受験が、終わった……。なんかこの書き方だと受験失敗したみたいで嫌だな。
年が明け、三年生は自由登校になった平日の昼。パソコンの前で息をついた瞬間をもって、俺の受験は終了した。ディスプレイには数字がずらりと並んでいる。いわゆる合格者一覧というやつだ。
そしてその数字、受験番号の群体の中に俺のものがあることを確認した。念の為に三回確認した。
合格……! 比企谷八幡、合格……!
「っくぅー!」
疲れました。これにて終了です。
肩の荷を下ろすとはまさにこのことか、と言わんばかりに伸びをする。受験という悪霊が除霊されたからか、本当に肩が軽く感じる。これがプラセボ効果ってやつですか? 違うか。そういえば、ちょっと前までは偽薬効果のことはプラシーボって言うのが一般的だったのに、気がついたらプラセボの方が一般表現みたいになってるよね。勝手に変えられると順応できなくて困るんでやめてほしい。
まあ、本音を言えば現地で試験を受け終わった段階で合格はほぼ確信していたんだけどね。模試の判定はずっとAだったし、回答を書き込んだ問題用紙を各教科の担当に見せてお墨付きももらっていた。俺以外の受験生が全員満点みたいな珍事が起きない限り不合格はあり得ない盤石な状況。
……とはいえ、それでも実際に結果を見るまで安心することができないのが受験勉強の性だろう。実際、さっきまで普通に後期試験に向けての勉強してたし。勉強自体は苦ではないが、この緊張感はもう体験したくない。え、就職活動? SPI? 筆記試験? やはり労働はクソということ、心のナナミンがメガネクイしてたからこれは事実。ごめんナナミン。俺、ナナミンの分までは苦しめないよ。
なにはともあれこれで当分は自由の身だ。冬休み当たりから控えていた趣味を楽しんでもバチは当たらないだろう。
「ふんふんふーん」
企業の汚い戦略でクリスマス直前に発売された新作ゲームを引っ張り出し、パッケージのフィルム――シュリンクというらしい――を剥がしながらリビングへ向かう。俺の一番のパーソナルスペースは当然自室になるが、だらけるときはリビングに居座ることの方が多い。なんでだろうな。なんか一番落ち着くんだよな。謎。
それにしてもなかなかシュリンクが剥がれないんだが? これゲームを買うたびに言っている気がする。そもそも剥がす起点すらないんだよな。これ、実際どう剥がすのが正解なんだろうか。
廊下のど真ん中でしばらく格闘して、結局ハサミで切り込みを入れようという結論に至る。パッケージ自体を傷つけそうだから本当はやりたくないのだが、開かないので仕方がない。これは本当に俺は悪くねえ。いや、これ言った本人もほとんど悪くなかったわ。
――ピンポーン。
「おん?」
リビングにハサミあったっけと思いながらドアノブに手をかけたタイミングで玄関のチャイムが鳴る。
こんな時間に誰だろうか。セールスはお断りですよ、とひとりごちながら扉を開ける。
「せんぱい、おめでとうございます!」
そこには後輩にして生徒会長な一色いろはの姿があった。
なぜここに一色が? 少々息が荒い。走ってきたのだろうか。いや学校はどうした。待て、確か今日は市教研――市の教育研究会。教師陣がこれに参加するため、該当日は短縮授業になる――の日だ。それなら授業が終わってすぐ来れば大体これくらいの時間になるか。いやしかし――
「おめでとうって?」
突然の一色の来訪に簡易無量空処を受けた結果、言語化できたのがそれだった。そんなメダパニ状態の俺に、一色はぷくっと頬をふくらませる。
「大学、合格したんですよね? なので、おめでとうございます、です」
「ああなるほ……いや待て、なんで俺が合格したって知ってるんだ」
説明に納得しかけて、再度メダパニをくらう。合格者一覧が大学のHPに貼り出されたのが二時間ほど前で、俺が確認したのがついさっき。そして俺はまだ合否を誰にも伝えていない。その状況で一色が知っているのはおかしくないか? え、ひょっとしてストーなカーをされていたりします?
後輩のやばい側面を見てしまったかもしれないという恐怖に慄いている俺に対して、わけがわからないように首をかしげる一色。そこには罪の意識など欠片も感じられない。じゃあストーカーとちゃうか。いや、ひょっとしたら単に罪の意識などハナから存在しないタイプな子の可能性も――
「小町ちゃんが教えてくれましたけど。せんぱいの受験番号も覚えてるからって自分で調べたみたいですよ?」
「うーん、俺の個人情報の扱いが軽すぎる」
ちょっと小町とは今夜OHANASHIをする必要があるかもしれない。いやまあ、別に大学の合否判定くらい気にしないといえば気にしないのだが。
「まあなんだ、ありがとな」
とりあえずここは素直に感謝しておくことにする。小町の扱いはあいつが帰ってきてからの態度次第だ。
一色を家に入れ、リビングに通す。合格祝いにケーキを買ってきたらしい一色は慣れた動きでお茶の用意をし始めた。完全に我が家同然の動き。俺でなきゃ見逃しちゃうね。
まあ見逃さなかったからと言って今更何をするでもなし、そんな一色を横目にハサミを取り出し、開けるのに苦戦したシュリンクに少しだけ切り込みを入れる。ようやくお目見えしたSDカードのようなサイズのゲームソフトを実機に入れて起動すると、オープニングムービーが流れ出した。
「あ、これクラスで男子がやってたやつ!」
ふーん、シリーズとしてはこのハードで初めての作品だが、なかなか綺麗じゃねえの。などと一端のゲーム評論家ぶったことを考えながら眺めているとケーキとお茶を持ってきた一色が画面に気づいて声を上げる。まあ、シリーズ最新作だからな。校則的にゆるいうちの学校なら教室でやっているやつもそこそこいるだろう。
ケーキとお茶を横に並べた一色は完全にゲームを見る体勢に入っていた。
「……狭くね?」
「けど、こうしないと見れないじゃないですかぁ」
まあ確かに、手元で画面を見て操作するという携帯ゲームの特性上、プレイを見るなら近づかなければならない。それは間違いないだろう。
しかし、それでは俺の心臓が持たない!
そんな問題を解決してくれるのがこのゲームハード。なんとこれ、テレビとHDMIで接続することで携帯ゲームから据え置きゲームにクラスチェンジすることができるのだ。なんて神がかり的発想。これで隣に座る必要はなくなったな。
「おー、テレビ画面だと結構迫力ありますねぇ」
なお、後輩は動き気がない模様。なんでや。俺は正面に座らないと防具:コタツに守ってもらえないから動けないというのに……ぐぬぬ。
内心唸りながら、ひとまず一色が持ってきたティラミスを頬張る。
「うま……」
「でしょ?」
チョコパウダーとクリームの甘さにエスプレッソの苦みがいいアクセントになっている。やはり甘味、甘味はすべてを解決する。だってこれだけで隣に座るの許してやるかってなったもん。全人類に甘味を振る舞えば戦争がなくなる説……トリコかな?
気分が盛り返したところでようやく放置していたゲームを始める。ニューゲームを押せば、操作キャラクターの編集画面が表示された。いわゆるキャラクリというやつだ。
最近のゲームはこのキャラクリに力を入れているゲームがとかく多い。膨大な髪型や目の形は当然ながら、色なんて数値で細かく指定でき、ボイスの選択肢が二桁を超えるものもザラ。そしてこのゲームもだが、鼻の高さや各顔パーツの位置まで細かく設定できたりもする。頑張ればアニメや漫画のキャラ再現などもできたりするらしい。
まあ、俺はそこまでキャラクリにガチるタイプでもないので、適当にベースから髪型、髪色、目の色を変更するくらいなのだが――
「? どうしました?」
「いや……なんでもない」
なんかこれ、性癖公開してるみたいでやばくない? 髪型一つでも「へー、せんぱいってこういう髪型の子が好きなんですね」みたいに突然横から刺されることにならない? いや、さすがの煽りカス気質な一色でもそんなことは……するかもしれねえ。一瞬男キャラに変更も考えたが、このゲームの男キャラ装備はネタに走ってるのがそこそこあるから、女キャラの方が良いんだよなぁ……。
…………。
………………。
結局、過去シリーズで使っていた女キャラと同じ髪型、髪色、目の色にすることにした。隣から刺されることはなかった。
「そういえば、せんぱいって文理選択ってどうやって決めました?」
しばらくゲームを進め、そろそろ装備を更新するかと拠点で一息ついていると、それまで「わー」とか「おー」とか「やれー!」とか「死ねー!」とか観戦していた一色が現実的な話題を持ち出してきた。いやお前、死ねはやめとけ死ねは。野球観戦で熱くなりすぎたおっさんかよ。まあ、地元愛溢れる俺もそもそも野球に興味がないから、現地で観戦とかしたことはないから妄想なのだが。すまん、俺の頭の中の知らんおっさん。
閑話休題。
「どうした突然、俺は文系一択だったが」
そういえば、二年生の文理選択はこの時期か。あれもあれで色々あったな。う、膝の古傷が……。
「そうなんですか? まあ、確かにせんぱいって趣味的に文系の方が良さそうですけど」
「そもそも俺は高校入ってから理数系速攻切り捨ててたから、文系以外選択肢ないんだよ」
「流石に潔すぎません?」
それは俺も思う。まあ、選択肢を絞った結果、受験が楽になったところもあるので、振り返ってもあまり後悔はしていないのだが。
「で、お前はどっちにするんだ?」
「文系ですね。化学と物理が苦手なんで」
お前も俺と対して変わらんやないかい。
まあ、進路選択は人それぞれだ。親でも教師でもない人間がとやかく言うことではない。一色がそう決めたのなら、それでいいのだろう。
「それとせんぱい、もう使わないなら、赤本貸してもらえません?」
「ん? なんで?」
スキル的にこの装備かなとか考えながら、相槌を打つ。実際、受験が終われば赤本は不用品だ。古本屋にでも売ってしまおうかと思っていたので、貸すのはやぶさかでもない。
そんな俺に一色はふふーんと胸を張り、ドヤ顔をかましてくる。そこはかとなくうざい。
「ねえせんぱい、知ってますか?」
何度目かの前フリ、ここまでの流れで続く内容はおおよそ想像がついた。
「何お前、同じとこ受けるの?」
「ちょっと、そこはわたしに言わせる流れじゃないですか!」
知らん知らん。なんだ流れって、俺は流れに逆流する永遠の少数派だぞ。……自分で言ってて悲しくなってきた。
同じ大学を受験するのなら、確かに俺の赤本は流用できる。安くても二千円超えと下手な書籍より高く、大学によっては四千円くらいすることを考えると、譲ってもらえるなら譲ってほしいと思うのは自然な思考だろう。先ほども言ったが、渡すこと自体は別にいい。
ただ、老婆心というか、自分が通った道でその過程も話した一色だからこそ、これは聞かなくてはいけないと思った。一時プレイを中断して、視線を彼女に向ける。
「志望理由は?」
「え? あー、それはあれですよ。あれがあれなんです」
「それ俺の常套句じゃねえか」
聞いた俺がバカだったとゲームに戻る。装備も整えたし、次のクエストに行くとしよう。
完全に話を打ち切ろうとした俺に対して、一色は慌てたように「冗談です」と連呼する。ちょっとしたお茶目のつもりだったらしい。俺が珍しく真面目に話そうとしたのにお茶目発揮するのはどうなんだ、と思いつつ、操作の手を再び止める。
再度視線を向けると、なぜか気恥ずかしそうに二、三度どもり、ぬるくなったお茶の残りで口を濡らした一色は、目線を不安定に泳がせながら小さく呟いた。
「……好きな雑誌の編集長が、毎年特別講義するらしくて」
「ほーん、いいじゃん」
なかなか話さないからどんな適当理由かと思ったら、存外まともな理由がお出しされた。普通に立派な志望理由では? そんな自信なさげに話すことじゃなくない?
しかし、一色本人からするとそうではないらしい。
「論文とかまで読んで決めたせんぱいに比べると、理由としては微妙なのかなって……」
「そうか?」
むしろ志望理由があるだけ立派な部類なのではないだろうか。偏差値がいいから、友達が受験するから、受験が楽だから、都市部に行きたいから。そうしたふわっとした理由で進学先を選ぶよりは一色個人に直結している分まともだと思うがね。
まあただ、一つ懸念点があるとすれば。
「お前、偏差値的にはギリギリじゃないか?」
「う……」
そう、志望するのは自由だが、それで受かるかどうかはまた別の話。ちらっと聞いた一色の学内成績的に、現状合否判定を反復横跳びしているくらいの位置のはずだ。早いやつだと二年のうちから始める受験勉強。安全圏より上を受けるための準備とかはしているのだろうか。
「そ、そこは大丈夫です!」
「ほんまかー?」
「せんぱいに勉強教えてもらうので!」
「俺の人権が存在しない解決策だぁ……」
いやまあ、実際講師役を用意する、は悪くない方法だと最近は思う。個人的に勉強はあくまで一人でやるものという認識は変わっていないが、雪ノ下に勉強を教えてもらった由比ヶ浜が二学期の途中からメキメキ成績を上げた実例を見ると、あれも有効な方法なのだろう。
しかし、俺にだって自分の時間というものがある。
「とりあえず来月からでいいか。それくらいにはこのゲーム一通り遊び終わってると思うし」
「え……むしろ春休み入ってからとか思ってたんですけど」
なんで俺の方が乗り気みたいになってんだよ。お前のための勉強だぞこれ!
ちなみに、めぐり先輩の前例を考えると、生徒会長を二年務める一色は普通に推薦を受けられると思うのだが、本人の勉強意欲を削ぐのもどうかと思ったので最後まで黙っておくことにした。俺、できる先輩なので。