前世モーレツ系だった僕は今世でも懲りずに爆走する 作:メダカにジャム
王立学園坂道部。アレン・ロヴェーヌが発起人となって始まり、後に王立学園の裏必修科目となるほどの名門部活に成長する部活の始まりが、アレンと担任のゴドルフェンとの賭け事である事を知る者は少ない。その例外の一人、リカルド・キサラギ部長代行は無機質な視線でアレンとゴドルフェンのやり取りを眺めていた。それが噴火直前の火山である事を理解しているムジカは顔色を青褪めさせていた。リカルドの手元の書類にはこう書かれている。
"ゴドルフェン・フォン・ヴァンキッシュの王立学園講師としての職務怠慢への懲罰動議"
彼の母親が仕事のためならドラグーンにすら頭を下げ、譜代すら容赦なく罰する仕事狂いであることは嫌と言うほど思い知った。リカルドも頼まれ事とはいえいざ仕事上の必要となれば頼んだ本人の首すら落としにかかる狂人であることをムジカは理解していた。その仕事を引き受けてそうする究極的な理由そのものは理解できるものではある。家族、もっと言えば妹と弟の将来を切り拓く為に。それで当たり前のように命を懸けて突っ込む狂気はさておき実に普遍的な理由だ。そして懲罰動議を出そうとする直接的な理由についてもムジカ個人は納得出来てしまった。ここまでやるのかとは大いに思ったが。
ゴドルフェン・フォン・ヴァンキッシュが顧問を務める坂道部。その活動実態はゴドルフェンが名ばかり顧問として把握しているよりも遥かに大きな意味をゴドルフェン本人の王立学園への赴任に係る使命と密接に関わる形で持っている。知った上で静観ならば自主性の尊重となるが、知らずに放置は完全な職務怠慢であると言えてしまう代物に成長してしまっていた。生徒達が自ら考え、自ら実践して基礎鍛錬を積み上げ、以て己の道を切り拓く。幹部達の指導、マネージャー達からのフィードバックを受けて己を磨く騎士コース、魔法士コースを中心とする一般部員は勿論のこと、指導にあたる幹部達、データを集め、格闘し部員達のスコアを上げようとするマネージャー達の奮闘もまた、荒削りながら王立学園の教師たちが提供したくてもなかなかできない学びの塊だった。これらに対し、ゴドルフェンはリカルドという使い勝手最高の窓口を全く使っていなかった上で、鍛錬の進捗の概観以外何も把握していないことをムジカは理解できてしまっている。
ゴドルフェンの顧問としての働きぶりが職務怠慢か否かについてはムジカの私見としては完全にギルティである。生徒の自主的な鍛錬の進捗が順調だからとそれをぼうっと眺めているだけではダメなのだ。ゴドルフェンの役割を鑑みれば、起きた良い変化に対して、それを長持ち、出来れば恒常化させる為に手法に対して如何に再現性を伴わせることが出来るかで勝負を仕掛けるべきなのだとムジカは先輩との交流で実感として学んでいる。ただ、それで規則の重箱の隅を突いて大戦の英雄、国王の右腕を相手に"仕事に向いていないからクビ"を突きつける懲罰動議を生徒の側から出すのは過激すぎる。行動の速度を考えればまだブラフ半分程度なのだろうが。総じて、胃に悪い問題児だ。保身皆無のバーサーカーな部下をエディ・ドスペリオルもよく従えたものだ。そして今、ムジカの目の前ではゴドルフェン・フォン・ヴァンキッシュとアレン・ロヴェーヌが2ヶ月前の課題の合否を決めるべく相対していた。本人達も知らぬ間にその課題にはリカルドが暴走するか否かの瀬戸際がかかっていた。
「あの日から今日で二ヶ月。師の紹介の件、その課題の合否を聞こうか」
「ふむ。お主は、最初から、ほとんどのクラスメイトたちの距離を短縮したのう?新入部員も同様に。新入部員はまだしも課題の対象としておったクラスメイト相手にそのような手段で負荷を減らして、わしが課題を合格とするはずがないと分かっておったじゃろうに。なぜそのようなアプローチをとった?」
「それが、俺が考える、部員が力をつけるために必要な最善の手段だと判断したからだ」
ムジカ自身は重視されたのが習慣化であること、目指す先が部員達が規定時間内の学園一周と言う取り敢えずで与えられた目標を達成することではなく、それぞれの成長であることを把握している。その為に部長代行のリカルドは本来余裕で一軍の基準を満たし、部長代行を名乗れるほどの実力を持っているにも関わらず、量が減った分は密度で補えとばかりに重黒檀製の一本歯下駄を筆頭にキツい荷重負荷をかけて、『屍山血河』の系譜特有の魔眼を指南に使ってまで二軍の面倒を手厚く見ているのだ。更には、フェイルーンと協働して魔眼と言う異能に依存しているところを魔力を測定する魔道具の運用に置き換えることで再現性を確保しようとしているのだから、ゴドルフェンが出した課題で本当に解決されていてほしいことは十二分に果たせていることを理解している。
「不合格じゃ。アレン・ロヴェーヌよ」
ムジカの胃が悲鳴をあげた気がした。リカルドの気配を探れば、完全な無である。魔力も筋力も完全な自然体としてその場に溶け込んでいる。彼女が仕事仲間として得た知識が、それがリカルドの最も危険な姿であると理解している。次の瞬間にも渾身の捨て身の一撃必殺が炸裂し、誰も得しない痛み分けになりかねないのだ。
「もしわしが貴様の立場で、何としても得たいものを得るためならば、手段を選ばんかったじゃろう。たとえついてこれない友人が出ようとも、徹底的に部員を追い詰めて、精鋭部隊を作ることも厭わなかったの。あの仕事の鬼であるリカルドを引き入れておいて、最善を尽くした、などは負け犬の言い訳じゃ。わしが求めたのはあくまで結果。……貴様にはガッカリじゃ、アレン・ロヴェーヌ」
ムジカは怒りを呑み込みながらも思わずリカルドの方を見る。自分以上にブチ切れている筈だった彼は、何故か薄く笑いを浮かべて面白そうなものを見る目をアレンに向けていた。
(ご心配せずとも、若様が売られた喧嘩を横取りしない程度の礼儀は弁えておりますよ、ムジカ副理事長)
「くっくっく。あっはっはっはっは!」
アレンも笑う。ムジカの耳には音魔法を使ったのだろう、彼女にしか聞こえない囁き声が届いた。怒りを呑み、静観することを決めたリカルドにホッと思わず息を吐きかけるムジカだったが。
「がっかりか……。それはこちらのセリフだ、この似非教師風情が!」
爆発したアレンの暴言にホッと吐きそうになった息が飲み物を口に含んでいれば霧に変えてしまう程の噴き出しに変わるのを堪える羽目になった。顔から血の気が失せて臨戦態勢になったアレンとゴドルフェンで胸倉がほぼ同時に掴み合われ、数人から抑えた悲鳴が漏れる。
「十二やそこらの小僧が図に乗りおって……。もう一度言ってみよ!」
「どうせいい年して十一の小僧に掌で転がされていたジジイのくせによく言うぜ、良いだろう、教えてやるよ。リカルドがなんで部長代行なんて引き受けたと思ってやがる、こいつは姉上の従者であって、俺の従者じゃねえから俺個人の私利私欲には付き合わねえよ。こいつは今回の課題の本質がお前、ゴドルフェン・フォン・ヴァンキッシュが負うべきものだったから部長代行なんて面倒な仕事をやったんだ」
不意を突かれたのか、ゴドルフェンの怒気が揺らぐ。曲がりなりにもリカルドと言う取り扱い注意の劇物を使ってきた上司だからこそ、その機微の誤解を指摘されれば身構えるしか無かった。
「何が言いたいんじゃ、小僧?」
「お前は初めのオリエンテーションで、こう言ったな? 自分が陛下から下命されて、この学園にやってきた目的は、この学園の生徒たちの底上げだと。例の烙印故に受験資格が無かったリカルドに対してもわざわざその為に抜け穴を通すための推薦人になって王立学園まで連れてきた。そのお前が、言うに事欠いて『ついてこられないものを切り捨ててでも、目的を達成しろ』だと?お前は、その説明を陛下にできるのか? 生徒を徹底的に追い込んで、ほとんどはついてこられずやめてしまいましたが、一部の人間が少数精鋭になりましたと、胸を張って陛下に報告できるのか? ……答えてみろ、ゴドルフェン!」
痛いところを突かれたとばかりにゴドルフェンは怯みつつも苦い顔で抗弁する。
「……そんなものは詭弁じゃ。確かにわしの立場では、貴様の言う通り、ついてこられない生徒を切り捨て、目的を達成するという選択肢はない。じゃがこの課題は、あくまでも貴様の能力を測るための課題であり、わしが問うておるのは貴様の覚悟であり、甘さじゃ!」
「覚悟?笑わせるな。お前の言う通り、ただ課題を熟すためについてこられない部員を切り捨てる行為なんかやっていたら、どうせリカルドに途中で邪魔されて、坂道部もなんちゃらマック先輩に移譲されていただろうさ。そう言う面倒臭い小細工で王国を引っ掻き回したこいつに勝てるとは思っちゃいないし、張り合う気も無いからな。まあ、そんな事はどうでも良い。逆に聞こうか。お前は、坂道部の精神をどのように捉えている?」
答えに窮したゴドルフェンが沈黙する。ムジカが口を開こうとするが、リカルドがそれを制止する。
「朝やっている活動内容ぐらいはお前も把握しているんだろう。アホやっていたら止める最低限の良心は残っているだろうからな。だが、自分が顧問を務める部活が何故走力鍛錬部でも坂路部でもなく、坂道部なのか、その理由は把握しているのか?」
「……最初に明言した筈じゃ、わしは活動方針には口を出さんとな……」
ばきりとペンがへし折れる音が響く。リカルドが持っているペンが折れた音であった。更に折れたペンの残骸が砕ける音が聞こえる。
「大変失礼しました、若様。どうぞ、続きを。若様の喧嘩を横取りする気は毛頭ございません」
そう語るリカルドの表情は能面のような笑顔だった。替えのペンを取り出し、さらさらと何かを書き始める。それが何か確認する勇気はムジカには無かった。
「そりゃリカルドもキレるわな。『活動方針に口出ししない』、これそのものは俺もこいつも別に言うところはねえだろうよ。生徒の自主性を尊重しているだけだからな。けどな、『その内容すら把握していない』のは論外だ。どうせ『伸びる奴は放っておいても伸びる』、なんて言い訳でも思いついているんだろうが、それならここにお前なんか要らん、これ以上晩節を汚す前に陛下に土下座して田舎にでもすっこんでろ!」
ゴドルフェンの胸ぐらを掴む力が緩み、アレンも緩める。ゴドルフェンへのまさかのクビ宣告に他の教師達は固唾をのんでいる。アレンは一度息を吐き、それまで気配を消していたリカルドから差し出されたお茶を流し込んで唇を濡らす。
「お前はプロセスに興味が無い様だから言っても無意味かもしれんが、リカルドが先生呼びしているムジカ先生もいるし説明するぞ?創部の際にも簡単に言ったが、坂道部の『道』とは生きる道の事だ。単純な技術の習得を目的とするだけなら、わざわざこんな大仰な名前をつける趣味は俺にはない。だが、俺はこの部活を通じて部員達の心技体を鍛えたいと考えていたし、特に逆境にも負けない強い『心』を鍛えたいと思っていた。リカルドが部長代行を引き受けたのもその為だ。お前も知っているんだろうが、来年は王立学園にサクヤとグレン、頑張る凡人の基準をよりにもよって歪な才能ゆえに一家の落ち零れまっしぐらだった筈なのにここまで暴れ散らかした兄貴であるリカルドに設定した大バカ野郎共が殴り込んで来ることがほぼ確定した未来だからな。幾ら体と技を鍛えようがあいつらの暴力はあっさりそれを超えてくる」
ゴドルフェンが言葉に出来ないものを唸りとして発しつつ手を放し、アレンも手を放す。そうだ、体と技を鍛えるだけでは、それだけでは届かぬ大災害どもに立ち向かうには足りない。不屈の心を鍛える必要があると言われては、他ならぬゴドルフェン自身のこれまで積み上げてきた戦訓、戦友の屍と血と汗と涙の堆積がそれを否定することなど出来ない。
「確かに課題をクリアするだけなら一番簡単なのはお前の言うようにふるい落としをやることだろう。俺だって、覚悟のない奴に手を差し伸べるほどお人好しじゃないし、リカルドも折れそうな奴を励ますことぐらいはするが、基本そうだろうさ。実際、覚悟がないなら辞めちまえと思って俺は理不尽な言葉で追い込みをかけてきたし、リカルドのアドバイスも体内の魔力まで見透かしてとても効くけど容赦の欠片も無い代物だったからキツいものだったはずだ。だが、奴らは折れなかった。自分自身の生きる道を見据えて、必死で成長しようと、毎日至らぬ己と向き合い続け、リカルドが呼んだゲストの試走からはじき出された立派な騎士、卒業生として活躍する為の目安との差に苦悩しながらもあがき続けてきた。そこに実現不可能な負荷を与えて退部に追い込むなんて馬鹿か?確かにゴドルフェン・フォン・ヴァンキッシュは英雄だなんて呼ばれるだけの事はあるかもしれんが、陛下に『人を育てろ』と下命されてその使命に真摯に向き合わないこの体たらくは晩節を汚す職務怠慢だろうよ。何度でも言うぞ、ゴドルフェン。碌に活動内容も把握せず、生徒達が伸びていそうだからとそのまま丸投げし、尚且つ自分の目的の為に仲間を切り捨てる覚悟なんて問おうとする貴様は教育者として論外だ、リカルドに背中を刺される前にさっさと田舎へ帰るんだな!」
一つの納得できるものを突き付けられたゴドルフェンは殺気を消して普段の気風を纏いなおし、アレンは何処かスッキリした様子である。嵐が今まで吹き荒れていたとは思えないほど空気は凪いでいた。
「ふーむ、お主の考えはよく分かった。確かに、リカルドが付いておるならそう下手な事は起こるまいとは思っておったとも……。わしならば、部員を追い詰めてでも課題のクリアを目指す、と思っていたのじゃが、お主には違う道が見えていたのじゃな?先ほどお主が言ったのう?わしがこの学園に来て、更には大罪人の孫であったリカルドをも無線魔導通信システムの開発者の一人ということで無理筋を通して呼び寄せたのは、陛下から下命された、この学園の生徒達の底上げが目的だろうと。その通りじゃ。お主は、その『わしの本当の目的』に沿って、この課題に向き合った、そういう事で良いのかの?」
「当たり前の事を言わせるな。世の中の無茶振り含め馬鹿な依頼の元凶の大半は依頼主の『本当の目的』が曖昧になっているからと相場が決まっている。だから依頼主が何を求めているかをまず最初に突き詰めて考えなきゃ、こういう仕事は始められねえよ」
アレンに好き放題に言われてきたゴドルフェンの額には青筋が残っていた。アレンがこれを仕事と捉えているのを聞いてムジカが再び仕事の鬼ことリカルドの方を向き直れば。
(まあ、僕もフェーズ1で散々同じことをやりましたからね。最初に無線設備を適当に与えただけで実験をして部隊が情報処理で詰まって自壊してしまうのを実感として経験させた上で、騎士団が無線魔導通信機を取り入れてどのように護国の使命を果たす機能を作り直すのか。新しい騎士団がどうあるべきかを論じました。ゴドルフェン翁もこの時は数多の戦訓を抱えた生き字引として役に立ちましたよ)
再びムジカだけに聞こえる囁き声で開発の裏話を語る。同時に、今はダメだと強烈なダメ出しをしているに等しい様子にムジカは気が休まらない。
「で、あるのならば、その大層な大義の為に何をやってきたのか、この教育者としては論外で晩節を汚している老いぼれに教えてくれんかの?現在お主が立ち上げた部活動は部員数がこの王立学園の過半、百五十名を超えておる。これほどの数を導こうとは流石ゾルド氏の教え子、リカルドの幼馴染と感心しておったのじゃが……まさか、別にやめても構わぬと声掛けしてリカルドに下位層の指導を任せていただけ、では無いのじゃろう?」
「リカルド」
「はい。こちらを」
そして、アレンの合図でリカルドが手元の書類の大半をテーブルの上に差し出す。それらにムジカは素早く目を通す。
「……此処まで進歩していたのですね」
「知っておったのか、ムジカ」
「……キサラギ君は最初から翁を教師ではなく理事として扱っておりましたので、坂道部に関して彼が部長代行として教師の手を借りたい話は全部私に振られていました」
その言葉にゴドルフェンは思わずリカルドの方を向く。仕事の鬼としてリカルドの仕事ぶりに信頼のあったゴドルフェンからすれば半ば背中を刺されるような格好になるが。
「……閣下に分かりやすく申し上げるならば、素晴らしい将軍であることは素晴らしい騎士であることの証明にはなるかも知れませんが、本当に素晴らしい伍長や軍曹であったことの証明には足りませんね」
「それは、確かにそうじゃな。つまり、わしが教師として機能しない可能性も最初から想定しておったと」
「少なくとも、赴任して2ヶ月目にもなっていないそちらの仕事ぶりに手放しで全幅の信頼を置くのは馬鹿のやることでしょうよ」
提示された理由そのものは、至ってシンプル。ゴドルフェンが教師としては新人であるから保険を用意した。至って正論だから反論出来なかった。アレンは相変わらずなリカルドの様子にケタケタと笑っていた。
「……幹部及びマネージャー、平部員以外の部活運営に関わる話をする者達はその活動そのものすら将来を見据えた自己鍛錬に活かそうという思想の下、マネージャー達はデータを集めて分析し、部員達の結果に繋げる方法を自ら模索する鍛錬を、副部長達はマネージャー達のデータを見た上で、どのように部員達への指導を展開していくかを考えて実践する鍛錬を取り組んできました。私がキサラギ君に頼まれてやったのは彼の資料を参考に、マネージャー達のレポート、ごく初期のものについて、データを見せられて何が知りたくなるのかを指導者の視点から纏めて添削して欲しいというものでした」
「答えのある問題でもありませんし、変に頼られても困りますので、彼らには僕の資料は此処まで一切見せていません。因みに、あと一ヶ月でAクラス全員が、二ヶ月以内に一年Bクラス全員及びCクラスの過半が一軍入り、そちらの合格基準に達するでしょうね」
「俺もマネージャーという枠を作った以上の事はしていないし、リカルドには部長の代行をやるって言うならいつでもやめられるようにしておけとしか言っていない。ムジカ先生は御存知だろうが、部員達の指導も今はリカルドが三人の副部長、ライオ、ダン、ステラを纏めて、学年毎にそれぞれ指導する体制を立てている。リカルドもそうだが、俺自身も坂道部を立ち上げるにあたってやるべき仕事はほぼ全て終わらせていると自負している。元々、俺には指導者としての熱意など何もなかったからな」
周囲で聞いていた講師陣は驚愕する。普通、全校生徒の過半が所属して、その実力の推移を詳しく監視できる部活を成立させたならば、その手綱は一つの利権として握りしめられるはずだ。その価値は部則を知らなかったらしいルーデリオのやらかしが証明しているようなものだ。それをアレンもリカルドも要らぬと手放そうと言うのだ。
「……自分で目を通さないのか?確かにお前が今まで目を通してきたレポートに比べりゃあ所詮は素人の仕事だ。だが……たった2ヶ月にも満たない間にゼロから此処まで仕上げて来るとなれば、俺は驚嘆に値すると思っている。流石は天下の王立学園生だと素直にそう思った。そこの部長代行はどうせ騎士団の伝手でレポートの雛形でも外注したんだろうが」
「当たりです。知り合いの騎士団の新兵教練プログラムの策定担当者の方に頼みました。先方もフェイ様のロガーには興味津々でしたので、いい取引でした」
「ローゼンハイム……確かにあやつならばこのデータを作れる器具には飛び付くじゃろうな……」
リカルドが騎士団の重鎮に片足入っている新兵教練のプロとの間でしれっと交わした商談はフェイルーンの魔道具開発部としての活動を含めた一億リアル近い投資の回収に大きく寄与する案件であり、顧問のエミーがリカルドの所謂御用聞きの腕前の高さに舌を巻くのも別の話である。
「このレポートは俺が指示してそれをやっただけのおざなりの仕事なんかじゃない。リカルドに専門家による添削を依頼したのも彼女達だし、その溢れんばかりの熱意が随所に垣間見えるぞ?俺の課題についてはもういい、だがどうか彼女達の努力については目を通して欲しいものだな。それすらなく、課題の結果のみに固執しようと言うなら、やっぱりお前は教師失格だし、ゾルドの勧誘について中立だった意見も断固反対に切り替えさせて貰おう。時間の無駄だからな。……では、俺は監督を退任します。リカルドも部長代行の看板はそろそろ下ろそうと思っているんじゃないか?」
「まあ、確かに頃合いと言えばそうなのかも知れませんが」
「……確かに貴方達は坂道部を自立できる組織に育て上げていますが……いきなり巣立ちを突き付けては彼らがどれほど混乱するか……それに、これはキサラギ君の悪い癖でもありますが、坂道部の精神的主柱はお二人なのですよ?その事実に無頓着過ぎます!」
「だから代行を名乗っていたのですがね。で、翁はどうします?」
「……わしも読もう」
暫くレポートを噛み締める様に読み進めるゴドルフェンの表情から棘が抜けて笑みが浮かんでいく。
「全くもって荒々しいが、情熱は人一倍の力作、じゃな。此処まで厳しい添削を受けても何くそと立ち上がった姿が浮かんで見えるわい。そして副部長達もまた、それぞれ人を育てるという正解のない課題に悪戦苦闘しながらも己の信念を貫いておるの。……実に面白い」
「……キサラギ君からは、三年生を基準とした上で優先順位をつけてやるように依頼がありました。曰く、難易度を選ばせたら全会一致で折角官吏コース向けの難題を出されたのだから、最難関を突破する事を目指したいと言われました」
「……わしはここまで、如何に厳しく指導するかばかりを考えておった。這い上がってこれぬ輩は所詮それまで。わし自身の経験からもそれが正しいと信じておったからじゃ。わしはお主が言う通り人を育てるという事に真摯に向かい合っていなかった、リカルドもそれ故に、わしを教師として扱うことは無かった、ということかの」
アレンは驚き、リカルドは無言で二人の無くなったお茶を注ぐ。
「そういうやり方も、必要な時は必要なんだろう。それはゴドルフェン先生のこれまでが証明になっていると思う。だが、そこで思考を停止して甘えるのであれば、それは教育機関に身を置くプロの教育者、ここの講師としてはやはり甘いと言わざるを得ない。……ムジカ先生もその辺の機微に理解できるものがあったからリカルドに協力していたんだろう?」
「……今となっては隠せませんね。はい。私はチェルシー先輩の後輩でしたので、キサラギ君が仕事そのものには大変律儀なのも十分分かっていました。親子でそっくりですよ、本当に。ですから、陛下の人事とはいえ、翁が最初から完璧に教師を務められるわけがないという主張そのものはもっともなものでしたし、その為にはどこが出来ていないのかの監査の為の調査も必要と言質を取られてしまい……」
「やっぱり。兎も角。どこまでも……どこまでもどこまでも、生徒にとっての最善を徹底的に追及する姿勢。それが、俺が見てきた教育者、ゾルド・バインフォースに見せてもらった背中だ」
顎鬚を撫でながらゴドルフェンは熟考したのち、口を開く。
「一般寮での生活も、貴様の差し金かの?」
「誰がそんな真似をする必要があるんだか。あいつらが勝手にやったことだ。俺は何もしていない」
心底嫌そうにぼやくアレンの姿にリカルドは苦笑を漏らす。瞑目したゴドルフェンはアレンに改めて向き直る。
「わしが教師としてアマチュアだった、という事じゃな……。アレン・ロヴェーヌよ。先程からの言葉は訂正し、謝罪する。そして、貴様へ与えた課題は合格じゃ。ただし、貴様は監督として坂道部に残る事。リカルドは……部長を譲るのは構わぬが、彼らの相談相手にはなってもらおうかの」
そして、放たれたのは前言撤回。ゴドルフェン自身の非を認め、アレンの完全勝利を意味する言葉であった。アレンは肩をすくめ、どこか不完全燃焼とでも言いたげな表情であった。
「いいだろう……。俺も、先程からのゴドルフェン先生への数々の無礼を謝罪する」
両者の和解にムジカがホッと胸を撫で下ろす脇で、リカルドはビリビリといくつかの書類を破り始める。
「む、何じゃ?」
「必要のなくなった書類ですので、職員室の書類処分用魔道具に投げ込もうかと」
「先ほどまで書いておったでは無いか」
「教師でなくても、理事としての職務は出来るものと思いましたので」
その言葉に、ゴドルフェンの背中に冷たいものが走る。そうだ。自分がリカルドを王立学園に連れ込んだのはあくまで理事としての行為、今の今までリカルド自身に自分を教師として認める理由など全く存在していなかったのだ。
「教師のわしをクビにするつもりじゃったか」
「こちらとしても、あの子達がこれから通うだろう学園に権威ばかりで実のない老廃物を残したくないものでして、苦肉の策としてこんなことを考えるのはおかしいですか?」
「そこで王立学園の自浄作用を利用してわしを蹴り出す択がさらっと入ってくるあたり、お主が仕事は出来るが取扱い厳重注意の劇物であることを忘れておったわしがバカじゃったわい」
「どうせ理事長からの厳重注意ぐらいが関の山だったろう虚仮威し程度の苦肉の策ではありましたし、もう不要だろうから捨てますけどね。全く、若様には本当に敵いませんよ」
「んあ?俺は見ての通り何にもしていねえからな?」
「だから若様は怖いのですよ」
そう言って書類を処分するリカルドだったが、周囲の教師が彼を見る目は完全にやべーものを見る目であった。国王陛下肝入りの人事で理事に任命された人物を、幾ら厳密には理事職からは独立しているからと、教師としては不適格として首を斬りに行く、しかもそれをやるのが、よりにもよってゴドルフェン本人の推挙によって王立学園にねじ込まれた身で、である。幾ら仕事のためとはいえ、依頼者本人に斬りかかるなんて選択肢が浮かぶ辺りが狂っている、そう思われた。王立学園は王国でも極まった才能の集まる学園、時折常人には理解不可能な狂気を宿す生徒も偶にいると言えばいるのだが、今回はゴドルフェンに食って掛かったアレンと合わせて、あまりにも刺激的に過ぎた。
「……取りあえず、皆さん矛を収めていただいたようで何よりですよ。一時はどうなることかと……」
「親子ともども、ムジカ先生にはお世話になってばかりですね。今度、フェイ殿と共に美容・整体系魔道具の開発を考えておりますので、ご用命とあらば早めにお手元に回るようにしておきます」
巻き込まれたムジカは溜息を吐き、生徒の前であるからと取り繕うのも限界になったとばかりにソファーに崩れ落ちるように腰掛けた。あまりにも、見慣れた様子であり、親子で本当にそっくりだ。仕事に対する姿勢もそうだが、怒りがこみあげるそばから冷徹な一撃の準備と容赦の廃棄に注がれる姿もまたそうだ。怒りを表明するよりも先に手痛い怒りの一撃を仕上げることを優先する姿はムジカからすれば、断頭剣を研いでいるのを見てしまうような恐ろしさを感じさせるものである。
「……はん、この程度の掴み合いの喧嘩など、ゾルドとは日常茶飯事だったぞ?俺のようなクソガキの担任やこいつみたいな仕事原理主義の大馬鹿野郎のボスになったのが運の尽きだと思って、さっさと諦めるんだな」
アレンの言葉に上等だとばかりにゴドルフェンは上機嫌そうに笑う。
「ふぉっふぉっふぉ。いやあ、わしは運がいいのう。貴様らを通じてゾルド氏の教えを間接的に汲み取れる。それ一つとっても幸運じゃよ。……しかし、『俺には指導者としての熱意など何もない』、か。ゾルド氏を基準にしての話かの?ふぉっふぉっふぉ!」
ムジカ先生:主人公の母親、チェルシー先輩に色々振り回されながらも、王家の者として、王立学園の先生としての職務規範は基本的に先輩の仕事哲学を強く焼き付けられたものとなっている。