「どうしよう……」
「おお、これは冷静沈着な私でも思わずビックリですよ」
浅い洞窟の奥、二人の子供がやいのやいのと騒いでいる。いや、騒いでるのは長い銀髪の少女だけだ。片割れの少年は黒髪の頭を抱えてうずくまってる。
その理由は手元の剣にあるようだ。少し奥へと目をやれば人工的な台座も見える。どうやら引っこ抜いてしまったらしい。
「どうしようどうしよう……!」
「マット、とりあえずもっぺん差し直せます?」
「どうしようどうしようどうしよう!! ねえどうしよう!?」
「さ し な お し て」
「ハイ、ヤッテミマス」
力関係がよくわかるやり取りの末、幾らか年嵩の気弱げな少年……マットは言われるがまま、元通りに台座に剣を差し込む。
カツン。
差し込もうとした。
「えっと……無理みたい……」
「よく見ると刺さってた跡もなくなってますね」
次期村長予定の銀髪碧眼な少女……アイが台座に触れる。剣が刺さっていたなどとは考えられないほど滑らかだ。
「どうしよう!? ホントどうしよう!?」
「どうしようもこうしようもないですね。おばあちゃ……村長に話ましょう」
「その、怒られない?」
「わかりませんね。怒るのも怒られるのも私じゃないですから」
あまりの異常にマットはパニックに陥っている。一方のアイはひどく冷静だ。というか他人事だ。
「そんなぁ……抜けって言ったのに……」
「でも抜いたのはマットですよね」
「うううう」
原因でありながらこの面の厚さ。確かに次期村長に相応しい。
ミルク色の髪をたなびかせ、当然の顔で堂々退場のアイ。不釣り合いの剣を引きずり、トボトボとついていくマット。むしろアイが持った方が似合うのではなかろうか。
何せコレは『
対照的な二人は、ここ『剣の里』の代名詞である勇者の祠を後にした。
…………
「それで剣を抜いてしまったと」
「はい、そうです……」
土下座するマットに投げかけられた声は、想像よりも柔らかいものだった。恐る恐る顔を上げると、見えるのは軽い溜息を吐く老女……村長の姿。
「わかりました。しかたないですね」
「あれ、おば……村長は怒らないのですか?」
鞭打たれるマットを肴にする予定でもあったのか、アイは意外そうな表情を浮かべる。
「怒るも何も村の子供なら誰しも試すものですよ。抜けてしまったのは驚きですが、抜こうとしたことをとやかく言う気はありません」
許されたとマットは安堵の息を吐く。しかしそうなると問題は手元の剣だ。
何せ勇者の剣な訳で、勇者の手元にあるのが相応しい。すでに亡き人ではあるが、せめてその墓に入らてやらねばなるまい。
「でも、抜けたなら勇者ヒンメル様のお墓に剣を届けないと」
村長は笑顔を浮かべる。牙剥く魔獣のように優しい微笑みだ。マットの背中に冷たい汗が流れた。
「勇者ヒンメル様は勇者の剣で魔王を撃ち倒しました。今も勇者の剣は彼と共にあります」
「え、じゃあコレは」
「勇者ヒンメル様は勇者の剣で魔王を撃ち倒しました。今も勇者の剣は彼と共にあります」
「いやでも」
「勇者ヒンメル様は勇者の剣で魔王を撃ち倒しました。今も勇者の剣は彼と共にあります」
「アッハイ、勇者の剣はヒンメル様と共にあります」
たとえ黒に見えても権力者が白と言えばそれは白なのだ。村の最高権力者である村長の言葉に、マットの首は操り人形のように上下する。
「じゃあコレはマットのものでいいですね!」
「いやそれはおかしい」
パンと手を叩き朗らかにトンデモを言い放つアイ。あまりの物言いにマットも普段の力関係を忘れてツッコミを入れる。
「だって勇者ヒンメル様は勇者の剣と共に眠られているのですよ? ならこれは勇者の剣ではないのですよ。だからマットのものにしてもいいわけですよ!」
「いやそれはおかしい」
「ええそれはおかしい」
村長とマットのダブルツッコミだ。アイのほっぺが不満げに膨れ上がる。
「おばあちゃ……じゃなくて村長までなんでなんですか!」
「コレは勇者の剣ではありませんが村で管理してるものです。更に言えば勇者の剣ではありませんが女神様から賜ったものでもあります。だから勇者の剣でなくとも誰かのものにしていいわけではありません」
殊更に『これは勇者の剣ではない、いいね?』と主張してはいるが、内容としては道理にかなっている。流石のアイも村長と道理を前にはぶー垂れることしかできない。
「ぶー」
「なので返してもらえますか?」
不満げに唇を突き出したアイを背景に、マットは言われるがまま剣を手渡した。
「あ、はい……あれ?」
「受け取りました、よね?」
手渡したはずだ。だが剣はマットの手の中にある。何が起きたのかわからない。
頭上に疑問符を浮かべたマットはもう一度繰り返す。今度はことさらゆっくりと。
「これは」
「なんで」
「やっぱり!」
剣をマットが手放す瞬間、剣はマットの手中に瞬間移動した。まるで剣自身がマットのものだと主張しているかのようだ。
「……どうやら村で管理は難しいようですね。しかし任せるわけにはいきません」
「なんでですか!?」
あくまでも頑な村長に、アイは不満を通り越して憤りすら見せる。だがマットの顔には不満も憤りもない。薄暗い納得の色すらある。
「マット、この剣は女神様から賜ったものであり、『勇者』にのみ授けられるものです。貴方にそれに相応しいものがあるとは思えません」
「はい……」
何故ならマットは自分が勇者という言葉から程遠い生き物だと、弱虫の軟弱者だと自認しているからだ。
「でも抜けたじゃないですか!」
「だとしてもです。それにこの剣は魔物を引き寄せます。マット、貴方は身を守れますか? 剣を守れますか? 村を守れますか?」
「いいえ……」
「ヴーッ!」
ただ一人反論をぶち上げるアイだが、どうにも形勢は不利のようだ。ついには地団駄を踏んで憤りを露わにする始末。が、思わず叫んだ一言が、思わぬ突破口を開いてしまった。
「じゃあ出来るようになればいいじゃないですか!」
「え」
「ふむ、それがよいですね」
「えっ」
蚊帳の外で勝手に決まる未来予想図にマットの頬が引き攣る。このままでは勇者教育超スペシャルハードコース加入が強制決定してしまうかもしれない。当然クーリングオフは出来まい。
「な、なんでですか!?」
「今の貴方が相応しくないのは事実ですが、剣が抜けてしまったのも事実です。そして剣を戻せないなら貴方がそれに相応しくなる他はない」
「それはそうですけど……」
マットは懸命に防衛線を張るが、村長の正論に薄紙より容易く破られる。そこにぶち込まれるのは幼馴染の満面の笑顔だ。断れば明日の朝日は拝めない。本能が告げている。
「マ ッ ト ?」
「ハイ、ガンバリマス」
かくしてマットの『勇者or dieウルトラスパルタトレーニングコース! これで貴方も必ず勇者に! (ならなければ死ぬ)』加入が決定した。
そこには拒否権も自由も無かった。苦しみに溢れる明日だけがあった。
……
村長の館より帰宅するマットの背は酷く煤けていた。落ち込んだ背中をアイは不満げに眺める。
「マットはなんでそう嫌がるんですか。勇者の剣じゃないですか」
勇者に憧れるのは全男の子の義務と聞いていたが、マットのそれは真逆も良いところだ。勇者という言葉から逃げようとしているようにすら思える。
「…………前に魔獣が村に来た時あったよね」
「そう言えばありましたね」
それは随分と知恵の回る魔獣だった。
配下で陽動をかけ、自分と共周りを連れて村内へ侵入。子供達を人質にして動きを封じ、予備戦力を投入して村を制圧せんとする。
魔族もかくやの悪知恵っぷりだった。
「…………何も、何一つも出来なかった。
目の前に出てきた魔獣にビビって震えて泣いてるだけだった。
それなのに『勇者』の剣? 相応しくないにも程があるよ」
それは傷口から滴る血のような言葉だった。マットの声音に自己嫌悪と後悔が滲む。表情にも同じ色が溢れていた。
「何言ってんですか?」
対してアイから返されたのは消毒薬をぶちまけるような一言だった。
あまりのセリフにマットも思わず視線を向ける。
幼馴染の表情は、蔑みでも失望でも無かった。
「確かにあの時のマットはビビって震えてましたね。へっぴり腰で泣きじゃくってました」
アイは思い出す。洟と涙と汗でぐちゃぐちゃになった顔、今にも尻餅をついて後ずさりしそうに引けた腰。
「でも立ってました」
それでも見様見真似の下手くそを構えて、細い棒っきれを握りしめ、牙を剥く魔獣の前に立ちはだかってみせたのだ。
「私はマットの背中を覚えてますよ」
そのマットに向けて指を突きつける。寄せた眉根は怒っていますのわかりやすい意思表示だろう。
「マットは『マット』を馬鹿にしすぎです!
流石に温厚な私もブチギレですよ?」
「………………そうだね」
言葉が溢れた。血が溢れるようなさっきとは違う、血が通ったような言葉だった。
「君がそう言うんだ。きっとそうなんだ」
「そうですよ!」
楽しげに掌を打合せ、小さな拳を突き上げる。
「だからマットはマッチョになって勇者の剣をモノにするんですよ!」
「うん、やってみる!」
「じゃあ頑張ってくださいね! 私は待ってますから!」
ここでノータイム他人事にするのがアイがアイたる所以である。だが村長はそれを許さない。
「いいえ、貴女もやるのです」
「おばあちゃん!?」
「村長と呼びなさい。貴女は実力が足りていません。このままでは村長を継がせられない。貴女も訓練するのです」
魔王が倒れたとは言え魔王軍残党と魔物が蔓延るこの世界では、村をまとめるのにも相応の実力が求められる。色々と他人任せなアイはその辺りが足りてない。
「えー」
「一緒にがんばろう!」
背中を押すマットに不満げなアイ。さっきとは逆方向でじゃれ合う二人に村長は目を細めた。
……
「死ぬ死ぬ死ぬ死んじゃうっ!」
今日も今日とてマットの悲鳴が響き渡る。
「叫べるということはまだまだイケますね。もう少し負荷をあげましょう」
「ダメ死ぬもう死ぬすぐ死ぬ!」
泣き言を泣き叫びながら必死で剣を振るう。そうしなければ縄で吊るされた無数の岩にめった撃ちにされてしまう。
因みに岩に傷をつけると魔法のおしおきが待っているので、襲いかかる数十キロを受け流す他にはない。
「そう言えるウチはまだまだ死なないんですよ。何も言えなくなったら死にますが」
「だから死ぬって言ってるじゃん! 魔族! 悪魔! 村長!」
村長が微笑んだ。マットの背筋に冷たいものが走る。それは死の予感によく似ていた。
「だからまだ死にません。お礼にもっと負荷を上げてあげましょう。『
泣き喚くマットを無視して薙刀じみた杖を振り上げる。全ての岩が稲妻を帯び、マットの声が絶望を帯びた。
「ヤダーッ!」
……
「ヤダーッ!」
今日も今日とてマットの悲鳴が響き渡る。(本日2度目)
あれを討てと村長が杖指す先には、白狼じみた巨獣を率いる人狼もどき。狼とも人とも呼べぬ異形は尋常ならざる魔の存在であると主張している。
「死んじゃいますよ! アレって魔物じゃないですか! しかもヌシっぽいじゃないですか! ヤダーッ!」
「死ぬという言葉はですね、言えるウチは死なないんですよ」
「それって言えなくなったら死ぬってことで! 死んだから言えないってことじゃないですか! ヤダーッ!」
「ハイ、泣き言ほざいてる間に来ましたね。死ぬ気で戦いなさい」
「ヤダーッ!」
必死確定だと必死の抗弁を並べ立てるが、冷徹なる村長は取り合ってくれない。無論、涎を滴らせて迫る魔獣は言わずもがなだ。
「ウワーッ!」
「「「!?」」」
もはやこれまでと半泣きのまま剣を抜き放つマット。瞬間、見えない炎に炙られたかの如く魔物たちは飛び退る。
……勇者ヒンメル一党の魔法使いフリーレン。剣の里は彼女と一つの約束をした。五十年ごとに勇者の剣を狙う魔獣たちの駆除をすると。
しかし何故、勇者の剣を魔獣は狙うのか?
その答えがコレだ。
「「「ウゥゥゥ……」」」
怯えている。魔物たちは尻尾を丸め、引けた腰で後ずさる。
そう、魔なるモノはことごとく勇者の剣を畏れて嫌う。だから恐怖に駆られるままにそれを壊そうとするのだ。
これまさしく魔の王を討ち倒した『勇者』の名に相応しき女神の御剣と言えよう。
「ウワーッ! ウワーッ! ウワーッ!」
「グルルル……!」
もっともそれを振るう側も恐怖に駆られててはしょうもないのだが。
引けた腰のギャン泣き人型扇風機に村長から叱咤の声が飛ぶ。
「無駄に振り回しても振り回されるだけです! 教えのとおりに腰を落として振り止めなさい!」
村長の声に魔物たちは視線の向きを変えた。
どう見ても弱いくせに剣が怖いブンブン丸よりも、骨筋張ったもう一人の方が襲いやすそうだ。
逃避じみた思考のままに人狼じみたヌシが飛びかかる。
「ガウァッ!」
「危ない!」
途端にマットの動きが変わった。
引けた腰が地に沈み、棒振りの剣が全身のバネに乗る。地面を踏み締めた反動力を載せ、腰の捻りと脊椎の粘りで剣を振り止める……握力は緩めた上で。
「セヤッ!」
ビュンッ!
狙い通りにすっぽ抜けた剣は横回転で宙を切る。
風切りながら恐怖が迫る。ヌシの両目が恐怖に濁る。
だが跳び上がったヌシはそれを避ける術を持たない。
「ギャウンッ!」
恐怖が真っ白な毛皮に食い込んだ。絶望の声が上がる。それが断末魔になった。
まるで灰で作った人形のように、
勇者の剣は女神が賜った破魔の神剣。故に斬られた魔のものは、魔力に帰ることなく一握の灰としてこの世に残る。
魔にとっては存在を否定する必滅の猛毒である。
「「「ガァッ!!」」」
「ウワーッ!?」
そしてそんな危険物を手放せば弱っちいマットが標的になるのは必然である。
前の一撃が嘘のように情けない悲鳴を上げる姿に、村長から小さな嘆息が漏れた。
「勇者としては及第点ですが、剣士としては赤点ですね……剣を!」
「あ、はい!」
ヒュン!
「「「!!?」」」
魔獣の目が恐怖と驚愕に見開かれた。手放された危険物が何故か弱っちい獲物の手の中にある。
つまりそれは獲物ではない。獲物は怯える自分たちだ。
逃げるにはもう遅かった。
「セヤッ! セイッ! セイヤーッ!」
「「「ギャンッ!?」」」
風に乗り灰が散った。もはや動くものはない。
「なんとか、なったぁ……」
「咄嗟の判断力は良いとしても、問題はそうでない時の怯え癖ですね」
安堵の息をこぼしてマットは真っ白の山に腰を落とす。緊張からの解放でとろけたスライムのように弛緩する姿に、村長は残心も不足と減点を追加した。
「少々優しくしすぎたようです。魔物より恐ろしいものを味わえば少しは恐怖も薄れるでしょう」
マットが村長の言葉に気づかなかったのは幸運だろうか、不運だろうか。
どちらにせよ魔物が味わった以上の恐怖を知るのは確定した運命であった。
……
「なんだ?」
足を止めた獣の影につられて、人影が足を止めた。
いや、それを人影と評するのは無理がある。
四肢が有る、直立している、服を着ている。どれもこれもそれが人であると示している。だが一点、それの存在が人外である証明していた。
ツノだ。
レイヨウのようにゆるく弧を描き天を突く二本のツノ、人間には存在しない器官がある。
この影は人を真似て人を襲う嘘吐きの魔物、すなわち魔族なのだ。
その魔族……『魔物使いのパイツェ』は突然足を止めた魔物へと視線を向ける。
普段なら指示一つで死すら厭わない魔物たちが後ずさる。向こうに天敵が待ち受けていると言わんばかりに逆らっている。
パァン!
「進め」
「「「ウゥゥ……」」」
鞭を振るい明確な命令を下して魔物たちはようやく動き出した。しかし魔物たちの足取りは重く、瞳には嫌々ながら渋々と書いてある。
「……奇妙だな。向こうに何が?」
拒む方角を見やる。パイツェの魔力感知には何も現れない。だが言語化出来ない不快感を覚える。
「調べてみるか」
パイツェは予定に無かった寄り道を選んだ。