ぱかチューブの有名インフルエンサーである彼女は視聴率の為にG1に参加した。
手作りの段ボールを元にした勝負服。
勝利の実績は新潟千直。
勝てるはずはない。万が一にも勝てないだろうと誰もが思った。
─ただ一人、本人だけを除いては。
「貴女は自由に生きなさい」
死に瀕していた私を救った魂は一言だけの祝福を述べて沈黙した。
ハリボテエレジーにとって、自由とは運命を覆す存在の象徴だった。
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東京、芝、二千四百メートル。ジャパンカップはコースの芝の管理まで把握している。
スタートは正面スタンド前の直線から始まり、平坦のホームストレッチを駆け抜けてゴール板を一度通過。そこからコースを一周する道のりだ。
最初の第一コーナーまでの距離は約三百十三メートル。高低差の無い1コーナーから第二コーナーを曲がれば、約四百五十メートルの長いバックストレッチが出迎える。
緩い上り坂を超えた先にある第三、四コーナーはゆるい下り坂となり、最後の直線に入れば借金を返すかのような高低差約二メートルのなだらかな上り坂が待ち受ける。
ラストスパートの直線距離は約五百二十六メートル。全馬がフルに力を発揮するには格好の舞台と言える場所に、私、ハリボテエレジーは七番を背負って立っていた。
ハリボテエレジーは未熟児の生まれである。
交通事故により切迫出産となった身体はウマ娘としても未熟極まりない体として生まれた。中途半端にインストールされた肉体は人にしては頑強であり、ウマとしてはひ弱であった。
特に分かり易いのは外見だった。ウマソウルが入るべき箇所に入らなかった私の肉体は一部が奇形となっていた。母は私の身体のことを悔やんでいたが、ソウルが何かを知る私にとって、ウマ娘ではありえない
ヒトソウルはハリボテエレジーに様々な事を解答した。ヒトソウルは呼びかけない。能動的に動かない。彼女がウマ娘として名前を付ける時でさえ何一つ主体にならない。語りかけたのは彼女が生まれた時だけだった。自由に生き、自由に決め、
恩は返さなければならない。
私はハリボテエレジーとして勝ちを、価値を見せると決心した。
そこに至るまでの道中は割愛する。遺言を聞き間違えたジャパンカップは一流が集まる頂点の一つだった。二万五千人のファンを集めるために私は道化となった。紙袋をメンコとした私の奇抜さを呼水にしたぱかチューブは今では数百万の登録者が存在する。私は視聴率の為に参加された憐れな噛ませ犬であり、穴ウマ娘だった。
有力バはシンボリルドルフ、ゴールドシップ、アドマイヤベガ、スイープトウショウ、キングヘイロー。まさに名だたるウマ娘達だが、私を見ることはない。手を抜いても勝てる相手が私であり、それは純然たる事実であった。
『さあ、各ウマ娘ゲートに入った』
全て予定通りだと私はほくそ笑む。私が欲しいのはこのジャパンカップの勝ちだけだ。恩人に届かせる感謝の意だけだ。私がこれだけ自由に生き延びたことを伝える発表会だ。警戒しない、事前に構えない。それだけが私の懸念点だった。順当に負けることこそ、私が最も恐ることだった。
『─スタートです!』
一世一代の、ハリボテエレジーが持つヒトソウルだからこそ出来る、奇策の一手を私はつかった。口から出すのは四足歩行の動物の声だ。体重五百キロはある、人を乗せて積載物を運ぶ経済動物の末裔の声だ。甲高い音、苛立ちと挑発を含めた本能的な声を、私は完璧に模倣できた。
「──ヒィーン!!」
この鳴き真似に反応したのはウマソウルだけだ。彼らを知らない彼女達にとって、声は単なる気合いに過ぎず、驚かすこともない声量だった。いち早く飛び出したハリボテエレジーを追い越さんと走り出したそのとき。
脚が重く、身体に着ている装飾品は煩わしく、デザイン重視の靴は足首を挫きそうだった。ハリボテエレジー以外のウマ娘達がその不具合に喘いでいる中、ゴールドシップはいち早く彼女が起こした絡繰に気が付いたようだった。
「─なるほど、小癪で
ウマソウルについて、私は一つの疑問があった。細い身体で数百キロの錘を引き摺りだし、毒耐性を持ち、自動車並みの速度を出せるウマ娘は果たしてどのように一体化しているのか。
コーヒーのように溶け合っているならば私にはなす術はない。しかし、本格化や気性難の発言は果たしてまだらになった程度で容易く発言するだろうか。ウマソウルとは、
私はそれに一縷の願いを賭けた。馬の本能にレースを忘れさせるような
値千金の隙を私は距離で支払った。五十バ身は離れた距離に差し掛かるのは憎しみの溢れる第一コーナーを大外回りで曲がり切る。観客のどよめきは私の見下しの証だ。雑音として処理したいはずの外野のヤジが不思議と脳内を響かせる。傾きに合わせて左眼に微かに見えるスタートを見れば、スイープトウショウとアドマイヤベガはいまだにスタートを切れていない状態だった。
ウマソウルの乗りこなし方には個性がある。ヒトソウルの紡ぐ歴史では彼らは経済動物であり、私達にとってのトレーナーは闘犬のブリーダーに近い代物だった。勝つ、勝たないをヒトの理性で強化し、より純粋で計画的なレース運びを作り込めるウマ娘はもっと素晴らしい勝負が出来たはずなのだ。
「どいつもこいつも畜生に負けやがって」
嗚呼、我儘一杯のスィーピー。妹に取り憑かれたアドベ。ウマソウルに支配されたお前達の意思は何処にある。私の策など乗り熟せば数秒で立ち消える程度の戯言なのに、馬の意思が消えたら走れない程度の熱意でG1を目指したのか。
その傲慢さは自身の才能に溺れた故だと、信じたのは間違いだったか。
『七番エレジー独走状態、追込のエレジーが逃げを打つ、十馬身、いや二十、広がりが止まらない!二番キングヘイローは復調したか、五番シンボリルドルフ九番ゴールドシップもピッチを──』
腹が立つ。怒りが理性を壊しかける。私がどれだけの時間と金をかけて登り詰めた約束の地に、泥を塗る存在が許せない。日常すら馬に人生を支払った連中の末路はこうあるべきだ。私のために消えた私のヒトソウルは正しく清い行為だったと肯定されるべきなのだ。
第二コーナーを曲がり切った頃に、手綱で馬を支配した彼女達が只管に追いかけてくる足音が耳に響く。ペース配分も何もない無闇矢鱈の追い上げに策など無い。皆が私の背中を追い、見上げ、奪い取ろうとしている。漸く希望した勝負に私の頭が初めて本気になった。
「──ブッ…─ッフゥー」
唾を吐く。乱した息を整える。今更の体質に笑い話になりもしない。ウマ娘の端くれでしかない私は勝負に混じれて漸く半人前の競技者へと成れた。不形成で穴もない形だけの耳がビクビクと痙攣する。だらりと動きもしない尻尾が初めてEDから脱却した。脚の骨に芯が入り、服は鎧となり、空気抵抗が意識して動かせた。
長い直線は私の独壇場だ。新雪と見間違えんばかりの芝を思いのままに踏み潰す。私が逃げウマで全員が追込ウマだ。気迫が燃料となり配分を無視したウマ達が私の背を押しやる。四つ耳となり鋭敏となった聴覚は十馬身後ろの二つの圧力を感知する。汗と領域と補正で無理矢理動いた才能の暴力達が私を潰さんとやって来る。
来たのはゴールドシップとシンボリルドルフ。
知ったことか。
私は全てを賭けに委ねることを決めていた。全てが無意味になり得る心中だ。安全も何もない無謀の重ね掛けだ。長く、永く、加速した心臓と脳が退屈で発狂するほど意識を耐えて、私は深呼吸を行った。速度が落ち、二人の距離があっという間にゼロとなって抜かされる。
二人の背を盾にして私は煽り運転を極めた。私がどれほど目を凝らしても認知できない領域をでっちあげてた技術だ。心理学を、犯罪を、畜生を、馬の生態を、全てを煽り立てて無理矢理加速を行わせる。減速はさせない、避けは許さない。
「「──ッ!!」」
息も絶え絶えな二人にウマソウルを制御する術などありはしない。再度暴れ馬となった魂に対して、シンボリルドルフは堪え、ゴールドシップは沈没した。すれ違いざまに横目に映った彼女の笑みは諦観か、あるいは私に対しての嘲笑か。
「宝塚記念で立たなければ、お前の勝ちだったろうに」
ヒトソウルが記録していた騎手・厩舎とは全く縁を見れない誰かをトレーナーとしたゴールドシップはデビュー時から警戒していた規格外だった。一流と称されしウマ娘達の誰もが直感という名の歴史を辿る中、沖野という男を選んだ彼女は運命に中指を立てる同類だった。一方的なファンであり、彼女らしく語ればつまらない女に成り果てた姿を惜しむクズが私だった。
結局、私が行ったのはウマソウルという名の
己の馬を調教し、飼い慣らし、宿る魂に関係なく地道に器を鍛えた愚か者だけが
プランを言い訳に才能だけで死んだアグネスタキオン。笹針の根源を理解すらできずに他人を狂わせた安心沢刺々美。私を愚かだと笑った才人ども。歴史に流されたお前達こそ惨めだと判断しては悪いのか。勝ちが決まった勝負を不甲斐ないと感じないのか。運命に縛られた人格を糞だと理解できないのか。
「─クッ…!」
直線が終わり、第三コーナーを回り始めた頃に私はシンボリルドルフを再度抜かすことに成功した。観客席の声は戸惑いが大半だった。華のG1にも関わらず未勝利戦に匹敵するスローペースな速度で進めば当然である。
「曲がれえええ!!」
いつもの野次は祝福の讃美歌だ。四つ耳は細かい音すら雑音と区別した。頼り切りの医者と合わせて混じる声はアグネスタキオンと安心沢刺々美の叫び声。私の行為を鼻で笑った二人が野次ウマの底辺と混じって必死に応援している。奇跡を信じて祈っている。そう錯覚できた私は声に押されてコーナーの内ラチを擦るように走りきった。
だが。然し。この抜き去りを以て私は勝利を確信していた。意識がハイになっていたと評しても良い。一流のウマソウル達が軒並み沈み、ゴールドシップは運命を壊せない。
「───諦めないわ」
「絶対に!!」
そう確信して曲がった第四コーナーの後ろには、キングヘイローが詰め寄っていた。
『大外から、やはりキングヘイロー跳んできた、キングヘイロー跳んできたっ、キングヘイローかっ、キングヘイローがハリボテの紙袋を撫で切らんと王の剣を振り上げる!』
私は咄嗟に足を蹴り上げ砂を彼女の顔へかけた。斜行ギリギリの本能的な反射行動だった。私のソウルが知るキングヘイローの気性を理解した妨害だった。しかし、それは失策だとすぐに分かった。背後の気配は変わることがない。ウマソウルの
『だが風に吹く紙袋はまだ遠い、ハリボテ粘る、エレジー粘る、四馬身の差は空気の壁か、ハリボテエレジーの二の矢が風に乗る!』
何故!? 如何して!?
頭に咲く疑問を私は無理矢理取り消した。万能だと評価していた彼女がどんな経緯で人間の走法やトレーニングに力を裂いたのかは理解し難い。考えるのは、この余りにも頼りない三馬身差を維持し切るための手段だ。
「「はぁああああ!!」」
非合理に声を出す。産声を上げた私の中のウマ成分を薪にする。少しでも、一分一秒一厘でも僅かに前に進むために凡ゆる積み立てを犠牲にする。二十六秒後の勝利を目前にお預けされるなどもっての外だ。
『エレジー残る、キング詰められるか、エレジー前傾体制だ、ウマ走法だ、エレジー残る、残る、来るか、来るか、来た、エレジー!!』
心臓が喉から出る感覚に襲われた。肌は熱を持った鉄板より熱く感じた。耳は全て風の音に遮られた。呼吸は少しでもエネルギーを作るためエンジンの爆発を再現した。目を見開き、歯を食いしばり、ゴールなど見れずに。魂を削る走りが延々と感じた。
そうして当然の帰結として力尽きた私はそのまま芝の布団に倒れ込んだ。
なけなしの幸運が働いたのか、辛うじてゴールは通過したらしい。同じく優雅に停止したキングヘイローがため息をついて私をひっくり返した。
『競り勝ったのは紙袋!ハリボテが帰った、エレジー帰宅した!ハリボテエレジー、やっと目的地に辿り着きました!!』
頭にようやく入った酸素が実況の言葉を飲み込んだ。夢を叶えたはずの実感が浮かないまま、出てきた言葉は無意識からの感想だった。
「───やっと勝てた」
汗でぐしゃぐしゃとなった紙袋を私は外した。まともに動くなら四つ耳を隠す必要はない。キングヘイローは私の人耳を見て少しばかり目を見開いた後、袖で汗を拭ってニヤリと笑った。
「案外可愛い顔してたのね、エレジー」
「そうかな。分かんないや。余り鏡は見ないから」
「次は完璧な一流を見せてあげる。覚悟なさい」
「そっか。今度は私が追われるのか」
キングヘイローの手を握る。豆だらけの鍛えた手のひらに私は笑う。勝てば終わりだと認識していた筈なのに欲がどんどん溢れ出す。おかしな口元を隠して、私は彼女の手を強く握った。
「…ありがとう。また勝ちたいよ」
大差負けの残りが悔しげにゴールをくぐるのを見ながら、私はゴミとなった紙袋で不快な汗を拭った。
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─────と、格好良く勝利の喜びに浸っていた私だったが。
「アレー?」
勝利者に送られる筈の舞台に私は入れず。ウィニングライブの中心に立つことも出来ずに東京競バ場の外を歩いていた。渡された封筒の中にかかれた内容は、細々した装飾分を省けば次の内容が記されていた。
①極めて悪質で、他のウマ娘への危険な行為
②競争に重大な支障を生じさせた場合
要は失格通知である。
レース開始に起こした一度限りの嗎はウマ娘を信奉するお偉方の癇癪に触れたらしい。突如追加された新斜行である。賞金没収、購入した優先権の出走代はそのまま。アグネスタキオンに払う治験代を勘定にいれたら余裕の三桁万円の借金持ちであった。その内
当然、ライブにも上がれるはずもなく。バックダンサーとして踊るのは案山子スタイルのスモモ先輩(時給九百円)である。あの人が弟の為ならプライドを捨てるブラコンでよかった。この私の全力を持って東大の現役合格は約束しよう。
まー?
ウマ娘の為のライブですしー?
一銭の金にもならない箱に価値なんかないですしー?
うーむ、ちょっと悔しい気もする。
「観客のやじより小さい鳴き声が悪質な行為かぁ。…私は毎回斜行をされていた…? これは事実上無敗だったのでは…!」
とぼとぼと歩く私の荷物は財布を入れた小物入れに、ライブで使う予定だった愛用のギター。今の私は側から見れば夢破れた少女であり、このレースでアレほど忌避していた負け犬であった。
ここが
「それで少しは…欠片でも一流優遇の流れが変われば良いんだが」
自販機にて血糖値が爆上がりしそうなお汁粉コーヒーを買って一息で飲み干す。財布には近くのライブハウスの参加券が残っていた。
ヒトソウルを宿した私は何処迄も異端だった。この澱みは一生引き摺る呪いとなると私は確信した。認められない承認欲求は自業自得の現れだった。
ギターをジャカジャカと鳴らし、慣らし、均し。私にしか分からない微調整で魂の調律を整えたソレは最高に絶好調である。大遅刻者として東京競バ場の傍にあるこじんまりとしたライブハウスに堂々と突入する。
中はロックで汚染された猿山の群れだった。耳の優れたウマ娘が一晩で難聴に成り果てそうな暴力的な音、光、そして群れ。ウマも人も関係ない、猿山の大将を賭けた鳴らし合いがライブハウスを支配していた。
それを奪い返す。ギターの
「此処は今からワタシのウイニングライブ会場だ。貧乏人ども!喜べ!」
「hay、曲げ無しエレジー。今日の予約はどーしたんだい?」
「権力で肥え太ったタマナシにはスポーツマンシップが飾りに見えるらしい」
「つーまーりー!?」
「──ハッ。私がナンバーワンよ」
ライブハウスが大歓声で埋め尽くされた。猿山中の猿が皆ニタニタした顔で私に歓迎の声を発した。その熱に浮かされたまま、アンプに繋げたギターを盛大に弾き飛ばす。喉から出たのは引退決定の嗎の嘲り。天下に名を轟かせるウマ娘達を単なる小娘としたその音は、集まった彼女達バックダンサーには何一つ意味をなさなかった。
余りにもバカバカしい。歴史をなぞるだけの巫女の祭典はヒトソウルの知識から判断すれば失笑ものだった。まさしく、彼女達は馬なのだ。記憶もプライドもウマソウルに支配されかけた、馬たちの歴史を語る道標。
ウマ娘達は示し合わせたように配置につく。私は敢えてその心意気を投げ捨ててギターを爆発させた。御令嬢達の甘えた精神は此処には無い。私はまた最下位となり、中に埋まった怒りは噴火として己の音楽を創造した。
オリジナリティ、創造性に任せた、八つ当たりの転調。甲高い音を外すギターは下手くその極みだ。だがそれで良いと観客は喜んで叫んだ。感情に響かせる誰かの音はセッションも取れずに騒音と化して惨めな記譜となった。翌日の誰もがその楽譜を思い出せない酷い演奏は、私だけのハリボテらしい笑われるべき賛歌だった。
誰かが鳴らした。私は叫んだ。
誰かが叫んだ。私は鳴らしに鳴らした。
皆が感謝を熱唱した。私はただ、全身から流れる体液を振り切って腕を振りかぶった。
最低のウィニングライブを観客に浴びせた私は、ただただ中指を立てて不敵に笑った。