春日詩帆は出雲校の特殊部隊に最後に配属された女の子だった。
そしてイローデッドではなかった。
ただしくは『変身したことがないイローデッド』だけれど、特殊部隊は異灰を殲滅するための組織なのだから本来ならありえないことだった。出雲校は製薬系の影響が強いから、まだ変身できない詩帆は貴重なサンプルになると踏んでのことだろうと噂されていたけど、真相は闇の中だ。
結果として製薬系は戦力、実験台、そして薬のお得意先が一件増えたことになるのだから、(もしそんなものがあるのなら)作戦は成功したといっていい。
詩帆には一旦スイッチが入ってしまうと自分を曲げないし、対話すらしなくなってしまうという、とてもかたくなな一面があった。
寮で生活を共にするのだから、詩帆のその一面との衝突は避けようがなかったし、あるとき実際にぶつかってしまった。
詩帆は「自分なんかなんの役にも立たない」との自己評価を下していて、「だから自分にできることでみんなに貢献したい」と思っていたみたい。そんな詩帆が出した答えは「家事を一手に引き受ける」というものだった。他人から見れば馬鹿げているけれど、本人からしたら切実なこと。
詩帆は掃除、洗濯はもちろん炊事まで率先して請け負った。同じように授業に出て、任務をこなしながらの家事は傍目から見ても大変そうだった。なのに食事はだんだんと手が込んでいき、豪華になっていった。けれど出される食事の内容は明らかに割り当てられた予算を超えていたし、これはさすがにおかしいとなって調べると、詩帆は自分のお金で食費をまかなっていることがわかった。
その後の話し合いで詩帆のやっていることを一旦リセットし、自分のことは自分でやろうということになった。つまりすべて元通り。
さすがの詩帆もしょげていたけど、どうしてそれが良くないことなのかは多分あんまりよくわかってない。
詩帆がそんな風になってしまったのには理由がある。
子供のころ故郷で事件を起こしてしまい、そのせいで引っ越すことになった。友達を失ったし、習っていたバレエもやめた。両親も転職するしかなくなった。すべてを壊したのは自分だと長いこと思っていた。これは詩帆の我の強さがきっかけで起きた事件なのだから、ある意味で正しい。けれど、詩帆の両親はもともと喫茶店を開業しようとしていたみたいだし、その時期が早まっただけだと見ることもできる。でも本人はそれを受け止めることができずに、新天地での味気ない暮らしを罰だと思いたがっていた。もちろん、ご両親の経営する喫茶店を手伝うことも自分に課せられた罰だと思い込もうとしていた。
詩帆には自分の帰る場所を自分の手で壊してしまったとの強い思い込みがある。それが、食費を大幅に超えた食事を作ったり、家事にいそしむ動機になっていた。詩帆は当たり前に帰ることができる場所に執着していた。
してい「た」、と過去形にするのには理由がある。
詩帆はいま、みんなと買い出しという名の「ショッピング」に出ている。詩帆にとって買い物とは、予算内で収めつつみんなのリクエストを聞き、冷蔵庫の余り物も無駄なく使ってご飯を作るゲームだ。その証拠に、みんなと買い物に出かけるときの詩帆は嬉しそうにしている。機嫌だってよくなる。買い物は詩帆をはじめとした買い物組に任せて、アレシアはお留守番係。
それに詩帆は最近になってパン屋のアルバイトもはじめた。パンを作る方がメインだそうだけど、忙しいときは作るだけでなく陳列やレジもこなしているらしい。パン屋にはイートインスペースもあるから大変だけれど、喫茶店での経験がいかせると言って笑った。いつかはレストランの厨房でもはたらいてみたいと言っていた。詩帆はその夢をきっと実現させるだろう。毎日いそがしいと語る詩帆はけれどなんだか楽しそうで、いっぽうアレシアには一人の時間が増え、それが寂しくもあった。
みんなが買い物から帰ってくるのを待ち、食事の支度が整うまで待つのは退屈だ。自分一人だったなら食事など簡単に済ませて趣味の時間に充てられるのにと思うことも少なくない。
詩帆は放っておくと勝手に頑張り始めてしまうし、そのうちまた無理をし始めるかもしれない。
その証拠に、今日の料理当番は詩帆ではなくアレシアだというのに、さっきからアレシアの後ろを行ったり来たり、そわそわと落ち着きなく動いている。まるで家事をしてはいけないという呪いに縛られているみたいに。
「詩帆。落ち着かないから座ってて」
「す、すいません。じゃあ私、何かほかのことを……」
「いいから。何もしないのも仕事のうち」
「はい……」
力なく返事をした詩帆は、肩を落としながらダスターを濡らし、机を綺麗に拭き上げていく。そうしながらも目はキッチンに向きっぱなしだ。はぁ、まったく。こんなふうに「何もするな」を「邪魔をするな」に変換してしまうのが詩帆の悪い癖。
「詩帆」
「は、はい!」
「疲れちゃった。交代」
「えっ」
「やりたいんでしょ。じゃあ、やって」
「いいんですか!」
「ええ。ただし、これからは『こんな私』とか『みなさんのため』なんて言わないで。詩帆がやりたいからやってるの。私たちのせいにしないで。私は詩帆のそういう部分をちょっと迷惑に感じているけれど、受け入れてあげる。わかった?」
「森崎さんは私のことが迷惑なんですね……」
「ええ。お互い様よ。それが嫌なら好きにして」
「うう……。頑張ります……」
詩帆は自分なんて特別なところがなにもないんだと、まるで自分に言い聞かせるように繰り返す。そして、そんな自分にもできることがあると言う。それが家事や料理だ。けれど、どう見ても詩帆は自分の楽しみで料理をしているし、それどころか目の色まで変わる。「特別」や「当たり前に帰る場所」を引き合いに出しているが、料理や家事は詩帆にとってただの「やりたいこと」だ。
結局のところ、詩帆は料理バカなのだ。
そのことを、誰より本人が一番わかっていない。
自分のできることと、みんなの帰ってくる場所の維持。その両方を満たせるのが寮の家事だったのだろう。だから無理をしてでも頑張ってしまう。けれど、それはみんなにとって、そこに帰らなければならない呪いとしてはたらいてしまう。ご飯があれば帰ってくるだろうって悲しい呪い。それを正当化するために自分は役立たずなんて思い込もうとしていた。
レールから外れることができないというのは詩帆の口癖だ。けれど、なんのことはない、料理は趣味だったのだから、レールから外れられないどころか、レールの上を全力で駆けて行っているのだ。家庭を壊した自分が家事や料理を楽しむだなんて後ろめたいから、手伝いを罰だなんだと捉えたかったのだろう。
詩帆はちょっとお馬鹿さんなのだ。
「詩帆」
アレシアは詩帆の後ろから近づいて、詩帆の頭の上に手を乗せた。
「いいこ。いいこ」
「!? なんですか?」
「やりたいことが見つかって良かったわね」
「はい!」
詩帆は根が単純だ。単純なくせに物事を複雑に考えようとするからこじれてしまう。
嬉しい、楽しい、大好き。
悲しい、ムカつく、大嫌い。
こんなふうに、詩帆は素直に感情を表現すればいい。
だって、生きている人間がすべて複雑だったら息苦しいでしょう。
なにより、その単純さにアレシアは幾度となく救われたのだから。
生きることに苦しむのは一人でいい。
彼女の名前は春日詩帆。森崎アレシア優のバディ。
◇ ◆ ◇ ◆
森崎アレシア優はルーマニア出身の女の子で、敬虔なルーマニア正教徒です。日本名の名前なのでおそらくお父さんが日本人、お母さんがルーマニア人なのだと思います。アレシアという名前はきっと聖人から頂いたのでしょう。ファーストネームを「優」ではなく「アレシア」にしているところに敬虔さがうかがえます。アレシアはまっすぐに伸びた綺麗な金髪と深いブルーの瞳をしていて、それが白い肌にとてもよく似合っています。日本人とルーマニア人は黒い髪に黒い瞳なのが特徴なので、その意味でアレシアはちょっと珍しい女の子だったのかもしれません。
アレシアは故郷のルーマニアで灰病にかかり、イローデッドに変身しました。故郷でたいへんなことがあったらしく、父方の住む日本にやってきて、出雲校がその受け入れ先になったということです。
アレシアが特殊部隊に配属されて、最初に組んだバディは倉持亜美という女の子でした。けれど残念なことに亜美はクイーン化してしまい、それをバディであるアレシアが自ら殲滅しました。
アレシアはもともと感情の起伏の少ない女の子でしたが、その日を境に輪をかけて喋らなくなりました。まるで自分の殻に閉じこもっているみたいに。
次にバディを組んだのは春日詩帆という女の子でした。彼女は出雲にやって来たばかりの新人で、戦闘はおろか変身すらできない有様でした。そんな詩帆だったけれど、彼女はあまり後先を考えない性格で、物事に対して牛のようにまっすぐぶつかっていく女の子でした。不器用なのに傷付きやすい繊細さを併せ持っていたから、殻に閉じこもったアレシアの言動ひとつひとつに深く傷付いていきました。それでも詩帆はアレシアに歩み寄ることをやめませんでした。裏表のないありのままの詩帆に、アレシアはいつしか心を許してしまいそうになってしまう――そんな自分をアレシアは許すことができませんでした。かつてのバディである亜美を裏切っているような気分だったのでしょう。アレシアの心の中で、亜美を殺したのは自分だと責める声が絶え間なく響いていました。けれど、ある事件をきっかけに、ふたりの仲は急激に変化しました。詩帆の命をアレシアが救い、アレシアの命を詩帆が救ったのです。亜美の代わりに死にたかったアレシアは、けれど詩帆にその命を救われました。アレシアは亜美のときと同じ悲しみを繰り返すところでしたが、詩帆は亜美ではありませんでした。アレシアと詩帆の命が交換され、ひとつに繋がった瞬間でもありました。ふたりは、お互いがお互いを死なせたくなかったのです。
あるとき、アレシアが星の砂を眺めながら珍しく笑っていました。星の砂は、砂と名が付いていますが、実は有孔虫の死骸です。そう聞くと少し気味が悪いんですけれど、アレシアは「私みたいな死神にはちょうどいい」と言ってそれをとても喜んでいました。自分を死神にたとえるなんて、ちょっと変わってますよね。アレシアの隣で詩帆が生き続けることで、その思いはやがて否定されますから。
それに、アレシアは灰を綺麗だと感じる女の子なんです。だから星の砂も同じように綺麗だと感じているだけなんですよ。後ろめたいと自分の好きなものを素直に好きだって言えなくなるのは誰だって同じです。
最近になってアレシアは「自分が死んだらウェディングドレスを着せて棺に入れて欲しい」だなんて口走るようになりました。これだけだと、自分の死に夢を見ている女の子みたいですけれど、実は彼女の故郷であるルーマニアにはそれにまつわる伝承がありました。
ある羊飼いが羊のミオリツァに「自分が死んだらみんなには結婚したと伝えて欲しい」と告げたという伝承です。その背景には、生まれてから洗礼を受け、結婚し、そして死ぬことが人生に必要なものであり、それを全うすれば天国に行けるのだというルーマニア正教の教えがあります。羊飼いは未婚だったので、結婚したと告げることで、羊飼いは天国に行けたのだと、遺されたみんなに伝える意図がありました。優しい嘘の伝承です。そんな考え方から、未婚で亡くなった女の人にはウエディングドレスを死装束にするのがルーマニア流だそうです。
アレシアは生きて結婚することを考えていませんでした。それは生きることを諦めているのではなく、結婚そのものを諦めているからです。ですから、アレシアも亡くなったら自分にウェディングドレスを着せて欲しいと思っていました。
アレシアの希望は灰の世が終わったとしても叶いません。アレシアの人生は祝福されていないからです。アレシアは故郷を深く愛していましたが、その故郷に隠し事をしていました。
ルーマニア正教では同性婚が認められていません。つまり、アレシアは故郷に認められていないということになります。もし秘密を打ち明けてしまえば、アレシアは異端として扱われてしまうでしょう。同性婚はルーマニアだけでなく、日本でも認められていません。それがアレシアにどれほどの孤独と絶望を与えているのでしょうか。アレシアはどんな気持ちでエンディングドレスを選んだのでしょうか。
アレシアが殻に閉じこもる原因となった亜美。きっとアレシアは亜美に秘めた思いを抱いていたのでしょう。愛する人を手にかけた悲しみはどれほどのものだったでしょうか。それを誰にも打ち明けることができず、ひとりで抱え込んでどれほど苦んだのでしょうか。
自分は世界から疎外されている――そんな思いから故郷の古いロマの友人をツィガニと呼んでいたのでしょう。アレシアはどこにいても、どんなに故郷を愛していてもよそ者でした。
詩帆がパン屋でのバイトをはじめたことで、アレシアには一人の時間が増えました。アレシアは食事にあまり頓着しないタイプだったので、面倒だとカップ麺などで簡単に済ませてしまう癖があります。それすら面倒なら食事を抜いてしまうことも珍しくありません。そうこうしているうちに詩帆がバイトから戻ってきて、お土産に売れ残りのパンなどがあると、それを食事にしてしまったりもします。最近では詩帆のお土産をあてにするようになりましたし、詩帆は詩帆でお土産にしたいパンをバイト中にあらかじめ予約しておくようになりました。
最近のアレシアはウェディングドレスのカタログを集めて、一人の時間によく眺めています。でもそれは詩帆には秘密です。だってバレたら色々と厄介そうだから。きっと詩帆は綺麗なドレスだなんだと無邪気に笑うでしょうし、アレシアはどんな顔でそこにいればいいのかわからなくなってしまうでしょう。でも、自分でも知らず知らずのうち、詩帆に似合いそうなウェディングドレスを探してしまうのです。
「あの、森崎さん。森崎さんの夢ってなんですか?」
「夢。ないわ」
「夢ですよ。ありますよね。夢」
「だから、特にないと言っているの」
フンと目を逸らし、いそいそとカタログを片付けるアレシアの背に向けて、詩帆は思わせぶりに笑うのでした。
「実は今日がお給料日だったんです。せっかくだから記念に何か残ることがしたいんです」
「そう。ならいい包丁でも買いなさい」
「そういうことじゃなくてですね。あの、一緒にお出かけしたり、二人で記念写真を撮ったりしませんか?」
「いいけど。どこで」
「私は森崎さんの行きたいところに行きたいです」
「行きたいところなんて別にない。というか、自分のために使いなさいと言ったじゃない」
「ですから、これが自分のためなんです」
そう言うと詩帆は、たった今片づけたばかりのアレシア秘蔵のウェディングドレスのカタログを本棚から取り出して、机の上に広げた。
「なんのつもり?」
「記念写真を撮る計画ですよ。決まってるじゃないですか。森崎さん、ここのところずっとこのカタログを見てましたよね。だから憧れているのかと思ったんですけど、違いました?」
「違わない」
「最近だと女の人同士でも撮影できるみたいですよ」
「それはマイノリティの人向けでしょう。冷やかしみたいになるじゃない。私たちが撮っていいものではないわ」
「え、森崎さんは当事者ですよね」
と、詩帆が無遠慮に言った。
「私の夢は、誰が帰って来てもいいお家を持つことです。それは、今ここにあることが当然のこととして受容される世界に繋がっていると信じています」
「ただの現実逃避よ。綺麗事に過ぎない。どんなに希望を持ったとしても、未来に何があるかだなんてわからない。今ここにあることがすべてよ」
「そうなんです。未来になにが起こるかなんてわからないんですよ。でも女性だけのウェディング写真を撮ってくれるスタジオは現実にありますし、今わたしは森崎さんと約束をしようとしています。未来は選べるんですよ」
詩帆は固く決意した目をアレシアに向けた。ただでさえ頑固な詩帆が「決めた」ことなのだ。詩帆はやるといったらやる女だ。それに、アレシアには断る理由がほとんど存在しなかった。
「わかったわよ……いえ、ありがとう詩帆。じゃあ、そのプレゼントを頂こうかしら」
「なに言ってるんですか。これは『私がやりたいこと』なんですよ。ねえ、森崎さん?」
アレシアは生を否定し死を歓迎する態度の裏で、本当は人生を謳歌したがっていた。叶わない夢ならはじめから持ちたくない。
飛べない羽根ならむしってしまえばいい。愛する人と結ばれない人生なんて、誰からも祝福されない人生なんて終わってしまえばいい。そんな気持ちで死ぬ準備をしていたのでしょう。
アレシアだってみんなと同じ神の子なのです。
そんなアレシアにとって詩帆とのウェディング写真はささやかでも希望になってくれるのでしょうか。
できれば、「ウェディングドレスを着た」という「死ぬ準備」をしたことで、命が尽きるまで生きてやると思ってくれることを願います。
彼女の名前は森崎アレシア優。春日詩帆のバディです。