう嫌われちゃうかもしれないから、最後にその言葉が聞けてよかったよ」
そして彩未は自分の過去を語り始めた。
三石傘下の学校をいくつか回ったが、そのどれもが悲しい別れだったこと。クイーン化を止めてやれなかったこと。その犠牲によって皮肉にもストラプルの性能が上がり、クイーンの研究が進んだこと。自分のとった生徒たちのデータが有効に活用されてしまったこと。自分を慕ってくれた生徒の笑顔が今でも忘れられないこと。
そこまで語った彩未がため息をつき、自嘲するように笑った。製薬系の思惑に加担したことからくる罪悪感がそうさせるのだろう。
「私は日ノ杜に来た時にはもうアナザースピリットだったから、ストラプルはほとんど必要なかったんだ。だからみんなが心配してくれるのが申し訳なくって。
それにね、イローデッドにクイーンの種を埋め込む強硬策が取られるかもっていう情報を事前に知っていたんだけど、隠してたんだ。三石傘下の学園内で身バレするようなことできないからね。そもそもそんな強硬策が取られることになったのって、ストラプルのせいでクイーン化が減ったからだし。
その強硬策の最初の犠牲者が亜美ちゃんだった。アレシアが亜美ちゃんにとどめを刺したのは知ってるよね。でも、本当は私が手を汚さなくちゃいけなかった。なのにアレシアにやらせてしまった。そのことは今でも後悔してる。
その次は樹里ちゃん。亜美ちゃんのことがあったから私も躊躇してしまって、樹里ちゃんのことを放置しちゃったんだ。そのせいで菜々花に負担をかけてしまったし、チームの戦力も大きく偏ることになった。それに、リーダーに樹里ちゃんのことを決断させてしまったしね。でも、これがあったから菜々花の態度も軟化したんだし、全部がダメだったというわけでもないかもしれないね。
どうかなリーダー。本当の私はこんなに冷たくみんなのことを見ていたの。きっと心が冷たい人間なんだね。軽蔑する?」
俺の後ろで彩未が息を殺しているのがわかった。けれど、顔はきっといつものように余裕ある笑顔を浮かべているのだろう。見えないということは、ときに見えるより多くの情報を伝える。
「彩未はさ、自分を責める理由を探しているだけなんだよ。こんな時代なんだから、投薬は臨床試験を兼ねるのなんて当たり前だし、そもそもイローデッドの絶対数だって少ない。灰病の致死率を考えれば、イローデッドのことが後回しになるのは仕方がない。それに、彩未にとっては当たり前のこと過ぎて忘れているのかもしれないけど、俺たちイローデッドはいわば怪物なんだよ。精神が未熟な子供の怪物なんだ。その怪物が人類の敵になるのだとしたら、当然処分しなくちゃいけない。今はそういう時代なんだ。
それに、クイーン化のどうしようもなさは俺もよく知っているし、詩帆がそれを免れたのだって奇跡みたいな偶然の産物なんだ。アレシアのエーテルスワップ、詩帆の快癒の力、そのどちらかが欠けていたら誰かが犠牲になっていた。
俺たちイローデッドの運命は、エーテルが枯渇して死ぬか、異灰にやられて死ぬか、クイーンになって処理されるか、奇跡的にアナザースピリットになるかしかない。ほとんどの場合死ぬんだよ。それが早いか遅いかでしかない。たとえ生き残ったとしても原種ビナーの脅威に晒される。
彩未は自分が俺たちより上だって思ってるんだよ。この秘密を知っている自分なら助けることができたのにって。でもそれは大いなる勘違い。俺たちが仮にすべてを知ったところで全員が助かる方法なんてなかった。
彩未はきっと他人の死の責任を負いたいだけなんだ。秘密を隠している後ろめたさを、責任を負うことで罰に代えようとしている。今だってそう。俺に軽蔑して欲しい、私を許さないで欲しいって思いながら告白してる。違う?」
俺はなるべく淡々と言った。彩未が抱えていることは実は大したことがないものなんだ、聞いたところで別に怒るほどのことではないんだ――そんな意図を込めたつもりだ。
彩未は大きくため息をついて、背もたれに体を預けた。彩未の重さを背もたれ越しに感じた。
「あーあ。リーダーは懺悔も許してくれないんだ。ひどいなあ」
「別に、腹を割って話しただけで、彩未が負い目に感じるような話じゃないし」
「腹を割って、かあ。割れなかったなあ、お腹」
「いまから割ってくる?」
「まだ間に合うかな」
「なんとかいけるかもよ」
「あのさリーダー、それ本気で言ってる?」
「絶対に言わないほうがいいと思う」
俺がそう言うと、一瞬の間を開けて、彩未が噴き出した。
「だよね。言えないよね、こんなこと!」
「言ったところでどうにもならないからね。なのに言うのはエゴでしかない」
「リーダーくんてけっこう話せる人だったんだね」
彩未は背もたれに肘をついてこちらに体を向けた。俺も同じように体をひねって彩未の方に向いた。
「でもさ、彩未が罪悪感を抱えていたのは事実だし、それに気付けなかった俺も未熟だった」
「うーん。もしリーダーに秘密を打ち明けることができていたら、もう離れられなくなっちゃってたかも。そしたら、それはそれで大変なことになっていたかもね」
「仮の話をしても仕方ない」
「うん、そうだね。仕方ない」
そう言って彩未は立ち上がり、両手を組んで大きく背伸びした。
「でも気持ちは軽くなったよ。ありがとう、リーダー。じゃあココロトープを出すね」
「なんだ、はじめから出せたんだ」
「うん。私は自覚していたから」
「そういえばアレシアも自分で出していたっけ」
「アレシアは出ちゃわないように抑えていた感じだね――ところでリーダー、お姉さんとお話してるのに他の女の子の話?」
俺に背を向けたまま彩未が言った。怒ってもからかってもいないようで、少しだけ冷たい。
「そうだよ。問題ある?」
「嘘。言ってみただけ」
「こっち向いて言いなよ」
「……うーん、やめとく」
「なんで?」
「今はちょっと顔を見られたくないかも。じゃあ私ももう行くね」
そう言い残して彩未が部屋から立ち去って行った。
沖にはひび割れた白い大地が広がっていた。そこだけぽっかりと丸く穴が開いたようにも見えた。干上がった乾季の塩の湖だ。塩の湖はすべての生命活動が禁止されでもしたかのように静まり返っていて、動くものは見当たらない。けれど、よく目を凝らすと塩の湖からは岩が突き出ていて、その表面でちらほらと緑が揺れている。
塩生植物はやがて塩の上で花を咲かせるだろう。ひび割れた塩の湖も雨季になれば水で満たされる。そのとき湖面は空を反射して、天と地がひとつに溶け合った楽園のような世界に変貌する。
それが彩未のココロトープだ。