ヒロインシナリオアフター   作:やわらかな土

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アンフィニ

 高岡由紀子は本がとても好きな女子だ。それから自分で小説を書くことも好きだ。由紀子は生まれつき免疫系に問題があったので、学校を休みがちだった。それが本好きになったきっかけだ。

 

 人と深く関わりたいのに、病気のせいで親友をひとりも作ることができなかった。由紀子はちょっとしたことで体調を崩してしまうし、そうすると一週間ほど家から出られなくなることも珍しくなかった。食べてはいけないものも多かったし、転んで怪我などもってのほかだった。普通のひとならなんでもないようなことが、由紀子には難しかった。だから由紀子は常に孤立していた。

 そんな由紀子に転機が訪れた。灰病に罹り、イローデッドとなったことで、皮肉にも病気が寛解してしまったのだ。もともと体が丈夫なほうではなかったから、イローデッドになっても普通のひとより風邪をひきやすかったりはあるが、免疫不全による症状の併発などはみられなくなった。ようやく普通の生活を手に入れた由紀子だったが、いまや灰病は世界中に蔓延していたし、イローデッドとなった由紀子は変わらず孤立していた。

 イローデッドとなった由紀子は、出雲にある三石日ノ杜学園に転入することとなった。三石日ノ杜学園は灰病専門の医療施設でもあったので、生徒はもちろん全員が灰病患者だ。イローデッドも多くはないが存在する。新しい環境。自分と同じイローデッド。その二つが揃い、由紀子はこの学園に来てようやく、ふつうに近い学生生活を手に入れたのだった。

 

 既にイローデッドだった由紀子は、学園の特殊部隊員として活動するようになった。学園は灰病患者が全国から集まって来ていたので、クラス内でのグループはほとんど固定化されていなかった。だから由紀子はクラスに自然に溶け込むことができていた。仲の良い友人も何人か作ることができた。そして、異灰が現れれば特殊部隊員として召集され、殲滅に奔走する。学園に来てから由紀子は人生でもっとも濃密な時間を過ごしていた。

 特殊部隊を率いるリーダーは男子で、最近広島から転入してきたばかりだった。同じイローデッドではあったが、目的は病気の治療ではなく、部隊を強化するため特別にスカウトされたのだった。

 由紀子はこれまで男子と深く関わることのない人生だったから、どう接触すればいいのか関係を構築しあぐねていた。クラスの男子と同じように接しようとしても、どうにもぎこちなくなってしまう。なぜなら、そのリーダーは由紀子の好みのタイプだったからだ。由紀子は友人たちから恋愛相談などもされていたから耳年増ではあったけれど、実際に好みの男子と対峙すると自分の手管のなさに愕然とすることばかりだった。

 由紀子は今まで自分がどんなアドバイスを行なってきたか思いを巡らせた。優しくする。目を見て話す。ボディタッチを混ぜる。二人の時間を作る。そうして距離を縮めていくことが大事だと、かつての自分はアドバイスしていたような気がする。けれど、その手段のどれもが自分の心と体にフィットせず、リーダーの前に立つと斜に構えた態度になってしまうのだった。好きな人の前で素直になることの難しさを、由紀子ははじめて体験したのだ。

 あるとき由紀子が図書室で小説を読んでいると、そこにリーダーがやって来た。しばらく普通に会話していた二人だったが、話題が由紀子の読んでいる小説の話になると、由紀子の口はとたんに軽くなった。好きなことの話になると夢中で語ってしまう。由紀子ほどではないにせよリーダーも読書を趣味としていたから、会話はとても弾んだ。いつもの斜に構えた態度ではない由紀子の姿が、リーダーの目には新鮮に映った。由紀子もまた、自分の素がリーダーに受け入れられたことで心をようやく開くことができた。この日から二人の関係は変化した。斜に構えた態度そのものはあまり変わらなかったが、由紀子はリーダーに好意的な態度を見せることができるようになった。小説の貸し借りや授業での忘れ物の貸し借り、任務での連携などを通して二人は親密になっていった。スマホでの連絡も増え、自然とふたりの時間が増えていった。お互いがお互いに優しい態度で接していたし、目を見て話し合っていたし、体に自然と触れることができるようにもなっていった。二人で校外に出かけることも当たり前になっていった。こうして由紀子の生活にリーダーという男子が深く食い込み、自由な時間の大部分を占めるようになった。二人は「付き合う」という約束を交わしていないだけで、事実上交際しているのとほとんど変わりなかった。後は一線を越えるだけだった。

 

 あるとき、由紀子はバディの瀟美岐と二人で任務に出た。

 美岐は部隊の元リーダーで、由紀子の立ち位置は主に索敵とサポートだったが、この関係は美岐がリーダーから降りることになった後でも変わらなかった。戦場の美岐は口数こそ少なかったが、背中に目が付いているかのような視野の広さでエリアをカバーして後衛を守り、そしていつだって敵を殲滅してきた。崩れ去った異灰が撒き散らした灰の中に立つ美岐の姿に神々しさを感じることさえあった。そんな美岐がリーダーを降ろされたとき、とても悔しかったはずだ。納得だっていっていないはずなのに、それでも美岐は自分の仕事をし続けたし、由紀子の頼もしい相棒であることに変わりはなかった。リーダーでなくなったことは美岐にとって挫折だったはずだ。

 それをどうやって乗り越えたのだろうか――けれど由紀子はそんな話さえできずにいた。

 

 由紀子が美岐の部屋を訪れた時のことだ。

 美岐の部屋にはくまっぴのグッズやぬいぐるみで溢れかえっていた。前に来た時よりも明らかにぬいぐるみの量が増えている。狂信的といえる有様だったが、部屋を見回す由紀子の視線に気付いて美岐は少しだけ照れくさそうな顔を浮かべた。

 

「美岐ってほんとくまっぴ好きだよね」

「そうかな。このくらい普通じゃないか?」

「普通……。なかなか独特な普通だね」

 

 美岐はかわいいものが好きだ。そしてくまっぴには異常なほど愛情を注いでいる。戦っているときは剣に炎を纏わせた悪魔みたいな姿なのに、プライベートはファンシーグッズに囲まれて、できれば洋服だって合わせたいと考えている女の子だ。一緒にデパートへ買い物に行った時など、必ずといっていいほどロリータファッションのブランド店の前で立ち止まるし、そのうえ口をぽっかりと開けて見入ってしまう。瞳孔だって開きっぱなしだ。誰がみても大好きだってわかるのに、自分ではそれをうまくごまかせていると思ってる。そこまで好きなら着ればいいのに、自分みたいな女がこんな可愛いものを見に纏うだなんて冒涜だといって、かたくなに拒否する。由紀子は美岐のそういうところをかわいいと感じていた。

 由紀子にとって美岐とは綺麗で頼もしいのに自己評価が低くてかわいい。推せる。そんな存在だ。

 

「美岐はすごいよね。自分が何が好きか、ちゃんとわかってる。だから強いのかな」

「何を言ってるんだ。ユキにも好きなものはあるだろう」

「うーん。そういえば最近本読めてないなあ」

「リーダーか」

「うん」

「そうか」

 

 ここ最近の由紀子の空き時間はほとんどをリーダーと過ごすことに費やされていた。仕事ばかりで食事を抜きがちなリーダーのために弁当を作ってやったり、課題の読書感想文を代筆してやったり。リーダーとの共通点は読書だけれど、それだって話を合わせるためにリーダーの好きなものから優先して選ぶようになった。弁当のメニューを考えることや感想文の代筆にだって時間はかかるし、自分の読みたい本でなければ読書だって勉強と同じだ。自分の読みたい本は読みかけのまま置きっぱなしだったし、趣味の小説だって止まったままだった。

 

 リーダーのことはきっと好きなんだと思う。心を全部持っていかれるような恋ではないけれど、それはまだ二人の間になにもないからかもしれなかった。

 あまり深く考えずにリーダーとエッチしてしまってもいい。人生で一度くらいはしておきたいし、それをリーダーで済ませておくのもありだと思える。

 けれど由紀子にとって他人との接触、それも体の深いところで繋がることは、ほとんど本能的な恐怖に近い。免疫不全が寛解したからといって、心に巣食った恐怖は消えない。ひとたび病気を発症してしまえば何日も苦しむことになるし、他の病気が併発しないよう祈るしかない。由紀子にとって病気とは、そのすぐ先に死が存在する恐怖だった。無菌室でたったひとり病気の苦しみに耐えながら死を感じ続けることの恐怖の記憶は一生消えて無くならない。

 だとしても、一度だけ――たった一度だけならと思う気持ちはある。けれど、もし男女の関係になってしまえば引き返せないし、痴情のもつれは必ず起こる。恋愛相談で嫌というほど聞かされた話だ。

 ある夜、由紀子はノートパソコンを立ち上げ、書きかけの小説を開いた。けれど一文字も打つことができなかった。主人公と、主人公がたどる道に自分の思いを込めることができなくなっていたからだ。この主人公には由紀子自身が重ねられていて、欠点のある主人公が知恵と工夫で難局を乗り切り、仲間を増やして世界に認められていくといった話だ。

 けれど今の由紀子は、こんな不完全な自分になにができるのだろうとの思いがあった。つまり完全に自信を喪失していた。

 パソコンの画面をぼんやりと眺めながら、ふと、美岐ならどうするだろうとの考えがよぎった。

 強くて美しい戦士。無口で無骨なのに、優しくて頼もしい。その内にはかわいいものへの飽くなき執着を抱えている。だとしたら、衣装はロリータファッションを着せてみたらどうだろう。血を吸って激しく燃え上がる剣。敵の返り血を浴びて不穏なドレス。自身の憧れるかわいらしさを他人から馬鹿にされる、そんな呪いに立ち向かう少女――。

 気付けば由紀子は物語のアウトラインを夢中になって書き綴っていた。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。夜が更けてもまだアイディアはどんどん湧き出てくる。数々のトラブルの上で大立ち回りを繰り広げる主人公の姿が鮮やかに浮かぶ。これなら書けそうな気がした。この話の先行作品についてもいくつか心当たりがあった。資料を集めて、プロットを練ってと、やることが山積みだ。

 翌朝、由紀子はリーダーに週末デートの断りの連絡を入れた。それをリーダーは快諾した。けれど、どうかしたのかと尋ねられ、由紀子は返答に困ってしまう。なにせ一番の理由は小説を書きたいからだけど、とてもそんなこと言えるはずがない。二番目の理由も、このまま付き合っていくとセックスに繋がるかもしれないし、それが怖いからだなんて、そんなことを言えるはずもない。

 

「ここのところなんだか体調が悪くてさ」

 ごめんねリーダー、と嘘をついた。

 

「本当のことって言えないものだね」

 

 このとき由紀子は好きなことを隠したがる美岐に強く共感した。それに、それでも自分の好きなものを好きだと言った美岐をすごいと思った。そして、同時に主人公の輪郭が定まっていく。

 ――いける気がする。

 由紀子の足は図書館へと向かう。軽やかにスキップを交えながら。

 

 彼女の名前は高岡由紀子。瀟美岐のかけがえのないバディだ。

 

 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞

 

 瀟美岐は上海出身の女の子で、お父さんがいなかったからお母さんと二人で暮らしていた。そのお母さんも美岐が五歳のときに亡くなってしまって、それから親戚の間をたらい回しにされて育った。お父さんのいない美岐は親戚中から腫れ物みたいに扱われていて、美岐の心は氷みたいに冷たくなった。誰にも頼れないから美岐は強くなっていったし、それが一層、美岐を冷たい子だと思わせることになっていった。美岐はずっと孤独だった。

 そんな美岐の心を唯一癒してくれたのがラジオだった。目を閉じると、イヤホンから聞こえてくる音だけが世界の全てになった。そこには亡き母を責める親戚の陰口もなかったし、美岐を厄介者扱いする声もなかった。嫌な世界から隔絶された、楽しいだけの世界。

 美岐にはとにかく味方がいなかったから、敵につけ込まれるようなことだけは避けなくちゃいけなかった。ラジオが好きだなんてバレたらいけないから、勉強のためだってことにした。ラジオの面白さについて誰かと語り合うなんてありえない。

 美岐は普通の女の子と同じようにファッションにだって興味があったし、かわいいものに目がなかったけれど、お金がないから買うことなんてできなかったし、居候の身だからわがままも言えない。それに、そんな女の子っぽいものが好きだなんて知られたら舐められてしまうから、そういう思いは全部封印して、機能的なものが好きだってキャラをずっと演じてた。

 やがて世界に灰が降り出して、上海も例に漏れず灰にやられてしまった。碌な治療も受けられなかった美岐は皮肉にも(運良く)イローデッドになってしまい、日本の出雲なんていう辺境に厄介払いされてしまった。

 でも美岐にとっては上海も出雲も同じようなものだった。だって、どこにいても厄介な余所者であることに変わりはなかったんだから。

 

 三石日ノ杜学園にやってきた美岐は能力を見込まれて部隊のリーダーになった。もともと優しい子だったから、部隊の運営はけっこう上手くいっていた。けれど、美岐は口がうまい方ではなかったから、一旦行き違いが起きてしまうと、こじれた関係はなかなか修復できなかった。そうして孤立してしまうんだけど、美岐は孤立することには慣れっこだったから、関係は改善するどころか冷戦状態になってしまうことも珍しくなかった。

 連携が取れない部隊は弱い。それに、担当の司城先生は放任主義だったから、部隊内のことにあまり口出ししてはこなかった。これには製薬系としての理由があったんだけど、そのときの美岐には知る由もない。出雲部隊は良い結果を出せないまま国内最弱なんて不名誉な呼ばれ方をされるようになった。犠牲者も増えてしまったし、この状況をなんとかしなくちゃいけなかった。そんなとき、出雲に新しいイローデッドが配属されることになった。しかもその人は新しいリーダーとして呼び寄せられたのだ。

 このリーダー交代劇に美岐は納得いっていなかったけど、美岐には実力主義なところもあるから、協力はするしひとまず様子を見てみようと思ったみたい。すると、本当に結果が形となって現れ始めた。出雲部隊がクイーンと互角に戦えて、しかも倒せるまでになったのだった。新しいリーダーは美岐に比べてよく喋る人だったし、部隊内での当たりも強かったんだけど、嫌われても関係ないって図太さも持ち合わせていた。とにかく「仕事」として任務をこなすタイプの人だった。

 口下手なところはリーダーが補う形になったから、美岐は戦闘に集中できるようになった。部隊内で揉め事がなければ美岐は実力を十二分に発揮できる。新リーダーの下で美岐はけっこういい連携が取れるようになったのだ。

 

 それから美岐は新リーダーと仲良くなっていった。信頼関係ができて、美岐がひた隠しにしていたラジオ好きも新リーダーは特にバカにすることもなく、当たり前の趣味として認識していた。憧れのラジオのDJの真似事がしたくて、リーダーと一緒に配信機材なんかも揃えちゃって、試しに配信してみることにした。リスナーはリーダー一人だ。これは要するにボイスチャットみたいなものだけど、一方通行だということが美岐を安心させた。はじめはその日に起きたことを日記風に喋っているだけだったけど、段々と内容は自分のことになっていった。生まれた場所のこと、母のこと、ラジオが好きなこと、かわいいものが好きなこと。美岐はずっと自分のことを喋りたかった。でも言えなかった。そんな思いがラジオを通して溢れ出した。

 あるときチームメンバーのアレシアから「ラジオの電波から亡き母の声が届く」という都市伝説を聞いて、美岐は配信で母に向けて母国語で語りかけた。

 母のことを片時も忘れたことがないこと。

 母のおかげでここまで大きくなれたこと。

 母を心から愛していること。

 美岐はようやく秘めていた思いを吐き出すことができた。美岐はお母さんのことを恨んでなんかいなかったし、お母さんを悪く言う親戚に腹も立てていた。けれど、口から出たのはすべて愛の言葉だった。美岐がお母さんにどうしても伝えたかったものは愛だった。亡くなったお母さんに言葉を伝えたことで、美岐はこの日お母さんとちゃんとおわかれした。そうして、美岐の心の片隅にはお母さん用のスペースが用意されたのだ。

 この配信はチームみんなが聞いていて、面と向かってではないけれど、美岐は自分のことを自分の言葉でようやくみんなに伝えることができた。そして、これが最後の配信になった。

 

 美岐には隠し事がなくなったけれど、かわいいものに対してはまだ抵抗があるみたいだった。かわいいものを前にすると、湧き上がる気持ちをどう表現していいかわからないみたいで、そんなとき美岐はいつも目と口を大きく開けたまま金縛りみたいに身動きできなくなる。時間が止まったみたいに動かないんだけど、実際美岐の心の中も時間停止してるんだろう。かわいさを表現できずにうろたえる美岐はかわいい。そして自分自身がかわいいものになってしまっていることに気付いていないのもかわいい。美岐のギャップにはそういう魅力があるのだけど、本人はそれをきっと嫌がるだろう。

 

 あるとき美岐は共用スペースに置きっぱなしになっていた誰かのファイルを開いた。持ち主の名前を確認するためだ。ファイルにはクリップで留めたコピー用紙が挟んであって、そこにはびっしりと文字が並んでいた。何かの資料を印刷したもののようだったが、目に飛び込んできた「魔法少女」「炎の剣」「甘ロリ」「呪われた出自」などの文字に心がどうしようもなく惹かれてしまい、そのまま席に着いて読み始めた。他人のものを勝手に見るなんて普段の美岐なら絶対にしないはずなのに、このときはそんなこと忘れていた。コピー用紙に印刷されていたのは何かの物語みたいだ。そこに書かれていたものは、ある魔法少女が自分の好きなものを世界中から否定されながら、それでもなお世界のために戦うお話だ。彼女の敵は魔物であり、世界だった。目が文字を次々追ってしまう。まるでラジオのイヤホンを耳に付けたときみたいに美岐は集中した。

 

 魔法少女は小さくてかわいいものが好きだった。それは子供っぽい趣味で、役に立たなくて、大の大人がそんな物を好きだと公言したら馬鹿にされてしまうようなことだった。そして、彼女は世界中から馬鹿にされていた。それでも彼女には関係がなかった。敵と戦う彼女は誰よりも勇ましく、誇り高く、崇高ですらあった。その世界では思いが武器や鎧に反映されるらしく、そんな彼女の戦闘服はロリータだった。獲物に巨大な剣を携えて、刀身には消えない炎が煌々と燃え盛っている。美岐は彼女の戦う姿に、思わず目頭が熱くなってしまった。彼女に、なりたかった自分の姿が重なって見えたからだ。

 

「メイ。感心しないなあ、人のものを勝手に読むなんて」

「ユキ。そうか、これはユキの忘れ物だったのか。すまない」

「別にいいけど。ずいぶん熱心に読んでいたみたいだけど、そんなに面白かった?」

「ああ、うん。これはなんの資料なんだ?」

「資料……。資料ね。美岐ってそういうとこあるよねえ」

「……?」

「どうする、まだ読みたい?」

「いや! いや、いい! すまなかった!」

 

 美岐は慌てて読んでいたコピー用紙をファイルに戻して由紀子に押し付けるように返した。

 素直じゃないなあ。そう言って由紀子は笑った。

 それから由紀子は常にこのファイルを持参し、わざとらしく美岐の前に置き忘れたりしてみた。すると美岐はそーっと忍び寄ってファイルを開き、周りを窺いながらこっそりとコピー用紙を読み耽るのだった。そして由紀子は少し時間を置いてから、わっと言って美岐を驚かせる。美岐はそのたびあーだこーだと読むに至った理由をつけて、別に興味はないといった顔で由紀子に返却するのだった。

 ある晩、由紀子が美岐の部屋を訪ねた。

 

「メイ。いる?」

「ユキか。開いてるから入ってくれ」

 

 美岐の部屋にはところ狭しとくまっぴのグッズが置かれていて、まるで人形供養のお寺のようだった。けれど由紀子はそんな美岐の部屋にももう慣れた。

 由紀子は持っていたコピー用紙を美岐の机にばさりと置いた。

 

「な、なんだ。このコピー用紙がどうかしたのか?」

「もう。水くさいよ、メイ。読みたいなら読みたいって言って欲しかったんだけど?」

「うっ……。それは否定しないが、ユキの資料だろう。私が独占することなんてできないし……」

「だから、そういうことをちゃんと言って欲しかったの。こっちの気も知らないでさ」

「こっちの気、とは」

「なんでもない。じゃあこれは置いていくから。それだけ。おやすみー」

「ユキ?」

 

 由紀子は言い終えるや否や、そそくさと部屋を後にした。美岐はさっそくコピー用紙を開き、前回読んだところまでページを進めた。机に肘をつき、目が文字を追う。美岐は物語の世界にあっという間に没入していく。物語が語りかけてくる言葉に耳を澄ませているうち、美岐の世界はその言葉で満たされていき、外界と隔絶される。あれこれ評価する他者の言葉に耳を貸さない主人公の魔法少女は、世界の異物として嫌われてしまうし、登場人物たちの誰もが彼女を誇らしく思わないけれど、時に激しく時に愛らしい彼女の姿に美岐は憧れを覚えたし、そんな彼女の姿に美岐自身が肯定されたような気がしていた。

 

 ある日、美岐は自分のサイドバッグにキーチェーンタイプのぬいぐるみを付けてみた。青を基調とした制服やサイドバッグにペールピンクのくまっぴが映える。すると、由紀子がそれを目ざとく見つけた。

「おはよう、メイ。くまっぴ付けたんだね」

「あ、ああ。変かな?」

「かわいいじゃん」

「そ、そうか?」

「私も付けようかな。お揃い」

「む、無理するな……」

「別にしてないよ。メイがピンクだから、私は何色がいいかなあ」

 

 由紀子のその言葉に、美岐の脳がにわかに激しく回転する。

 

「カラーバリエーションは基本八種類だがそのうち二種はマーブル模様だから少し特殊なんだ。ただあるインフルエンサーが付けているのがそのマーブル模様だから、なにかと比較されてしまうかもしれないし、そもそもワンポイントとしては強すぎる。だからユキはスタンダードなブラウンがいいと思う。あ、別にユキには似合わないという意味ではないからな。ホワイトやブラックでもいいが、これは二種類とも付けるのがかわいい。二種類混ぜは難しいから、はじめはモノクロで合わせるのがいいと思う。くまっぴにはモヒカンバージョンのものもあって、そっちもかわいい……オシャレなんだぞ。それに――」

 

 急に早口でまくしたてる美岐を由紀子が凝視した。その視線に気付いて美岐ははっと口をつぐんだ。

 

「すまない。喋りすぎた……」

「ううん。そうじゃなくて。ちょっと思い出したことがあって」

「何をだ?」

「私のこと。私もリーダーに対して、はじめはそんな風に早口で喋ってたなあって」

「私は早口だったのか?」

「うん。好きなことってそうなるんだね。私もそうだったし、いまのメイのこと見てたら、その時のリーダーの気持ちがなんとなくわかっちゃった」

「わかったというのは?」

「この人はそれが本当に好きなんだろうなあ。そういうところを伸ばして欲しいなあって」

「よくわからん。つまりどういうことなんだ?」

「メイがくまっぴ好きを表に出してくれて嬉しいって意味」

「――ッ! そ、そうなのか」

「だから、メイが他人の目とか、たとえば私のためだとか、そんなことないと思うけど、そのために好きなものを隠したり犠牲にしてたら嫌だなあって思ったの」

「ユキの話は難しい。けれど、何かを犠牲にしなければ維持できない関係は破綻していると私も思う。本当のチームの姿とは程遠いな」

 

 美岐がそう言うと、由紀子は口を引き結んで眉をしかめ、怒ったような顔を浮かべた。けれどため息をついて、すぐにいつもの柔和な表情に戻った。

 

「メイは手厳しいなあ。でも、そういうことなんだよね」

「また私にわからないことを言う。さっきから何の話をしているんだ?」

「ううん。ただの図星。こっちの話だよ。さ、行こ。授業に遅れちゃう」

「ああ」

「ねえメイ。今日の帰りにくまっぴ見に行こうよ」

「いいぞ。ユキに似合うくまっぴがいるといいな」

「わたしもピンクにしようかな。おそろい。メイはそれだと嫌?」

「別に、嫌じゃない」

 そして美岐と由紀子は並んで駆け出した。美岐の鞄でペールピンクのくまっぴが揺れる。

 

 この女の子の名前は瀟美岐。高岡由紀子のいちばん大切なバディ。

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