ねえせんぱい、知ってますか?   作:暁英琉

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 新生奉仕部の活動はそう多くない。仲介役だった平塚先生が転勤した上、去年依頼を持ってきた連中があまりこちらを頼ることがなくなったのが主な要因だ。

 しかも、下級生からの依頼は大半、部長である小町が持ち前のコミュ力で速攻解決してしまうのである。俺の出る幕など、材木座から送りつけられたゴミの処分をするくらいだ。……そろそろ処理費用を請求してやろうかあの野郎。

 というわけで、奉仕部は今日も今日とて部室で思い思いに過ごしている。それ自体は去年をあまり変わらないのだが、違いがあるとすれば俺達三年生が勉強している頻度が増えたくらいか。特に由比ヶ浜はようやくやる気スイッチが入ったのか、ほぼ毎日雪ノ下を講師に机に齧りついている。時折聞こえてくる会話を聞く限り、進捗は悪くなさそうだ。

 まあ、前に本人が言っていた通り、あいつも受験を受けて進学校であるうちに入学したのだ。地頭は悪くない……はず。なら普段からちゃんと勉強しとけよ、という人の心のない正論を飲み込み、自分の勉強に精を出す。

 

「あ、すみません」

 

 ぱさり、と横に置いていた参考書の上に別の冊子が被さり、すぐに回収される。顔を上げると、どうやら遊びに来ていた一色が持ってきた雑誌の一つが積んだ山から崩れ落ちてしまったらしい。

 気にしていない旨を伝え、再び勉強に戻ろうとして、ふと視界に入った雑誌に目が留まる。

 

「京都……修学旅行か」

 

 てっきりよく小町と読んでいるティーンズ雑誌でも持ってきているのかと思っていたが、実際はどれも京都関連の観光雑誌。そういえば去年のこの時期に雪ノ下も某旅行雑誌を持ってきていたな、とその理由に行き着く。

「ですです……って、なんか結衣先輩も雪乃先輩も急に気分沈んでません?」

 困惑する一色の声に視線を向けると、それまで勉強に勤しんでいた雪ノ下と由比ヶ浜の手の動きが止まり、目が露骨に死んでいた。なんなら空気も死んでいた。「ずーん」というSEはこういう状態なんだなと理解し……俺の心も沈む。

 

「修学旅行……色々あってね」

 

「いろいろ……」

 

「あー、あれだ。お前が初めて来たときの」

 

「あー、ピリピリしてたあれですか。え、修学旅行であんな空気になることあります?」

 

 その言葉に余計気分が落ち込む三年ズ。そうだよな。普通修学旅行後にあんな空気になるはずないんだよな……。

 

「お兄ちゃんがですね……」

 

「あっ……」

 

 察すな察すな。や、俺のせいなのは事実なんだが。

 

「いえ、あれは私達全員に落ち度があったのだから……」

 

 雪ノ下がフォローしてくれるが、実際どうだろうか。少なくとも、夜のコンビニであーしさんに言われた海老名さんのことを由比ヶ浜に伝えていれば、三人で対策を立てる余裕はあったように思う。……うーん、やっぱ俺のせいでは?

 

「あ、そ、それでですね! 書記ちゃんと同じ班なんですけど、京都って観光名所多すぎてどこ行けばいいかわかんないんですよねぇ!」

 

 このまま話を掘り下げるのは不味いと考えたのか、一色が無理やり話を引き戻す。うう、なんて気遣いができる後輩なんだ。こんな子が同級生の友人若干一名なん……やめろ、拳を構えるな。

 

「ま、修学旅行で巡るには限界があるよな」

 

 気分を落ち着けるためにずず、とぬるくなった紅茶を啜ると、まだ湯気の立つ自分のカップを包むように口に運んだ一色が嘆息混じりに同意してくる。

 実際京都には正規登録されているだけで神社仏閣は二五〇〇くらいあるし、他にも観光名所は多い。対して観光時間三日の修学旅行では十ヶ所も行ければ良いほうだろう。実際去年は十ヶ所回ったかどうかくらいだったはずだ。

 話を聞くに日毎のスケジュールは去年と同じで一日目は全員で清水寺、南禅寺、銀閣寺を観光。二日目は班行動で太秦から洛西方面を巡り、三日目は自由行動の流れらしい。

 となると、二日目に関して俺から言っておくべきことが一つ、いや二つある。

 

「市バスの一日乗車券は罠だからやめておけ」

 

「え?」

 

「あと、仁和寺は神社仏閣好きとかじゃないと飽きてテンション下がるやつが出ると思うからやめとけ」

 

「はあ……」

 

 いや生返事をしているが一色よ、このアドバイスはマジである。五〇〇円という破格の一日乗車券に群がった観光客で市バスは完全にキャパオーバーを起こしてストレスがマッハであったし、仁和寺では太秦映画村でのテンションはどうしたと言わんばかりのクールダウンっぷりを皆見せていた。もちろん個人的には仁和寺はよかったのだが、高校生の班行動で行く場所としては微妙かもしれないとは俺も思ったくらいだ。

 

「ちょっとヒッキー、そういうのはおすすめを教えるもんじゃないの? 映画村とかさ」

 

 うーん、そこで神社仏閣ではなくアトラクションの映画村を出すところが由比ヶ浜の由比ヶ浜たる由縁よな。

 まあただ、そもそもおすすめとか以前の話で……。

 

「どの道二日目は映画村、龍安寺、金閣寺まで固定だろ」

 

「それはその通りね」

 

 身も蓋もない話ではあるが、大体の修学旅行生なんて神社仏閣への興味はほとんどない。知っている名前なんてジャンプ漫画で言うところのワンピースクラスの超有名どころばかりだろう。

 それなら十分に遊べる太秦映画村、物珍しい枯山水がある龍安寺、皆さんご存知ド派手な金閣寺は自然とルートに入る。聞いたことのあるスポットなら、知名度補正で楽しんだ気になれるのが人間だ。有名な場所、という情報を楽しんでいるとも言える。

 そうなると後は行けて一ヶ所なんだが……修学旅行でおすすめと言われると即答は難しい。時間的に考えると龍安寺、金閣寺周辺なんだが、その中で有名どころである仁和寺であんな反応されたのではどうしようもない。ちょっと離れている双ヶ岡古墳群は時間が足りなくなるの必至だし、いっそ早めにホテルに戻って翌日のために英気を養うでいいのでは? とすら思えてくる。

 

「けれど、どこか選ぶならやっぱり仁和寺みたいな景色を楽しむところが結局一番いいんじゃないかしら。他だと等持院なんて季節ごとに境内の様子が変わるらしいわ」

 

「おー、結構良さそうですねぇ」

 

 そんなお手上げ気味な俺と違い、スマホをペタペタと操作して観光先の写真画像を見せながらいくつか観光スポットを提案する雪ノ下。さすがはユキペディアさん。俺の知らない知識までばっちりじゃないか。それもじゃらん情報なん?

 

「修学旅行じゃ少し見て終わり、がほとんどよね。私としては二日目は全部神社仏閣巡りでも良かったのだけれど」

 

「それは高校生には色々ハードな気がしますけど……」

 

 雪ノ下的に映画村は観光に不要だったらしい。たぶんこいつのことだから、映画村では人酔いを起こしたんだろうな。

 やけに実感のこもった言葉に、小町が眉尻を下げてたははと苦笑する。まあ、人酔い云々は置いておいても、気持ちはわからんでもない。最初から洛西エリア一本に絞られていれば、後三ヶ所は巡れたことだろう。個人的に千本釈迦堂の仏像とか見てみたかった。平野神社は行くならやっぱ春かなぁ。祭りにはあまり興味はないが、その祭りの由縁たる桜は見てみる価値があるに違いない。俺も情報を楽しんでいる人間の一人なのだ。

 ……うん、やっぱいつか京都一人旅行こう。

 決意を新たにしているうちに、一色は仁和寺か等持院を候補に相談してみることにしたらしい。まあ結局集団旅行なんて無難どころに落ち着くよな。そもそも初めての観光でメジャーどころを省いてマイナースポットを抑えるというのはなかなかに逆張り根性がすぎる。メジャーな観光スポットにはメジャーになるだけの理由と歴史がある。素人は黙って王道から回っとれ。

 

「うーん、じゃあ三日目はどうしましょう。千本鳥居くらいしかぱっと思いつかないんですよねぇ」

 

「伏見稲荷大社に行くならそこから北にある光明院、東福寺、通天橋は紅葉が綺麗だそうよ。京都駅近くなら五重塔で有名な東寺、東西の本願寺もおすすめね。他には――」

 

「――――」

 

 加減してやってくれユキペディアさん。一色が完全にキャパオーバーで背中に宇宙背負っているから。

 

 

「雪ノ下先輩、京都大好きなんですね……迂闊でした」

 

「お疲れ」

 

 あれからしばらく雪ノ下の圧縮観光案内を受けた一色は校門で合流するなり大きな溜息を漏らした。まあ、普段のあいつを見ていればあの地雷(?)はステルス性能が高すぎるよな。

 

「まあ、読書家からしたら京都なんて宝石箱みたいなもんだからな。あいつがああなるのも仕方がない」

 

「そういうもんですかぁ」

 

「人気映画とか、舞台になったところの紹介で特番組まれたりするだろ? ああいうのが乱立して飽和してんのが京都」

 

「なるほどぉ」

 

 一時期は政の中心でもあったからか、教科書に記載されている作品だけでも舞台にしている話は山ほどある。その上日本史に興味があればさらに関心スポット数ドン!

 文系の聖地、それが京都なのだ。雪ノ下が早口オタクになるのも無理からぬこと。

 

「しかし、もう俺達が関わる学校行事はほぼ終わったんだな」

 

 まあそもそも、三年が関わるイベント自体少ないのだが。職場体験学習もなく、夏休みのボランティアもなく――小町は奉仕部の活動として清掃ボランティアに参加していたが――、となれば体育祭と文化祭程度。それだって半強制的に実行委員と関わることになった去年と違い、ごく普通の一般生徒としての参加だった。

 あ、ちなみに今年のクラスの出し物も海老名さんのゴリ押しで演劇になったのだが、それとなく演目を誘導することで俺が配役されることは回避した。え、葉山? あいつはそもそも主役から逃れられない運命だから。あいつがクラスの中心であることが悪いので、俺を睨んでくるのはおかしいと思いました。

 受験生なので当然といえば当然なのだが、三年生のイベントの少なさよ。中三のときはこんなこと考えなかったのになぁ。いや、そもそも中三のときは同じ中学のやつが進学しない総武高校に入学するため、今以上に勉強に明け暮れていた気がする。うーん、今思い返しても努力理由が後ろ向き。

 あと三年であった行事といえば――

 

「ねえせんぱい、知ってますか?」

 

 柄にもなく感傷に浸っていると、隣を歩く一色が声をかけてくる。その声色が面倒なことを考えついたときの小町に似ていて、少々身を強張らせた。

 顔を向けると、満面の笑みの一色がいる。隠す気のない小賢しいこと考えてますという表情に頬がひきつるのを感じた。

 

「……なにが?」

 

「わたし、今年も生徒会長になったんですよねぇ」

 

「…………知ってるが?」

 

 去年は立候補者の集まりが悪くて時期が遅れたらしい生徒会選挙――そもそも相談されるまで時期とか知らんかったのだが――だが、今年はその辺スムーズに進んだようで、この間新生生徒会が発足された。信任投票のための一色の演説も聞いたし、掲示板に貼り出された役員一覧の生徒会長の欄にこいつの名前が載っているのを葉山と並んで後方保護者面でうんうん頷いていたのも記憶に新しい。……今更だがなんで葉山が一緒にいたんだろう。なにあいつこわ……。

 まあともかくとして、そんな知らんはずもない生徒会長再選を改めて伝えられているこの状況。

 

「二年連続生徒会長なんて大変だなぁ。学校の歴史的にも初めてらしいなぁ」

 

 これは、紛れもなく……圧さ!

 確かに上級学年がなることが一般的な高校の生徒会長に二年連続で就任するのは偉業と呼んで差し支えないのだが。そうなった一端を俺が担ったのも間違いないのだが。

 それを盾にこちらに圧を、何かを要求しようとしているこの女……それはあんまりじゃありゃせんか。これは世間が許しちゃくれやせんよ。

 しかし、そもそも今年立候補したのは紛れもなく一色自身の意思。それを引き合いに出された程度で屈するわけが――

 

「……要求は?」

 

 ――あるんですね。残念ながら。だって比企谷八幡は弱い生き物だから。弱みとかなくても勝てないのだ。あまりにも貧弱すぎる。前世はマンボウかもしれない。

 前世がすぐ死ぬ生き物説を考える俺をよそに、一色はにこやかな笑顔のまま前を指差す。視線を向けると駅前の小洒落た喫茶店が目に入る。同じく学校帰りなのか、総武校の女子集団の姿もあった。

 

「あのお店、新作スイーツが出たんですよね」

 

 つまり奢れ、ということらしい。あれ? 思ったよりも普通なおねだりが来たな? てっきり一日荷物持ちしろとかでまた「俺が受験生なの知ってる?」って返す場面かと思っていたのだが。

 空を見上げるとまだ日が暮れるには幾分時間がある。そもそも今日は小町と雪ノ下がそれぞれ予定があるとのことで、いつもより早めに部活を切り上げたのだ。喫茶店で自習をしてから帰るのも悪くないだろう。

 店先に貼られている看板を見るに新作というか栗フェアをやっているようだ。値段もまあまあお手頃。これくらいなら財布へのダメージも許容できなくもない。これはできるだけ許容したくないが、仕方なく許容したという意味だ。

 

「まあ、これくらいなら」

 

「やった。じゃあ入りましょー」

 

 駐輪スペースに自転車を預けて中に入ると、店内はいかにも女子校生をターゲットにしている明るめな色調で、少したじろいでしまう。味次第では今後の勉強スペースに使おうかとも思っていたが、一人では来れそうにないな。実際、男性客は一人、二人くらいしかいなかった。

 店員に促されるままテーブル席につき、メニュー表を開く。フェアの商品は定番のモンブランの他にもパンケーキやパフェなどがある。せっかくなので俺も栗系にしようかと考えていると、一色が早速とばかりに呼び出しボタンを押した。

 

「まだ決めてないんだが?」

 

「わたしは最初から決めていたので!」

 

 うーん、ワガママが過ぎる。それ、俺が決める前に店員呼んだ理由になってなくない?

 そんな俺の視線を華麗に無視した一色はモンブランパンケーキなるデザート――他商品の傾向を見るに、パンケーキにモンブランクリームを乗せたものだろう――とカフェラテを注文する。名も知らぬ店員の前で無駄な言い合いをして恥をかくわけにもいかず、改めてメニュー表に視線を落とした。

 とはいえ、元々飲み物は即決していたので後はデザートだけ。そして二択まで絞っていたうち、片方は一色が注文したパンケーキだ。同じものを注文するのもどうかと思い、もう片方を選択する。

 

「カフェモカとモンブランパフェで」

 

「かしこました」

 

 注文を終えた店員が離れるのを確認して、背もたれに体重を預ける。合成皮革が体重で歪み、ぎゅ、と小さな音を漏らした。

 

「パフェにカフェモカって甘すぎるんじゃないですか?」

 

 水で口を潤しつつ、注文が来るまで勉強するかどうか悩んでいると、一色から呆れた声で苦言を呈される。

 確かにカフェモカはチョコソースが入っている分、コーヒーの中で特に甘い飲み物だ。流石に千葉の水ことマッカンには及ばないがな。え、マッカンはコーヒー飲料だから全くの別枠? 黙れ小僧。

 ともかく、一色が言いたいのは甘い飲み物と甘いデザートで甘いものが被ってしまったという五郎ちゃん状態のことを言っているのだろう。そういう意見があるのは理解している。実際小町にもチョコとマッカンを一緒に食すのはどうなんだとツッコまれたことは数しれない。

 しかし、しかしだ。俺は声を大にして言いたい。いや、流石に店内で声を大にするのは嫌だけど言いたい。

 

「甘い飲み物で甘い食べ物を食べるから良いんじゃないか」

 

「は?」

 

 あれえ? 結構決め顔で言ったつもりなのに、反応がクソほど悪いんだが? 一切の共感を産まなかったんだが? 私は悲しい……。

 

「ひょっとしてせんぱい、普段からそういう食べ方してるんです? 将来糖尿病になりそう」

 

「その時はその時だ。糖尿病は虚しいかもしれないが、この食べ方をやめる理由にはならない」

 

「なんかの漫画のセリフパクってます?」

 

 あ、バレた?

 テヘペロとおどけてみたら脛を蹴られた。痛いですね、悲しいですね。

 と冗談はさておき、どうせこういう食べ方ができるのも数年ってとこだろうからあまり気にしていないというのが本音だ。歳を重ねれば食が細くなるというから、社会人になる頃にはこの食べ合わせで胸焼けとか起こすんじゃないだろうか。働かなきゃいけない上に若い頃に好んでいた食事もできなくなるとか、虚しすぎないか? 思わず某ソシャゲの黄金の精神の持ち主みたいな顔になってしまうよ。ヴァニヴァニ。

 そうして禄に意味のない会話をポツポツしていると、注文した商品が運ばれてきた。一色のパンケーキは自重で崩れてしまいそうなくらいふわふわしている。こういうパンケーキってどうやって作るんだろうか。一瞬家で作れるなら小腹が空いたときに作ってみたいなと思いつつ、どうせ面倒な手順を踏むんだろうと思い直す。自作するのなんて、ずっしりホットケーキでええねん。

 俺のパフェはモンブランクリームが普通のパフェの生クリームのように円錐を描いて頂点に鎮座し、その麓には二つのアイスが添えられている。グラスの中はクランチや生クリーム、ナッツなどが層を成している一般的なパフェの様相だった。あ、アイスは片方が淡いベージュ色をしている。これも栗味だろうか。

 

「うーん、おいしー!」

 

「ん、美味いな」

 

 モンブランクリームと栗アイスを一緒に口に放り込めば、栗本来の優しい甘さが口内に広がる。そしてここにカフェモカをドン! ……至福だ。

 そのまま二口三口と食べていると、視線を感じて顔を上げる。そこにはじっと俺を、正確にはパフェを見ている後輩の姿。

 その目は完全に捕食者のそれだった。

 

「……食うか?」

 

「え、いいんですか? じゃあ一口……美味しい!」

 

 グラスを差し出して見れば、白々しいことを言いながらアイスとモンブランクリームをすくい取る。正直、普通に言えば食べさせたので、あんなクレクレアピールをして生き恥晒す必要はなかったと思うのだが、俺はできる先輩なので口には出さない。俺はできる先輩なので!

 しかし、まじで当たりだなこの店。その分、店内の雰囲気が俺に合わないことが余計に残念だ。別のフェアがあるときは小町を誘おうか。……どの道奢ることになるから、一色でも問題ないかも。

 あるかも怪しい「次」を想像しながらぺろりとパフェを平らげる。追加でエスプレッソを注文し、勉強の続きをしようと鞄から勉強道具を取り出す。

 

「あれ?」

 

「どした?」

 

「いえ、せんぱいって別の大学志望って言ってませんでしたっけ?」

 

 一色の漏らした疑問の声に視線を辿ると、テーブルに置いた赤い表紙の本を見据えていた。

 赤本。いわゆる大学の過去問集。その冊子の表紙に書かれた大学名は、いつだったか――確か去年の三学期が始まったばかりとかだった気がする――に教えた受験予定の大学とは別のものだ。大学評価で言えば、元の大学よりワンランク高いところになる。

 実際、進学先の変更を決めたのは夏休みの頃なので、こいつが知らないのも無理はない。

 

「あの大学は一年の頃に文系科目だけで受験できるってことで選んだだけだったからな」

 

「うわ雑……」

 

「うっせ」

 

 理由が雑なことは俺が一番理解しているのだ。なんならあの頃はそこで美人で優秀な女子を見繕って結婚して専業主夫になるとかのたまっていたからな。労働から逃げたいという思いは未だに変わりないが、あれを堂々と宣言していた一年前の自分は流石に恥ずかしい。こうしてまた黒歴史が一つ増えてしまうのだなぁ。はちを。

 というわけで、元の志望大学にそこまで思い入れがなかった。まあ逆に変える理由もなかったのでそのまま変更することもなかったのだが。

 

「まああれだ。転勤前に平塚先生に、な」

 

「平塚先生が?」

 

 そこに待ったをかけたのが平塚先生だった。

 

「『能力があるということは選択肢があるということだ。なら、そこがいいという理由を見つけてみたまえ』だと」

 

 まあとはいえ、いきなりそんなことを言われても困るわけだ。これが理系学科ならあの分野の最新設備があるとか、こういう研究をしているとか、理由を見つけるのは難しくなさそうなのだが、いかんせん文学、史学分野だとその大学の強み、というものがパッと見でわかりにくい。

 なので勉強休憩の合間に色々調べて――半年近くかけてようやく納得のいく理由を見つけたのだ。

 スマホをペタペタ操作してブラウザアプリのお気に入りから該当ページを開く。それはとある大学教授を紹介した記事だ。

 

「この教授、近代文学の論文が面白くてな。講義を受けてみたいって思ったんだよ」

 

 あと、学内図書館が元の志望大学のものより充実しているのも決め手の一つ。提携してる大学の蔵書も取り寄せできるんだって。すごいね。

 

「はー、意外とせんぱいって色々考えてるんですね」

 

「意外とってお前……」

 

 あまりに淡白な反応でコクコクコーヒーを飲む一色に、思わず脱力する。自分から聞いといてその反応はひどくない? いつも通りだからいいけどさ。

 小さく溜息を漏らし、気を取り直して勉強に取り掛かる。まあ、他人の志望理由なんて当人以外にはさして関係ないわな、という思考を最後に頭の中は赤本の問題で埋め尽くされた。

 

 

「大学に行く理由、かぁ……」

 

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