かつて中央最弱と呼ばれたウマ娘、『ダイサンゲン』。彼女が挑むのは年末暮れの大舞台、GⅠ有馬記念。一番人気は中央最強のステイヤー、メジロマックイーン。対するダイサンゲンは、十四番人気。この舞台では見向きもされない存在なのであった。そんなウマ娘が、大穴をぶち開けるべくレースに挑む話。

(アニメ・ウマ娘二期に登場したキャラクターからの妄想物語です)

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『最弱』と呼ばれたウマ娘が、大穴をぶち開ける話。

 

 

「――ダイサンゲン。君に良い事を教えよう」

「なんでしょう。トレーナーさん」

「人生には、『この瞬間のために自分は産まれてきたのだろう』と、そう思える瞬間があるんだ」

「……トレーナーさんにも、そんな瞬間があったのですか?」

「あるさ。それは今日になる。この日、この時だ」

 

 満面の笑みを浮かべて、あまりにも自信満々に言い放つトレーナーさんに、私は苦笑を浮かべてしまう。

 年末。全てのウマ娘のレースを締めくくる総決算。

 最高峰の頂。GⅠ、有馬記念。

 

 ウマ娘。そして競争バに関わるホースマンの誰もが夢見る、まさに夢の舞台。

 私は、煌びやかな勝負服を見に纏い、決戦の舞台へと向かうため、地下道をトレーナーさんと歩いていた。

 

「随分と、大袈裟に言うのですね」

「大仰なもんか。だって、君は今日勝つのだから」

「……そんな事を言ってくれるのは、トレーナーさんだけです」

 

 本当に、彼だけだった。

 新聞でも、人気の低さは折り込み済み。

 印なんて皆無に等しい。

 十四番人気。それは脇役の証明書。

 東京レース場の名物、大穴ドーナッツでさえ受け入れられない位のブラックホールだ。

 

 私の両親ですら、今日のレースは見に来ていない。

 がんばれとは言ってくれたけど、ボロ負けする姿は見たくないのが本心かと思っている。

 でも姉妹が今日、応援には来てくれているそうだけれども。 

 

「気にするな。他の誰がなんて言おうが、俺は信じている。俺の育てた愛バの君が、絶対に勝つのだと」

「……あの。アタイは、十四番人気なんですよ?」

「知ってるさ。だがそれは世間の評価だ。ダイサンゲン。君の本当の姿を顕すものじゃない」

「相手は、あのメジロマックイーンです」

「そうだな。圧倒的1番人気だ。この舞台では最強と言っても良い」

「ナイスネイチャも居ますし。二番人気なのがおかしい位の、強いウマ娘です」 

「強いな。だが、それすらも気にする事はない」

「どうしてですか?」

 

 その問いにトレーナーさんは直ぐには答えず、フッと笑い、前を向いた。

 私の蹄鉄の音と、正装をしたトレーナーさんの靴音が、地下道になり響く。

 しばらく歩いてから、彼は前を向いたまま、再び私に問い掛ける。 

 

「さて、ダイサンゲン。今日の体調はどうだ?」

「心地良いです。これまでのレースの中で、一番調子が良いです」

「緊張はしているか?」

「少し。でも、この舞台が正直、場違い過ぎてあまり緊張していません」

「そうだな。ここに立っていること自体が奇跡と言っても過言ではないからな」

 

 有馬記念は、まさしくウマ娘に関わる全ての人たちの総決算のレース。

 日本全国の人達のファン投票によって選ばれ、日本で最も強く、愛されたウマ娘たちだけが出場できる。

 だけど私は、ファン投票によって選ばれたウマ娘ではない。

 

 URAの熱烈な推薦によって選ばれた、ツインターボのように話題性のあるウマ娘でもない。

 

 ただ候補の中にいて、数ある中でただ本当に。奇跡的にURAの推薦枠に選ばれたただのモブのような存在。トレーナーさんが、何度も何度も頭を下げて、色んな関係者に声をかけ続け、どうにか出走枠にねじ込まれたというのが実態だと私は知っている。

 

 もちろん、昔と違って実力は付いているけれども、この舞台で勝利を掴める程のウマ娘だと太鼓判を押されるような立場では全く無いと言って良いほどに、期待されているウマ娘ではない。

 

「……この奇跡の舞台にいる事を幸運に思っています」

「ああ。細い糸を繋ぎ、かつて『最弱』とも言えた君がここに辿り着けたことは、本当に幸運なのだろう」

 

 当時、中央で最弱。

 言い逃れの出来ない当時の私の評価は、もう聞き飽きたものだった。

 

 かつての私の戦績があまりにもひど過ぎて、地方にすら受け入れ先が無いと聞かされた時には、もう笑うしかないくらいだった。それがかえって、この中央に留まるハメになったのだから人生とは本当に分からないものだった。

 

「アタイが今ここに居るのはトレーナーさんのおかげだって、アタイは知っていますから」

 

 これは、ある種の皮肉でもある。

 決して私がこの舞台に今走ることを、心から望んだわけでないからだ。

 彼が、私を信じた。信じ続けた。だから私は走っていられた。

 ありとあらゆるコネを築き、そして有馬記念にすら私をねじ込んだ。

 

 私の努力があっても、私自身の立場だけでは決して私はここに立っては居られなかったのは間違いない。

 

「俺は君を勝たせるためにいる。だから、良いんだ」

「良いって言いますが、走るのはアタイですよ」

「分かってる。でも、今日の君は激走できる」

「それならアタイは掲示板……五着くらいには、入れると思いますか?」

「思わない」

「……あの、どっちです?」

「何故ならば君は、勝つからだ。掲示板なんて目指すな。ただセンターだけを目指せば良い」

 

 一着以外は、全て負け。

 それがレースの世界だ。

 二着でも三着でも、勝利の二文字の前には、等しく敗者となる。

 

 おろし立ての正装に身を包んだトレーナーさんは、こちらを振り向きニコリと笑みを浮かべた。

 私は知っている。気合いの入った服装に身を包んだ今日の彼が、私のせいで笑われていた事も。

 

 メジロマックイーンもいる。

 ナイスネイチャもいる。

 今日この場は、あの二人が主役だろう。

 どちらが勝つかの力比べのような舞台だ。

 

 それにも関わらず、まるで勝って壇上に立つのが当然かのように気合いの入った彼の服装は、関係者からすれば良い笑いの的だった。 

 

 ダイサンゲンが勝つ?

 あるわけが無い。

 

 私もそう思う。

 言われても仕方ない。

 それがこのレースである事がただ奇跡なだけ。

 でも、私のトレーナーさんが笑われるのは、悔しい。

 とにかくそれが、私の本心だった。

 

「ところで俺はな、先日夢をみたんだ」

「どんな夢だったのですか?」

「君が年末に、勝つ夢さ」

「随分と、大それた夢ですね。でも、アタイも見てみたい夢でもあります」

「そうさ。それに、俺が君に見続けた夢でもある。家族にも自慢してあるぞ。俺の愛バが有馬記念で勝つんだってな」

 

 だから――。

 

「叶えて欲しいんだ。ダイサンゲン。今日ここで、君に」

 

 ジッと私の目を見据えて、彼は言う。

 曇りも、揺らぎもない。

 本気の目だった。

 そこまで言い切られてプレッシャーにするつもりなのかとも思うくらいだけど、そんな次元の話ではないらしい。

 それが、それこそが。

 誰よりも私も信じ、私が誰もよりも信じてきたトレーナーさんの瞳だった。

 

「――今日の君は、史上最強だ」

 

 大言壮語も大概にと言いたくなるも、なんだかその言葉を信じてしまえる自分がいた。

 

「かのシンボリルドルフよりも、今日の君は強い」

「七冠ウマ娘を引き合いに出して……本当に大丈夫ですか?」

「もちろん」

 

 今日の彼は、狂ってる。

 と少し思ったけど、その言葉は寸前で引っ込んだ。

 

「勝ってこい、ダイサンゲン!」

 

 周りからの評判なんて意に介さないかのように、彼は笑う。

 そして私の背中を、トンと押した。

 

 踏み出す、一歩。

 私は振り返らずに、「はい」とだけ返事をした。

 

 前を行くウマ娘たちは、振り返らない。

 この舞台を走るウマ娘たちに、底辺を歩く私たちを笑う者はいない。

 

 地下道を抜けた先には、歴戦のウマ娘たちがいる。

 メジロマックイーンがいる。

 ナイスネイチャがいる。

 メジロライアンがいる。

 ダイタクヘリオスもいる。

 大逃げで暴れ回るツインターボもいる。

 有力なウマ娘たちが、数多くいる。

 

 そのどれもが等しく、ライバル。

 日本全土で最強で最高のメンバーだ。

 そして、勝者は一人しか有り得ない。

 敵わなくても、どんなに差があっても、同じ舞台を走る以上は皆、勝負相手になる。

 反響し静かに響く蹄の音が、ジリジリと皮膚に染み渡る。

 

 地下道を抜けると、本馬場に躍り出る。

 

 日差しが眩しく差し掛かるも、直ぐに視界は慣れていく。

 

 肌身を突き刺す冬の寒さと、芝の匂いが私を包み込む。

 息苦しさは、ない。心地よさすらある。

 人よりも少し長い競技人生の中で、確かに今日は最高の調子だと感じられる。

 

 最初の時だって、ここに至るまで。

 私はいつも、何かが。

 ――何処かが苦しかった。

 身体が、魂が私を何かに導くかのように、歯車が合わないようだった。

 

 けれど、今日は違う。

 透き通るように開けた視界に、落ち着いた心音。

 

 返しウマ――芝で軽く走ってみても、その身体になんの違和もない。

 私にとっても、これが初めて迎える万全の仕上がり。

 そうだと感じられる程だった。

 

「信じて、良いですよね。トレーナーさん」

 

 十数万人の観客の歓声が巻き起こる、中山レース場。

 その隅で、私は小さく呟いていた。

 

 ――いや、そうじゃない。頭を振りかぶる。

 この場に立つのは、あの人が信じてくれた史上最強の私だ。

 挑むのは、紛れもない私自身だ。

 

 最後に信じるのは、己自身でなければならない。

 だから、言い直すことにした。

 自らの頬を、パンと叩く。 

 

「アタイを、信じて良いですよ。トレーナーさん」

 

 ハッキリと、声に出す。

 私の声は、観衆に掻き消える。

 それでも、私自身の耳にはハッキリと届いた。

 

 目を閉じ、不適な笑みを浮かべる。

 このメンバーで、私は誰よりも長く競争生活を過ごしてきた。

 それだけでも、舐められる訳にはいかない。

 

 つんざく寒さの中で乾いた空気を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 快調だ。

 不思議と、周りにオーラを纏っているかのような心地さえした。

 

 誰かに心から、信じてもらえること。

 自分自身を、信じられること。

 心身が充実していること。

 周りがみんな、私の存在なんて眼中に無いこと。

 

 その全てが快い瞬間は、今この時をおいて他にない。

 それがまるでただの空想でも、今だけはそれを信じていられる心地がした。

 

「勝ちます。あのメジロマックイーンに」

 

 だって、私の名前はダイサンゲン。

 役満を冠したこの名は、大穴をぶち開けるためにあるのだから。

 

 

 ▽

 

 

 関東GⅠのファンファーレが響き渡る。

 十数万人を収納した中山レース場のボルテージは、最高潮に達していた。 

 ウマ娘のレースは国民的な競技であり、国内最大の催しだ。

 その総決算たる有馬記念は、あらゆる意味で特別だ。

 数多の国民が、テレビの向こうでも眺めている事は間違いない。

 

 私の両親も、せめてテレビでは観てくれているのだろうか。

 

 万来の拍手に迎えられながら、一枠一番のメジロマックイーンを筆頭にゲート入りが完了していく。

 ビリビリと肌をつく歓声。鳴り止まない拍手の音圧が、空気を震わせている。

 さすがは夢の舞台、有馬記念。

 ひりつく緊張感が、全身を常に離れてはくれない。

 

 私は五枠八番の偶数番で、少し遅れてゲートに入った。

 

 全員がゲートに入るまでは、レースは始まらない。

 息を吸って、ゆっくりと吐いた。

 深呼吸。クールダウン。スタミナ勝負は、ここから始まっている。

 何よりも雰囲気に呑まれずに、落ち着くことが大事だ。

 

 幸いにも、今日の私は十四番人気。

 ファン投票で選ばれて出た訳でもないし、会場や国民の期待なんて背負ってはいない。

 だからある意味、随分と気軽な立場だ。

 

 一番人気を背負ったメジロマックイーンや、それに続くナイスネイチャの方が、よほどこのゲート入りの瞬間は緊張で体力を消耗している事だろう。

 そこに付け入る隙は無いとしても、僅かな有利は確かに存在している。

 

 目を閉じ、コンセントレーションを高めていく。

 スタートは、一瞬。

 

 ガコン、と音を立て、ゲートは開いた。

 

 ――疾駆。

 

 ツインターボが先頭に飛び出す姿を、視界に捉えた。

 誰もが思う、予想通り。あの壊滅的な逃げに馬鹿正直に付き合う必要なんて全くない。

 あとはダイタクヘリオスがどの位置に付くかで、ペースが変わる。

 

 馬身差を付けるも、大き過ぎる開きはないように思えた。

 ならば私が付くべきは、中団で良い。

 ペースに呑まれず、差し脚を残せて戦える。

 

 なれば、誰をマークし付くべきか。

 トレーナーと相談し、その相手は決めていた。

 一番人気の、メジロマックイーンだ。 

 

 二ハロンを経過する辺りで、左右前後を確認する。

 私の方が、メジロマックイーンよりも僅かに前に出ていた。

 

 相手は先行で走るウマ娘。後ろからの差し脚で勝負を目論んでいる私が、彼女より前にでる訳にはいかない。

 最後の直線に使える脚は残す。これが絶対条件。

 

 速度を落とし、内ラチを進む彼女を前に行かせてその後ろに私は付くことにした。

 

 引き離される訳にはいかないし、かといってあまり掛かる訳にもいかない。

 ミドルよりもハイペースなら、スタミナが豊富な彼女の展開。

 どちらだろう。いや、それ程ハイペースではなさそうなのか。

 

 第一コーナーをカーブして、スタンド正面に入る。

 私の前を行くのは、メジロマックイーン。

 そして彼女に平行するのは、メジロライアンだった。

 

 メジロライアン。調子を落としているとは言え、彼女は差しが得意なウマ娘。

 メジロ家の天才であるこの二人が、私の前で並走して走っている。

 

 彼女たちの後ろで控える。これが最善手だと確信できる。

 ベストポジションに、私はいる。

 ペースはこのままで良い。メジロマックイーンがメジロライアンと勝負して勝てると踏んでいる位置なら、これ以上に絶好なポジションはないと思える。

 

 ホームスタンドを抜けて、第二コーナーを迎える前に私は一息いれる。

 ぴたりとメジロマックイーンの後ろに付いていたおかげで、スリップストリームの中に居た私は前の二人よりもスタミナを温存出来ている。

 そして、控えても良い位置を独占している。芝も外目を走れている。脚への負担は減らせている。

 

 メジロマックイーンの強さを信じられるからこそのポジショニング。私にとって、ここは絶好の状態だった。

 笑ってしまえる位に好条件の中にいる。

 

 私の強さを完全に信じられずとも、相手の強さは誰もが信じられる。

 だからこそ、トレーナーは揺るがない方策として、メジロマックイーンをマークする事を私に勧めたのだと思う。

 結果として、展開は私に向いた。

 勝ち目が、私にまだある!

 

 第二コーナーをロスなく曲がり、向こう正面に入って私は再びメジロマックイーンの真後ろにピッタリと付く。

 再びスリップストリームの中に入った。前のウマ娘が先に風を切れば、真後ろで私が受ける空気の抵抗は少なくなる。

 その相手が最高のペースメーカーであるならば、疑う事なくペースを維持できる。

 

 ――マックイーンさん。貴方のその風、私が利用させてもらいます。

 

 残り千メートル。ペースは徐々に上がり始める気配を見せていた。

 

『メジロマックイーンと、メジロライアン! 二人が並んで行っている! その後方、ナイスネイチャがメジロマックイーンをマークしています!』

 

 実況の声が、微かに耳に届く。

 当然の如く、私の名前は呼ばれない。

 いや、それよりも。

 メジロマックイーンをマークしているのは、私のはず――。

 

 ついと左を見れば、ナイスネイチャが私の真横に現れていた。

 いつの間に――と思う隙もなく、彼女のプレッシャーに当てられて、私は僅かに右にずれていく。

 マックイーンの後ろは、僅かに彼女が有利を取った形になってしまった。

 

『ナイスネイチャの横、ダイサンゲンもいる!』

 

 と、ここでまさかの名前呼びが入る。

 ちょっと熱が入る。

 

 いや、それはいいにしても、ナイスネイチャだ。

 これが、二番人気の彼女の実力。

 

 クラシックロード最後のGⅠ菊花賞の舞台に連勝で上り詰め、前走では有馬記念と同じ二千五百メートル級のGⅡで勝利しているウマ娘だ。

 彼女のその走りは、その名の如く素晴らしい素質に溢れていた。

 その彼女も、狙いは同じくメジロマックイーン!

 残り八百メートルを切って、絶妙な位置取りで好走を図ろうとするのはやはり、ナイスネイチャだった。

 

 でも、私だってシニア級。

 クラシック期のウマ娘相手に、先手を譲る訳にはいかない――! 

 

 負けじと追いすがり、第三コーナーを駆ける。

 

『ツインターボがいる! ダイタクヘリオスがまだ粘っている!』

 

 実況が、声色を変えた。

 観客の歓声が大きくなり始める。

 

 溜めた脚は、あとどれくらい残っているだろう?

 走れる。二千メートルを通過してもなお、そう思える位のスタミナが私の中にあった。

 

 第四コーナーを曲がる。

 残り四百メートルの標識が視界を捉える。

 

 ナイスネイチャは外へと回った。

 多少の距離ロスを受けてでも、自慢の差し脚で綺麗な芝を駆ける道を選んだのだろう。

 

 私はどうするべきか。

 息が苦しくなり掛ける中、最後の直線へと脚が向く。

 ――内へ。

 

 距離のロスはしない。

 そしてマックイーンよりも深く。

 内を、この道を。私は、駆ける!

 

 ドン、と芝の大地を蹴り上げた。

 ここから、私は加速する。

 

 僅かに外を走るマックイーンを横目に、私は腕と脚を振り上げる。

 有馬記念。中山レース場・芝二千五百メートル。

 

 これ程の長距離を走るのは、私の競争人生の中でも初めてだった。

 残りどれだけの脚と気力が残っているのかは、未知数。

 

 それでも、これ程までに心身が満たされて走れる瞬間は今ここにしかない。

 そう確信できるほどの絶好の状態だった。

 

 冷たい空気が、肺を突く。

 残り二百メートルを過ぎて、――あっ、と。

 何かが壊れていく感覚が過ぎる。

 

 ここで終わってしまうかのような、感触。

 それでも良いのかと問いかけてくるのは、私の身体自身の悲鳴のようだった。

 

 限界。

 その二文字が頭にこびり付く。

 

 怖い。

 これ以上、全てを出し切ったら私はもう。

 走れなくなる。

 

 それでも、それでも――。

 今この瞬間は、私に与えられた奇跡なんだ。

 

 勝てなくても?

 負けても、壊れていいの?

 

 全てを出し尽くしても、叶わない。敵わないかも知れない。

 メジロマックイーンはそれ程の強敵だ。

 ましてや私は、誰からも期待されてこないウマ娘だ。

 

 誰の目にも、実力差は明白。

 けれどもその結論は、この短い最終直線の中に眠っている。

 

 歯を噛み締めて前を向く。

 私の脚は、それでもまだ加速をやめない。

 私の脳裏を、これまでの記憶が駆け巡り始めた。

 それは紛れもなく、走馬灯のように。

 

 

 ▽

 

 

 

「――ダイサンゲンは、中央では余りにも弱すぎる」

 

 かつて、そう言われた時期があった。

 トレセン学園に入るまでは、期待の新星なんて囃し立てられた時もあったけど、いざ蓋を開けてみたら私の身体は虚弱すぎた。

 

 身体が弱過ぎて休養に重ねての休養の日々。デビューの時期からクラシック期は全て棒に振って、輝かしい栄冠とは無縁だった。

 俄かに改善してシニア期に入り、初めて走ったダートのレースでは、一着から十三秒も遅れてゴールを迎えた私に、誰が期待をしてくれるだろうか。

 

 ゴールを迎えても、私の前には誰もいない。ポツンとしたレースだった。

 微かに拍手が鳴り響いた。

 

 それは徒競走で、最後になっても完走をした者に与えられる勲章だ。

 観客の悪気のない善意は、ウマ娘にとって最高の不名誉でもあった。

 噛んだ唇の感触は、血の味にぬれていた。

 

 続く二戦目。

 芝に挑んだ。

 喉は苦しく、走る事も苦痛な体調は、それでも治らない。私の結果は、またもビリ。圧倒的大差で八秒負け。

 

 ……最初のトレーナーさんからは、そこで見限られた。

 当然の帰結だった。私が仮に指導者だとして、諦めてもおかしくない程の圧倒的な弱さ。

 

 ダートでも遅過ぎた私は、ダートが主流の地方でも受け入れられないと言われた始末。

 それは、そうだ。自覚できる位に、あの走りではウマ娘失格だったから。

 

 でも、何があるかなんて人生わからないもので。

 弱過ぎたが故に、私は移籍先が見つからなくて、中央のトレセン学園に残された。

 不貞腐れる気持ちはあっても、走ることはやめなかった。

 

 あまりにも揶揄されて、どこにも居場所を感じられなくて、食事は皆が食べてから、最後に残ったメニューを一人でポツンと食べるくらいだった。

 

 ――そんな生活の最中。

 私は奇跡的に、今のトレーナーさんに出会えたのだ。

 

「ダイサンゲン。君は、もっと走れるウマ娘だ。君ならばトゥインクルシリーズの頂点だって――ああ、前のトレーナーかい? ダイサンゲンのサインを、今のうちに貰って置かなくて大丈夫ですか?って、前のトレーナーには伝えてやったところさ。まぁ、笑われたけどね」

 

 そういって、あの人は笑って私に手を差し伸ばしてくれた。

 行き場のない私の走りを、偶然見掛けて、そうして私達は出会って組んだのだ。

 

 といっても、私たちは決してうまく行った訳ではなかった。

 なんといっても虚弱な体質の私は、レースを迎える頃には何処かに常に不調を抱えていたのだ。

 

 続く連戦。

 降着。

 次も降着。八着。

 

 最初の二戦で差しの作戦を試して駄目だった私は、逃げを試して連敗した。

 勝てないなら、攻め方を変えよう。

 君なら、大丈夫だと。何度も太鼓判をあの人は押してくれた。

 トレーナーさんの提案で、先行策を次走で取った私は、これまでのことが嘘のように1着に。

 

 初めての勝利を掴んだあの瞬間は、嬉しいよりも先に、これが現実かと疑うほどだったけど。

 私のウイニングライブで嬉しそうに手を振るトレーナーさんの姿を見て、初めて実感したのだった。

 

 あんなに弱いと言われ続けた私が。

 十番人気の余りにも期待されてないレースで。

 

 私、初めて。

 トゥインクルシリーズの舞台で――勝ったんだって。

 

 あれから沢山のレースを駆けて、負けて食らいついて、気付けばオープン戦にも勝って。

 重賞の金杯、GⅢのレースで勝った時はもう、自分がこんな世界にいるなんて信じられない気持ちになって。

 

 その後は勝ちは獲れなかったけれども、重賞で連戦を経験することが出来た。

 それは余りにも眩しく、貴重な出来事で。

 

 導かれたかのように、辿り着いた芝がある。

 

 そして今、私はこの最高の大舞台に立って――走っているのだ。

 

 

 ▽

 

 

 意識が、最終直線に戻る。

 この身体と魂に刻まれた歴史が今、私の身体を押している。

 

 今日有馬記念を走るこのメンバーの中で、誰よりも私は走り続けてきた年数が長い。

 走ってきたレースの数も、私が誰よりも長い。

 

 長く走る事の苦しさも、楽しさも、辛さも、その全てを味わってきた回数は、私が誰よりも多い。

 

 何よりも、最弱だったこの私を、本気で信じてこの舞台に立たせてくれたトレーナーさん。

 彼からの想いは、彼への想いは、何にも比類できるものじゃない。

 

 走ることが、苦しい?

 いいや、違う。

 壊れそうな身体なんて、ない。

 潰れそうな肺なんて、ない。

 

 今この瞬間の私は――。

 

「今だけは、アタイが、誰よりも! 最強だぁあ!!」

 

 荒れた内の芝を全力で踏み締める。

 大地が削れる音がする。爆発する私の末脚は、史上最高のキレをみせている。

 

 真横に呼吸を感じる。

 ダイタクヘリオス。彼女の息遣いを、左のウマ耳が捉えている。

 随分と苦しそうだ。でも、彼女は諦めていない。

 視線を向ける余裕は、私にはない。それでも、気付けば私を包む風が、彼女を置き去りにしたのは分かった。

 

 抜ける。

 ゴールはもう視界の目の前だ。

 開けた視界の先には、もう誰もいない。

 

「アタイが、勝つ――!」

「負けませんわっ!」

 

 大歓声を打ち消す程に強い意志が、左手側から迸るのを感じた。

 彼女だ。

 メジロマックイーン。

 

 今この中央トゥインクルシリーズで最強と謳われる存在、メジロマックイーンが、私の真横に並びかけていた。

 

 視線がついと向いてしまう。

 彼女の目は、真っ先にゴールを捉えていた。

 ああ、これが最強なんだ。

 自分の脚を信じて走ってきた、ウマ娘の世界なんだと思ってしまう。

 

 でも、私には私のレースがあった。

 積み上げてきた全ては、今ここにある。

 何よりも、こんなに全力で走っているにも関わらず、苦しさよりも先に私の脚は止まらない。

 

 トレーナーさんの言っていた事は本当だった。

 過去最高に快調すぎる今の私は、自分史上最強の存在になっている。

   

 こんな瞬間、一生に何度あるだろうか?

 

 自分の全てが出せる。

 自分の全てがフルコンディション。

 自分を最強だと信じてくれる人が、最強の私だと認めてくれている。

 そして何よりも、自分自身が今の自分を、最強だと信じる事が出来ている。

 そんな瞬間が、何度だってあるのだろうか?

 そんな事、考えるまでもない。

 

 トレーナーさんは言った。

 人生には、『この瞬間のために自分は産まれてきたのだろう』と、そう思える瞬間があるんだと。

 だとするならば、それは私も同じだ。今だ。きっとそれは、今なのだ!

 

「この瞬間しかない。今が頂点なら。アタイは、誰よりも――!」

 

 強い。

 

「――っ、そん、な! わたくし、が、追いつけない、なんて……っ!」

 

 加速する。止まらない。

 驚愕の声すらも一陣の風となる。

 中山の急坂を、誰よりも力強く私の脚が踏み締めている。

 私の風が、あのマックイーンさんを確かに置き去りにしたのを感じた。

 

 止まらない。止まれない。

 生涯にただ一度だけ許された、私の最強の瞬間を。

 この舞台に、刻むまでは。

 

「……最強は、アタイだぁあああ!」

 

 がむしゃらに駆け抜けた私は、ゴール板がついに視界から掻き消えたのを理解した。

 誰も私に、並び立っていない。

 

 先頭だ。

 

 私が、勝った。

 

 このトゥインクルシリーズ、最高の舞台で――。

 

『なんとビックリ、マックイーン! まさかまさかの二着!』

 

 大観戦に包まれた会場が、その声に静まるのを感じた。

 

『勝ったのは、ダイサンゲンです!』

 

 駆け抜けた先で、脚をとめて振り返る。

 電光掲示板に真っ先に刻まれるのは、私の数字。十二番。

 実感は、ある。先頭で駆け抜けたのだから。

 でも、現実感はない。それは、夢のような話なのだから。

 

『全てをひっくり返す大役満(ダイサンゲン)! 彼女がこのグランプリの大舞台で、とんでもない快挙を成し遂げました! 驚きを禁じ得ません。十四番人気のウマ娘が、なんと年末のグランプリを制しました――!』

 

 

 

 ▽

 

 

 

 あの日のことを振り返れば、いつだって不思議な気持ちが沸いてくる。

 一時静まった中山レース場。

 そしてそれを割るかのように、大泣きをしてウイニングサークルへと飛び出してきてくれたトレーナーさん。

 大衆が呆けてから、彼が私に抱きつく姿に、割れんばかりに巻き起こった大拍手。

 

 彼の背中に手を回すと、おろし立てのスーツがクシャクシャになる位に握りつぶされたポケットがあって、何だかそれが愛おしく思えたことを、私は一生忘れないと思う。

 

 そして、センターで一身に声援を受けるウイニングライブ。

 もちろんの事、マックイーン、ナイスネイチャといった人気のウマ娘の声援の方が遥かに大きかったけれども、確かに私を応援してくれていたファンの声だってあったから、それだけで私は最高の笑顔で受け止めて歌い切ることが出来た。

 

 誰よりも何よりも、一番の目の前で全力でサイリウムを振ってくれるトレーナーさんが、私にずっと勇気をくれたのだった。

 勝ちウマ座席投票券、隠れて私に全額賭けてたんだなって思うと、嬉し恥ずかしくも胸の奥が熱くなったことを覚えている。

 

 最高の瞬間。

 人生において、何度だってない。

 

 私の大切な記憶の一部。

 かつて最弱と呼ばれたウマ娘が、最強を倒すなんて、どんな物語があってもこれ以上の歴史は無いのかもしれない。

 

 でもそれは、昔話なんてものになる訳じゃ無い。

 だって私は、今もこのトゥインクルシリーズで駆け抜けているのだから。

 

「ダイサンゲン」

「なんですか? トレーナーさん」

「やっぱりあの日。君は、最強だっただろう?」

「そうですね。そうだったみたいです」

「そうさ。それに、今日みたいに自信に満ち溢れている君もまた、良いものだ」

「はい。なんたってアタイは、あのメジロマックイーンを倒したウマ娘ですから」

 

 みなぎる自信は、私を包み込むかのような雰囲気を与えてくれている。

 なんだか後光がさしているというか、白いオーラが出ているというか、なんだかそんな事も言われたような気もするけれど、そんな感じだ。

 

「今日のレース、一番人気はトウカイテイオーだ。どうだ、ダイサンゲン。自信の程は」

「言うまでもありません。信じて待っていてください、トレーナーさん。今日のアタイは、四番人気です」

「いい面構えだ。今の君は、今まで一番輝いているさ」

「はい。……ところで、トレーナーさん」

「なんだ?」

「あの日、トレーナーさんはアタイにこう言いましたよね」

「ほう」

「人生には、『この瞬間のために自分は産まれてきたのだろう』と、そう思える瞬間があるんだ、と」

「ああ。そう言ったな」

「有馬記念を走り終えてから、アタイは思ったんです。それって、いつだって。何度あったって。良いんじゃないかって」

 

 そう言うとトレーナーさんは目を丸くして、それから大口を開けて笑うのだ。

 

「その通りだな!」

「そうですよね」

「そうさ。何度だっていい。過去じゃなくても、未来じゃなくても。それは今で、その瞬間で良いんだろう」

「いつだって思えますよ。今のアタイなら」

「ああ。瞬間(いま)を駆けて生きろ。ダイサンゲン。さあ、行ってこい!」

 

 彼は今日も、私の背中をトンと押してくれる。

 私は、自信満々にターフへと足を進めた。

 

 ――アタイはメジロマックイーンにも勝った。

 トウカイテイオーにも勝てる!

 

 果たしてその結果は。

 まあ、ご存知と言うべきか。

 ……あまりにも惨敗すぎて、項垂れてゴール板前で横たわるくらいだったのけれども。

 

「どうだった、ダイサンゲン。今日のレースは」

「惨敗でした。――でも」

「でも?」

「まだまだ、走りたいです。この先もずっと」

 

 帰り、そう答えた私に。トレーナーさんは自身の腕をまくってパチンと叩くと。

 満面の笑顔で、ああ、と応えてくれた。

 

 そうだ。私たちは走り続ける。

 私は、走り続ける。

 

 この道を、これからも。

 

 もしかしたら私は、GⅠで有馬記念だけを制した、稀代の一発屋だなんて後に言われることもあるのかも知れない。

 だとしても、私は応えたい。

 私を支えてくれたトレーナーに。私を応援してくれたファンの期待に。

 

 そして何よりも、自分自身の頑張りに応えたい。

 どんなに辛くても、負けても、勝っても、不貞腐れずに走り続けた自分自身を。

 これからの生涯で、信じ続けたいから。

 

「トレーナーさん。明日からも、トレーニングよろしくお願いします!」

 

 何度も走り続けるんだ。

 一緒に、勝利を目指し続けていくんだ。

 

「任せろ。次はどのレースで、誰に勝ちたい?」

「春の天皇賞で、トウカイテイオーとメジロマックイーンにです!」

 

 私たちの未来のレース結果は――まだ誰にも分からないのだから。

 

 

 

 

 

 


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