前世モーレツ系だった僕は今世でも懲りずに爆走する 作:メダカにジャム
アカン。ベルウッドの心中はこの一言に尽きる。根拠なき誹謗中傷、まして身内へのそれは妻セシリアの地雷だ。ローザやアレンにも見られる、血色を消し気配を感じさせないただずまいこそ地雷が踏み抜かれた証拠。そこに浮かべた微笑みとは笑顔とは元来威嚇であることを如実に語っていた。そして、ムラマサもまた気配を消している。その気になれば次の瞬間には抜刀術の如く異様な速度で体外魔法を展開し、顕現させた泥刃で辺り一面を前にローザが手遊びに作ってくれた草刈り君の如く真っ平らに出来る体勢だ。セシリアが命じた瞬間に彼女自身よりも鋭い刃は抜かれるだろう。
「これは、田舎農家に毛が生えたような研究者に過ぎんわしが調子に乗り過ぎましたかの、わっはっはっ、無論、自分で申し上げた通り、満足の行く出来になっていない以上は成果を誇る気もありませぬし、研究費の無心は致しませぬよ」
取り敢えず、これ以上の無体な追及は下手に出てでも止めさせる。その上で、何か話題を逸らさねばとそっと辺りを見渡した時に、自分を睨むアベニール伯爵夫人が目に留まる。
「ところで、その、アベニール伯爵?某達がそちらに何か致しましたかな?」
「随分と白々しい事を……!初春の王都の社交では、子息がEクラス合格すら危ういと嘯いておきながら、蓋を開けてみれば、うちのパーリちゃんよりも上の騎士コース総合順位三位でのAクラス合格に、Bクラス合格ながら王国騎士団仮団員最年少記録を更新するなどというデタラメにも程がある結果。しかも初日の授業で、そちらの子息が皆の目の前でうちの子をコテンパンにやっつけて、踏み台にしたという話、一体どういうつもりなのですか!」
この言葉に、ニックスは慌てて妻を窘める。此処でロヴェーヌを敵に回す事がどれほどまずいのか、軍事関係者としてドラグーンの一番槍の看板ごと吹き飛びかねないと理解しているが、その故はまだ一般に語るべきではない軍事機密。まだ理由をきちんと言えない。
「これ、その話はパーリ本人から純粋な本人の実力不足と報告が来ておろう。確かにロヴェーヌ子爵の事前報告の中身には納得いかん所はあるが、模擬戦そのものは不正もない、潔く負けを認めるも武家の嗜みぞ。それに、リカルドの件は何も言うでない」
「貴方とて今朝までは山師の化けの皮を剥ぐと仰っていたではありませんか!それに模擬戦ではアレン・ロヴェーヌには明らかに槍を想定した訓練の形跡があったこと。入試では使わない槍の対策を事前にやるとは随分と用意周到な計画じゃありませんこと!?」
「アレンが槍対策?はて、そんな事を頼んだ覚えは」
「当家の武術指南役として答弁させて頂きたく。……指南役は某と某の母が務めております。某達は御館様からは実戦で生き残ることを第一にしてくれるならば一任すると頂いております。母と某の娘のサクヤは長柄の得物の使い手でもありますし、若様は自然と槍の対処を心得られましたのでしょうな」
ベルウッドは槍対策なんてやっていないと言うが、ムラマサが武術指南役として証言したことで、自然体でもアベニールの最高傑作をボコボコに出来る程に鍛えたのだという話になり、どうしたものかと頭を抱える。伯爵夫人はキッとムラマサを睨みつけ、皮肉げに口を開く。
「単なる自然体でアベニール家始まって以来の天才と言われるあの子がコケにされるほどの訓練を出来る武術指南役、ですか。噂の家庭教師といい、天から人材が降ってくるようですわ!羨ましいこと!」
「やめんか、あの模擬戦はかの英雄『仏のゴドルフェン』様の立ち会いの下であったという、負けは負けだ、お前が負け惜しみを言えば言うほど、あの子が惨めになるのだからいい加減にせんか!」
「……はて、そちらのご子息は若様との模擬戦で何かを喪いましたかな?某はこの国の武門の在り方は疎く存じますが、奥様は如何に?」
「ムラマサの思う通り、本当に何も失うもののない、ただの訓練の途中経過にしか聞こえませんよ。武門の者が何故?という問いには私程度では邪推しか返せるものが有りませんので控えますが」
ニックスは理性的に妻を諭すが、何をそんなに憤るのか本気で理解できていないという調子のムラマサが油を注ぎ。セシリアがそれを全く否定しないどころか言外にお前本当に武門の嫁かと皮肉って火花を散らす。同時にセシリアがユグリア王国の何処かの武門の出身であることがほぼ確定したことにメリアの眉が動く。煽られた伯爵夫人、子煩悩に燃える母親は噴火した。
「貴方は悔しくないのですか!あの子がフェイルーンお嬢様を支えるべく、どれほどの努力を積んできたかこの目で見ていた筈です!貴方が手塩にかけて育て、貴方の背を見て三歳から槍を振ってきたあの子が勝ち取った栄光を……。何処の馬の骨とも知れぬ輩が放し飼いにしておいたら勝手に育ったとほざくぽっと出の山師紛いに、アベニール家初の輝かしいAクラス合格を……汚されたのですよ!」
その言葉に、くつくつとチェルシー・キサラギは失笑する。アレンが見れば、やっぱりちょっとジュエにそっくりだと評したことだろう。
「チェルシー」
「悪いわね、セシル、お館様も。けどまあ、笑い処はセシル、貴女にも分かるでしょう?」
「貴女の言いたいことは大体理解できますが、ヴァリアシオンであった頃の杵柄を持ち出すつもりならやめなさい」
「単なる一般論で済ませるわよ」
この冷笑はベルウッドの立場を考えればやり過ぎだ。そう思ったセシリアは思わず圧をチェルシーに掛ける。余人がニックスを超える強烈な圧力に悲鳴を上げる中、チェルシーはあっけらかんと形ばかりの謝罪はするが、一切悪びれた様子はない。
「何がおかしいと言うのですか!……ひっ!?」
その様子に怒鳴り返すも虫けらを見るような絶対零度の視線と殺気に威勢を削がれて悲鳴を呑む伯爵夫人。思わず伯爵本人は夫人を庇うように肩を立てる。
「はぁ、ドラグーン地方の一住民として率直に申し上げますが。御子息を一番愚弄しているのは伯爵夫人本人ですよ。武門の夫人としては出来損ないの影武者か、嫁入り修行不足を本気で疑いたくなるほど目に余る」
「……は?」
夫人の思考が空白に染まる。元々茹だっていたようなものとはいえ、全くの慮外を突かれて思考が追い付かない。我が子は幼きフェイルーン・ドラグーンの器を目の当たりにして、それを支えて隣に立ちたいという思いの下に、苛烈と言う言葉ですら生温いほどの鍛錬を積み重ねてきて、それがようやく結実しようかという所でよく分からない奴に踏み躙られたのだ。その理不尽さを訴えることが我が子への一番の愚弄になるとはどういう意味か。
「王立学園に入るということ、地方軍の一番槍を務めるということ、どちらも甘く見過ぎです。ここまで来たら卑怯汚いが負けの言い訳に使えるか否か、背負うものと御自分達の政治力を顧みてから仰ってくださいまし」
嫌味な程の正論の正拳突きが夫人を芯から打ち据える。夫人とて伯爵夫人。ニックス・フォン・アベニールの留守を預かる女主人だ。貴顕として、将として槍を構えるとはそういうこと、敗北に言い訳など効かない身であると夫の背中を見て分かっていたはずなのだ。これから夫よりも更に過酷な向こうへ赴こうという若武者である息子に世間の荒波はより容赦無く襲い掛かってくるのが道理である。
「そして純粋な武門の者が敗北の汚泥を拭う方法など古来よりただ一つだと、武門の嫁として断じましょう。さっさと立ち上がって次の勝利目掛けて進むこと。それ以外にあり得ません。真の一流とそれ以外を分かつ分水嶺は打ちのめされても立ち上がる素早さにある、とうちのゾルド先生は仰いました」
正確にはその言葉はゾルドが子供達の過酷な鍛練にもくじけない姿を見ての素朴な感想で、説教の文句では無い。だが一度の敗北の屈辱に顔を潰されたと吠える母親を叩くにはちょうどいい棒であった。
「我々も恐らくは若様も、パーリ殿がその程度出来ないわけがない、そうでなければ王立学園にAクラスで合格出来るわけがないと考えています。親が尻を拭いてどうにかなるのは微温湯の中だけですよ。OGのなり損ないとしては学生時代にそんな事も分からず王立学園生の親としての心得がなっていない痴れ者は偶に見かけましたが、そんな程度の輩に上座に座られてはそちらのお歴々にも失礼というものでは?」
締め括りにはそもそも一回不意を打って叩きのめした程度でパーリ・アベニールはどうにもならないと思っているのだが、配慮が必要かと暗に開き直る。尚、王立学園生の親としての心得がなっていない云々の言葉に強く出られる者はそんな心得などなにそれ美味しいのなベルウッドを含めてこの卓には殆どいなかった。尤も、チェルシーに採点させればベルウッドのやり方は相手がローザやアレンならば満点である。そもそもお互いが放任を是として好き勝手にやっている以上、変な雑音を入れる意味がないのだから。
「返す言葉もない。家内にはきつく言い聞かせる。そして、当然のことだが。パーリはいずれは俺を超えていく男だ。未熟が残るのは認めるが、ただの戦化粧程度で騒ぐ必要は無いな。して、ベルウッド・ロヴェーヌ。ドラグレイドのパンはそんなに美味いか?」
「ぬっ、ごほっ、ごほっ、ははぁ、思わず我を忘れて食べ進む美味しさでございました」
苦虫を噛み潰したような顔でアベニールは頭が冷えた様子の夫人を黙らせる。例え立場で平民に降りているとは言え、相手は順当ならば今頃レベランス侯爵を名乗っていた怪物。自分達程度では相手取るにどうにも分が悪過ぎる。渦中のロヴェーヌを率いる筈のベルウッドはもうどうにでもなれとムラマサが取り揃えたパンをもしゃもしゃとヤケ食いして我関せずと言わんばかりに周囲をドン引きさせていた所を突かれ、せき込みながらも水を呷り、何とか素直な感想をヤケクソ気味に返す。
「それは重畳、うちのシェフにもしっかり伝えておくよ。ふむ。王立学園生の親としての心得、ね。確かに王立学園の関門が狭すぎて、合格が入り口を通っただけでしか無いどころか、王立学園合格の先にある目的すらすっかり忘れた親はよく見るよ。ところでセシリア・ロヴェーヌ、あんたは息子やリカルドの合格に何も思う所は無いのかい?合格発表後にさっさと地元に帰ってしまったとは言え、合格発表の場で不正疑惑が上がっていたことぐらいは把握していたじゃろう?」
迂遠なやり取りではチェルシーにブロックされてしまうと理解したメリアは自ら本丸に切り込む。挑戦的に笑いかける猫のような目つきは、アレンが見れば孫娘のフェイルーンにそっくりだとゲンナリしながら評するものだった。
「『騎士たるもの、潰されそうになったら、逆にすべてを叩き潰すくらいの気概がなくては舐められます』合格発表の場で合格を労う以外で私からアレンに贈った言葉はこれだけです。合格発表の時にはあの子は既に出会った時のベルのように自分の人生を真っ直ぐに見つめる一人前の男の顔をしていました。そんなあの子への餞の言葉は他に思いつきませんでした。風の噂を聞く限り、これすら余計だったかも知れないと今では思っています」
侯爵からの追及の圧力に一切揺るぐことなく、少女のような笑顔と共にセシリアは答える。ユグリア王国の学歴社会の頂点、王立学園からの不正疑惑とは、ともすれば王族すら屠る不名誉の極みだ。そんな貴族としては容易く再起不能になりかねない程の烙印が我が子に押されようとするという極限状況に置かれて尚、彼女が些かも揺るいでいなかった事、アレンを母親として信じ切っていたことを示す。ただのチェルシーになったとはいえ、幻の総元、かつてのレベランスの若大将に対しても阿ることが無い態度は、チェルシーに比して、セシリアが全く引けを取らない女傑であることを雄弁に示しており、チェルシーの言う王立学園生の親、武門の親はかくあるべしの模範を体現しており、余計に惨めになった伯爵夫人の唇と掌からは人知れず血が出ていた。
「ほほう、これはご馳走様じゃ。この親にしてこの子あり、少し納得したよ。あんたみたいな肝の据わった親ばかりなら、私も寄り親としてもう少し楽が出来たねえ」
メリア・ドラグーンからすれば切り込みは大当たりだった。セシリアの器はあのチェルシーにも全く引けを取っていない。恐らく出身は気品と気骨から鑑みるに武門の大貴族。咄嗟に候補を絞りきることは出来ないが、少なくともロヴェーヌの子供達の政治的な強さはチェルシーとジゼル、元ドラグーンの目の上のたんこぶだけに由来するものでは無いという直感が正しかったことが証明された。